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お嬢様、その命令だけは聞けません。

 シアンは、ミューヘーン家の屋敷に戻ってきた。騎士の制服を着て私的な訪問はできないので、私服で来た。シアンが屋敷に来ていることをルキナは知らない。シアンは、ルキナに見つからないように自室へ入った。荷物をまとめ、最後に綺麗に掃除をした。これでこの部屋にシアンが暮らしていたという痕跡は残らない。片づけを終えると、シアンは、ハリスの書斎を訪ねた。四頭会議の時期で忙しいが、事前に退職の挨拶をしたいと伝えてあったので、ハリスはちゃんと屋敷にいる。

「長い間、お世話になりました」

 シアンはハリスに深々とお辞儀をした。ハリスは椅子から立ち上がって、シアンの肩をぽんぽんと叩いた。

「王令が出ている以上、引き留めはしないが、なかなか寂しいものだね」

「二度と会えないわけではないので」

「それもそうだけど」

 ハリスは自分の息子を送り出すような親の気持ちになっている。

「あのおてんば娘の相手をしてくれたし、何回もルキナを助けてくれた。君には感謝してもしきれないよ」

「いえ、お礼を言うのは私の方ですので」

 ハリスは、シアンの大きな荷物を見て、本当に出て行くのだと実感する。そして、あの話をしようと決意する。

「シアンがここを出て行く時に話そうと思っていたことがある」

 ハリスがそう切り出すと、シアンはハリスの話に興味を示す。

「最初に言っておくが、シアンのことは本当の家族だと思っている。この家にいる人は全員。それを忘れないで聞いてほしい」

 ハリスの言葉に、シアンは真面目な顔になって頷いた。

「シアンがこの家に来た時の話だ。シアンはどれくらい覚えてるかな。まだ五歳とかそこらだったろう」

 ハリスは昔を懐かしむように話し始める。

「今でも時々思い出すよ。シアンがうちに来た時、シアンはかなり緊張してて、ルキナとも話そうとしなかった。しばらく、部屋に籠って出てこなかったし、あのブローチを大事そうにしてた。シアンが寝ているところをルキナと一緒に見に行ったこともあったよ」

 ハリスがクスリと笑う。

「でも、シアンはこの家に来る前のことを全然覚えてなかった」

 ハリスが真剣な顔になる。シアンも頷く。ミューヘーン家に身を寄せる前の記憶で唯一思い出せるのは、あの夜見た炎だけ。両親の顔は思い出せるが一緒に暮らしてた時の思い出も何もない。不自然なほど何も覚えてない。

「よっぽどショックなことがあったんだろうなって思った。楽しかった記憶も何もかもなくしてしまうくらいに。でも、最近、気づいたんだ。シアン、君の記憶は誰かに意図的に消されている可能性がある」

 この言葉にシアンは驚く。シアンも、あの事件がショックすぎて忘れただけか、ただ幼すぎて覚えていないだけだと考えていた。何も覚えてないのは不自然だと思ったが、別にそんなものだろうと思っていた。

「リュツカ家に恩があるという話をしたね。だから、シアンを預かることにしたって。たしかに、恩はある。個人的な恩も。でも、それだけじゃなかったんだ。王令がくだされた。王様に、シアンを育てるように命令された。誓って言うが、王令だけを理由にシアンを連れてきたんじゃないよ」

 ハリスが慌てたように言うので、シアンは深く頷いた。

「なぜ王令でわざわざ一人の子供の処遇を指示するのだろうと思った。今考えても完全に謎だね。まあ、リュツカ家というと、少し前まで第一貴族だったし、シアンは竜の血を受け継ぐ一族の末裔だ。国がシアンを保護したい気持ちがわからないでもない。でも、それにしては大げさすぎる」

 ハリスは王令の理由を国王に直接問い詰めたが、期待しているような答えは何一つ得られなかった。だからといって、王令を無視できないし、内容が内容だけに断るようなことはしなかった。

「だから、記憶は消されたと?」

「確証はないけどね。リュツカ家が国にとって都合の悪いことをいろいろと知っているということも知っていたし、それなりに想像はできたから。シアンがどれだけのことを知らされているかわからないから、国が恐れて記憶を消したんじゃないかって」

「都合の悪いこと?」

 シアンは、自分の生まれた家がどんなことをしていたのか知らない。あの火事にいたるまでの経緯を知らない。

「さっき言っただろう。個人的な恩があるって」

 ハリスは言うかどうか迷った後、重い口を開いた。

 ハリスは、上級学校でシアンの両親と知り合った。のちに夫婦となるロスティンとアドリエナは、二人ともリュツカ家の人間で、従兄の関係だった。美しい容姿の二人が常に一緒に行動していたので、学校内でもちょっとした有名人だった。ミューヘーン家は、落ちぶれる前のリュツカ家と交流があったので、ハリスはリュツカ家の二人に興味をもった。話しかけ、知り合いになった。

 そんなある日、ハリスは大きな過ちをおかしてしまった。ミューヘーン家の権威の象徴である金印を出来心で持ち出した際、賭け事をして遊んでいるうちにとられてしまったのだ。泥棒がいたわけではない。ゲームの賭け金として扱われてしまったのだ。それはただのハリスのミスだったのだが、そういうときに限ってゲームに負ける。しかも、相手はその金印の価値を知っていたようで、賭けの場に再び出そうとしなかった。ミューヘーン家とその傘下にある家や会社は、その金印で動かすことができる。簡単にミューヘーン家を乗っ取ることができるのだ。金印を取り戻すチャンスを逃したハリスは、勘当される覚悟で家に帰った。しかし、家に帰ると、例の二人が待ち構えていた。ミューヘーン家の金印を持って。ハリスのもとに返しに来てくれたらしい。どうやって取り返したのかと尋ねると、詳しいことは教えてくれなかったが、金印をとった者はちょうど二人が張り込んでた家の者だったと言った。ハリスは、リュツカ家は悪事を働く貴族の家を抹消して回っているという噂があったのを思い出した。直感的に、この二人は、裏社会で生きているのだとわかった。

「今となっては笑い話だけど、それもあの二人がいたからなんだ。まあ、僕が家を継いでからは、あの金印は処分したよ。あんな金印一つで何もかも失うなんて考えるだけで恐ろしいからね。いろんな人に迷惑かかるし。今は、金印じゃなくて契約書と信頼でやってる」

 ハリスが思い出し笑いをする。ハリスの言う、リュツカ家への恩というのは、金印を取り戻してくれたことに対してらしい。シアンはこの話を聞いて、ハリスが何を言いたいのかなんとなく理解した。

「国が完全に美しいわけがない。誰かが何か悪さをしているかもしれない。国政となると大きなお金が動くし、欲に目がくらめば、そういうことをする者が現れるだろう。あの二人がそこに目をつけたのなら、国のトップにいる人から恨まれるようなことになった可能性もある。保身が一番の人たちにとってみれば、シアンの記憶も怖い物だったかもしれない」

 だから、シアンは記憶を消された。

「これも憶測だけどね」

 ハリスは、シアンにあまり深刻にならないよう忠告する。疑うだけ疲れることもあるのだから、チャンスを待つぐらいの気持ちでいた方が良いと言う。ひょんなことで真実を知ることになることもあり得る。犯人捜しは、もっと情報が集まってから、事実の確証を得てからすべきだ。

「…前置きが長すぎたな」

 ハリスが話したかったのはもっと別のことらしい。今まで話したことも全部シアンに話したいと思っていたことではあるが、ハリスの個人的な考察ばかりで、シアンに有益かどうか微妙だ。ハリスは大げさに咳ばらいをして、改めて話し始める。

「これから、シアンはショックで記憶喪失になったのではなく、外的要因で記憶をなくしたと前提して話す。だから、もし、少しでも頭が痛くなったり、気分が悪くなったりしたら言ってね。拒絶反応があるようだったら、ショックが原因だったことになるから」

 ハリスは、シアンに昔話をしたかった。ハリスの学生時代の話ではなく、シアンが生まれてからの話。

「ロスティンとアドリエナは本当に仲が良くてね。人を惹きつける魅力もあったから、あの家にはいつもたくさんの人がいたよ。アーウェンさんとこも、しょっちゅうあそこで見たよ。でも、シアンは恥ずかしがり屋で、いつも隠れてたから、僕も含めて、みんなあまり話したことはないんだ。あんなに毎日のようにリュツカ家の屋敷に通っていたアーウェンさんもシアンとは挨拶をしたことがないって聞いた」

「…すみません」

 シアンは、自分が恥ずかしがり屋だったなんて思わなかった。幼い自分がしたことはいえ、なんだか恥ずかしくなってくる。

「いや、かわいいなって思ったよ。ルキナと同い年って聞いてたから余計にね」

 ハリスはニコニコとシアンを見る。

「でも、ちゃんと知り合いになる前に、シアンは別の家に移っちゃったんだ」

「別の家?」

「親戚の家だとは聞いたけど…たぶん、シアンを巻き込みたくなったんだろうね。そのころには、あの家に軍の人が出入りしてたから。何かあったんだと思うよ。いろいろ、ややこしいことが。だって、それからすぐだったんだ。あの火事は」

 ハリスの話を聞いて、理解した。なぜあの夜、シアンが屋敷の外にいたのか。そもそも両親とは一緒じゃなかったのだ。

「マリアさんを覚えてるかい?」

 ハリスの問いに、シアンは頷いた。マリアはリュツカ家の屋敷を守ってくれているメイドだ。

「彼女は、もともとリュツカ家で働いてたんだ。当時、マリアさんはシアンと一緒にあの屋敷を離れてた。で、後から聞いたことだけど、シアンが突然家に帰りたいと言い出したんだそうだ。あの日の夜に。泣き出して、どんなに言っても聞かないから、渋々屋敷に連れて行ったそうだよ。それまでそんなこと言ったことがなかったから、可哀そうに思ったんだろうね。そしたら、シアンの帰りたかった家は燃えていた」

 あの頃のシアンは何かを感じ取ったのかもしれない。両親が危ないと。でも、間に合わなかった。行ったところで、幼いシアンに何ができたかのかはわからないが。

「あの日は、僕もたまたま近くで用があってね。火事って聞いて飛んで行ったよ。シアンは、大人たちにがっしり捕まえられながら家が燃えているのを見ていたよ。火事の中に飛び込まないようにするためだったんだろうけど、それを見るのは本当に辛くて…。」

 ハリスが言葉を詰まらせた。

「その後、どうなったんですか?」

 シアンは話の続きを待ちきれなくて、つい催促してしまう。ハリスは、大きめに息を吐いて、また話し始めた。

「長いこと燃えてたんだけど、水をかけなくても火は勝手に消えた。屋敷に燃えたあとも残ってないし、幻でも見たのかと思ったよ。でも、あの夫婦はいなくなっていた。二人の失踪は、死亡として片づけられた」

 ハリスは言葉を探すように黙った後、「なんだかあっけなかった」と言った。シアンも、ハリスの言いたいことはなんとくわかった。

「それで、その時も国軍がいて、シアンとリュツカ家で働いていた人をみんな連れて行っちゃったんだ。その時から考えてたよ。シアンをうちで保護しようかって。でも、僕はいろいろと忙しい時期だから、そのことを考えたり、準備をしてる時間はなかったんだ。そんな時だったよ。王令が出た。シアンを預かってほしいって」

 ハリスは机に置いてあったお茶を一口飲んだ。彼の話はこれで終わりなのだろう。シアンはお礼を言うように頭を下げる。

「いつでも、ここに帰っておいで。二つ目の実家くらいに思っててくれたら嬉しいよ」

 ハリスは最後にニッコリ笑った。シアンが王令に従って騎士になることを応援してくれているのだ。

 シアンは、改めて感謝の気持ちを述べ、体の向きを変えた。荷物を持って書斎を出ようとした時、ハリスがシアンの背中に問いかけた。

「…本当にルキナには何も言わないつもりなのかい?」

 シアンはルキナに見つかる前に出て行くつもりだとハリスに言ってある。ハリスとしては、ルキナにも何か挨拶をしていってほしいと思っている。シアンが自分には何も言わなかったと、ショックを受けるのは目に見えていたからだ。

「すみません。もう決めたことなので」

 シアンはハリスの方は見ないで答えた。ハリスは残念そうにため息をついた。

 書斎を出ると、シアンはメアリに挨拶をしに行った。メアリにもお世話になったのだから、挨拶をするのが筋だろう。メアリも笑顔で送り出してくれた。

 シアンは、ルキナに見つからないように用心しながら外へ出た。庭に出てしまえば、もう大丈夫だろう。門の前に待ち構えている馬車をまっすぐ見据える。あの馬車はルーエンが手配したものだ。国章のついている馬車は、シアンにちゃんと城に戻ってくるようにと釘をさしているようだ。

 屋敷から馬車まであと半分というところで、シアンは走り出そうと足に力を入れた。背後にルキナの気配を感じたのだ。シアンはマズイと思って逃げる態勢に入る。

「命令よ、シアン。止まりなさい」

 ルキナは落ち着いて言った。シアンが自分に黙って出て行こうとしていることなどすぐにわかった。怒ってはいるが、頭ごなしに怒鳴るようなことはしない。シアンにもそれなりに事情はあるのだろうと思っているのだ。

 シアンは、足を止め、その場に静止した。もう雇用契約は解約してあるので、ルキナの命令に従う必要はない。でも、ルキナに見つかって、引き留められているのに、このまま去ってしまうのはあまりに後味が悪すぎる。

「シアン、なんで私には何も言わないの?」

 ルキナは、意識的に声を落ち着かせる。ここで感情的になったら負けだ。シアンと冷静に話せなくなってしまう。

「…お嬢様には関係のないことだからです」

 シアンはルキナに背を向けたまま答える。

「そう」

 ルキナは悲しそうに相槌をうった。ルキナは、この答えを聞いても、シアンがミューヘーン家を出て行こうとする理由に自分が全くの無関係だと思っていない。

「私はどうすれば良いの?」

 ルキナは、シアンがどうすれば元に戻ってくれるのかずっと考えていた。シアンに聞くべきではないと思っていたが、どうしても聞かずにはいられなかった。

「お嬢様は、何もしなくて良いですよ。今までと変わらず、笑っていてくれれば」

 シアンは、そう言って、また歩き始める。このままここに留まっているわけにはいかない。

 ルキナは、シアンが行ってしまうと焦って、シアンの腕を掴んで引き留める。ぐいっと力を込めて引っ張ると、シアンがルキナの方を見た。

「うぅ…。」

 ルキナは、シアンの顔を見た瞬間、頭が痛くなった。今までの比ではないくらいの痛さだ。両手で頭をかかえ、苦しみ始める。

 シアンは、ルキナに会ってしまったら、決意が揺らいでしまうのではないかと思っていた。

(むしろ逆だな)

 自分がいると、ルキナは苦しむ。自分はルキナの傍にいてはいけないのだと思い知らされた。気持ちが揺らぐどころか、覚悟が決まった。

 ルキナが痛みにもがきながら、シアンを見つめる。悲しそうな顔をしている。

「お嬢様、何も悲しむことはありません。もとに戻るだけです。出会う前に戻るだけです。きっと簡単なことですよ」

 シアンはルキナを真っすぐ見て言った。こうしてルキナを見られるのは、これが最後だろう。しっかり目に焼き付けておかなければ。でも、最後がこの悲しそうな顔なのは何という皮肉だろう。

「そんな顔しないでください」

 そう、シアンは言うが、悲しそうな顔をしているのはルキナだけじゃない。

 シアンは、「さようなら」と言い、ルキナに背を向ける。ルキナはもうシアンから手を離している。何の抵抗もなく馬車に向かって歩ける。

 ルキナは、シアンを何としてでも引き留めなければならないと思った。これを逃したら、二度と手が届かない。ルキナは力を振り絞ってまっすぐ立つ。そして、大きな声を出していった。

「シアン、命令よ!行かないで!」

 ルキナは涙を流し始める。でも、ぬぐったりしない。

 シアンは、足を止めた。ルキナが泣いていることも分かっている。これが本当に最後だ。シアンは、後ろを見ることをしない。ただ背中を向けたまま言う。

「申し訳ありません、お嬢様。その命令だけは聞けません」

 シアンは、また歩き始めた。今度はルキナも引き留めない。ルキナは自分にはもうシアンを止められないのだと悟り、その場で崩れ落ちた。

 シアンは振り返ることもしないで、ミューヘーン家を去って行った。馬車に乗り、わき目もふらないで王城に戻った。

「陛下、ただいま戻りました」

 シアンは、玉座に座るルーエンの前に跪いた。ルーエンが満足そうに頷く。

 シアンが頭を下げる相手はウィンリア国王ルーエンだ。

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