お嬢様、海です。
朝早く家を出、アーウェン家の馬車に乗せてもらって海を目指す。なかなかの長距離移動となるが、友人と一緒なので、移動の時間も楽しい。
「潮の匂いだわ」
車窓から青い海がチラチラ見えるようになった時、ルキナがウキウキとした声で言った。たしかに独特な海の匂いが鼻に運ばれてきた。
「姉様、姉様。海ですよ」
マクシスがチグサの肩を揺らす。チグサは無表情のまま、「そうね」と短く答える。
「人、多そうですね」
浜辺にはたくさんの人影がある。海といえば夏の代名詞ともいえる。皆、考えることは同じだ。夏休み中の家族が遊びに来ている。
「待ちくたびれたぞ」
馬車から降りると、先にコテージに来ていたタシファレドが待ち構えていた。ハイルックとヘカトも一緒だ。
「遅い」
泊まるわけではないが、海水浴を楽しむために一つ、コテージを借りている。タシファレドは、それを自分の砦と言わんばかりの威張りっぷりだ。
「俺たちもさっき来たばかりじゃないですか」
ヘカトは嘘がつけない。彼の言葉にタシファレドは一瞬困ったような顔をしてから、「でも、こいつらが後なのは変わらないだろ」と腰に手を当てる。
「早く着替えて泳ぎに行こうよー」
いつの間にか到着していたシェリカがシアンに抱き着く。この炎天下の中、こんなにくっつていては暑い。見ている方もうんざりするほど。
「暑苦しいから離れなさいよ」
ルキナが汗を垂らしながら言う。暑いのが苦手なのだろう。いつも以上にイライラしている。
「中に入りましょう」
静かに耐えていたチグサだったが、限界がきたらしい。颯爽と一人、コテージの中に入っていく。マクシスも後に続く。
「そ、そうだな」
タシファレドはチグサのマイペースさに慣れていないようで、どぎまぎしている。
「お嬢様、行きますよ」
ぷんぷんしているルキナを連れ、シアンもコテージの中に入る。室内は快適な温度に保たれており、ルキナがさっそくとろけている。
「ふあ~。さいこ~」
「お嬢様、はしたないですよ」
シアンがソファで横になっているルキナに注意する。その横をティナが通り過ぎていく。コテージの冷房装置を見に行くのだ。
「ティナ・エリったら、ほんとそういうの好きよね」
シェリカが呆れている。
ティナは魔法を媒介にした道具に興味があるらしい。個人的に研究もしており、独自の睡眠薬や通信機を作っている。彼女に魔力はないので、魔石を使って。
「シェリカ様、海に行くなら着替えては?」
シアンが奥の部屋の扉を開ける。更衣室代わりに使うよう促す。
「そうね。シアンも早く着替えてね」
シェリカはティナとチグサの腕を引っ掴む。そのまま二人を連れて着替えに行く。
「お嬢様は良いんですか?準備が遅いと置いて行かれますよ」
ぐでぐでのままのルキナに声をかける。すると、パッと起き上がって、急いで奥の部屋に移動する。置いてけぼりは嫌らしい。
シアン達も別の部屋で水着に着替える。
「ビリは罰ゲームな」
「はい、ロット様」
ハイルックが元気良く返事をする。自分たちの準備が終わるとコテージを飛び出していく。
「このままだとビリですよ!」
全然走り出そうとしないマクシスの手首をつかんで、ヘカトが走り出す。
「ねえさまあああああ!」
マクシスはチグサが来るのを待っていたのだが、運悪くタシファレドたちに絡まれてしまった。テンションが上がりきっていて周りが見えていないようだ。
シアンは少女たちが着替えを終えて出てくるのを待つ。外で待つのは暑いので、コテージの中で。
「チグサは海に入らないの?」
水着になったシェリカがチグサと一緒に出てきた。チグサの方は白いワンピースのままで、着替えていない。もともと着替えるつもりがなかったので、無理やり連れていかれていい迷惑だ。
「みんなが楽しめば良い」
チグサは眠そうな声で言う。最初から泳ぐ気などない。それでもついてきたのは、みんなといるのが楽しいからだ。
「せっかく海まで来たのに。もったいない」
シェリカにはチグサの気持ちが理解できない。
「無理言ってはだめだと思います」
ティナが震える声で言う。シェリカも、それ以上言ってもしょうがないとわかったのか、もうチグサに絡まない。
「ルキナ、遅い」
やっと出てきたルキナにシェリカが怒る。なんだかんだ待っていてあげるのだから、シェリカもルキナのことを嫌っているわけではなさそうだ。
「日焼け止めが塗り終わらなくて」
「日焼け止め?そんなもの塗らないといけないなんて、ルキナは弱っちいのね」
すかさずシェリカがルキナを馬鹿にする。
「はあ!?あんた、日焼け止め塗ってないの?それはさすがに馬鹿だわ」
ルキナが自分の肌をさする。なんだか年より臭い言動だが、肌の露出の多い水着で日焼け対策なしは危険というのは間違っていない。子供は日焼けしてなんぼだろうが、シェリカはもう少し気にすべきかもしれない。ティナは自家製の日焼け止めを塗っているし、チグサもつばの広めの麦わら帽子を用意している。
「まあ、困るのはシェリカなんだし、勝手にしたら。後悔してもしらないわよ」
一応、すでにティナもシェリカに日焼けの恐ろしさを説明してある。それでも本人がいいと言うのだから、周りがどれだけ言っても同じだろう。
「まったく。おおげさね」
ルキナとシェリカがコテージを出ていき、海に真っすぐ走っていく。
シアンとティナは、チグサの荷物を運ぶ。海に入らないので、パラソルやビーチマットが必要なのだ。チグサは自分で持って行けるから大丈夫だと断ったが、二人は奪うように荷物を持った。チグサがそれほど力持ちそうに見えない。一度、シアンはチグサの力の強さは知っているが、それでも信じられない。見るからに、か弱そうだ。それはティナもそうなのだが。
「なに」
ティナが横にいるシアンに低めの声で尋ねる。シアンに見られていることに気づいていたらしい。
「あ、いや、意外と力持ちだなって」
シェリカがいないので、無表情モードだ。
「別に、これ軽いし」
後ろにチグサがいるのは知っているはずだが、裏の顔(?)を隠そうとしない。シェリカ以外にはバレても良いのか。
ティナと協力して、パラソルを立て、ビーチマットをひく。
「ありがとう」
チグサがお礼を言い、座る。楽しそうに海でじゃれる弟を見る。タシファレドとその仲間たちとすっかり打ち解けている。
「シアーン!」
ルキナが手を振っている。シアンがコテージから出てきたことに気づいたようだ。シェリカも一緒になって手を振っている。
「呼ばれてるよ」
ティナが体を伸ばす。シェリカの前とまったく態度が違うので、不機嫌なのかと勘違いしてしまうが、自分は呼ばれなくて不貞腐れているわけではない。それはわかっているが、他人事のような言い方がなんだか寂しくて、シアンはその腕をつかんで走り出す。
「ティナさんも行こう」
海に近づくと、だんだんティナの足が遅くなる。シェリカにはドジの多い女の子として通っているので、速く走ってはいけない。
「おっと」
ぐいっと後ろに体重を持っていかれるので、危うくシアンのほうが転びそうになる。それをチャンスと思ったのか、ティナが自分から転びに行く。
「きゃっ」
可愛らしい悲鳴をあげて、後ろに倒れこむ。腕をつかんでいたシアンもしりもちをつく。
「大丈夫?」
シアンはティナに声をかけつつ立ち上がる。手を差し出す。
「もう、なにやってるのよ」
シェリカがポタポタと水を垂らしながら砂浜を歩いてくる。ルキナも海から出てくる。
「ご、ごめんなさい…」
ティナがシアンに向かってなのか、シェリカに向かってなのかわからないが、小さな声で謝る。シェリカはやれやれといった感じで息を吐く。ティナがシアンの手をとったので、腕をひいて立ち上がらせる。
「あちっあちっ」
シアンの背後で、ルキナが足を交互に上げたり下げたりして跳び上がっている。素足での砂浜は熱いようだ。急いで海に戻っていく。できるだけ足を砂に触れないようにしているので変な動きだ。
「お嬢様、サンダルはどうしたんですか」
他のみんなはちゃんとサンダルを履いている。
「ふぅ。だって、足とサンダルの間に水が入ってくると気持ち悪いじゃない」
コテージに残されていた女の子向けのデザインのサンダルを思い出す。あれはルキナが残していったものなのだろう。
「よくここまで来られましたね」
ルキナは安全地帯から動こうとしないので、少し距離がある。その状態での会話なので、大きめに声を出す。
「気合よ」
ルキナがえっへんと胸を張る。コテージから海まで砂浜が続いてるが、なかなかの距離だ。暑い浜辺を歩くにはたしかに気合が必要かもしれないが、威張るくらいならサンダルを履いてこれば良い。
シアンたちも海に入る。
「つめた~い」
ティナが嬉しそうに水を両手ですくう。彼女は海は初めてらしい。怒ったり、泣いたりするのは、シェリカの前だけだというが、この笑顔は無意識にうまれたものではないかと思う。常に冷めているようなティナも喜びを感じる心はあるだろう。
「えいっ」
ルキナがシアンとティナに向かって水を飛ばす。
「うわっ」
水が目に入って染みる。シアンは目をこする。この目が染みる感覚を味わうと、海に来たと実感する。目は痛いが嫌いじゃない。
「仕返しです」
シアンもルキナに水をかける。
「リュツカ、やっと来たな」
そこへタシファレドがやってきた。他の男子を引き連れている。
「罰ゲームだ」
そういって、一斉にシアンに向かって水をかけ始める。けっこうな勢いでシアンが水をかぶる。シアンは手当たり次第に水を飛ばし、やり返す。動きにくい水の中、頑張って足を動かして逃げる。
「逃げるなー」
シアンを追って、マクシスたちもバシャバシャと水をかきわけて進む。
「リュツカ、覚悟しろー!」
タシファレドが魔法を使って水を操る。海水の塊を作って、シアンに投げつける…つもりだったが、コントロールがうまくいかず、目的の方向に飛ばない。タシファレドはまだ魔法の調整が苦手なのだ。水の玉は、シェリカと水をかけあっているルキナの方に飛んでいき、そのままルキナの顔面にぶつかる。
「へぶっ」
バシャッと形が崩れ、水がルキナにかかる。ポチャッと雫が海に落ちる。ルキナの栗色の髪までべっとり濡れている。
タシファレドが顔面蒼白になる。当然だろう。よりによって相手はルキナだ。何を言われるかわかったもんじゃない。
「ごめんなさいいいいい」
まだ何も言っていないが、タシファレドは叫びながら逃げ出す。
「待ちなさい!」
我を取り戻したルキナがタシファレドを追いかける。
「ロット様、災難」
いつの間にか近くにいたティナがボソリと言う。少しかわいそうだが、自業自得だ。シアンは追いかけっこをしている二人を笑いながら眺める。




