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魔女からの電話

作者: 棗颯介

 午前二時。


 一人暮らしのアパートで静かな夜を楽しんでいた私を眠りから覚ましたのは一本の電話着信だった。


 眠い目を擦ってスマホのディスプレイを確認する。こんな時間に誰だろう。




『非通知』




 無視すればよかったのに寝ぼけていた私は何も考えずに応答ボタンを押してしまった。




「もしもし?」


【久しぶりね】




 電話の向こうから響く声に、私の中の何かが警鐘を鳴らす。


 そして思い出す。十年前に起きた奇跡のような奇妙な出来事を。




【あの時の約束を果たしてもらおうかしら】




 ▼▼▼




 町外れの空き地前に静かに佇む公衆電話。


 携帯やパソコンのビデオ通話が普及してめっきり使われなくなったその電話ボックスに、私は用があった。


 携帯電話を持っていないわけじゃない。


 携帯電話を落としたわけじゃない。


 電話をこちらからかけるわけでもない。


 電球が消えかかった薄暗い電話ボックスの中に入り、念のためきっちりとドアを閉める。スマホで時刻を確認すると、午前一時五十九分。もうすぐだ。




 ジリリリリリリリ




 ―——本当にかかってきた。




 周囲に誰もいないことを確認し、私は”かかってきた”公衆電話の受話器を取る。




「もしもし」


【私に何かご用?】


「あの、あなたは魔女ですか?」


【そう呼ぶ人もいるわね】


「じゃあ、願い事を聞いてもらえるっていうのは?」


【信じるかどうかは貴方次第】


「……信じます」


【会ったことのない素性の知れない相手のことを信じるなんて、随分と警戒心がないのね。まぁまだ子供のようだし仕方ないのかしら。知らない人の言うことを聞いちゃダメって学校では教わっていない?】


「私の顔の”痣”を消してほしいんです」




 電話口の向こうの魔女の言葉を遮るように私は”願い”を告げた。




【顔の痣ね。それを消してどうするっていうの?】


「綺麗になりたいんです」


【整形をお望みなら病院をおすすめするけど】


「病院で治してほしいって親に言ってもお金がかかるからダメだって言われるんです」


【なら自分でお金が稼げる歳になるまで我慢すればいいでしょう】


「こんな顔じゃ好きな人にいつまで経っても告白できないんです!」




 私には、顔の右半分に生まれたときから赤い痣があった。小さいときは大人になれば自然に消えるでしょうなんてお医者さんには言われていたけれど、十歳のこの歳になっても痣は一向に消えてくれない。この痣のせいでいじめられたりからかわれたりして、小さい頃から他の人となかなか馴染むことができなくて。


 そんな私に唯一対等に接してくれたのが、今年の春に転校してきた”彼”。私が他の子にからかわれていたらいつも庇ってくれて。こんな私と一緒に遊んでくれて。私は”彼”のことが好きだった。


 でも、どんなに優しい”彼”でも、私みたいな顔の女に告白されても付き合ってはくれない。この痣を消さないと、私は彼に思いを伝えられない。そうやって悶々としていた時に偶然耳にした”魔女”の噂を、私はどうしても無視することができなかった。だから今夜ここに来た。




【どうして顔に痣があると告白できないのかしら】


「え?」


【別に声が出せるのなら告白はできるでしょうに。たかだか「好きです」って言うだけでしょう】


「そんな……あなたも女性なら分かるでしょう!男の子に告白するのに、顔が、ぶ、不細工なんて………」




 自分で不細工というのが悲しくて悔しくて、どんどん私の声は小さくなる。


 魔女はしばらく黙っていた。もう電話が切れてしまったのではないかと思うほどに。




「お願いします、この痣を消してくれるなら何でもしますから……」


【……”何でもする”なんて軽々しく口にしない方がいいわよ】


「この痣のせいで私の人生はずっと不幸だったんです!なかなか友達はできないし親にも理解してもらえないし好きな人にも好きって言えなくて、自分に自信が持てなくて、悔しくて悲しくて周りの子が羨ましくて、生きるのが辛くて……」


【……分かったわ。そこまで言うならその願い、叶えてあげましょう】


「っ、ありがとうございます!」


【ただし、三つ条件があるわ】


「条件…?」


【まず一つ目。痣は消してあげるけど、それ以外の願いは聞かないわ。今後この電話ボックスに来ても私と話すことはもうできない】


「はい、分かりました」


【二つ目。貴方の年齢と誕生日を教えて頂戴】


「え?十月十五日生まれの十歳ですけど……」


【分かったわ。じゃあ最後。この願いの代償は、貴方の二十歳の誕生日の前日に戴くわ。そして内容はその時に決める。それでいい?】


「……分かりました」


【商談成立ね。じゃあ、今夜は遅いからもう帰りなさい】


「え、痣はいつ消してくれるんですか?」


【目が覚める頃には綺麗に消えているわよ。では、おやすみなさい】




 それだけを言い残して魔女からの電話は切れてしまった。




「……本当だったんだ」


 


 翌朝、洗面所の鏡で見た自分の顔から、見慣れた赤い痣は綺麗さっぱり消えてしまっていた。代わりにまるで白雪姫のような美しい白い肌がそこにあった。思わず自分で頬を触って確認するが、化粧や見間違いではない。紛れもなくその白い肌は本物だ。


 一夜にして痣が消えうせた私を見て、両親はもちろん学校の同級生や先生たちは大いに驚いていた。彼らからの質問に対して、私は「朝目が覚めたら消えていた」としか言わなかった。実際その通りではあるし嘘は言っていない。


 痣が無くなったことで私が周りを見る目は明らかに変わった。それまでは道端の犬の糞でも見るような目で私を見ていたくせに、痣が無くなっただけで手のひらを返したように友好的に接してくる。そんな人たちを見て、私は内心軽蔑していた。表面上愛想よくしてはいたけれど、人を見た目で判断してコロコロ態度を変えるような人たちのことなんか私はどうでもよかった。綺麗になった私を見てほしかったのは、”彼”。




「ずっと前から好きでした、付き合ってください!」


「えっ、その、ごめん」




 私はフラれた。


 綺麗になったのに。今の私ならきっとあなたも受け入れてくれると信じていたのに。


 何が駄目だったの?


 私、あなたに何かした?


 痣のほかに、私に何か悪い部分があったの?


 分からない。


 分からないよ。




 痣は消えたけれど、私の人生はそこまで好転はしなかった。


 マイナスがようやくゼロになっただけ。


 悪いことではないけれど、思っていた以上の幸福は私には訪れなかった。


 痣を消して残ったのは形だけ仲良くする上っ面な友達と、告白したせいで疎遠になった”彼”。卑屈になることはなくなったけど、自分に自信が持てるようになったわけでもなく、私は淡々と静かに日常を過ごした。中学・高校と進むにつれて、やがて私は自分が顔に痣を持っていたことも、魔女との電話についても、いつの間にか忘れてしまった。




 ▲▲▲




【顔の痣が無くなって、幸せな人生を謳歌しているのかしら?】


「……まぁ、ほどほどです。というか、どうして私の携帯の番号が分かったんですか?」


【魔女に願いを叶えてもらった貴方がそれを聞くの?】


「じゃあ気にしません。それで、お代を請求するために連絡されたんですよね?」


【えぇ、そうよ】


「いくらお支払いすればいいですか?今バイトして貯金はしてますけどそんなに沢山貯えがあるわけでもなくて」


【お金はいいわ。あの時言ったでしょう、代償はその時に決めるって】


「じゃあ、何をお望みなんですか?」


【そうねぇ……】




 その時、背後に”何か”の気配を感じた。




「じゃあ、綺麗になった貴方の生き血を戴こうかしら」




 背中からかけられた声に思わず振り返った時、私は”魔女”の姿を見た。

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