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みんな葛藤してるよね。  作者: 紫音
シングルマザーまでの道のりとそれから
1/3

私が未来に望むもの

はじめまして。見つけてくれてありがとう。日々、手探り、もがきながら体当たりで子育てしているシングルマザーの雑記です。わかるわーと共感していただける部分があったりなかったり?普段知る事のないシングルマザーの生活をすこーしでも皆様に知っていただけますと幸いです。

 これは3人の子供を育てるシングルマザーの日常である。

1人になって早12年が経過した。何度も何度も地獄を見て絶望して立ち直してきたある家族の物語…

私はどこにでもいそうな33歳の主婦、子供は3人

一番上からしっかり者の長女(高校1年生)、次女(中学3年生)

一番下は末っ子長男(中学1年生)こんな家族の日常生活

何が正解で何が不正解なのか、これからどうしていけば良いのか読者の皆様と一緒に悩み、考え、生活を変えていこうと奮闘する母親の記録である。


 14年前の長女が生まれた日、こんな未来になるなんて想像もしていなかった…一年後に次女が生まれた時にも幸せはずっと続くと信じていた。長男を妊娠中、臨月に差し掛かったある日、旦那が仕事から帰ってくると深刻そうな顔で「もう、生活に疲れたから別れてほしい」と告げられた。恥ずかしながら当時の生活費は一万円出産ギリギリまで働いて、ミルクやオムツは自分で買っていたが、産休に入ってからは彼がいる時にだけ買ってもらうというような生活状だった。月の3週目にはお財布の中は500円が入っていればラッキーくらいの生活費…自分が好きなものは好きな時に食べ、お休みとなれば一人で遊びに行ってしまう。甥っ子には惜しみなくお金をかける生活、何に疲れたんだろう…私の中の何かが音を立てて崩れていった。


 離婚はスムーズに進んだ。一つだけお願いをした事は、上2人と同じ状況で出産させてください。これが私からの最後のお願いでした。この日を最後に私は実家へ子供達と里帰り。まだ、離婚届は書いていなかったが、彼はもう私達には興味がなかったようで連絡すら無かった…出産はスムーズには進まなかったが、看護師さんや両親のサポートもあり無事に末っ子長男が誕生 予定通りの入院生活を送り、退院日やっと皆んなで過ごせるようになると心弾ませていた私に突きつけられたのは長男は退院出来ませんの一言だった。

出産後から何度も呼吸をする事を忘れてしまう長男 オッパイやミルクを飲んでいる時も呼吸が止まってしまいチアノーゼを起こしていた。こんな状態だから検査も必要だし、お母さんもゆっくり休めないからねと、看護師さんに優しく抱きしめられた事を今でも覚えている。今でこそチアノーゼ状態は無くなったけど、5歳くらいまでは泣けば必ずチアノーゼを起こし、痙攣を起こして病院へという生活が続いていた。


 泣きながら、毎日会いにくるよと長男に伝えたあの日はよく晴れた夏の日でした。退院日後、改めて旦那に連絡すると、あっそというなんとも短い返事だけが返ってきた。里帰りからちょうど1ヶ月目の事でした それからすぐにもう1通 いつ離婚届だしにいけるの?と。退院の翌日には両親立ち会いの元離婚の話し合いをして協議離婚、出生届を出したその足で離婚届を提出し、シングルマザーとなりました。家は借家だったし貯金もなかったので旦那が実家へ戻るだけ。子供と私だけの生活が静かにスタートしたのです。


 長男だけが戻ってこない家で何一つ変わらない生活、寂しがってばかりではいられなかった事を今でも鮮明に覚えている。当時2歳半の長女、1歳半の次女を抱え生活費も貰えず離婚になった私は生活保護の手続きをする。窓口に行き相談するが、女なら水商売でもしたら?そやって子供育ててるママさんいっぱいいるよ!と取り合ってもらえず…何度も何度も窓口に通いました。長男の入院すら払えず不安が募る一方でした。同時に仕事探しもスタートさせました今まで働いていた会社では育児休暇を取得出来ず、長男が入院中で、退院後も直ぐには保育園に預けられないだろうと判断され退職本当に先が真っ暗でした。この時期に元旦那から離れた事で今まで普通の生活では無かったことに気がつき始めました。機嫌が悪ければ声を荒げ、手を上げられることも何度もありました。それが後からになり恐怖を再認識…様々なストレスからパニック障害、うつ病を発症 外に出て大きい音の車が近くを通ったりトラックが近くを通ると息が出来なくなったのです。病院で診断書をもらい再度、生活保護の申請へ。もう本当に生活ができない事、子供たちが食べることも出来ない状況である事を説明し、何とか申請させて頂きました。両親は近くにおりましたが、自分達が食べていく事で精一杯でさらに4人を養う余裕など無かったのです。面談や約束事の確認をして何とか生活保護が決定し、少しだけ未来が明るくなったような気でいました。


 

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