お嬢様、大人の仲間入りをしましょう。
受験が終わったら、卒業パーティだ。シアンとルキナは、自宅で身支度を整えている。スーツとドレスには着替え終わっているので、あとは、出発の時間まで少し手直しをするだけだ。
「それ、久しぶりに見たわ」
ルキナがシアンの手の中を見る。シアンは、金色の装飾が施された青色の石を持っている。これはブローチで、シアンがミューヘーン家にやってきた時から持っていたものだ。シアンにとっての大切な両親の形見だ。
「宝石?」
ルキナは、ブローチをあまり見せてもらえる機会がないので、じっくり見る。
「調べてみたんですけど、他にこういう石はなくて」
シアンの石は角度によって色が違って見える。薄い水色のように見えたり、濃いネイビーカラーに見えたりする。シアンのお気に入りは、濃い青色だ。暗い色になると、自然にできた傷と思われる白色の点々がたくさん見える。まるで、満点の星空のように見える。
「小さい頃を思い出すわ。シアンってば、寝る時、これと一緒に寝てたでしょ」
ルキナがクスリと笑う。
「み、見てたんですか?」
シアンが恥ずかしそうに顔を口元を押さえる。ほのかに顔が赤くなっている。
シアンがこの家に来てばかりの頃、両親を亡くしたショックと寂しさを埋めるように、寝る時、ブローチを抱いていた。ぬいぐるみのような柔らかさはないが、シアンにとって、最高の抱き枕だった。シアンは、それを誰にも知られないようにやっていた。というより、夜、シアンの部屋に入ってくる者はいないだろうと安心しきっていた。それが、まさかルキナに見られていたなんて。
ルキナは、シアンが恥ずかしがっていても、意に介さない。
「それ、なんて書いてあるんだっけ?」
ルキナが言っているのは、台座に書かれた文字のことだろう。
「古典文字、勉強したんだから、読めますよね?」
シアンは、ブローチをルキナに近づける。
「…読めるわよ。ええ、読めますとも。でも、今日はちょっと疲れ気味だから、代わりに読んでくれたら嬉しいわ」
ルキナはブローチをシアンの方に押し返した。
(読めないな、この人)
ルキナは、中等学校の五年間、何を学んできたのだろうか。
「その血が示すままに、ですよ」
昔は、シアンも古典文字を読むことはできなかった。その時は、ハリスに読んでもらった。
(なつかしいな)
己の成長を感じながら、昔をなつかしむ。
その横で、ルキナが何かに気づいた顔をしている。右手で頭を押さえ、「なんで忘れてたのかしら」と呟いた。
「お嬢様?」
シアンが声をかけると、ルキナが笑顔をつくった。
「長年の謎が解けたわ」
長年の謎とは、ルキナが前世の記憶を取り戻したきっかけだ。ルキナは、前世のことを急に思い出したことを不思議に思っていた。前世において、異世界転生ものの作品に触れたことがある。そういう話で前世のことを思い出すとき、たいてい頭をどこかにぶつける。しかし、ルキナにはそれがなかった。気を失うような頭の怪我はなかった。
「あの日も、この言葉を聞いたのよ」
「どういうことですか?」
シアンは混乱している。ルキナは、喜びのあまり、シアンに説明するという任務を放棄しかけている。
「だから、七歳の時、私が前世のことを知った日、私は『その血が示すままに』という言葉を聞いたのよ。お父様の口から」
ルキナが言っているのは、シアンがハリスに古典文字を読んでほしいとお願いした時のことだろうか。なんせだいぶ昔のことなので、そこにルキナがいたかどうかは記憶が曖昧だ。
「で、それがどう前世に繋がるんですか?」
「良い?ここは乙女ゲームの中よ。ゲームにはイントロ画面がつきものよ」
ルキナが声を低くする。シアンの知らない常識だが、言葉でなんとなく想像する。
「『りゃくえん』を起動するたびに、最初、真っ黒の画面が出るの。そこに、『その血が示すままに───。』って書かれてたの」
つまり、ルキナの前世の記憶は、この言葉がトリガーとなり、『りゃくえん』を中心に、ルキナの脳内に流れ込んだのだ。
「あー、うん、そうね。ゲームしてた時は、深く考えてなかったし、設定の方も特に何か書いてあったわけじゃないから…。」
シアンがブローチを凝視したので、ルキナが言った。ルキナが前世で見た言葉であると記憶を取り戻しても、その言葉の意味までわかるわけではない。ブローチの言葉の意味を知りたがっているであろうシアンには、期待させることはできない。
「そうですか。まあ、『りゃくえん』も駄作みたですし、もともと意味なんてなかったのかもしれませんしね」
「駄作言うなし。私が作ったんじゃないけど、怒るわよ」
「もう怒ってますよ」
話しているうちに、出発の時間になった。シアンは胸にブローチをつけ、ルキナは髪飾りを整える。準備を終えると、二人は馬車に乗り込んだ。
社交界デビューとなる、このパーティでは、卒業生たちがダンスを楽しむ。皆、このときのために練習をしてきたのだ。
「シアン様、一緒に踊っていただけませんか?」
ファンクラブの女の子たちが、シアンの前に列を作っている。シアンは、キョロキョロとタシファレドを探す。タシファレドは、ちょうど近くにいて、シアンの視線に気づいてくれた。
「お嬢さん方、よろしければ俺と踊っていただいても?」
タシファレドが列の中にいた女の子の手をとり、手の甲にキスをする。
「よ、喜んで」
女の子は、男からダンスに誘われたい生き物だ。タシファレドの物語の登場人物のような立ち振る舞いに、乙女たちは簡単に落ちる。そして、目をハートにして、タシファレドについていく。ごっそりと人数が減った。
「…踊りに行きますか?」
シアンは、先頭にいる少女に手を差し出す。今後、ここにいる少女たちと会うことは滅多にないだろう。進学する上級学校が違ったり、そもそも進学しない者もいる。シアンは、今まで応援してくれた感謝を伝えるため、彼女たちの望みを叶えることにした。
「はい!」
少女が、シアンの掌にそっと手を乗せ、顔を赤らめる。嬉しそうだ。
シアンは、曲が変わる度に、一緒に踊る相手を変え、ファンクラブの生徒たちと踊り続けた。もう、何曲踊っただろうか。飽きないようにと、曲はころころ変わるが、さすがにダンスそのものに飽きてきた。
シアンは、タイミングを見計らって逃げ出した。会場の隅に寄り、ダンスをしている者たちから見えない場所に立つ。
「モテ男様は苦労しますわね」
ルキナが隣に来た。誰からもダンスの誘いを受けず、端っこで暇を持て余していたようだ。
「もうお腹タプタプよ」
ルキナはずっとジュースを飲んでいた。文句を言うくらいなら飲むのをやめれば良いのに、その手にはジュースがいっぱい入ったコップを持っている。
「せっかく練習したのに…。」
誰もルキナをダンスに誘わないのは、彼女が王子の婚約者だからだ。そもそも婚約者とダンスしづらいうえに、婚約者が王家の人間。そう簡単に声をかけられるものじゃない。
「お嬢様、ダンスしますか?」
シアンはルキナを真っすぐ見て言った。ルキナは、改めて目を合わせたので、ドキッとする。
「う、うん」
ルキナは少し緊張しながら頷いた。シアンが手を差し出し、ルキナがその手をとった。
「ダンスしないの?」
シアンが一人でいると、マクシスが声をかけてきた。右手を上げ、左手を見えない相手の腰に当てる。ダンスの時の基本姿勢をとっている。まるで、マクシスがシアンに一緒に踊ろうと言っているみたいだ。
「悪いけど、そういう趣味はないよ」
こんなところで、男友達と踊る趣味はない。
シアンは、マクシスから顔をそらす。ダンスをするルキナの方に視線を戻した。ルキナはタシファレドと踊っている。
「違うよ、ルキナと」
マクシスも、シアンの横に並んで、ルキナの方を見る。
「踊らないよ。さっき、さんざん踊ってきたし」
シアンは、タシファレドと何かを楽しそうに話ながら踊っているのを見つめる。シアンにルキナと一緒に踊る資格はない。身分的にも、気持ち的にも。
「マクシスの方こそ…」
「僕も、もう踊ってきたよ。シアンの近くでも踊ってたんだけど、気づかなかった?」
シアンが目だけマクシスの方に向けると、マクシスがにこっと笑った。
「あー」
シアンは思い出した。独特な踊り方をするペアを。自分のダンスに集中していたため、あまり顏を確認していなかったが、言われてみると、マクシスだった気がする。だが、ダンスとも呼べないような出来だった。マクシスが暴走して、相手の女の子の振り回すものだから、相手の子は目を回していた。
(どうせ、チグサ様のことでも考えてたんだろうな)
マクシスもモテる方なので、ダンスの相手には困らなかったはずだ。チグサがいない今日、この場なら、女の子たちも声をかけやすかったことだろう。しかし、踊りの方が壊滅的なので、最初の数人と踊った後は続かなかった。今、マクシスがダンスもせずにシアンに話しかけてきたのはそれが理由だろう。
「相手の子も大笑いで、楽しかったんだよ」
「たぶん、それ悲鳴だったと思う」
「え?」
しばらくすると、ルキナが戻ってきた。タシファレドにエスコートされている。彼が女たらしなのは気に入らない様子だったのに、タシファレドに女の子扱いされるのは悪い気分ではないらしい。憎らしいほど良い笑顔だ。
「ルキナ嬢、失礼するよ」
シアンたちのもとにルキナを連れ戻ると、タシファレドがルキナの手の甲に口付けをした。その後、シアンとタシファレドが数秒目を合わせる。
シアンの視線には、お礼の意味がこもっている。自分が一緒に踊るわけにはいかないので、シアンがタシファレドにお願いした。ルキナは、タシファレドにとって勝つべき相手。これまでの成果を見せつけてやろうと、快く、ダンスの相手を請け負った。タシファレドは、視線だけで、シアンの気持ちを理解する。そして、シアンには何も言わないで去って行った。
「なんか、シアンとタシファレドのわかり合ってる感じ、きもいんだけど」
ルキナが鳥肌の立った腕をさすっている。
シアンがタシファレドにルキナを預けに行った時も、二人は言葉を交わさなかった。視線だけで会話していた。ルキナには、それが気持ち悪いらしい。そう感じるのは、ルキナの中に、シアンとタシファレドの仲が良いというイメージがあまりないせいだろう。
二人の関係は利害の一致の上に成り立っている。他の友人たちとは少し違った関係なのだ。シアンは、ファンクラブが存在するために、多くの女の子たちの対応をしなければならなかった。今日のように、一人ではさばききれないこともあった。そんな時、タシファレドが助けてくれた。タシファレドが声をかけた相手は、たいていタシファレドの方についていく。シアンを助けている形になるが、タシファレドにも利点はある。タシファレドは、少しでも多く、女の子を自分のもとに引き入れたいと思っている。上手くいけば、シアンのファンが減り、タシファレドの囲いが増える。これが利害の一致だ。そういうことを繰り返しているうちに、目を合わせるだけで、互いに思っていることを察することができるようになった。そこまで万能ではないので、テレパシーのように何でも伝えられるわけではないが。
その時、シェリカがシアンにぶつかった。
「大丈夫ですか?」
シアンは、シェリカの肩を掴んで支えてあげる。
「あ、あ…ごめ…。」
シェリカが、シアンの体に触ってしまってパニックを起こしている。素早く離れて、か細い声で謝った。
シェリカの後ろにティナがいる。実は、ティナがシェリカの背中を押したのだ。シアンにぶつかるように。誰も見ていないタイミングを見計らって。
「シェリカ様、チャンスですよ」
ティナがシェリカに近づいてコソコソと言った。シェリカは、「ティナ・エリが代わりに言ってよ」と、顔を赤くしている。
「シェリカ様、ほら、頑張って」
ティナがシェリカの背中を押す。物理的にも押したので、シェリカがシアンに近づく。
「シアン。…あ、あのね、私とダンスしてほしいの」
シェリカが目を閉じる。結果を聞くのが怖いのだ。
「良いですよ」
そこでシアンが断るわけない。シアンがシェリカの手を取り、歩き始める。
「シェリカ様、今日のドレス、素敵ですね」
シアンがニッコリ笑って言うので、シェリカはボンっと音を立てるように顔を真っ赤にする。その様子を見て、ティナが小さくガッツポーズをした。
「あれは、わかっててやってるのか、それとも…。」
ルキナは、腕を組んでシアンとシェリカのペアを睨むように見る。
「ルキナ、僕らも踊らない?」
マクシスがルキナを誘う。シアンがダンスするのを見て、自分も踊りたくなったのだ。
「良いけど」
ルキナはよく考えずに返事をした。シアンの言動の真意について考えていて、それ以外のことが頭の中にない。マクシスにダンスに誘われたことを喜ぶことすら忘れている。
この無意識の選択で、ルキナは地獄を見ることになったが、それはまた別のお話だ。




