お嬢様、辛い記憶も良い思い出に変わります。
「あー!もう!みんな揃って、シアン、シアン、シアン!なんなのよ!」
今日はルキナが荒れている。上級学校の入学試験が近づいてきて、受験生はそろそろ出願先が確定する。そこで、ルキナは皆に第一志望の学校を聞いて回ったのだ。ルキナにとって、皆の志望学校は重要だ。『りゃくえん』の舞台は上級学校。その登場人物が一人でもかけてしまっては困るのだ。
結論からいうと、『りゃくえん』のキャラは全員同じ学校を志望しているようだった。その結果は喜ばしいものだ。だが、志望理由まで聞いたのは間違いだった。
ルキナは最初にマクシスに尋ねてみた。
「僕?僕はクリオア学院だけど……え?理由?うーん…シアンが行くならって思って」
タシファレドの場合。
「国立に行くけど。ほら、リュツカが行くらしいじゃん」
「僕もクリオア学院に行きます!ロット様のおそばは離れません!」
聞いてもないのに、ハイルックが答えてくれた。
シェリカは正直いなくても良い気がするが、一応聞いておいた。
「もちろん、クリオアに行きますよ。ティナ・エリも。……そんなの、シアンが行くからに決まってますわ」
ルキナにまだ心を許していないイリヤノイドにも無理やり聞いた。
「クリオア学院目指しますけど。先輩が行くみたいなんで」
他校の受験生にも聞いた。ノアルドとミッシェルだ。
「私たちは、クリオア学院に出願しますよ」
「シアンには負けてられないからな」
「一人くらい私の名前をあげなさいよ!」
ルキナがクッションにボスっと拳を入れた。
「マクシス、あんたはチグサが通ってるからでしょうが!」
タシファレドがシアンを理由にするなんて思っていなかった。よく考えずに学校を決めそうなシェリカの志望理由は聞くまでもなかった。まだ受験生じゃないのに明確に志望が決まっているイリヤノイドになんだか腹が立つ。
シアンは、勉強中の手を止める。
(僕が別の学校にしたら、皆ついて来るのか)
ルキナの話を聞きながら思ったことだ。もし、誰もクリオア学院に行かないという事態になったら、ルキナは発狂するだろう。
シアンは別にそんなことはしない。サイヴァンも卒業した国内最高峰の魔法科がある学校だ。唯一の国立ということもあり、学びの場として充実している。シアンの心はずっと前から決まっていた。たとえ、『りゃくえん』の舞台と違う学校で、ルキナの行く学校と違ったとしても、迷うことなく進学するだろう。進路とはそういうものだ。それなのに、シアンの周りの者たちは、友人が行くから一緒にという考えばかり。もちろん、それは理由の一つにすぎず、ちゃんと考えて進路を選んだ者もいるだろう。だが、聞いた言葉がすべてなら、今後の人生にも関わる重大なことなのに、考えてなさすぎだ。
「そんなことより、勉強してください。落ちても知りませんからね」
シアンは、言いながら自分も勉強を再開する。ルキナを見張る意味も込めて、二人で勉強しているのだが、ルキナが全く勉強する気配がない。少し手をつけたかと思えば、集中力が続かない。このままでは本当に受験に失敗しそうだ。国立上級学校だからと選ぶ人間が全てではないので、全受験生が集まるわけではない。でも、決してレベルは低くない。それなりに勉強しなければ受かりはしない。
「大丈夫よ、大丈夫」
ルキナもペンをとる。一応、勉強の態勢になる。それにしても、異様なほどの自信だ。
「その自信はどっから出てくるんですかね?」
「よくあるあれよ。テスト直前になると出てくる謎の自信」
「駄目じゃないですか」
シアンは、ルキナのことが心配でならない。
「どうしよう、シアン!」
ルキナが泣きそうになっている。
あっという間に日は流れ、上級学校の受験から一週間。合格発表の日になった。
ルキナは、合格者の番号が書かれた掲示板を見、戻ってきたところだ。まあ、だいたい察しはつく。
(だから、勉強するようにと、あれほど…)
口にはしなかった。既にショックを受けているのに、これ以上ルキナを苦しめるのは酷だと思ったからだ。
「まさかの私なしでストーリーが進むパターン?いや、そんなパターン聞いたことないし。でも、シアンはいるから、シアンに仲を取り持ってもらう感じ?大変だわ。これじゃ、逆ハーレムなんて夢のまた夢じゃない。ただでさえ、予定通りに進んでないのに」
ルキナが顔面蒼白になりながらブツブツとつぶやき続けている。他の結果を見に来た受験生たちの邪魔にならないように、シアンがルキナを隅に連れて行く。
「こんなオチはありえないって思ってたけど、どうしよう。夢かしら、夢なのね。ちゃんと起きなきゃ。もう一回見に行ったら番号が…」
「お嬢様」
ルキナの独り言がいつまでも終わりそうにないので、シアンが止めに入る。今更悪あがきしたってどうしようもない。シアンは、ルキナが目を合わせてくれるまで待ってから、トーンを下げて話し始める。
「お嬢様はちゃんと調べてないし、先生の話も聞かなかったから知らないんでしょうけど、世の中には第一受験日と第二受験日が存在するんです。今回のは第一。第二受験は、第一志望に落ちた人が受けられるものです。全ての学校が二段受験制を採用しています。出願は今日から一週間。まだ間に合うんですよ。なんとかなるかもしれませんよ。お嬢様がくよくよとしていなければ」
シアンは力強く言い切った。第二受験は二週間と少し後に迫っている。
「…わかったわ。何をすれば良い?」
ルキナも気持ちを切り替えたようだ。
シアンは、合格者のための説明会に参加し、それが終わると、ルキナの受験の手伝いを始めた。
ハリスとメアリも、結果を知って思うところはあっただろうが、特に何も言わなかった。ルキナが残されたチャンスに向かって気合を入れているので、余計な口を挟まないように気を付けているようだった。
「今度こそ最後ですからね」
シアンは、ルキナが書きあげた出願書類を封筒に入れる。ルキナは、シアンの手もとを見ながら、「何もしなくても、クリオア学院に行けるもんだと思ってたわ」と言った。
ルキナの謎の自信は、ゲームのシナリオに頼ったものだ。この世界は乙女ゲームなので、ルキナは当然のようにクリオア学院に行く運命にあると思っていた。ルキナのご都合主義な思考には悩まされる。今まで、ゲームのストーリー通りに進んだことの方が少なかったのに、ここにきて、進路は問題なく決まると思っていた。本来なら、思い通りにいかないことを想定して、死ぬ気で勉強すべきだっただろう。
「裏口入学とかないの?」
ルキナが右腕で顔を隠し、左手を右の脇の下でひらひらさせる。
「袖の下をこう…」
「最低ですか」
ルキナはどこまでも曲がった人間だ。楽な方に楽な方に逃げようとする。かねてからの望みである逆ハーレムの夢のためなのだから、努力すれば良いのに。
「ちぇっ、賄賂なんて金持ちの特権でしょうに」
ルキナは、人道を外れつつも、最終手段ともなろう裏口入学が使えないとわかると、目の前にある問題を解き始めた。ルキナが問題を解き、シアンが答え合わせをする。ルキナが解いている問題は、シアンが厳選したものだ。
「国史、苦手ですね」
ルキナは、ウィンリア王国の歴史の覚えが甘い。記憶力は悪い方じゃないし、ゲームの裏設定にもあたるような内容なので、点数の稼ぎどころだと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
「あー、シューラ時代とか、意味わかんないのよね」
「シューラ時代って、国史のメインじゃないですか」
ルキナは、国史を全然理解できていない。この状態で受験を迎えたのが信じられない。
「たとえるならば、私にとってシューラ時代は、マシュマロを…」
「たとえなくて結構です」
ルキナの集中力が切れてしまった。シアンが話を振ったのが原因だが、話がそれてしまった状態を放置しておくわけにはいかない。シアンが遮って、話を無理矢理終わらせる。
「じゃあ、このマシュマロはどうすれば?」
ルキナが手で器を作っている。そこには、もちろん何もない。
「捨ててしまえ!」
シアンは、いつまでも勉強に戻ろうとしないルキナにムカッとした。シアンが付き合ってあげているのに、この態度だ。ルキナの手の器の空気を掴んで、ポイと遠くに投げるように腕を振った。
「ああー!私のマシュマロォ!」
ルキナが、目に見えないマシュマロに向かって手を伸ばす。シアンは、ルキナの腕を掴んで、勉強机の上に置く。
「なんか、シアン、口悪いわね」
「はいはい。黙ってますから、この問題さっさと解いてください」
ルキナがカリカリと音をさせながらペンを走らせる。
その間に、シアンは答え合わせを進める。その時、ふと手を止める。自分の記憶と違うところがあったのだ。ルキナの答えは解答と同じなので、何が間違っているのかわからなくなってくる。
「…リドーって王じゃない?」
小さな声で呟く。それでも、集中しきっていたないルキナの耳には届いた。
「リドーは正確には王様じゃないわよ。タシュタット一世の時の摂政だもの」
ルキナが自信満々に説明する。
「タシュタット一世の名前が知られてないから、リドーが王様って勘違いする人が多いのよね」
「なんでリュクラル史だけ高得点なんですか」
シアンは丸付けを終えて唸る。リュクラル史がこんなに完ぺきな受験生は他にいないだろう。ルキナの国史の唯一の得意分野がリュクラル史だ。だが、リュクラル史に関して、これほどの知識は、受験に必要ない。
「リュクラル史の出題率低いのわかってますよね」
シアンは、答え合わせの終えたプリントを手渡しながら言う。
リュクラル史とは、この国ができる前後三百年ほどの歴史だ。その時代の歴史を裏付ける物は多く発見されているが、それ故に、意見が大きくわかれることになった。記述が多く残っているのが、リュクラル史の特徴だが、その内容は真偽が問われるようなものばかりだった。そのため、学者たちの間で、リュクラル史を正式な歴史と考えるか、否か、意見がわかれた。そんな状態だから、リュクラル史が試験の問題として出題されることはほとんどない。
「わかってるわよ。別に、趣味で勉強しただけだし」
ルキナは、好きなもののことになると、本当に強い。最近の愛読書は、リュクラル史について書かれた本らしい。特に、シャクラ・ディメラルシェ著の本がお気に入り。
受験はともかく、この知識が役に立つ日が来れば良いのだが。
第二受験の結果発表の日。ルキナが指でVの字を作る。
「どんなもんよ」
シアンの付きっ切りの指導もあって、見事逆転勝利した。シアンも、自分のことのように喜びを感じる。
「いやぁ、さすが私ね」
合格そのもの以上にルキナが鼻を高くしているのは、試験問題の内容だ。なんと、驚いたことに、今回の試験にリュクラル史が出たのだ。受験生は皆かなり驚いたことだろう。出題率があまりに低いので、ほとんどの受験生が触れてこなかった分野だ。そんな中、おそらくルキナだけが、ホームで戦っていた。その差が、合格につながったとも考えられる。
しかし、周りの評価はそうはいかなかった。ハリスもメアリも、シアンが手伝ったから合格したのだと言った。シアンは決まって「お嬢様の力です」と答えた。たしかに、シアンも協力はしたが、謙遜ではない。ルキナの実力、主に運、がその結果を生み出したのだ。
サイヴァン・チルド
シアンの家庭教師
初登場:第57部分
最新登場:第69部分




