1人じゃなかった
母が居なくなっても時間は待ってくれず、私の中では平穏、不穏を繰り返していた。ある夜の事、子供たちが寝静まり寝息がスーっと耳につく。お母さんに会いたい…いくなら今しかない…自分だけだと子供たちが可哀想だから一緒に…ハッとして我にかえる。怖い事を考えていた。その日は子供と一緒に寝るのが怖くなり、居間でテレビをつけて夜を明かし、翌日すぐにかかりつけのメンタルクリニックを受診した。先生の前で泣きじゃくり、友達にも話を聞いてもらいスッキリした事は今でも忘れません。発信するってとっても大事。
泣きじゃくったあの日から数日、友達がいきなり、明日から仕事するよ!と笑って訪問してきた。え?何?誰が?とチンプンカンプンな私。私の状態を見て、一人の時間は作らないほうが良い。気を紛らわせようと、友達が自分の職場に話を通してくれたみたい。この時もパニック障害はまだまだ治まっておらず、バスも地下鉄も一人でなんて乗らないのに、仕事なんてできないよ!と向きになる私。それでも、毎日一緒に通おう。職場にはパニックも、鬱も伝えてあるから、辛くなったら休んで良い。早退しても誰も文句は言わないよ。と笑っている…かなり強行だけど、すごく真面目に考えて行動に移してくれた友達には今でも頭が上がりません。
紹介されたのは居酒屋のランチタイムの洗い場でそれはそれは毎日色々なものと戦いました。まずは通勤のバス。一駅乗ったらもう苦しい。冷や汗ダラダラで手足の震えも止まりません。それでも、わかってるよという笑顔でずーーーーっと手を握ってくれたり気がまぎれる話をしてくれたり、限界が来たら一緒に歩いてくれる友達のおかげで、毎日仕事に行くことが出来ていました。そんな慌ただしい毎日を過ごしているとだんだんと仕事が楽しいと思えるようになり、バスも苦しさなく乗れるようになりました。通院は続けていたけど、車やトラックの音で過呼吸になる事も随分と減った事を実感、段々とチャレンジ欲がわき、一人での通勤にチャレンジ!皆様は何を言ってるんだ?と思われるかもしれませんが、これ本当に私の中では大きなチャレンジでした。はじめてのおつかい並みのチャレンジです。バスに乗る前は心臓がバクバク冷や汗ダラダラ…それでも絶対出来るから大丈夫と自分に言い聞かせての挑戦でした。何とか自宅近くのバス停まで乗ることが出来、帰宅した時にはいつも以上に疲れた事を鮮明に思い出せます。
不思議なもので一回できると次からは割とスムーズに頑張れたりして、気づけば一人での通勤も苦じゃなくなりました。ここまでで一年近く経過してますが、それでもいいのです。少しずつ、周りの力を借りながら日常生活が戻ってくる感覚が嬉しかった。仕事も楽しくてもっと仕事したい!と考えるまでに前向きな気分になっており、今のままでは3人を自力で育てる事は難しいな。資格取りたいかもしれない…と、周りから見たらそんないろいろ飛び越えるの?という考えが頭の中にチラホラ浮かび始めます。