結婚式。
シアンは、ルキナの結婚が決まったと聞かされても、やはり地下室に閉じ込められていた。まだ外に出ることは許されていない。シアンは椅子に座って、ぼんやりと考えごとをして時間が過ぎるのを待っていた。地下室に太陽や月の明かりが入ってこないために時間的感覚はなかったが、その状態で日付を超えていた。シアンは寝ないでルキナの結婚の日を迎えた。
そうしてシアンはじっと動かないでいたが、急に外が騒がしくなったので、顔を上げた。外の声が聞こえたわけではないが、外でいつもと違う人の動きをしているのがわかった。魔力の感知に壁もドアもほぼ意味をなさない。
シアンがドアを見つめていると、突然、ドアが強く音を立て始めた。向こうから人がドアを力ずくで押しているようだ。ドアを壊すつもりなのかもしれない。シアンは椅子から立ち上がって何が起こるのか黙って見ていた。
何回か、ドアがドンドンと強く叩かれ、ついにドアが開いた。光が地下室に入ってくる。シアンはまぶしさに目を細めて、ドアの向こうにいる人物に注目する。
「いましたわ」
シェリカの声だ。逆光で顔は見えないが、三人の男女が地下室の入り口に立っている。シアンが明かりに目をならすと、ノアルドと城内のメイドの恰好をしたシェリカとティナが現れた。
「シアン、やっと見つけた」
ティナが階段を下りる。そして、シアンに近づいて、シアンの手首を掴んだ。そのままシアンを引っ張るように階段を上ろうとする。しかし、シアンが動こうとしないので、ちっとも地下室から出られない。
「シアン、何をしているんですか?早く行かないと時間がなくなってしまいますよ」
ノアルドが地下室の外から言う。
「そうですよ。ルキナ様が結婚してしまいます」
ノアルドの横でシェリカも急かしている。しかし、シアンは地下室を出ようとしない。ティナの手を振り払って、行かないと言う。
「時間がないと言うのなら、ノアルド殿下こそ、急いだほうが良いのではありませんか?」
シアンは冷え切った無機質な目をノアルドに向ける。シアンはさっきから一度も笑っていない。以前のシアンなら、嘘でも笑顔を作っていた。このような表情を三人に見せたことはない。
「私が行く意味がありません。それに、ミューヘーンさんとの会話は禁止されています」
シアンは頑なに地下室を出ようとしない。シアンの光のない目に、シェリカが心を痛める。
「ルキナ様のことが好きなんでしょう?なら、今行かないと、取り返しがつかなくりますよ」
シェリカが優しく言い、ノアルドが「さあ」と手を差し出す。でも、シアンはやっぱり動かない。
「私には関係ありませんので」
シアンはきっぱり断って地下室の奥に進もうとする。
「関係ないって何よ!好きなら行って!行きなさい!」
シアンの背中にシェリカが涙ながらに訴える。それでもシアンは変わらない。ここでティナが動いた。シアンの体の向きを無理矢理変え、自分の方に顏を向けさせると、その頬に思い切りビンタをした。バチンと痛々しい音が響きわたる。
「あなたはもっと思慮深い人だと思っていました」
「ティナ・エリ!?」
ティナの言動に、シェリカが顔面蒼白になる。ティナがそこまでやるとはさすがに思っていなかった。
「シェリカ様のお気持ちをお考えください。あなたがそのような態度であるなら、あの日のこと、絶対に許しません。報われるべき思いがあります。あなたがそれを大切にしないのなら、私はあなたを軽蔑します」
ティナがシアンを睨む。その目には、涙がたまっていた。シェリカの胸のうちを考えたら、思わず感情的になってしまった。シアンは、ビンタされて向いた方を見たままティナの話を聞いていた。シアンは表情を変えていないが、全く心に響かなかったわけではない。ただ今すぐ駆け出すには足りなかっただけだ。
ずっと黙って様子を伺っていたノアルドがはっと息をのんだ。彼の視線の先には、ルーエンがいる。このシーンを一番見られてはいけないような人物に見られてしまった状態になる。秘議会が主導していたとはいえ、ルーエンがシアンをここに閉じ込めたも同然だ。シアンを逃がそうとしていたのだから、ノアルドといえど、許される行為ではないだろう。ノアルドはルーエンに叱られると身構える。しかし、ルーエンはノアルドのことを咎めたりしなかった。ノアルドと侵入者二人には目もくれず、地下室に留まるシアンに声をかける。
「シアン・リュツカ、出てこい。仕事だ」
シアンはルーエンの言葉に反応して地下室から出てきた。あんなに地下室を出ようとしなかったのが嘘のように、一瞬のためらいもなく出てきた。ルーエンは、シアンがちゃんと出てきたのを確認すると、歩き始めた。シアンはその後に続く。
ノアルドたち三人はぼんやりと後ろ姿を眺めていたが、急に我に返って地下室から離れた。ノアルドならともかく、シェリカとティナがここで城の者に見つかるのはまずい。
シアンはルーエンの指示で騎士服を着て身支度を整えた。ルーエンがルキナとノアルドの結婚式に出席するので、その護衛をするのだ。
「式は夜だが、式場は少し離れているからな。早めに出るぞ」
ルーエンが馬車に乗り込み、シアンは馬に乗った。
ルーエンの言うように、式場は城から離れている。ルキナの希望で、時間と場所が決められた。式の日取りを決めたのはルーエンと秘議会。ノアルドとルキナには無理を言っているので、時間と場所は本人たちに決めさせた。だから、城内の教会ではなく、王都の外の教会で式をあげることになった。
馬車を走らせて一時間。式場となる教会に到着した。教会があるのはのどかな自然の残る場所で、お花畑の中に教会がある形になっている。女性に人気の式場の一つだそうだ。
「シアン・リュツカ、何をぼんやりしている」
シアンが馬から降りて教会を眺めていると、ルーエンが声をかけてきた。シアンははっとして馬を近くの厩舎に預けに行く。シアンが馬を預けて戻ってくると、ルーエンがシアンの腰を見た。
「どうかしましたか?」
シアンはルーエンの視線が気になって尋ねる。ルーエンは、シアンが腰につけている剣を見ていた。
「いや、お前に会った頃が懐かしくてな」
ルーエンは、シアンと出会ってもうすぐ一年経つのではないかと言う。シアンは、もうそんなに経ったのかと思いつつ、頷いた。
「なんだか、まだ一年経ってないのが不思議だ。いろいろなことがあった」
ルーエンがしみじみと言う。ルイスの体を借りてからの出来事を思い出しているようだ。
「ルーエン様、お部屋を用意してありますので、そちらでお休みください」
バスクがルーエンを式場近くのホテルに連れて行く。控室代わりにホテルの部屋を借りている。ルーエンはその部屋で休む。シアンはその近くで黙って立っていた。
「お前は最近、無愛想になったな」
ルーエンがシアンの変化のない顔を見る。シアンは笑わないし、怒ったり、泣いたりしない。少し前までは笑顔が常在していたのに、今は無表情。
「愛想を良くした方がよろしいですか?」
シアンは質問して、以前のような笑顔を作る。もちろん、心から笑っているわけではない。しかし、この顔の方が優しそうな雰囲気になる。
「いや、無理に笑う必要はない」
ルーエンは、命令で笑われても嬉しくないと答える。それもそうだとシアンは思った。
「お前は、どこかに行ったりするか?」
ルーエンが窓の外を眺めながら言った。シアンは質問の意味がわからず、首を傾げる。
「私のもとを離れて、他のところに行くことはあり得るか?」
ルーエンが質問し直す。
「陛下の傍を離れることはできません」
シアンが答えると、ルーエンはため息をついた。
「できない、か」
ルーエンは椅子から立ち上がってシアンを正面に見据える。
「そうだな。お前がそれを望もうが、自分ではどうすることもできない。あるとすれば、外の者がお前を連れ去るくらいか」
ルーエンは物憂げな表情でシアンと目を合わせる。
「シアン・リュツカ、お前は私を裏切ってくれるなよ。最後まで私を守ってくれよ」
「はい、もちろんです」
シアンはルーエンから受け取った剣を触る。あの日、剣を与えられた日、ルーエンに誓ったのだ。この剣はルーエンを守るために使うと。その誓いを破ることは許されないし、破るつもりもない。
「何をそんなに不安に思っておられるのですか?」
シアンが尋ねると、ルーエンは驚いた顔になる。その後、ふふっと嬉しそうに笑った。
「そうか。お前には私が不安そうに見えるか。そうか、そうか」
ルーエンが一人で笑っている。
「お前が心配するほどのことはない」
ルーエンが珍しくニコニコしながら言う。ルーエンがシアンに何かを言う時、たいてい真面目な顔になる。少なくとも、笑いながらということはなかった。シアンはますますルーエンのことが心配になる。
「ただ予感がしているだけだ。終わりの時が近づいていると。まだ何も成してはいないのだがな」
ルーエンは最後まで笑っていた。シアンにはわからない何かを感じているのだろう。
「さあ、行こうか。そろそろ時間だろ」
ルーエンが部屋を出ようとドアに近づく。その途中でシアンの方を振り向いた。
「そういえば、目は大丈夫なのか?見えているか?」
ルーエンは秘議会のメンバーから、シアンの視力が落ちていることを聞いている。
「陛下のお顔は見えますよ」
シアンは今日は調子が良いと答える。地下に閉じ込められている間に、時々、全く周りが見えなくなる状態になったことがある。それを思えば、今日はよく見えているほうだ。
「それは良かった。二人の晴れ姿もちゃんと見れるわけだ」
ルーエンはドアを開けた。二人とは、ルキナとノアルドのことだろう。たしかに、せっかく結婚式を見れるのに、主役たちの姿を見れないのはもったいない。
シアンは、ルーエンと共に教会に入った。そこには式を進行するスタッフとノアルドの近衛騎士たちしかいない。ルキナとノアルドの友人や家族の姿はない。
「秘議会が手を回したな」
ルーエンがボソリと呟いた。秘議会が客を呼ばせなかったのだろう。式に邪魔が入ることを恐れたのだ。式の最後に婚姻の誓約書にサインをする。そのサインを終えれば、二人は晴れて夫婦となる。それまで、誰かに邪魔をされるわけにはいかない。ルキナに早く婚姻を結ばせるのが目的なのだ。
シアンはルーエンの命令があればじっと動かない。シアンが式を止めるということは考えにくい。シアンは邪魔をしなくても、シアンの友人がいては、邪魔をされてしまうかもしれない。ルキナとシアンの共通の友人は多い。彼らに邪魔をされることを一番警戒するべきだ。そうなると、ここに客を呼ぶなんてことはさせられない。婚姻を結んだ後に、披露宴でも何でもすれば良い。
「お前も座っておけ」
ルーエンが席について、シアンを隣に座らせる。シアンが座ると、他の騎士たちも席に着いた。恥の方で立っていても、式場スタッフの邪魔になりそうだ。客のいない席を埋めるという計らいも兼ねて、全員が席につく。
定刻になると、式が始まった。司式者が開式を宣言し、ノアルドとルキナが順に入ってきた。
シアンはあまり二人のことを見ないようにした。ルキナがウエディングドレスを着ているのを見るのがつらい。本当はここに来たくはなかった。
ルーエンがシアンに護衛をさせることを望んだのもあるが、秘議会もシアンを式場に連れて行こうと考えていた。シアンをここに来させない選択肢ももちろんあった。シアンが式を中断させるような真似はしないと予想できるが、シアンを完全にコントロールできるわけではない。それができていれば、シアンが仕事を投げ出してルキナのところに行くなんてことはなかっただろう。でも、シアンにはルキナがもう手の届かないところにあると見せつけておくべきだ。秘議会は、ルーエンの望むように、シアンを式場に連れて行くことにした。
シアンはほぼ強制的にここに座らせられている。見たくないものを見なければならない。シェリカは好きなら地下室を出ろと言った。きっと結婚式を止めに行けと言いたかったのだろう。しかし、シアンにそんな勇気はない。シアンは己の人生にも、他人の人生にも責任をもてない。
シアンは、つい最近読んだ本の内容を思い出す。ルキナがミユキ・ヘンミルの名で出版した本だ。出版自体はだいぶ前だったのだが、シアンは発売から半年ほど経って、やっと読むにいたった。その小説には結婚式のシーンがあった。結婚式の途中で、新婦の本当に好きな人がやってきて、「ちょっと待った」と言うのだ。新婦はその男と共に式場を抜け出し、本当の愛を誓う。
シアンは目を閉じて、ふっと小さく笑った。
(そもそもあの二人は愛し合っているんだ)
ルキナは前世で乙女ゲームをしている時からノアルドが好き。ノアルドはルキナを大切に思っている。二人の間にシアンの入る隙間などない。
二人が祭壇の前に立ち、司式者の声が教会に響く。
「愛というのは、人と人の間に生まれるものです」
司式者が愛について教えを説いている。少しの間、司式者の話を聞くことになるが、この後、新郎新婦が互いの愛を誓いあって、正式に婚姻が結ばれる。ルーエンの近衛騎士たちが祭壇の方に神経を集中させている。いよいよだ。その時、背後の扉が開いた。
「ちょっと待った!」
秘議会が恐れていた乱入者が現れた。




