お前の夢
「乳搾りの鬼だから」
「あはは、なんかださいな。でも、牧場の人も褒めてたし、確かに乳搾りは上手かった」
「だろ?」
ある夏、避暑地のホテルで二泊する予定の男二人が、それぞれのベッドで今日の思い出を語っていた。
「やばい、もう眠いんだけど」
片方が言う。
「え?早くない?まだ二十三時だぞ」
「……うーん」
「ほんとに寝るのかよ」
男はうつらうつらとして、ほとんど寝ている。
「夜に話すのが楽しいのに、つまんねーな。オレはまだ眠くないしなぁ。なにしよ」
眠くない男は、横になり肘をついて、手で頭を支えた姿勢のまま、ぼうっと天井の角を見つめた。
何をするでもなく、スマートフォンをいじっていると、急に喋りかけられた。
「好きだ!」
「え?」
「むにゃむにゃ……」
「ああ、寝言か」
「好きだ!」
「あ、え?」
「乳搾り……」
「ああ、乳搾りか。いや、乳搾りかよ。そんな好きになるか普通。夢でも乳搾ってんのかな」
乳搾りの鬼を自称するだけはある、と、眠くない男は思った。
それから一時間後、眠くない男はホテルの部屋にいくつか備えられている紅茶のパックを使い、紅茶をいれていた。
「これ美味いなー。どこのだろう」
眠くない男は深夜の静かな時間を満喫している。
「明日はどうしようかね。今日一日いろんな所を回ったし、ぼーっとしてたいな」
明日のことを考えていると、横のベッドから急に声が聞こえた。
「うーん……キャシー」
「え?」
「キャシー、愛してるよ」
「ああ、キャシーか。いや、キャシーって誰だ」
牛にでもつけた名前だろうか、と眠くない男は一瞬考えた。今寝ている男は確か、ここ五年は彼女はいないと言っていたが、夢の中では外国の女性と付き合ったりしているのだろうか。
それから数分後。
「ぶえっくしょん!」眠くない男の大きなくしゃみ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「急に興奮すな……」
やや引きながらも、キャシーとイチャついているのかな、とそんな想像を巡らせる。
「君は絶対死なせない!相手がテロ組織だろうが何だろうが、僕が命をかけて守り抜くから」
「どんな状況なん、それ」眠くない男はすかさず突っこむ。夢の中の彼は真剣そのものだ。
テロ組織やら、死なせないやらと、物騒な文言飛び交う話だが、どうなるのだろうか。そしてキャシーはいったい何者なのか。
眠くない男は紅茶をもう一杯つくった。
深い森の中、不穏な気配を背後に感じつつも歩を進める。男の手には、か細いキャシーの手が握られていた。
男とキャシーは、謎のテロ組織に追われている。やつらは目出し帽を被り、いかつい小銃を携行して、何人かで行動しているようだ。
奴らとの距離を稼いだ数分後、ほんの少し休むことにした。
「そうだ、あの建物へ隠れよう」キャシーは静かに頷いた。すぐ先に、銃撃戦の跡地かのような、ボロボロになった洋風の家屋が一軒見えた。
男は生唾を飲み込み、しばし、酸素を体に取り込むよう、呼吸に集中した。
命の危険が迫る中、男は言い知れぬ感覚に包まれていた。
件の建物まで行き、中へ入ると男は立ち止まって、内装を確認するように、きょろきょろとした。
「ここは……」
キャシーは不安げに彼を見つめている。
「よし、こっちだ」
建物内はボロボロの外観とは裏腹に綺麗で、エレベーターは普通に動くようだったので、それを使うことにした。
二人はエレベーターの中へ、男は三階のボタンを押す。到着までの間、男女は何かを確認するように、互いに握っていた手にぐっと力を入れた。
階層表示板を見上げていると、一階の数字から二階、三階の数字へと光が移り、チン、と軽快な音が到着を知らせた。
二人はエレベーターからそろりと歩き出し、進む。
「美術館?」建物の外観とはこれまた想像のつかない造りで、目の前には歴史を感じさせる美術館の内装が広がっていた。赤いカーペットが敷かれ、壁には照明に照らされた作品が間隔を開けて並び、存在感を放っている。
男はここでぼんやりとした違和感を覚えた。そもそも、初めに見たときは洋風の平屋だったはずだが、中にはエレベーターがあり、三階へ上がると美術館に繋がっていた。しかしどうだろう、はっきりとそうであったと言い切れない気もする。つい数分前のことなのによく思い出せない。
キャシーの方を見ると、側にあった紅茶を飲んでいた。ひと口すすると、カップを地面へ置いた。
数歩歩いたところで、天井から床まで届く大きな絵画に目を奪われた。
「いい絵だ」特に芸術作品を鑑賞する方ではなかったが、その絵の持つ魅力を肌で感じることができた。
キャシーと二人、手を繋ぎ鑑賞していると、唐突なぶえっくしょん!という変わった爆発音と共に絵画の破片がこちらへ飛んできた。
「うわあっ」
男は反射的にキャシーに覆い被さり、強く抱きしめた。とっさの判断により彼女は無事だった。男も絵画に対して背中を向ける形だったため、それ程大きなケガはない。
絵画のあった壁面には大きな穴ができ、そこから目出し帽の連中がゾロゾロと出てきた。
「いたぞ、あいつらだ。撃てー!」
バババ!と小銃が火を吹く。
「キャシー!走るぞ!」男は彼女の手を引き、どこへ行くのかも決めぬままに館内を走って逃げた。
先に見えたのはドアの絵画。木製で木の目が美しい。ドアノブは金色で丸型のものだ。
あのドアの先へ行こう、と、もはや可能かどうかの判断もせず、そんな作戦を思いつく。
「はぁ、はぁ、はぁ」二人の息はすでに切れかけている。
「大丈夫!君は絶対死なせない」
全力で走りながら彼女を勇気づけるように声をかけた。相手がテロ組織だろうが何だろうが、僕が命をかけて守り抜くから、と。
時刻は二十四時十五分。
眠くない男は二杯目の紅茶をすすりながら、なんとなく男の寝言を聞いていた。
「なんか臭いこと言ってたけど、その後どうなったんだろう」
しばらく、壁掛け時計の秒針音が部屋に響く。
すると突然、バタン!と部屋のドアが勢いよく開いた。そこには見覚えのある男と、金髪の美女が肩で息をしながらこちらを見つめている。
「え?」