お嬢様、違います。
チグサがクイクイとシアンの袖を引く。食べさせろということだろう。シアンは素直に従う。
「まずはジョウキョウハアクだ」
「はい、タシファレド様」
聞き覚えのある声。タシファレドが取り巻きの二人を引き連れて威張っている。第一貴族の彼がこの場にいるのはおかしい話ではない。
シアンがここにいることを彼らにばれてしまうと面倒なことになりそうだ。シアンは見つかりませんようにと祈る。
「あれは…?」
タシファレドが何かに惹かれている。その視線の先にはいるのはルキナだ。
「ルキナ・ミューヘーン様です」
取り巻きの一人が耳打ちする。たしかに、パーティのためにおめかししているので、見慣れていない者からしたら、彼女がルキナだと気づきにくいのかもしれない。
「タシファレド様と同じクラスの方ですよ」
「そうなのか!?」
タシファレドが大げさに驚く。クラスメイトの顔と名前を把握していなかったようだ。クラス替えからまだ数日しか経っていないとはいえ、ルキナは委員長だ。皆の前に立ち、一番目立っていたはずだが。
(お嬢様、委員長になっても全く気付かれてなかったみたいですよ)
シアンはルキナを哀れに思った。あれだけ大胆なことをしておきながら、存在すら知られていなかったのだ。
(いっそのこと、本当にロット様を副委員長にすべきだったのでは…)
そんなことを考えても、もう遅い。クラス委員は決め終わっている。タシファレドは自分から近づいてくるという話だったが、ルキナのほうからアピールしなければいけなさそうだ。
「あいつ、気に入った」
いや、そうでもないかもしれない。どうやらタシファレドは、ルキナに一目惚れしたらしい。
(まあ、今日のお嬢様はいつもより可愛いけど)
タシファレド攻略はあっさりできそうで、なんだか拍子抜けだ。ルキナが自分の作戦がうまくいったと誤解しかねない。
さっそく話しかけにいくようで、タシファレドが取り巻きとともに会場の中心部に向かっていく。
声は聞こえないが、タシファレドが口を開けたり閉じたりしている。はじめましての挨拶でもしているのだろうか。対するルキナは、突然話しかけられて動揺している。あたふたと手を動かして必死に口を動かしている。表情も硬い。横にいるノアルドが苦笑いだ。
(少しはロット様を見習ったら良いのに)
あの度胸は本物だ。威張るしか能のない子供だと思っていたが、それは貴族社会で地位を獲得する際、役に立つ。自らより権力の強い者に物怖じしないで主張できる力となるだろう。
チグサがまた袖を引く。つい観察に夢中になってしまって、手の動きが止まっていた。
「あっ!」
マクシスが二人に気づき、駆け寄ってきた。
「なんで僕を呼んでくれなかったんですか」
チグサの世話をする役目をとられ、マクシスが不貞腐れている。「忙しそうだったから」とチグサがなんでもないように言う。マクシスの過保護さには慣れたものだ。
「シアン、いつの間に軽薄な男になったのよ」
ルキナが眉をぴくぴくさせてシアンを見る。逆ハーを目指す自分のことは棚に上げ、シアンの行動は軽率だと戒める。
シェリカも一緒だったようで、後ろで首をひねっている。「ケイハク?」と呟いているので、軽薄という言葉の意味がわからないようだ。
「シアンは弟みたいなものだから」
シアンをかばったのはチグサだ。だが、それは別のところで刃となり、マクシスが絶望的な顔になる。
「僕がいるのに」
シアンはチグサ用の食器をマクシスに渡す。一転して、パッと表情が明るくなる。単純な奴だ。マクシスは、本当に嬉しそうにチグサに料理を食べさせる。
ルキナがスッとシアンの横に来る。そうして、こっそり耳打ちをする。
「タシファレドに話しかけられたわ」
「そうですか。良かったですね」
「なによ。そんな他人事みたいに。もっと喜んでくれても良いじゃない」
「いや、他人事ですし」
「わかったわ。私の作戦がうまくいって悔しいのね」
ルキナがフフンと胸を張る。
(ほら言わんこっちゃない)
ルキナはシアンが呆れているとも知らずに、「ね、言ったでしょ。私が言ったとおりになるんだから」と鼻高々だ。
「何の話?」
シェリカがイラつきながら問う。シアンがルキナとひそひそ話をしているのが気に入らないのだ。
「そういえば、お嬢様、ノアルド様は?」
普通の話声で聞く。こうすることで、シェリカののけ者感をなくす作戦だ。
ルキナがスッと腕を伸ばす。ノアルドのいる方を指さしている。いくら婚約者とはいえ、相手は王家の人間だ。指をさすなんて失礼すぎる。
「お嬢様」
シアンが諫めようとした時、ノアルドがこちらに気づいて笑顔で手を振る。ルキナの行為を気にする様子はない。
ノアルドはルイスと一緒に貴族の大人たちと話している。
(王族も大変だな)
どこの家の子もそれぞれの苦労がある。シアンは子供らしくないため息をついた。




