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お嬢様、僕はここにいます。

 山からの帰り道、夕日が二人をオレンジ色に染める。

「あんた、ちゃんと笑えるんだな」

 シアンはなぜこのようなことを言われるのかわからない。

「いや、だって、最初、浮かない顔してたじゃないか」

 シアンは、ここでキーシェルに心配されていたのだと知る。今、気分が晴れやかなのも、キーシェルのおかげかもしれない。

「キール、少し聞いてくれる?」

 シアンはここに来た理由を語り始める。

「僕は、ある家の女の子の世話をする仕事をしてるんだ」

「もう働いてるのか」

「いろいろあってね。でも、そんなに大変な仕事ばかりじゃないし、楽しかったりするんだけど。僕、ルールを破っちゃいそうなんだ」

 シアンはミーナの言葉を思い出す。使用人は主人を恋愛対象として見てはならない。掟を破る前に身を引かなければならない。

 シアンは自分の言葉で事情を説明する。なぜルキナから離れなければならないのか。

「それって、キゾクはその女の子のこと好きなのか?」

 キーシェルはシアンの言葉をくみ取り、彼なりに出した問い。的外れではない。キーシェルは相手の気持ちを察することが得意なのだ。

「んー。どうだろ。好きなのかな」

 シアンは微妙な返事をする。正直、自分でもよくわからない。誰かを好きになるなんて初めての経験で、どの気持ちが好きに当たるのかわかっていない。でも、少なくともそれに準ずる何かではあると思う。

 主従関係にある者たちは結ばれない。そうでなくとも、彼女には婚約者がいる。シアンは邪魔者でしかない。

 そのことを考えると、少し胸が痛むのだ。

「キゾク、あんたは難しく考えすぎなんじゃないか?子供っぽくない」

 キーシェルには、シアンはもう少し素直になっても良いような気がする。子供みたいにただ純粋に、気持ちのままに動けば良いのにと思う。

「まあ、誰だって家出したくなることはあるし、たぶん大丈夫だよ」

 シアンの歩みが少し遅くなる。キーシェルが前を行く。

「キールも家出したくなることあるの?」

 キーシェルの背中に問いかける。キーシェルは妹思いの良い兄という印象がある。家族関係は良好なはずだ。

 キーシェルはシアンの方を振り向いて笑う。

「しょっちゅうだ」

 シアンは屋敷の前でキーシェルと別れ、屋敷の中に入る。夜が始まる時間。窓から差し込む光は紫色だ。昨日と同じ部屋のベッドに横たわる。そして、深い深い眠りについた。

 チョキン、チョキン、チョキン。

 翌朝、金属がこすれる音で目が覚めた。それほど大きな音ではないが、シアンの耳にははっきり聞こえる。外に人がいるのだろうか。

(キールかな)

 シアンはゆっくりと階段を下り、玄関の扉を開ける。

 すっかり日が昇っていて、庭が明るく照らされている。相変わらず、水のない噴水は寂しいが、色とりどりの花が空気を軽くしている。その中に見覚えのある人物を見つける。

「クエストさん?」

 庭師のバンが木の手入れをしている。シアンが話しかけると驚いた顔をする。まさかシアンがここにいるとは思わないだろう。彼はシアンの行方不明騒動を知らないから余計に。

 でも、バンはすぐに作業に戻る。仕事熱心なのは間違いないが、子供と何を話せば良いのかわからないので何も言わないだけだ。

 シアンはバンのそういうところが嫌いじゃない。多くは語らないからこそ、仕事をしている彼の背中はかっこいい。

 バンはハリスが重宝している庭師職人だ。二十五歳という若さでありながら、その技術はベテラン顔負けの高さだ。修行をつんだ成果もあるが、天性のセンスによるところが大きいだろう。

 そんな彼だから、移動距離もかなりあるのに、リュツカ家の屋敷の庭の手入れも任されているのだろう。他の使用人のように、現地で調達すれば良いのに。

 シアンは掃除をされたばかりで綺麗なベンチに腰掛ける。黙ってバンの作業の様子を見る。

 昼近くまでずっとその状態だったが、突然シアンのお腹が鳴った。昨夜、山から持ち帰った木の実は食べたが、朝ご飯は食べていない。空腹になって当然の時間だ。だが、タイミング悪く、近くにバンがいたので、彼にもその音が聞こえてしまっただろう。シアンはお腹をおさえて、耳を赤くする。

 バンは仕事道具をその場に置いて、その他の荷物を置いているところへ向かう。荷物の中から小包を取り出して、シアンのところまで戻ってきた。何も言わずにシアンの隣に座り、膝の上に包みを置く。袋を開けると、丸いパンで作られたサンドイッチが顔を覗かせた。暑いところに放置しておいても悪くならないように、小さな保冷器が添えられている。

 バンはサンドイッチを一つ取り出し、それをシアンに差し出す。シアンはおずおずと受け取る。食べて良いと渡してくれたのだとわかるが、遠慮してしまう気持ちがある。そんなシアンの横で、バンは自分の分のサンドイッチを食べ始める。それを見ると、シアンも受け取ったサンドイッチを食べ始めた。

 昼食後、バンがまた仕事を再開する。わりと最近に手入れしたばかりなので、やれなければならないことはそんなに多くない。日が落ちる前に帰りの汽車に乗れそうだ。テキパキと仕事をこなし、片づけを始める。

 シアンはバンがもうすぐ帰ることはわかった。だから、半強制的にミューヘーン家に連れ帰されてしまうのではないかと不安になる。

「帰ります」

 バンは荷物を担いでシアンを見る。どうやらシアンを帰らせるつもりはなさそうだ。シアンがここにいることをハリスたちに報告はするかもしれないが、まだ帰るまでの猶予がある。

「えっと、お疲れ様です」

 シアンはバンの背中を見送る。

 静かになった庭で、一人のんびり時間の流れを感じる。わさわさと木の葉がぶつかり合い、虫たちが花の蜜を吸いに飛び回っている。

(夕食は抜きかな)

 シアンには食事をとる手段がない。この辺りのことは知らないし、山にある食料を今から取りに行くのも難しい。

「シアン、やっぱりここにいたわね」

 そんなことを考えていると、ルキナが突然現れた。

「お嬢様…」

 シアンは思ったより早く見つかってしまったことに驚く。バンが伝映板を使って連絡したとしても、こんなに早くたどり着くことはないだろう。門の前にはミューヘーン家の馬車が停まっている。

「ほら、帰るわよ」

 ルキナはシアンの腕を引っ掴み、門まで強引に連れていく。

「帰れません」

 シアンは馬車の手前で踏みとどまる。馬車に乗せようとするルキナに抵抗する。

「なんでよ」

 ルキナにはシアンの考えていることがわからない。どうして急に家を出たのか。ルキナはシアンに説明するよう求める。

「…言えません」

 たしかに、ルキナがシアンの居場所をつきとめ迎えに来てくれたのは嬉しい。でも、それで戻ってしまっては、シアンの決意は無意味になる。帰るわけにはいかない。だから、ルキナに理由を説明しても意味がない。

「それって、何かあるってことでしょ?言いなさいよ。納得できるまで、私、帰らないから。説明しない限り、シアンも無理やり連れて帰るわよ」

 ルキナはシアンを掴む手に力を込める。

「…僕らが主従関係だからです」

 シアンは観念して口を開く。でも、ミーナに言われた言葉をそのまま伝えるわけにはいかない。

「だから、一緒にはいられません。僕はお嬢様のそばにいてはだめなんです」

 シアンは必死に訴えるが、具体的な理由ではないので説得力は皆無だ。

「どういう意味で言ってる?」

 ルキナはため息混じりに言う。シアンの腕を放す。

「シアンの気持ちは?私と一緒にいるのは、もううんざりなの?私が嫌いになったの?」

 シアンは何かに縛られ、自分の気持ちを押し込めているように見える。ルキナは、それではだめだと思う。

「そんなわけありません」

 シアンは勢いよく首を振る。

「だったら、シアンはどうしたいの?一緒にいたいなら、一緒にいれば良いじゃない。誰に文句言われたって、聞かなければ良いだけよ。今まではそうしてきたでしょ?周りの目なんか気にしたことなかったじゃない」

 シアンは自分を強くもっている。だから、悪口や嫌味を言われたって意に介さなかった。自分の見た目や立場に負い目を感じるところなど見せたことない。

 ルキナは「シアンらしくない」と言う。

「私は…」

 ルキナが目をふせる。

「シアンとの関係が主従関係だけだって思ってないよ」

 寂しそうな声に、シアンは自分が間違っていたことに気づく。主従関係を理由に離れたことは、ルキナとの絆を全否定する行為だ。もともと一つの言葉でおさまるような関係ではなかったのだ。

「お嬢様」

 何を言えば良いのかわからない。

 シアンが困っていると、ルキナが手を差し出した。シアンは、優しく開かれたその掌を握る。あたたかい。

 初めて会った頃の記憶が蘇ってきた。破天荒なルキナに付き合わされて、毎日庭を駆け回ったものだ。仲良く手を繋いで。二人は互いにかけがえのない友人だった。

「なんか久しぶりね」

 ルキナが顔を上げる。シアンはその顔に不格好な笑顔を向ける。

 たった数年経っただけなのに、あの頃のように手を繋ぐこともできなくなってしまった。

「帰りましょ」

 ルキナがシアンの手を引く。シアンももう抵抗しない。ルキナが先に馬車に乗る。

「キゾク」

 シアンが馬車に乗り込もうとした時、キーシェルが声をかけてきた。息が上がっている。屋敷の前に馬車が停まっているのを見て慌てて走ってきたのだろう。

「キール?」

「帰るんだろ?」

 キーシェルはなんとなく状況を察している。シアンの家出が終了する時が来たのだと。

「これ」

 キーシェルはクッキーを渡す。手作りだ。今日渡そうと思って急いで作ったものだ。もちろん妹の分のと一緒に。

「ありがとう」

 シアンは素直に喜ぶ。と同時に、キーシェルと会えなくなることも理解して寂しくなる。

「じゃあ、元気でな。うまくやれよ」

 キーシェルはさっさと別れようとする。

 キーシェルだって寂しい。短い時間ではあったがせっかく仲良くなったのだ。でも、引き留めることはできない。シアンにとっての問題が解決したのであれば、快く送り出すべきだ。

「あのさ」

 既に背中を向けて歩きだしているキーシェルに話しかける。キーシェルは足を止めて振り返る。

「えっと…」

 シアンはクッキーの袋をぎゅっと握る。

「また来るからさ、その時は一緒に遊んでくれる?」

 シアンはこうして友達に遊びに約束をもちかけたことはない。こんなにも勇気がいることだとは知らなかった。

「ああ、もちろん」

 キーシェルは笑顔で手を振る。彼は待つことしかできない。シアンが突然現れたように、キーシェルは移動することはできない。だからこそ、こうして約束することは大きな意味がある。

 シアンは満ち足りた気持ちになりながら乗車する。間もなく、馬車が発車する。窓からキーシェルを見る。外で手を振るキーシェルにシアンが手を振り返す。

 ルキナは微笑んだ。シアンが年相応の笑顔を見せてくれることが嬉しい。

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