お嬢様、ついにあの時期が来てしまいました。
アクチャー部は、夏から始まった大会を勝ち進み、秋の大会まで出場し続けた。残念ながら、全国大会までは届かなかったが、ぽっと出の部活にしてはなかなかの成績を残した。
「シアン、久しぶりに今度うちに遊びに来ない?」
マクシスがシアンを家に招待する。シアンは最近まで部活づけの毎日を送っていたので、あまり遊ぶ時間がなかった。誘う側も気を遣う。とりあえず、部活の方がひと段落したのだ。やっと遊びに誘える。
「ルキナも一緒でかまわないよ」
マクシスが冗談のように笑って言う。
「お嬢様がチグサ様をしょっちゅう訪ねてるみたいで…。」
ルキナは、学校の昼休みだけじゃ時間が足りないと、アーウェン家を訪ねては、チグサに意見をもらっている。そのため、最近は週末になると毎日のように行っている。申し訳ないと思うばかりだ。
「気にしないで。お姉様、嬉しそうだから」
マクシスが「シアンはルキナのお母さんみたいだ」と言う。これを言われたのも久しぶりだ、本当に部活しかしていなかった。今日だって、マクシスと食堂に向かっているが、これは何週間ぶりだろうか。ずっとイリヤノイドと一緒に昼食をとっていたので、マクシスと過ごす時間がほとんど作れなかった。他の皆もそうだ。大会の応援には来てもらえるが、なかなか対応している時間がなかった。だから、マクシス以外とも、話したいと思う。
「先輩」
と、そこへ、イリヤノイドがやってきた。シアンと一緒にいるマクシスを一瞥すると、一緒に昼食を食べようと言う。
「ああ、ごめん。今日はマクシスと食べようと思って」
シアンの言葉に、イリヤノイドがあからさまに不満そうな顔になる。でも、シアンの気を悪くしてはいけないと、一応笑顔になる。
「そうですか。じゃあ、明日は僕と一緒に食べてくださいね」
イリヤノイドが意外とあっさり引いた。
彼は決して悪い子ではない。嫌ってもいない。ただ、少し怖いところがある。シアンも、さすがにイリヤノイドの言動の裏にあるものに気づき始めている。
「だいぶ気に入られたみたいだね」
マクシスが愛想笑いをしている。シアンは、友達のその表情を悲しく思った。
(早めになんとかしないと)
ルキナの言う通り、イリヤノイドは扱いにくい。あんまり独占欲を表に出されると、シアンもその周りの者も、委縮してしまう。
「マクシス、イゴウ」
シアンが「行こう」と言おうとしたが、うまく言えなかった。咳をして、喉の違和感を追い出そうとする。
「大丈夫?」
マクシスが心配そうにシアンを見る。シアンは心配ないと伝えるように頷く。
「風邪?」
「ううん。たぶん違う。何かはわからないけど」
シアンは、どうせすぐ治るだろうと思った。だが、こういう時はだいたい治らないものだ。
翌朝、さらにひどくなり、シアンは風邪を疑った。声が変なのだ。普通に出しているつもりが、いつもと違うところに空気がいってしまう感じ。体調不良は早めに報告するように言われているシアンは、真っ先にハリスに相談した。すると、彼は笑いながら言った。
「それは、たぶん、声変わりだね」
シアンは今十二歳。声変わりをするには、平均と比べて…、いや、何と言おうが、こういうのはすべて個人差という言葉におさまってしまう。故に、あまり時期を気にするものでもない。
「まあ、そんなに長く続いた記憶はないし、男の子はみんななるからね。もしかしたら、シアンの周りの子も、もう終わってるかもしれないし」
ハリスは、シアンに恥ずかしいものじゃないと教える。
「しばらく声は出にくいと思うけど、それが終わったら身長が伸びるから」
シアンは、病気じゃないとわかると、ほっとした。でも、この不安定な声はしばらく続くということになる。
(お嬢様に聞かれたくない)
シアンはルキナの前では極力声を出さないことにした。
「そういえば、昨日の見たわよ」
登校の馬車の中で、ルキナが話し始める。
「イリヤ、束縛激しいわね。最近、全然学校で話せてない気がする。羨ましいけど、まあ、そんなこと言ってらんないわよね。ゲームの情報でもアドバイスになれば良いんだけど。あの手の奴らは、距離感が大事だけど、私苦手だったのよね」
こういう時ばかりは、ルキナのおしゃべりに救われる。一人で話し続けるので、シアンが返事をしなくても、気にしない。
「というか、私の方が、どうやってイリヤに取り入ったのか知りたいんだけど。やっぱり部活かしらね。まあ、シアンはアクチャー上手いみたいだし、実力重視のイリヤには効果的ね。あとは、…性格?」
調子よく喋っていたルキナがシアンの方をじっと見る。
「シアン、さっきから全然喋ってないけど」
ルキナも、全く毒を吐かないシアンの様子に違和感を感じ始めたらしい。シアンは困ってしまう。言い訳の一つや二つ言いたいところだが、声を出したくない。
「それは、いつかの仕返しかしら」
ルキナは、「シアンも子供っぽいことするのね」と肩をすくめる。以前、ルキナはシアンを何日も無視し続けたことがある。でも、その仕返しをするには、遅い気がする。
「まあ、なんでも良いけど、また今度みんなでご飯食べましょ。小説、一区切りつきそうなの。チグサも楽しみにしてるから」
ルキナがシアンの反応を見る。シアンは窓の外を見て、聞こえてないふりをする。聞いていたら返事をしなければならなくなるからだ。今回は頷き一つでも答えられそうだが、今後のことも考えて、ルキナの言う無視作戦を実行することにする。心苦しいが。
学校でも、家でも、シアンはルキナの前で声を発さなくなった。例えば昼休み。
「シアン、今日はみんなで食べるわよ」
ルキナが一緒に食堂に行こうと誘うが、シアンは聞こえてないふりをしてイリヤノイドに声をかけにいく。
「先輩」
シアンの方から誘うようになったので、イリヤノイドは嬉しそうだ。そうして、イリヤノイドがルキナに向かって意地悪な笑いをする。
「先輩、やっぱりうちで働いてはどうですか?そうすれば、もっとアクチャーの話できますし」
イリヤノイドと距離をとろうと思っていたが、結局、毎日のように彼と昼食をとっている。イリヤノイドはルキナが近づくのを許さない。ルキナもイリヤノイドに必要以上嫌われないように、無理矢理近づいて行かない。だから、イリヤノイドと一緒にいるのが、今は一番良いのだ。
でも、この声を聞かれたくないのは、ルキナだけ。他の友人や先生とは普通に話している。ただ、もともと声ができにくいのと、近くを通りかかったルキナに声が聞こえてしまわないようにという対策のため、かなり小さな声で話す。相手に聞き取ってもらえなくては意味がないので、必然的に、相手との距離が近くなる。
それで喜ぶのが、シアンファンクラブの会員たちだ。今なら、話しかければもれなくシアンが顔を近づけてくれる。会員たちが何かと用を作っては、シアンに話しかけている。
そんな様子見て、ルキナが良い思いをするわけがない。自分とだけ話さないし、他の人たちとの距離が異様に近くなっている。
放課後、シアンとルキナはそれぞれの部活動に励む。下校時間になったら、ルキナがシアンを呼びに行く。だいたい図書局よりアクチャー部の方が終わるのが遅い。片づけにかかる時間の問題だろう。
ルキナは、アクチャー部が活動している競技場の近くでシアンが出てくるのを待つ。部員たちは、正門に向かって帰っていくので、必ずルキナのいる場所を通る。
「クリスティーナ先輩、今度、服見に行きませんか?駅前に新しいお店ができたんですよ」
「そうね。今週末はどう?」
「先輩、今週は練習長いですよ」
「あ、そうだった」
「さっき言われたばかりだろ。忘れっぽいな」
「グシャトリアには言われたくない!」
アクチャー部の部員たちがぞろぞろと歩いてきた。シアンとイリヤノイドは静かに後ろの方を歩いている。
「シアン、帰るわ…。」
ルキナがシアンに声をかけようとした瞬間、シアンがイリヤノイドに話しかけに行ってしまった。ルキナも、ここ最近、ずっとこんな感じだったので、さすがに寂しくなってきた。
シアンは、イリヤノイドと話し終わり、ルキナが待っていたのだと気づく。今回は本当に、ルキナに声をかけられたことを知らなかった。でも、ルキナはどちらでも同じだ。シアンはさすがに謝ろうかと思ったが、声が気になって、それすらできなかった。ルキナは、まだ無視され続けるのだとわかると、悲しそうな顔になる。
「イリヤと私、どっちが大事なのよ」
ルキナが問いかけると、イリヤノイドがはっとした顔になる。シアンの答えが気になるのか、イリヤノイドも一緒になってシアンの顔をじっと見ている。珍しく、ルキナのイリヤ呼びを指摘しなかった。
二人がシアンの答えを待っている間、シアンは無表情の裏で動揺していた。
(まさか、お嬢様がイリヤに嫉妬を?)
ここ最近、一番一緒にいる時間が長いのではないかというほど、シアンはイリヤノイドといる。だから、ルキナがイリヤノイドに嫉妬をしたのかもしれない。そして、そうなると、ルキナが自分を好きかもしれないという可能性が…
「いや、違うか。部活と私?」
ルキナは言い間違えたことに気づき、訂正した。
(やっぱないか)
どうせルキナはあれを言いたいだけだ。以前話していた、男性が彼女や妻にされたくない質問第一位。ルキナ調べでは、その質問が「私と仕事、どっちが大事なの?」だ。それにアレンジを加えて、冗談を言っているだけだ。
そう思ったシアンは、何も答えない。
「そう、わかったわ。嫌いな奴から話しかけられたくないわよね」
ルキナはそう言って飛び出した。さっきの質問は、シアンに変な気を遣わせないように配慮した「私のこと嫌い?」だった。ルキナなりに考えての聞き方だったが、シアンにはそんなふうに伝わらなかった。でも、肝心なところで思い込みが激しいルキナは、シアンに意味が通じたうえで答えが返ってこなかったのだと思い、自分はシアンに嫌われたと結論づけた。
シアンは、なぜ急にルキナが走り出したのか、すぐにはわからなかったが、何か勘違いしているのだということを段々理解し始める。それならば、早く誤解を解かなければならない。
シアンがルキナを追って走り出した。
「先輩!」
シアンも行ってしまったので、一人残されたイリヤノイドがシアンを呼ぶ。だが、シアンは足を止めない。
シアンが走り出したのは少し遅かったので、ルキナがどこに向かったのかは目で確認できなかった。でも、ルキナは魔法石のついたイヤリングをつけている。シアンは落ち着いてルキナのいるところに向かった。
ルキナは、校舎裏の影に身を潜めていた。
「あっ」
シアンが来たとわかると、ルキナはまた走り出そうとする。同じ馬車で帰るのだから、どうせ最後には連れ戻されるとわかっていた。でも、思っていたより早かったので、シアンに気づくのが遅れてしまった。自分がイヤリングをつけていることを忘れていたようだ。
シアンが、ルキナの手首をつかんで引き留める。そんなに力は入れてない。弱い力でも、ルキナは逃げない。どうせ逃げ切れないと思っているのか、心のどこかで引き留めてほしいと思っていたのかは、誰にもわからないが、ルキナは暗い顔でおとなしくしている。
シアンは意を決して、口を開く。
「ぎらいになっだとかジャないですヨ」
途中まで良かったのだが、最後に高い声が出てしまった。シアンが恥ずかしがる。
この声を聞いて、すべてを理解した。声変わりであること。その声を聞かれるのを恥ずかしがっていること。それは、ルキナに対してだけということ。
シアンの赤い顔を見て、ルキナは思う。ああ、こいつ、私のこと好きだな、と。
決して、自意識過剰というわけではない。そう考えれば、すべてに合点がいくというだけのことだ。でも、実際、その結論はあながち間違いじゃない。
「シアンってば、バカね」
ルキナは、途端にシアンが可愛く思えてきた。しょうもないことで悩んでいる少年が可愛くてしょうがない。
「…っ」
シアンは馬鹿と言われ、言い返したい気持ちになる。でも、また声が変なところで裏返ったり、ガラガラの声を聞かせるのは嫌だ。結局、何も言えずに、口を紡ぐ。そうすると、またルキナが笑う。
「いいのよ。シアンはそのままが良いわ」
ルキナが何を言っているのかわからず、シアンがきょとんとする。ルキナ自身も、何も考えずに言ったので、わかっていない。
「次、私を無視したら、罰ゲームするから」
ルキナは、さっきまでと打って変わって晴れやかな気持ちだ。
「恥ずかしいのかもしれないけど、さすがにちょっと無視され続けるのはこたえるわ」
ルキナが冗談交じりに言うと、先にやったのはルキナだとシアンが言い返す。
「え?なに?やっぱり仕返しのつもりだったの?」
ルキナがシアンをからかう。
「ちがイまずヨ」
シアンが慌てて否定するが、声が安定しない。シアンが恥ずかしがり、ルキナが笑う。ルキナの笑いは決してシアンを馬鹿にしたものではない。シアンもそれを理解し、ルキナに笑われるのも悪くないかもしれないと思う。今となっては、無視を続けるより断然良いと思う。




