お嬢様、大会見に来ませんか。
合宿が終わると、すぐに大会の日がやってきた。合宿での疲れは完全にとれているし、クリスティーナの機嫌も良くなっている。今のところ、競技をするにはベストな状態だ。
「リジュンは初めての大会で緊張するだろうけど、気楽にね」
シアンは、表情の硬いリジュンに声をかける。部長、先輩としての役目を果たす。緊張するなと言う方が無理な話だが、リジュンは素直に頷いた。
「先輩、先生が呼んでましたよ」
すっかり棘がなくなったイリヤノイドが、シアンに呼び出しがあったと教える。
「わかった。ありがとう」
シアンは、リジュンをクリスティーナに任せ、ラザフォードがいる場所に向かう。
「先生」
ラザフォードの姿を見つけると、シアンは呼びかけた。ラザフォードは誰かと話していたらしく、反応が少し遅れた。
「あ、すみません。邪魔しちゃいましたか?」
誰かと話していたなんて気づかなかったとはいえ、邪魔をしてしまったのは忍びない。
「あれ?サイヴァン先生?」
ラザフォードと話していたのは、なんとサイヴァンだった。彼にも、シアンの方から大会の日時は伝えてあったが、いつだって忙しいのはわかっていたので、まさか見に来てくれるとは思っていなかった。しかも、ラザフォードとサイヴァンが知り合いだったなんて、思いもしなかった。
「教え子の晴れ舞台なら見に来るのが当然だよ」
サイヴァンがニッコリ笑う。
「実は、サイヴァンは昔の教え子でね」
「先生がシアン君の先生をしてるなんて、思ってもみませんでしたよ」
サイヴァンは懐かしい人に会えて嬉しそうだ。ラザフォードの方は、シアンから家庭教師のことはなんとなく聞いていたので、いつか再会するだろうと思っていたらしい。
「ルキナさんは来てないんですか?」
サイヴァンが、ルキナの姿が見当たらないので、不思議そうにしている。
「お嬢様は今日は来ないみたいです。見に来てほしければ、次の大会に進めって」
ルキナには一応、大会の話をしたが、来てくれそうな様子はなかった。夏休みの学校に縛られない時間は執筆活動に忙しいようだ。
「じゃあ、頑張らないとね」
サイヴァンがシアンを鼓舞する。
「これ、本部に提出してきてください」
ラザフォードが、大会出場者名簿を渡す。シアンを呼びだしたのは、部長としての仕事を与えるためだったらしい。選手の出席確認のため、本部に資料提出しなければならないのだ。
シアンは、二人の先生から離れ、一人、本部へと向かう。初めての会場ではあるが、迷うことなく本部にたどり着いた。そうして、問題なく、資料を提出する。
「「「シアンさまぁー!!」」」
シアンが、部員たちが集まる場所に戻ろうとしたところで、複数の女の子たちに名前を呼ばれる。リンネルとマイナを始めとする、シアンファンクラブの会員たちだ。
「シアン様、頑張ってください!」
「シアン君、優勝してね!」
手作りの垂れ幕を手に、シアンに黄色い声援を送っている。嬉しくないと言ったら嘘になるが、どう反応すれば良いのかもわからない。
「ありがとうございます」
シアンはお手本のような笑顔で感謝を述べる。すると、また女の子たちがキャーっと甲高い悲鳴を上げる。このままでは収集がつかなくなりそうだ。シアンが困っていると、颯爽と救世主が現れた。
「先輩、そろそろ時間ですよ」
イリヤノイドが、いっこうに戻ってこないシアンを呼びに来たのだ。
「ああ、うん」
シアンは、イリヤノイドと一緒にその場を離れる。シアンが少し前を歩き、イリヤノイドがシアンを守るように背後を歩く。
女の子たちが名残おしそうに、シアンの名前を呼んでいる。シアンはなんだか申し訳ない気持ちになりながらも、無視をする。
すると、その声がピタリと止まる。あまりにも一瞬で止まったので、違和感があった。
シアンが振り返ると、女の子たちは、何かに怯えるように、悔しそうに唇を噛みしめていた。実は、イリヤノイドが彼女たちを睨んで黙らせたのだが、シアンが振り向いた頃にはイリヤノイドは何事もなかったかのように歩いていたので、とても彼のしたことに気づくことはできなかった。
イリヤノイドが歩くスピードを上げ、シアンを追い抜いた。今度はシアンの前を歩く。
「モテるのも大変ですね」
イリヤノイドがシアンの方を見ずに言う。表情が見えないので、どういう真意があるのかわからない。シアンは乾いた笑いをする。
イリヤノイドたちが入部する前、新入生向けの部活動の見学、および、体験の期間、ファンクラブ会員たちは、毎日シアンの部活姿を見に来ていた。最低限のモラルはあったし、新入生たちに、見やすい場所は譲っていた。そもそも、部活を見学しに来ていたのは、その見学期間の間だけだ。でも、何も知らないイリヤノイドの目には、もてはやされて良い気になっている不真面目な部員がいるように映ったことだろう。故に、イリヤノイドは、最初から異様にシアンに対して当たりが強かった。
そんなことがあったから、イリヤノイドの反応が気がかりだった。もしかしたら、またイリヤノイドの機嫌を損ねてしまったのではないかと心配になる。
「先輩、よければ、イリヤって呼んでください」
どうやら心配はいらなかったようだ。イリヤノイドがシアンの横に並んで微笑んだ。
「ほら、僕の名前、イリヤノイドって、長いじゃないですか。両親や友達はイリヤって呼ぶんです」
イリヤノイドが一生懸命説明しているので、シアンは、彼がイリヤと呼ばれたいのだと理解した。せっかくイリヤノイドの方から歩み寄ってくれたのだから、断る理由はない。試しに一度「イリヤ」と呼んでみると、イリヤノイドが心底嬉しそうに返事をした。なんだか新婚夫婦のやりとりみたいで、気恥ずかしくなってくる。
今回の大会は、三日間に渡って行われた。個人戦と団体戦の両方を行うので、時間がかかってしまうのは仕方ない。まだ第一次大会なので、参加団体は多い。いくつかの場所で同時開催し、地区ごとに、割り振られた場所で競技を行う。その中から勝ち抜いた団体、および、個人が上位大会へと進む権利を得る。
団体戦において、シアンたちは順調に勝ち進み…結果としては、この地区での優勝に輝いた。見事上位大会出場の切符を手に入れた。経験者二人とシアンが目覚ましく活躍したが、合宿の効果が顕著に表れていたのは、リジュンだ。まだアクチャーを始めて半年も経っていないのに、大会で戦えるほどの実力を身に着けていた。
「良かったぁ」
「おめでとう」
「頑張ったね」
「合宿やって良かった」
部員とその他関係者は皆、おおいに喜んだ。
「へー、良かったじゃない」
興奮も冷めないまま、シアンは、屋敷に帰ると、真っ先にルキナのもとに報告しに行った。だが、その反応は期待したようなものではなかった。小説の締め切りに追われて忙しいようだ。
(まあ、そんなもんか)
シアンは、さほど落胆せずに、次の大会用の資料を作り始める。シアンとルキナは、ハリスの書斎で、静かにそれぞれの作業をする。
「んんっ」
不意に、ルキナが伸びをする。少し休憩がてら、シアンがせっせと何かを記入している紙を見る。
「イリヤノイド……イリヤノイド…?」
ルキナがぶつぶつと呟き始める。シアンは、疑問に思って手を休める。
「…イリヤ!?」
ルキナが、アクチャー部の名簿を見て叫んだ。
「知り合いでしたっけ?」
シアンが知る限り、ルキナがイリヤノイドと面識はなかった。もしかしたら、シアンがいない時に、ということも考えられるが、これまで別行動をするようなことは数えられるほどしかなかった。
「違うわよ。『りゃくえん』よ、『りゃくえん』。イリヤノイドは、攻略対象の一人よ」
ルキナが興奮した様子で言う。
(そんなのもあったな)
この感じは久しぶりで、なんだか変な気分だ。ルキナの前世の話を忘れかけていたくらいだ。最近は、そのくらい、乙女ゲームとしての進展はなかった。
「ちょっと待って。覚えてることをまとめなきゃ」
ルキナは、イリヤノイド攻略の対策を立てるため、ペンとメモ用紙をひっつかむ。
「えーと、イリヤノイド・アイス。ヒロインの義理の弟で…。」
「弟?」
さっそく引っかかる情報が出てきた。イリヤノイドに姉がいるという話は聞いていない。シアンは、ルキナに説明を求める。
「腹違いの姉弟で、ヒロインの方は、まだ庶民として生活してるはずよ。ずっと貴族の子だっていうのは隠されて育って、上級学校に入学した後に知らされるの。まあ、よくあるシンデレラチックな話よ。それで、ヒロインに義理の弟ができるって感じ」
シアンは、なんでそんな面倒な家の事情で萌えられるのかわからない。ようは、ヒロインはアイス家の隠し子だったわけだ。ゲーム的な設定とはいえ、それが現実になると、厄介の何物でもない。
「定番の展開だし、王子とか貴族と恋愛するなら、自分も貴族じゃないと。でも、ただの貴族じゃ、ヒロインだって、モブ貴族と何ら変わらないし。ヒロインは特別ですよってするために、元庶民っていう設定でもないと」
ルキナは、のってきたのか、だいぶ早口で話し始める。
「それで、性格は、甘えん坊で、独占欲強めっと」
ルキナがさらさらっとメモ書きをする。
「甘えん坊?」
シアンは、イリヤノイドの今までの言動を思い返すが、全く甘えん坊要素がない。
「最初から甘えん坊なわけじゃないわよ。心を許してくれるまでが長いのよね。最高難易度はノア様だけど、それ以外のキャラで、たぶん一番難しいわ」
ルキナは、イリヤノイド攻略に苦労したことを懐かしむ。逆ハーエンドのためには、独占欲の強いイリヤノイドを後回しにせざるを得ない。イリヤノイドを完全攻略した後は、他の攻略対象と話すことさえ許されなくなってしまうためだ。でも、だからといって、後回しにしすぎると、親密度をあげる時間が足りなくて、タイムアップということもよくある。なかなか扱いにくいキャラなのだ。
「えっ…ちょっと待って…ねえ、待って、待って!」
ルキナが突然焦り始める。
「だめんじゃん!本当はイリヤが部活を作るはずだったんだわ!またやっちゃった。また話を変えちゃった。私の逆ハーの道が遠のいていく…」
どうやら、ゲームの設定と違う道を進んでしまっているらしい。
「そんなに重要な設定ですか?」
部活の創設者が誰とか、正直どうでも良いのではないかと、シアンは考える。しかし、ルキナはそれを強く否定した。
「関係おおありよ。部活を作るためには、入部予定者が五人以上いないといけないでしょ?でも、イリヤはうまくいかなくて、手当たり次第にアクチャーやりませんかって声をかけるの。そこで、ルキナとイリヤが出会うのよ。本当だったら、困っているイリヤを助ける形で、私がアクチャー部に入るはずだったの」
「お嬢様、アクチャーに興味ないんですよね?」
「でも、イリヤが部員募集してるなら、入ったわよ」
ルキナが頭をかき乱して、叫び始める。
「そんなに言うんだったら、紹介しますから」
シアンは、ショックを受けているルキナがかわいそうになり、自分から仲介人になることを申し出る。
「ほんとにっ!?」
ルキナが目を輝かしてシアンに迫る。シアンはドキドキしながら頷いた。
「ありがとう!」
ルキナが本当に嬉しそうに笑う。シアンの胸がチクリと少し痛んだ。




