2. 抜かりない準備
――桃菜が転生に気付いてから、二年後。
漸く<アマトカ>のゲームがスタートする王都学園の入学式の日だ。
この二年間、桃菜に抜かりはなかった。
目覚めた日、そのままリビングに向かうとオープニングとヒロインの結婚式のスチルにだけ小さく登場した両親の姿が。ふたりにそれとなく確認すると、今自分がゲームスタートよりも二年前にいることを知る。早く攻略者たちと楽しみたい反面、準備期間にはもってこいだろうと転生のタイミングを神に感謝した。
同時に両親が何の疑いもなく「モモナ」と自分を呼ぶことに気づく。つまり、あの魔法石のアイテムが上手く作動している。ああ、間違いない。やっぱりここは<アマトカ>の世界なんだ。
桃菜はモモナとなり、こみ上げる喜びをじっくりと嚙み締める。
その日からフィオナ・ペンドリーではなくモモナ・ペンドリーとしてヒロインを知る人々の記憶が全て書き換わった。
モモナは二年の間にゲームの知識を生かし、本来ゲーム中盤でしか見つけられないシークレットショップを探しあてることに成功する。そこで学力・魔力・好感度をあげるアイテムを片っ端から買い漁った。そのための資金は本来魔物討伐等の報酬を得て、というのがゲームの流れだったが……そんなことしなくとも抜きんでて美しい容姿があれば簡単だった。
「わあ! これモナにくれるの? 嬉しいーっ」
時間さえあれば商人たちに紛れ隣領へ出向いたモモナは、年齢を偽り髪と目の色を変え『モナ』と名乗っていた。夜の店で知り合った男たちに楽しい時間を提供し、その対価を受け取るためである。すべてはアイテム購入のために。
勿論身体をお金に換えるなんてことはしていない。王太子妃となるこの美しい身体を平凡な男に売り渡すなどもってのほか。ただこの顔で微笑んで甘い言葉をかけるだけでいい。あとは横に座って軽く腕をとってやれば男たちはいくらでもモモナに与えてくれるから。
「……確かにこれでお金もらえるならチョロイって言ってたのもわかるわ。ただのパパ活みたいなもんよね。体を売るわけでもないし」
可愛いってだけでチート。まさにその通りだとモモナは鼻で笑う。
手に入れたお金で買い漁ったアイテムを都度使用していると学力も魔力も見る見るうちについてくるのが分かった。今では授業内で覚えるはずの転移魔法すら短い距離であれば使えるようになったので、さらに効率的にお金を稼げるようになっていく。好感度は対象に飲ませたりプレゼントする必要があったため、いまだに使用できずに手元にあるままだったが。
「ヒロインってやっぱり最高!」
先ほどまで好きでもない男の腕に寄り添っていたとはとても思えない無垢な笑顔で、モモナは順調に進む人生に鼻歌交じりだ。
しかしこの二年、学力や魔力をどれだけ手に入れても、教養やマナーの類は育つ気配はない。残念ながらショップにそのアイテムはなかった。当然といえば当然。ヒロインは曲がりなりにも貴族令嬢である。基本的なものは幼少期からすでに叩き込まれている設定だったため、ゲーム内では悪役令嬢に重箱の隅をつつくような内容で嫌がらせを受ける程度でしか話にも上がらない。
逆を言えばそのくらいゲーム内のヒロインは、清く正しく教養も学んだ全うな令嬢だった、はずなのに。
╌
ある日を境に言動や行動に違和感が出始めた娘に両親は、戸惑っていた。
夜に出歩くことが増え、友人の家に泊まりに行くことも日に日に増えていく。ついこの間までまだ幼い弟の面倒を率先して見てくれたり領地を回ったり家事を手伝ったりとできた娘に感謝するとともに安心して学園へ送り出せると思っていた。それなのに……今日も随分と夜が深まってからモモナは帰ってくる。
「こんな夜遅くまで何処に行っていたんだ」
「……またそれ? 別にいいじゃない、そんなこと」
「モモナ…、最近夜遅いのもそうだし、お友達の家に泊まりに行く頻度が多くなってないかしら。……ご迷惑をおかけしてるかもしれないし、一度ご挨拶を」
「うるさいなあ! 必要ないって言ってるでしょ!」
「家の手伝いをもう少ししてくれないと困る……うちがいっぱいいっぱいなのは知っているだろう」
「そんなの私には関係ないじゃない! 子供にそんなこと押し付けないでよッ」
最近はこんな会話ばかり。小言ばかりの前世の両親と重なって煩わしくて仕方がない。前世の両親と違って美しく生んでくれたことだけは感謝しているが、本当にそれだけだ。幼少の頃からの記憶などモモナにはないため、仕方がないといえば仕方がないのだが。
こんなことならやはりゲーム開始時点に転生したかったと部屋の扉をわざとらしくバタンと大きく音を立て閉めた。
「ほんっと、今世も前世も親ガチャ失敗じゃん! 子供に家事とか仕事とか手伝わせるとか毒親だって、最悪ッ。あぁ、早く入学式来ないかなあ」
不満はいくらでも溜まっていく。それでもあと少しすれば薔薇色の人生が待っている。魔物との戦いもアイテムのおかげで苦労することもないだろうから、攻略者との選択肢さえ間違わなければいいだけ。
目覚めてから記憶が抜け落ちないように時系列ごとに攻略方法を書き留めた分厚いノートを机から取り出して視線を這わせていく。王子の好きなもの、コンプレックス、なにを言われると嬉しいか。逆ハーレムのためのスケジュール管理も完璧に網羅している。
「何度も読み返したけど記憶の抜けもないし、このまま攻略本にできるくらいの完成度ね」
ノートの出来に満足げに笑ったモモナはそれから一ヶ月後、両親や弟と何の感慨もない別れを迎える。変化が著しい娘に戸惑いはあるけれど、それでも可愛い娘の旅立ちに両親の心配は尽きない。出るぎりぎりまで繰り返しモモナに言葉を伝える両親の必死さは、もしかしたら虫の知らせを感じていたからかもしれない。
「どんなに辛くて貧しくっても、笑顔だけは忘れない。優しさだけは忘れない。……忘れてはいけないよ」
「……モモナ。前々から伝えているけれど、無理して婚約者を探す必要はないわ。勿論素敵な人と学園で出会えたらいいけれど、お母さんたちが遠縁に声をかけることもできるから、安心してね」
それに直接モモナが返事することはなく、まるで聞こえていないかのように歩き出す。
そのまま手配していた馬車に乗り込み、急かし王都への道を走らせた。流れていく何もない地味でつまらない男爵領の風景を見ながら、ぎりっとひとり奥歯をかみしめた。
「最後までほんっと、ムカつく。婚約者のひとりも見つけられないとでも思ってるってわけ? 私が? 一年もすれば私の相手を聞いてびっくりするでしょうね。ま、家に恩恵なんてひとっつも与える気なんてないけど」
最後まで両親の愛はモモナへは届くことはないのだろう。
「もう二度と、帰ってくるつもりなんてないから最後にお別れだけしてあげる。――サヨウナラ、さえない場所にさえない両親と弟。可愛く生んでくれたことだけありがとうって言ってあげるわ」
吐き捨てるような別れの言葉とともにゆっくりと瞼を閉じ、王都につくまで二度と目を開けることはなかった。
温かな両親の言葉は学園につく頃には、もうモモナの頭の片隅にすら残っていない。
――自分はゲームの中のヒロイン、世界の中心と信じて疑わないモモナは終ぞ己の倫理観と世界の倫理観との差を埋めぬまま、入学の日を迎えてしまったのだ。
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