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お嬢様、春は変な人がわくとはよく言ったものです。

 上級学校入学の少し前。春休みに、シアンとルキナは、これから通うクリオア学院付近の下見に来ていた。といっても、下見は口実で、ただ王都に買い物に来ただけだ。

「シアン、はい、持って」

 ルキナは片っ端から気に入ったものを購入し、その荷物をシアンに持たせている。服や靴、帽子など、シアンの腕がルキナの買ったもので埋まっていく。

「次はあそこね」

 ルキナがうきうきと次なる店へと向かい始める。

「一度、馬車に荷物を置いた方が良いんじゃないですか?」

 シアンは文句も言わずにつきあっているが、体は一つ。持てる荷物に限度というものがある。

「んー、待って。次で最後だから」

 ルキナが目をつけていた店は次が最後なので、それを済ませてから荷物を置きに行った方が良いだろう。ルキナは、さっさと買い物を済ませてくることにする。

「シアンは外で待ってても良いから」

 ルキナが一人で店に入っていく。シアンは言われたとおり、店の外で主人の帰りを待つ。

(あれは…?)

 ルキナを待っていると、シアンの目に見覚えのある顔が飛び込んできた。アクチャー部の先輩、クリスティーナだ。

 声をかけに行こうか迷っていると、シアンの体にドンっと何かがぶつかった。

「先輩!」

 イリヤノイドだ。シアンの腰に抱き着いて、シアンの顔を見上げている。イリヤノイドは態度はでかいが、体は小さいので、背が高いとはいえないシアンとも身長差がある。

「…久しぶり」

 シアンは何を言うか迷った。中等学校の卒業直前はルキナの受験で忙しくて相手をしてあげられなかったし、卒業してから会う機会はなかった。だから、久しぶりに会ったのは本当のことだ。でも、それを言ってはいけないような気がした。

「最近、つれなかったですもんね。先輩」

「でも、なんでここに?」

「先輩のとこの馬車が…。」

「つけてきたのか」

 イリヤノイドは、シアンから離れ、何も言わず荷物を持ってくれる。重さは苦になるほどではなかったが、なんせかさばる。たとえ少しでも減ればだいぶ楽になる。

「ありがとう、イリヤ」

「誰ですか、先輩にこんなに荷物を持たせたの」

 イリヤノイドがプンプン怒りながら文句を言っている。彼にも犯人が誰かすぐにわかるだろう。

「呼んだかしら」

 ルキナがイリヤノイドの後ろに立っている。手には商品の入った袋を持っているので、買い物を終えて出てきたのだろう。

「別にぃ」

 イリヤノイドは、わざとらしく嫌味な言い方をして、シアンにピッタリくっつく。

「よくも、まあ、うまくつれたものね」

 ルキナが呆れ気味に言った。

 王都ともなると大きな街だ。知り合いの一人や二人、いてもおかしくないだろう。そんな状況で、シアンを一人沿道に立たせておけば、誰かが話しかけにくるだろうと思った。

 でも、本当にイリヤノイドがひっかかっているのを見たら、呆れてしまった。

「僕はだしですか」

 馬車に向かって歩きながら、ルキナの話を聞いた。

 そもそも、今日の買い物はルキナの小説のネタ集めのためだ。何かが特別欲しかったわけでもないし、買い物をすること自体が目的でもない。こうして人と触れ合ううちにネタを仕入れるのだ。もちろん、いつも上手くいくわけじゃない。そこで、シアンを餌に誰かをつって、ネタになりそうなイベントを増やそうとした。シアンは、ルキナにまんまと使われたのだ。

「まあねー。でも、私とシアンのデートを邪魔されても困るし、どっかに行ってくれると良いんだけど」

 ルキナは、シアンとイリヤノイドが馬車に荷物を詰め込むのを見守りながら言った。

「デート!?」

 イリヤノイドがデートという言葉に過剰に反応した。でも、このルキナのいうデートは、本当のデートじゃない。ルキナに婚約者がいるのに、そんなことをするわけがない。ただ、ルキナがネタ集めの外出を勝手にそう呼んでいるだけだ。

「お嬢様のジョークだよ」

 シアンがため息をつく。イリヤノイドの前でわざわざそんな言い方をしなければ良いのに、ルキナはわざとだろうか。このままではイリヤノイドが暴走してしまいかねない。シアンは、イリヤノイドを落ち着かせるのに神経を集中させる。

「そうだと良いわねー」

 ルキナがニヤニヤと口元を緩ませる。これもわざとだ。きっと、全部わかっててやっている。わざわざ冗談かどうかわからない言い方をして惑わす意味がない。シアンは、迷惑だと言いたげにルキナを見る。ルキナは、「ごめん、ごめん」と声は出さず、口だけを動かす。イリヤノイドをからかっているというよりは、シアンをからかっているようだ。

「せんぱぁーい」

 イリヤノイドが、若干涙目になりながらシアンに抱きつく。想像ほど悪い暴走はしなかったので良かったが、嫉妬に狂ったイリヤノイドが何をしでかすかわからない。あまり、イリヤノイドで遊ばないでいただきたいものだ。

 その時、バタバタと何人かの男たちが走って行った。

「ユリアたんがこっちにいたって!」

「どうせ、またガセネタだよ」

「でも、行ってみる価値はあるだろ」

 何かを探しているようだ。

「ユリアタン?」

 ルキナは、小説家として世の動きには敏感だ。会話から気になる単語があると、すぐに調べる癖がついている。今は、辞書や噂に詳しい人物が近くにいない。忘れないようにメモをとる。

「知らないんですか?最近流行りのアイドル」

 イリヤノイドが興味なさげに言う。

「うちは、あんまり映鏡とか見ないから」

 シアンが自分たちが流行に疎い理由を説明すると、イリヤノイドが「なるほどです」と頷いた。

「ユリア・ローズ。最近、アイドルに詳しくない人たちからも人気がでてきたアイドルです。アイドルとしてのキャリアは長いんで、若いわりに、ベテラン扱いされてるんですよね」

 イリヤノイドがスラスラとユリアというアイドルの説明をする。

「やけに詳しいわね。アイドルに興味なさそうなのに」

 ルキナは一生懸命メモを取りながら言った。イリヤノイドは、ミューヘーン家ほど流行に疎くなくとも、アイドルのような業界に興味があるイメージがない。むしろ、嫌ってそうなイメージがあるくらいだ。でも、興味がないとはいえなさそうなくらい、よく知っていそうだ。

「別に。たまたまです」

 イリヤノイドが今日のうち一番不機嫌な声を出した。だが、ルキナは気にしなかった。メモを取るのに精いっぱいで気づかなかっただけかもしれないが。

「あっ、先輩もアイドルとか興味ないですよね」

「だから、そもそも知らなかったって」

 イリヤノイドがシアンにじゃれつき、シアンがイリヤノイドを自分から引きはがそうとする。

「ふーん。まっ、この世界にアイドル文化があるって知れただけでも大きいわ」

 ルキナは、メモを取り終わると、近くのカフェに入っていった。一面ガラス張りのおしゃれなカフェだ。シアンが慌てて追いかける。流れでイリヤノイドも一緒に店に入った。

「こちらの席にどうぞ」

 三人は一つのテーブルを囲んで座る。シアンとイリヤノイドが並んで座り、シアンの目の前にルキナが座る。ガラスの壁際の席で、シアンが壁側に座っている。イリヤノイドの座っている椅子をどけないとシアンは出られない。まるで、イリヤノイドがシアンを「逃がさない」と言っているように見える。イリヤノイドは、逃げ場のないシアンの腕に、満足気な表情でくっついている。

「お待たせしました」

 店員が、注文した商品を運んできてくれる。三人とも、好きな紅茶とケーキを一つ注文した。それぞれ違うケーキが目の前に並ぶ。ルキナのケーキは言うまでもなく、チョコレートケーキだ。

「先輩、一口ください」

 イリヤノイドがあーんと大きな口を開ける。シアンは「仕方ないな」と言いながら、一口のケーキを口に入れてあげる。

「先輩のケーキ、美味しいです」

 イリヤノイドが嬉しそうに頬を押さえる。彼にとって、ケーキの味より、シアンに食べさせてもらったことの方が重要だろうが、一応、味の感想を言う。

「それは良かった」

 シアンは、表情を変えない。別に、イリヤノイドを冷たくあしらおうとしているのではない。もちろん、そうすることもあるが、今は違う。他に気になることがあるのだ。それは、視線だ。背後から、物凄い視線を感じる。この強い視線は、この店に入ってすぐに感じ始めた。

 シアンは、両手を膝の上に置き、若干俯く。顔は何かを恥ずかしがる表情になっている。

「…クリスティーナ先輩っ」

 シアンは、後ろを確認することなく、視線の犯人を言い当てる。

「気づいておったか」

 クリスティーナは、シアンとイリヤノイドの背後の席に座っていた。いや、これは座っていたといえないかもしれない。背もたれに手を置き、座面に膝を乗せ、シアンとイリヤノイドを凝視していたのだ。

「やあやあ、後輩諸君。久しいな」

 クリスティーナは、ためらうことなく、ルキナの隣に座った。そして、流れるように、自分の分の紅茶を注文する。

「イリヤノイドは、本当にシアンが好きね」

 変な話し方をしていたのは、その場のノリだったようで、見てないうちに変なキャラになってしまったわけではなかった。

「クリスティーナ先輩は何か買い物をしに来たんですか?」

 イリヤノイドは、アクチャー部のメンバーにはわりと優しく接している。その中でも、クリスティーナはイリヤノイドのお気に入りに入るだろう。

 クリスティーナが、膝に置いていた紙袋の中に手をつっこみ、ガサガサと中を探っている。少しして、一冊の本をテーブルの上に置いた。

「…。」

 ルキナが絶句している。クリスティーナがさっき買ったばかりだという本は、ルキナが書いたものだった。

(お嬢様が読ませてくれなかった本だ)

 シアンも見覚えがあった。ルキナの出版した本は、だいたいシアンも読んでいる。ただし、ルキナ本人が読まないでくれと言ったものは読んでいない。ルキナが嫌がっているのに、興味本位で勝手に読むわけにもいかない。だから、この目の前にある本の内容は全く知らない。

「今日買ったので、この本は四冊目なんだけど」

 クリスティーナは、布教用に何冊も同じ本を買っているのだそうだ。ルキナが、「典型的なオタクね」と呟いた。

「…っていうジャンルなんだけど、この本は原点にして頂点なの」

 クリスティーナが語り始めるが、肝心のジャンル名が聞き取れなかった。シアンは、興味のないふりをして耳を傾ける。ルキナは、悩ましそうに頭を抱える。

「簡単に言うと、男同士の恋愛よ」

 クリスティーナが、小さな声で言った。周りの客に聞こえないようにするためだろうか。

「そんなのがあるんですか!?」

 くいついたのはイリヤノイドだ。クリスティーナにさらなる説明を求める。

(あー、そういうことか)

 シアンは、理解した。この本を読むなと言った時、ルキナは「性癖を曲げかねないから」とも言っていた。なるほど。たしかに、他にない性的嗜好だ。別に、この世界も、この国も、恋愛における性別に特に何か規制はない。男女で恋愛をしなければならないという常識があるわけでもない。しかし、同性同士の恋愛が描かれた物語はなかった。またルキナが前世の世界から輸入してきたのだ。クリスティーナの「原点にして頂点」という言葉は、ルキナが最初に書き始めたジャンル故のものだったのだろう。

 イリヤノイドが、クリスティーナから、そのジャンルについて説明を受けている。

「おすすめの本がいくつかあるけど…」

「教えてください」

「よろしい。さっそく本屋に行くとしよう」

 言うが早いや、イリヤノイドたちはさっさと店を後にした。まるで嵐のように去って行ってしまった。

 カフェに残されたシアンたちは、紅茶とケーキを堪能してから店を出た。「このまま馬車に乗ったら酔いそう」というルキナにつきそって、シアンは少し散歩する。馬車に向かう道を少し外れて遠回りをする。二人は、人通りの少ない道に入る。

 その時、かすかな血の匂いが風に運ばれてきた。

 バキッ。ボコッ。

 何かを殴る鈍い音がする。

 シアンたちは、足をピタリと止め、顔を上げる。そこにいたのは、一人の少女と殴られ気絶している男たちだった。もう一人、少女の付き添いと思われる男性が邪魔にならないように立っている。

「モノホンの893じゃないですか」

 ルキナは、男たちをおそらく一人で倒してしまった女の子を見て、思わず敬語になる。

「はちきゅーさん?」

 シアンが聞き返すが、その声はルキナに届いていない。ルキナは、目の前の光景に目を奪われ、心臓を高鳴らしているのだ。

 バキッ。ドサッ。

 最後の一人が殴られ、男たちの山に積み上げられた。少女は気絶した男の山の頂上に立っている。

 その時、少女がシアンたちに気づき、目を向ける。山の上に立っているので、シアンたちを見下ろす形になる。ちょうど逆光で、表情も見えない。でも、視線がこちらに送られていることは、はっきりとわかる。鋭い視線に、眼光が見えるようだ。

「ほぉ…。」

 ルキナが息をついた。何とも表現しがたい美しい光景に心が奪われる。

 握りしめた拳には赤い血がついているし、足元には彼女が倒した男たちが転がっている。でも、服装は上品で、あきらかにどこかの貴族の令嬢とわかる姿だ。しわのない、丁寧に手入れされたワンピース。髪は燃えるような赤。動き回っただろうに、長く下ろされた髪はきれいに風になびいている。

 その光景は、恐ろしさと美しさが共存していた。

「お嬢様、お靴に苺ジャムが」

 後ろに控えていた男が、少女に言った。苺ジャムと可愛らしく言ったが、おそらく血のことだ。少女は、男たちの山から飛び降りた。少女の姿はもう見えない。

「あの髪は…。」

 シアンは、少女の正体について考えている。その横で、ルキナもまた、考え事をしていた。

「あの顔、どっかで見たような…。」

クリスティーナ・アレン

 中等学校時代の先輩

 初登場:第66部分

 最新登場:第69部分

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