第6話 覚悟と選択
1日目の夕方。
残りハヤト180日。カナ181日。
「バレーヌ!!!」
それは一瞬の事だった。
逃げ出した聖女を追って、部下のバレーヌが橋を渡ったところまでは良かった。
私たちの目的は、あくまで聖女の確保だ。追跡者から聖女が遠のくのであればそれで構わない。
バレーヌが渡り切れたところで橋さえ落として貰えば…我々はどうなろうとも問題ないのだ。
しかし、事態は最悪の展開。
腐った橋板を踏み抜いた聖女が落ちかけ、バレーヌが捕まえるも、老朽化した橋はバランスを失い、2人の自重に耐えられなかった。
崩壊する橋を見つめながら、落ちて行く部下をただ見ていることしかできない。
目の前の剣士が動く。
反射で剣を振り抜き…剣士は回避も防御もせず横を通り過ぎて行く。
(私は今、何を!?)
振り抜いた剣には、血が滴っていた…。
□□□
『コバヤシ君!!』
カカナの悲鳴に近い声が聞こえる。その光景は俺にも見えている…だから、走る。
リーダーが俺に気が付いて剣を振るい、右肩に熱い痛みが走るが気にしない。
迷わず使う。
「身体強化!!」
全身に力が湧き、それを一気に解放する。今度は木をなぎ倒す必要もない、ただ真っ直ぐ走るだけ。
間に合う、届く、助ける!
強い意志を持って最後の地面を力一杯踏み込む。
身体が宙に舞う。
手足をバタつかせ飛距離を稼ぐ!
下は見ない。見たら多分心がダメになる。視線は落ちて行くフェリシアに向ける。
彼女は恐怖に目をつぶっており、もう1人が守る様に抱き抱えている。
(あと少し、あと少し!!)
俺は左手を伸ばす!
□□□
橋の崩壊はあっけないほど一瞬だった。
聖女の顔が絶望に変わり、私たちの身体は地面に向かって引っ張られる。
落下の最中、私は彼女を捕まえている右腕に力を込め、胸に抱きしめる。
勿論この高さだ。
守ったところで待っているのは死。それでも抱きしめずにはいられないのは、少しでも彼女の恐怖を和らげてあげる為。
だから。
だから、谷へ飛び込んで来た頭上の少年に、一途の望みを感じてしまった。
距離がまだある。
このままだと、先に私達が地面に衝突するだろう。
だから。
だから、私は少女を空に向かって力一杯突き放す。
少年が少女をキャッチするのを確認すると、私は目を閉じた。
□□□
「隊長…」
部下たちが私を見ている。
指示を出さなければならないが、私のアタマは何も考えられない。
落ち着け、任務に失敗し、部下を戦闘中に失っただけだ。
こんな事は職務上残念ながら珍しくもないじゃないか。
だが、この胸の痛みはなんだ?
私は…何をした、誰を切った?
もし私が戦闘を中断して救出に向かえば、2人の人命を救えたのではないか。…いやそんなのは結果論だ。
「レザール隊長。…セロス以下3名損傷軽微です。ご指示を」
呼吸が少し辛そうなセロスから報告だ。
この一瞬でさらに老け込んだようにも思える。
立ち止まっている暇はない。
思考を巡らせ!起きてしまった事はどうにもならない。
気持ちを切り替えると、崖端で谷底を観察していたレオパールに声をかける。
「…どこまで見えた?」
「あの剣士が聖女を空中でキャッチしたところまでです。バレーヌの奴が…。」
私にもそこまでは見えていた。
多分、バレーヌが聖女を剣士に向かって投げ上げたのだ。
剣士の力は未知数だが、勝算もなくこんな谷へ飛び込むはずもない。
つまり、聖女が生存している可能性がある。
ただその後、バレーヌがどうなったかは霧に消えてわからない。
「…目標は依然生存の可能性がある、ルートを変更し対岸の装備を回収後、谷底へ降りるぞ。」
「「了解」」
納刀し、乱れた服を正し、私たちはもう一つの橋へ向けて無言で走りだす。
「…谷底も森だったな。」
もしかしたらバレーヌも…いや、あの高さから落ちて無事な訳がない。希望的観測は辞めておこう。
今は任務にのみ集中する、それが彼女の為になると信じて。
□□□
(あと少し!)
そう思って伸ばすゴバヤシ君の左手に、フェリシアが飛んで来た。
まだ距離はあったはずだが。…まさか、あの誘拐犯がこっちに投げた?
1人落ちて行く誘拐犯は、目をギュッと硬く閉じ、最後の瞬間が来るのを必死に耐えようとしている。
このままじゃコバヤシ君は絶対届かない。届く前に地面に叩きつけられるだろう。
だから。
『コバヤシ君、私を!!』
これだけで伝わる。今、私と彼の気持ちは繋がっている。
「いっけー!!」
あの人を助ける為に、コバヤシ君が剣を持った右手を誘拐犯向かって突き出す!剣先が、落下する誘拐犯に迫る!
そして、
「届けー!!!」
私は人に戻る!
伸ばした右手が、強張る肌に触れる…。
□□□
「…!」
何か聞こえる。
「…ま!…ゃ様!!」
誰かが呼んでいる。
「…ヤシ君!…バヤシ君!!」
深く沈んでいた意識がゆっくりと覚醒して来る。
目を開くと、カカナがこっちを見下ろしていた。
「コバヤシ君!!」
腹部に温かいエネルギーを感じる。
目を下に動かすと、フェリシアが俺のお腹に手を当てて淡い光が溢れている。これが治癒魔法か…と感動してしまう。
「…いっ!?」
意識が戻ってきた途端、背中に鈍痛が走り腰が焼けるように熱い。呼吸が苦しく、息を吸うたびに背筋が千切れそうだ。
「じっとしてて!…私達を守る為に、君は背中から落ちたの!」
あぁ、そう言われてみればそうだった。
地面に激突する前に、3人を上に投げて落下スピードを落とそうと思った。
カカナやフェリシアには、擦り傷はあるが大きな怪我はなさそうだ。一応成功したのかな?
ただ自分は、受け身をとる暇もなく背中から地面に落ちた…この勇者の鎧のお陰で死ななくて済んだと言う事か。
辺りに飛び散った甲冑の破片が、キラキラ光の粒子となって空中に消えていった。
そうだ…。
「…もう1人は?」
「大丈夫。落ちた時に腕を捻ったみたいだけど、命に別状は無いわ。」
「フェリシア…俺はいいから、そっちを…」
「な、何を言ってるですか!?勇者様の方が重症です!…それに、あんな人攫い…!!」
「あの人は君を助けようとしたんだ。頼むよ。」
正直やせ我慢だが、出来るだけの笑顔を作る。
フェリシアが少し迷った後、仕方なさそうに立ち上がり、木に横たえていた誘拐犯に渋々向かう。
「…大丈夫なの?」
「全然。うぅ…息吸うだけで死にそう。」
カカナが唸る俺の手を取ろうとして…止めた。ドキドキして期待してしまった分、ちょっと落ち込む。
「…いや、ほら、手を繋いだら剣になっちゃうじゃん。」
そう言われて、感情が表情に出てたのかと思い、慌てて顔を逸らす。めっちゃ恥ずかしい…。
無言の間。横目でチラリと確認すると、彼女は空を見上げていた。
俺もつられて改めて空を見る。いつの間にか日は落ち、辺りには夜の気配。しかし夜空は世界が違うからか…星明かり眩しくて綺麗だ。
「1日に2回も死にかけたね。」
村でのオークと、崖の飛び降りの事だろう。初日からこんな調子では、魔王討伐なんて夢のまた夢かもしれない。
「あぁ。それに2日も使ったよ。」
背筋が痛いが無理に笑う。
冗談のつもりだったが、思った以上にカカナの表情が曇る。
「…ごめんね。」
「な、何でお前が謝るんだよ?」
「だって、君が勇者をやってくれて、私はただ…。」
「いや、凄く強い武器だった。それに俺の方こそ、オークをざっくりやって…気持ち悪かったんじゃないか?」
「まぁ、目を閉じてたし。感触とかは無いから大丈夫。」
そう聞いて少し安心する。
女の子を使って魔物を叩き斬るなんてあまり聞かないし、もし我慢してたら…と思うと聞くのが怖かったのだが。
とりあえず良かった。
「でも、何であんな無茶したの?」
「お前が言ったんだろ、考える前に行動しないと間に合わないって。」
「だとしても。…助かったから良かったけど。」
「初日から死にかけまくってるよな。」
カカナが胸のペンダントを出す。
「…しまっとけって。まだ2日しか使ってないんだから。」
「でも、リスクが高いのは君の方だよ。」
「そんな何度も、崖に飛び込むシチュエーションもないだろからさ。それに身体強化使わなくても、俺は強かっただろ?」
「いや、立ち回りは最悪だった。私をブンブン振り回してるだけ。あれなら新入生の方がマシよ。」
思わぬ判定。
待てよ、新入生ってなんのだ?あの身のこなしや持久力、瞬発力はバスケとかサッカーかなって思ったけど、剣術?
「…剣道部だったのか?」
「残念。違いまーす。」
「じゃあ…」
何部だ?と聞こうとしたところで、フェリシアが小走りに戻ってくる。
「勇者様、カカナ様!あの人が目を覚ましました!」
「分かったわ。ちょっと話を聞いてくるね。」
「いや、俺も…うひっ!?」
「勇者様!」
「何、無理してるの。」
カカナとフェリシアが、上半身を起こした俺を両脇から支えてくれる。友人に見られたら、さぞはやし立てられた事だろう。
人生で一度あるかないかのシチュエーションだが、背中の痛みでそれを味わうどころじゃない。
「寝てて良いのに。」
「ほら…なんかあった時に、男が近くにいた方が良いだろ?」
「男じゃなくて、必要なのは動ける男ね。」
「勇者様、今、魔法を!」
「…フェリシア、ずっと魔法を使いっぱなしだろ?ごめんだけど、肩だけ借りても良いかな?」
「お任せ下さい!」
女の子2人に介抱されながら、俺は助けた誘拐犯の元へ移動した。
最後までご覧くださりありがとう御座います。
ようやく長い1日が終わります。
次回はいよいよ2日目…です。