映画『バービー』問題に関してあれこれ
僕は広島県民である。広島で生まれ広島で育った。当たり前に平和教育を受けている。
その立場で今回の映画『バービー』問題に触れて違和感しか覚えない。それがなぜなのかを綴りたくなったので残しておこうと思う。
僕が子供時代を過ごした四、五十年くらい前、まだ原爆の記憶が風化していないにもかかわらず現状は厳しかった。広島から転居していったクラスメートからの手紙に、転校先で「原爆の子」だとか「放射能汚染されている」などといじめられているという話はあまりに多かったのだ。
僕たち子供にとって常識と言っていい状態だった。もしその立場に置かれたら、できれば広島からの転校生であることは伏せておきたいくらいである。日本の中でさえそうだったのだ。
福島で原発事故が起こったとき、少しあとに避難した小学生などが転校先で放射能のことでいじめられるという社会問題があった。マスメディアは非難の立場を取っていたが、僕からすれば「さもありなん」な話である。
そんな日本人が映画『バービー』に関して一斉に批判的な声をあげている。「どの口で言うのか?」という思いがある。
もちろん『バービー』宣伝のしたことは軽率であっただろう。しかし、被爆国である日本人だからという理由でアメリカを一方的に非難していいのだろうか? もう一度自らを見つめ直してはどうかと思う。
僕は広島県民であるのを強調することなく、今後も戦争と原爆投下に関してはニュートラルな立場で創作を続けていく。
日本人は「人のふり見て我がふり直せ」でいいのではないか?