お嬢様、初めてのことばかりです。
「おーい、キゾク!いるかー?」
外からキーシェルの声が聞こえてくる。シアンはベッドから飛び起きる。階段を下り、屋敷を出る。玄関の外でキーシェルが待っていた。
「よっ、昨日ぶり」
キーシェルがにかっと笑う。近くの小さな山に遊びに行こうと言う。時間は有り余っているので、二つ返事で承諾する。
「じゃあ、行くぞ」
キーシェルが元気良く走り始める。シアンはその後ろをついていく。畑の間をしばらく走ると、周りの木が増えてきた。そのうち登り道になる。
「キゾクは体力あるんだな」
かなりのスピードで登っていたが、シアンは疲れた様子がない。キーシェルはこの町で一番山登りが速い子供として有名だ。その速さについてこられるのはびっくりだ。
「それじゃあ」
キーシェルはシアンは試すことにする。これだけ自分についてこられる子供に会えたのは初めてだ。嬉しくなるものだ。
人の道を外れ、木々の間をすり抜ける。岩場をぴょんぴょん跳び移り、川を飛び越える。急な崖を登り、頂上に到着する。
「やるな」
「そっちこそ」
二人はグータッチをして笑いあう。
シアンはこんな遊びをしたのは初めてだ。貴族の子供は自然の中を駆け回るようなことはしない。汗をかくほど遊びで運動するなんてことはなかった。胸が高鳴っている。
「次は何する?」
シアンが積極的になったので、キーシェルは嬉しそうだ。
「そうだな。朝飯食ったか?」
「まだ」
「それなら、食料調達だ」
キーシェルは近くの木を指さす。
「あの赤い実うまいんだ。木登りでどっちが多く採れるか競争しようぜ」
二人は一本の木の前に立つ。
「よーい、どん」
キーシェルの合図で同時に幹に手をかける。自然と戯れている時間が長いだけあって、キーシェルはするすると簡単そうに登っていく。シアンは手に木のささくれが刺さってケガをしないように慎重に登る。太めの枝に乗り、木の実に手を伸ばす。一つ、二つ、三つ。順調に腕の中の木の実が増えていく。
「そっちどうだ」
手の届く範囲の実がなくなって、キーシェルが声をかける。シアンの方も取れそうな実はない。魔法を使えば取れなくはないが、それは卑怯な気がする。
「ここまでかな」
シアンの返事を聞くと、キーシェルが下にボトボトと木の実を落とす。
「俺は五個。あれは昼にでも食べよう」
そう言って、キーシェルがシアンのいる方の枝に移ってくる。二人は並んで枝に腰かけ、山からの景色を眺める。
「僕は四個。僕の負けだね」
シアンが残念そうに言うと、キーシェルは勝利に喜ぶ。キーシェルはシアンから木の実を二個もらい、一つを服で表面をこすってからかぶりつく。ぺっと口に入った物を吐き出す。皮は美味しくないうえに、硬い。かみちぎって指を入れるところを作るのだ。中の白い実が見えてくると、隙間に指を突っ込み、力をこめてひっぱる。すると、皮の部分がメシメシと音を出しながら取れていく。そうして残った白色の実を頬張る。
「うまい。丁度食べ時だ」
キーシェルは木の上で食べるのが一番美味しいと思っている。
シアンはキーシェルの食べ方を真似して、口に入れる。少し酸味があるがかなり甘い。
「本当だ。美味しい」
「だろ」
二人して夢中になって食べた。シアンも二個目は慣れた手つきで皮を取る。
こういう初めての経験は人生を豊かにする。シアンは次は何をするのかドキドキしながら、朝食を堪能する。
「キゾクに見せたいものがあるんだ」
木の実を食べ終えると、キーシェルが言った。木から下り、来た道と反対の方角に山を下りる。その中腹あたりで、岩場を探す。
「暗いの苦手だったりする?」
目的の場所を見つけると、キーシェルがシアンに尋ねた。シアンは少し大げさに首を振る。
「来て」
キーシェルが小さな穴の中に入っていく。シアンもつづいて洞窟の中に入る。
「うわぁ」
シアンは思わず感嘆の声を上げる。中はドーム状になっていて、ぼんやりと緑色の光が見える。石の表面に発光する物質が含まれているらしく、星のように見える。
二人は座り、天井を見上げる。奇跡的な自然現象に心奪われる。
シアンは、学校の中庭で行われた星の観測日ではしゃいでいたルキナを思い出した。せっかくの美しい現象は見ないで俯く。暗くて、キーシェルには、シアンがどんな表情をしているのか見えない。
「…。」
キーシェルはシアンが落ち込んでいることはなんとなく感じる。でも、あえて何も言わない。気づかないことにして、キーシェルは上を見続ける。
「これ、いつまで見られるんだろうな」
シアンがまた上を見たのを肌で確認して、呟く。シアンは「ずっとじゃない?」と適当に答える。キーシェルは「そうだと良いな」と言って、黙り込む。
「君の妹はどんな子?」
今度はシアンから話しかける。
「うーん、人見知りかな。キゾクを見たら、何も言わず逃げ出すよ、たぶん」
キーシェルがシュンエルのことを思って笑う。
「へー、会ってみたいな」
シアンもつられてクスリと笑う。
「そろそろ腹減らないか?」
キーシェルがそう言ったので、シアンは洞窟から出る。あとからキーシェルも出てくる。
「魚、取りに行くぞ」
シアンはキーシェルの案内で、川に行く。浅い川で、流れもなだらかだ。水がきれいで、魚が目視できる。
「どうやって取るの?」
シアンが尋ねると、キーシェルはニヤリと笑う。
「手づかみだよ」
キーシェルはズボンの裾をまくり上げ、袖もまくる。準備が整うと、ためらうことなく川の中に入っていく。水の中に手を手首まで入れて静止する。シアンは固唾をのんで見守る。
「よっ」
キーシェルが不意に動き出した。手の間を魚を通る瞬間にわしづかみにする。手の中で力強く暴れる。魚も逃げようと必死だ。キーシェルは、手にぐっと力を入れ、ぬるぬるする魚を頭の上にかかげる。
「すごい」
シアンは心の底から感心する。すると、キーシェルが「キゾクもやるんだぞ」と言う。魚を触ったことなどない。なんだか少し怖いが、ここで逃げるようでは男の名が廃るってものだ。シアンも服が濡れないように対策をし、川の中に入る。水はなかなか冷たい。
「けっこう力強いからちゃんと掴めよ」
キーシェルのアドバイスのもと、魚のつかみ取りに挑戦する。目と反射神経が良いだけあって、難なく捕まえることはできた。だが、滑ってつかみにくいのに逃げようとするので手からすり抜けてしまいそうだ。早く水の外に出そうと持ち上げると、びちびちと魚が暴れる。尾びれが水をひっかけて、あちこちに水が飛ぶ。
「うわっ」
水が服にかかりしみになる。せっかく裾をあげて袖をまくったのに、これでは意味がなくなってしまう。
「あはははは」
暴れる魚に翻弄されるシアンをキーシェルが面白がる。お腹をかかえて笑っている。
「キゾク、あと二匹捕まえといてくれ。これノルマな」
そう言って、キーシェルは川を離れる。焚火をするための小枝と朝採っておいた木の実を回収しに行くのだ。
「え、うそだろ」
シアンは思わず呟く。一匹捕まえるのにこんなに苦労したのだ。それをあと二回やらねばならないとなると、かなり大変だ。でも、文句を言っていてもしょうがない。キーシェルの姿はもう見えないし、ノルマと言われてしまった以上はやらないわけにはいかない。シアンは覚悟を決め、魚との格闘を再開した。
慣れてきたのか、意外と難しくなかった。相変わらず、ぬるぬる動くので気持ち悪いことこの上ないが。
ノルマを達成し、休憩しているところへ、キーシェルが帰ってきた。テキパキと木を組み立て、焚火の準備をする。火を起こすのは、魚を焼くためだ。魚の鮮度が落ちる前に火をつけたいところだが、
「やらかした。火つけ、忘れてきた」
肝心な点火器を持ってきてない。キーシェルがポケットのあちこちを探すがやはり見つからない。せっかく魚は確保したが、食べられないかもしれない。キーシェルがあきらめかけた時、シアンが動いた。
「火をつければ良いの?」
「ああ、うん」
シアンは薪の前に手をかざし、目を閉じる。着火など手慣れたものだ。すぐに木が燃え始める。
「え?どうやったんだ?」
キーシェルは何が起こったのかわからない様子だ。魔法を見たことがないのだろう。
「早く焼こう」
シアンが作業を再開するよう促す。キーシェルはまだ理解しきっていない様子だが、手つきは速い。いい具合の木の枝に魚を刺し、火の前に立てる。すると、少しずつ焦げ色がついてくる。
キーシェルは慣れた手つきで魚を返し、両面焼く。火に近い尾びれは真っ黒になってボロボロになっているが、身はまだ火が通りきっていない。
「あと少しだな」
キーシェルがあたかも職人のように見えてくる。シアンには何を基準に判断しているのかわからない。
「よし、食べようぜ」
キーシェルが焼けた魚を渡してくれる。木の枝も熱い。シアンはやけどに気を付けつつ受け取る。そのまま、キーシェルが食べ始めるのを待つ。お手本にしようと思ったのだ。
「骨とひれさえ気を付ければ大丈夫だよ」
キーシェルは豪快に魚を頬張る。ただ適当にかぶりついているだけかと思ったが、器用に骨を取り出す。頭から尾びれまで綺麗につながっている。シアンには真似できない芸当だ。
そもそもシアンは料理として調理された状態以外の魚を食べたことがない。別にまずいというわけではないが、素材の味という感じがする。
魚二匹と木の実二つ。魚も木の実も大きいものではなかったが、これだけ食べれば満腹だ。二人はその場に横になって、少し休憩する。
「こういうのも悪くないだろ」
寝転がりながら顔を合わせる。シアンは、キーシェルの言葉に「楽しい」と答える。この時間は嫌なことも全部忘れさせてくれる。
「最高だよ」
シアンはもう一度力強く言った。




