お嬢様、言ってくれないとわかりません。
中等学校一級生の冬。最近、ルキナの態度がおかしい。屋敷では自分の部屋にこもって、ハリスの書斎に集まることがなくなってしまった。食事中も口をきいてくれない。シアンが学校内で話しかけようとしても、
「ラザフォード先生」
と、ラザフォードのような教師に話しかけに行ったり、クラスメートの話に入ったりする。明らかにシアンを避けている。
「やあ、リュツカ。最近、ミューヘーンさんと一緒にいないようだな」
タシファレドが廊下の壁にもたれかかっている。ナルシストが入っているようだが、女たらしとしての才能の花は開花したようだ。周りには女の子数名が囲んでいる。一番近くはハイルックが陣取っている。タシファレドの話しかけた相手がシアンだとわかると、シアンに向かってシャーっと獣のように威嚇する。
「あー、はい。ロット様は…」
「タシファレド、で良いよ」
タシファレドが気持ち悪いくらい優しい。そんなに親しくなった記憶はないが、本人が苗字で呼ぶ必要はないと言うのだから遠慮せずにそうさせてもらう。
「タシファレド様は何か知りませんか?」
シアンが尋ねると、タシファレドは最近クラスメートの男子に何やらからかわれたらしいと教えてくれる。彼の取り巻き化した女子生徒たちがそういう他クラスのことも教えてくれるので、情報はかなりもっている。
「僕はまだ苗字なのに」
ハイルックが自分はまだロット様呼びなのが気に入らないようで、シアンを睨んでいる。意識的に視界に入れないようにしてタシファレドにお礼を言う。
ルキナは、クラスの男子に「シアンと付き合ってるのか」とからかわれるのが嫌だったらしい。どれだけ二人でいようと今まで気にしなかったことなどなかったのに、周りからそう言われて気分が悪かったのだろう。この年頃の少年少女は、なにかと男女の関係を恋愛につなげたがる。本人たちにその気はなくとも、噂されれば恥ずかしいと思うものだ。ルキナもまた噂をたてられた被害者だ。だから、できるだけシアンと一緒にいる時間を減らそうとしている。
でも、それなら家の中でくらい話をしてくれても良いだろう。クラスメートの目はないのだから。
そんな彼女が唯一逃げないのは登下校の馬車の中だけ。シアンはここぞとばかりに話しかける。
「お嬢様、あの石どうしました?」
返事が遅いが、根気強く話し続ける。
「魔法石。前に、あげましたよね。その時はアクセサリーにするとか言ってませんでした?」
しばらく待っていると、ルキナはそっぽを向いたまま「知らない」と答えた。その声はイライラしている。ルキナの返事にショックを受けてしまって、シアンはそれ以上話しかけなかった。そのまま無言で馬車は屋敷につく。
「今度から、シアンとは別の馬車にして」
ルキナは使用人に命令する。馬車の中ですら会話を許さない気だ。
「お嬢様」
シアンはちゃんと話をしたいと思い声をかける。何か問題があるなら解決しなければならない。しかし、ルキナは聞こえないかのように去ってしまう。
シアンには何もできない。
「師匠、どう思いますか?」
シアンはサイヴァンに助言を求めた。大人の意見を聞けば、何かわかるかもしれないと思ったのだ。
「反抗期や思春期かもしれないね。ちょっと早い気もするけど、個人差はあるし」
サイヴァンは、大人になるために必要な期間だから、しょうがない。あまり思いつめなくて良いと言った。
「なんだか、シアン君はルキナ様のお母さんみたいだね」
サイヴァンは、冗談のように言う。
「僕は子供を産んだ覚えはありませんよ」
シアンは冗談で返す。
大人たちは大丈夫だと言う。ハリスやメアリも。ルキナとシアンは子供。そんな時期は必ずある。だから、悩むことはない。でも、心配に思ったり、不安に感じたりする心の動きまでは止められない。大人たちのアドバイスは、シアンにはどうしようもないと言っているように感じる。
「元気がないなら、ルキナの好きなことをしてみたらどうかな?」
一方、同級生たちは真剣に解決策を考えてくれる。マクシスがチグサに「ですよね」と同意を求める。チグサはゆっくり頷く。
週末、約束も何もしていなかったが、シアンの部屋に子供たちが集合している。シアンがマクシスに相談したいことがあると言うと、なぜかその話が広まり、アーウェン姉弟の他に、シェリカ、ティナ、ノアルド、ミッシェル、タシファレド、ハイルックがミューヘーン家を訪ねてきた。ハイルックがシアンを心配するわけがないのに、この場にいるのは、言うまでもなく、タシファレドがいるからだ。
「シアンなら、ルキナの好きなものをたくさん知っていそうですけど」
ノアルドがシアンの顔をじっと見る。
「チョコレートケーキ?」
「それは全員知ってる」
シアンの答えにミッシェルがツッコミを入れる。
「全員?ロット様は知らなかったですよね」
ハイルックがタシファレドに確認をとっている。ミッシェルの言葉を否定したいからではない。タシファレドが男女関係なく誰かの情報をもっていることが嫌なのだ。
「知ってたけど」
タシファレドがハイルックの気持ちなど気にかけることなく答える。ハイルックがわかりやすくショックを受ける。
「じゃ、じゃあ、僕の好きなものを知っていたり…?」
「知らない」
ハイルックが膝から崩れ落ちる。しばらく立ち直れないだろうと思ったが、すかさず立ち上がる。こういうときは恨みを募らせるのが彼の立ち直り方だ。
「いくらミューヘーン家であろうとも、絶対許さん」
ハイルックがめらめらと嫉妬の炎を燃え上がらせている。そんな様子を見て、シアンはあるものを思い出す。
「勇者の冒険」
シアンが呟く。
「なあに?それ」
シェリカが首を傾げている。シアンは立ち上がって、ずかずかとシェリカの方に、否、本棚の方に近づく。シアンが急接近してくるので、シェリカがその場で慌てふためく。シアンは、シェリカの動揺を気にすることなく、どんどん距離をつめていく。シェリカの背後の本棚に手をつき、覆いかぶさるような姿勢になる。
「そ、そういうのはまだ早い気が…!みんなもいるし…」
シアンの顔が近くて、シェリカが顔を赤くしている。キスをされるとでも思ったのだろうか。シアンが何も言わないのだから、勘違いするのも無理はない。
「あ、すみません。どいていただくほどのことではないと思ったので」
シアンは目当ての本を手に、急いでシェリカから離れる。
本を取る時、シェリカに体が近くなってしまうのはわかっていたが、令嬢にわざわざ立ち上がってもらうほどのことではないと思った。しかし、思ったより、本がシェリカの近くにあったので、想定より近くなってしまったのだ。ルキナから、シェリカもシアンにくっつきたくないお年頃だと聞いていたので、不快な想いをさせてしまったと、後悔する。
「あ、あー、本を取りたかったのね」
シェリカの顔はまだ赤いが、それはシアンが近くにいてドキドキしたからか、勘違いに気づいて恥ずかしくなったからかはわからない。
シアンはもう一度謝り、もといた場所に戻る。
「ぷっ」
誰かが噴き出す音が聞こえた。恥ずかしさで周りの反応に敏感になっていたシェリカには、その犯人がすぐにわかる。
「ティナ・エリ、笑ったでしょ」
「笑ってないですぅ…」
ティナが目に涙をためて訴える。シェリカに怯えてるため、言葉に力はない。まあ、この涙も、言葉も、すべて嘘なのだが。
「帰ったら腹筋五十回!」
シェリカがティナが犯人だと確信しているので、おしおきを課す。今すぐやれと言わないだけ優しい。
「そんなぁ…シェリカ様ぁ…」
「泣いたって無駄よ」
「せめて…回数減らしてくださぁい」
「じゃあ、六十回」
「増えてます…!」
「帰ってからが楽しみね」
「そんなぁ…」
ティナの目から涙がこぼれる。ウソ泣きであんなふうにすぐに涙を流せるのは感心する。
「その本がどうかしたの?」
マクシスがシアンが持っている本を覗き見る。
「これ、お嬢様が好きな本なんだ」
シアンはそう言うが、マクシスたちが想像する好きのレベルとは違う。これはルキナが書いた本の一つ。本人が書いた本なのだから、言葉に表せないほどの愛着があるはずだ。
「簡単に言うと、勇者が魔王を倒すための冒険」
シアンは本当に簡単にあらすじを説明する。
「マオウ?」
チグサが聞きなれない言葉を繰り返す。この世界に「魔王」なんて言葉は存在しない。もちろん、魔王にあたるものも存在しない。存在そのものがないものに名前をつける必要などないのだから、言葉が生まれないのも当然といえる。これまで生まれてきた創作物の中ですら登場しなかった。ルキナの前世の世界では当たり前にあった言葉や設定は、こちらでは全て斬新なものと評価される。
「読めばわかります。良ければ、今度読んでみてください」
シアンは持っていた本をチグサに手渡す。正直、本棚から本を取り出した意味はない。
「お嬢様は、こういう物語の登場人物、主人公になることに憧れてるんだと思う、たぶん」
物語の作者は、多少なりとも、その世界に憧れを抱いくものだ。自分のうちから生まれる言葉を紡いで創作するのだから、内なる思いも反映されてしかるべきだ。
「だから、再現をしたら良いんじゃないかと思って」
「シアンからそんな話がでてくるとは思わなかったな」
ミッシェルが面白そうに笑う。シアンはそういう論理的じゃない、子供だましのような作戦をとるイメージがない。自分から劇のようなものをやろうなんて言い出すのは予想外だった。
「いいよ、やろう。僕は何をすれば良い?」
マクシスがシアンの案にのる。チグサも後ろで頷いている。すると、シェリカやティナ、ノアルド、ミッシェルも同意した。またまた意外だったのは、タシファレドだ。彼も協力してくれると言う。
「女の子が困っているとあらば、手を差し出すものだろう?」
シアンが不思議そうにしているのに気づいて、タシファレドが自分に酔ったふうに答える。その横では、「ロット様、なんとお優しい…!」とハイルックがはやし立てている。シアンは、彼が小さく「相手がルキナ・ミューヘーンじゃなければ、もっと完璧だったのに」と言っているのを聞き逃しはしなかった。そうはいっても、おまけのハイルックも協力してくれそうな感じだ。
シアンは、タシファレドのルキナへの苦手意識が薄れつつあるのをひそかに喜びつつ、全員の顔を見渡す。
「じゃあ、みんなでルキナの元気を取り戻すぞ」
こういう時、恥ずかしがって声がでないシアンの代わりに、マクシスが声を上げる。それに合わせて、皆、拳を振り上げ、「おー!」と言う。
シアン考案の『勇者はあなたです作戦』が決行された。




