お嬢様、戴冠式です。
シアンは、王城の一室で目を覚ました。気絶していたシアンを誰かがここまで運んできてくれたようだ。シアンは体を起こし、ベッドの上から周りを見渡す。
「体調はどうですか?」
バスクがシアンが起きたことに気づいて声をかける。今はローブを着ておらず、軍服を着ている。その胸ポケットには、秘議会の紋様が描かれたペンがささっている。
「大丈夫です、けど」
シアンはバスクに警戒しつつ答える。今は不思議と体に異変を感じない。吐血するほど体調がおかしかったのに、今は本当になんともない。
「それは良かったです。リュツカ君、大きくなりましたね。最初に会った時は、お母さんに隠れていたのに」
バスクが笑いながら言う。
「え?お母さん…あの時より前に会ってるんですか?」
シアンは、バスクと初めて会ったのは海でバクナワに遭遇した時、シアンが八歳の時だと思っていた。でも、シアンの母親が生きていた頃に会っているなら、さらに四年ほど前に会っていることになる。
「まあ、覚えてないだろうとは思ってましたけど」
バスクは、バクナワ事件の時、シアンに対してもあたかも初対面のように対応した。それは、シアンが覚えていないと思っていたからだ。
「そう、あの火事より前に会ってるんですよ」
バスクが笑顔でシアンに近づいて来る。
「あの夜の火災は我々が仕組んだものではありますが、あの炎は僕らに生み出せるものではありませんよ。あなたの両親を殺した犯人として秘議会を恨むのは筋違いなんです」
バスクは、シアンのベッドに片足だけ乗せ、シアンの後ろの壁に両手をつく。腕の間にシアンが入り、壁ドン状態になる。バスクはシアンに顏をずいっと近づけると、声を低くした。
「一つ教えておきましょう。あの青い炎は裏切りの炎。契りを破った者を灰も残さずに燃やし尽くす炎です。あなたもルーエン様の御心に背くような行動をすれば、両親と同じ目にあいますよ」
バスクは最後に「これは忠告です」と言い、シアンから離れた。
「僕もあの美しい炎に焼かれてみたいですが、残念ながら、あの炎はリュツカ家の人間しか焼かない」
バスクは不気味な笑い方をする。これにはシアンもぞっとした。
「何か質問はありますか?あのお方が来るまでなら、だいたいの質問に答えますよ」
バスクはいつもの優しい軍人の顔に戻っている。ベッドの近くに置かれている椅子に座り、シアンに笑顔を向けている。
「…。」
シアンは今まで不可解に思ったこと全ての真実を秘議会が知っているのだろうとわかったが、それ故に、秘議会を恐ろしく感じる。シアンは何も尋ねる気にならなくて黙る。バスクはその反応を想定していたようで、自分で話し始める。
「まず、話し忘れないうちに言っておきたいのは、ミューヘーン家の令嬢のことです」
シアンはルキナの話だとわかると明らかに興味を示す。バスクの目を見て、一言一句聞き逃すまいと意識を集中する。
「君も勘付いていたようですが、彼女には魔法をかけました。ノアルド殿下の手を借りて」
この時点で、シアンはバスクに飛び掛かりそうな気持ちになるが、すんでのところでなんとか自分を抑える。とりあえず、最後まで聞くのが先決だ。ルキナの回復の糸口が見つかるかもしれない。
「正確には、ノアルド殿下の体と魔力を借りたのですが、そのへんの仕組みはサイヴァン・チルドに聞いてください。とにかく、ノアルド殿下の意思があって魔法を使ったのではないということで。まあ、安心してください」
バスクはシアンが何を心配しているのかわかっているようだ。そういえば、ルキナ自身も、ノアルドに魔法をかけられたのではないと言っていた。おそらく彼女もノアルドの体が誰かに操られていたことに気づいたのだろう。
「それで、何の魔法をかけたかですが、ああ、あなたはこれが一番気になりますよね」
バスクが意地悪く笑う。シアンを弄んでいるように感じられる。
「彼女にかけたのは忘却の魔法です」
バスクはなんてことのないように言うが、忘却の魔法は禁忌とされている魔法の一つだ。国の法律でも禁止されている。記憶を改変すれば、人格にも影響がある。人の性格まで変えてしまうような魔法の使用はかたく禁じられている。それをノアルドの手で行わせたのだ。シアンは怒りがこみあげてくる。
「心配ありません。ノアルド殿下の立場が危うくなるようなことにはなりませんから。隠蔽は我々の得意分野です」
バスクが唇の前で人差し指を立てる。しかし、シアンはそういう心配をしているのではない。ノアルドもいつか知ることになるだろう。自分が操られていたとはいえ、禁忌の魔法を使ってしまったということを。しかも、婚約者相手に。罪悪感を感じるはずだ。ちょっとやそっとでは計り知れないほどの。
「ミューヘーンさんにも、ほとんど害はありませんので、安心してください。彼女から消したのは、あなたの記憶です。リュツカ君との思い出が全部消えるだけのことです」
「…。」
バスクの言葉に、シアンは絶句する。ルキナは忘れてしまうのだ。シアンと過ごした十年ほどの思い出を。
「ちなみに、あの頭痛もすぐに治りますよ。リュツカ君やリュツカ君を思い出す物が視界から消えれば。でも、これで、リュツカ君は心置きなくミューヘーン家を出られるでしょう?」
バスクが笑うが、とても人間のものとは思えない。まるで悪魔のようだ。
(狂ってる)
シアンは、バスクに怒りを向ける。しかし、たしかに彼の言う通りだった。この展開では、シアンが城に呼ばれることは安易に想像できる。ミューヘーン家の使用人という肩書をなくさなければならないだろう。その時、心残りがあるとすれば、ルキナのことだ。でも、もし、ルキナに自分の存在を忘れさられてしまうのなら、シアンはそのことに耐えられず、ミューヘーン家を去ることも難しいことではなくなる。悔しいことに、秘議会の思惑通りに動かざるを得ない。
「おしゃべりはこのへんにしておきましょうか。そろそろ戴冠式の時間です。リュツカ君も準備をしましょう」
バスクは部屋の外に出て、廊下で待機していた使用人に、シアンの支度をさせる。シアンが着てきた服は血で汚れてしまったので、新しい物を用意させてある。もとより、服が汚れていなかろうが、服を着替えさせるつもりだった。シアンが着させられたのは、王室近衛騎士団員の制服だ。
「知っているとは思いますが、緑は現国王陛下、赤はルイス様、青はノアルド様の配下であることを表しています」
近衛騎士団の制服は白色が基調で、そこへ差し色でそれぞれの主を表す色が入っている。シアンが着ているのは赤色の騎士服。
「それと、そのマントは団長の証です」
シアンは制服の上に、マントを身に着けている。裏地が赤の白色のマントだ。バスクは、シアンに似合っていると言う。シアンは、バスクを睨むように見る。
「どういうつもりですか」
「リュツカ君にはルイス様、いえ、ルーエン様の右腕となることを期待しているんですよ」
バスクは、王令であり、ルーエン本人の意向なのだから断れないと説明する。シアンもどうせ逃げられないとは思っていたが、近衛兵にする意味がわからない。
「地位といのは有利に働きますからね。もらえるものはもらっておく方が良いですよ。国王の近衛騎士長となれば、役に立つ権利もいろいろと手に入りますし」
たしかに、近衛騎士団に所属しているだけで身分が保証される。しかも、その団長となると、国の中でもかなり重役に位置している。騎士長になるには、ただ剣の技術や戦闘技術の高さだけが必要なわけではない。主からの信頼度が最も重要になる。ノアルドの近衛騎士団長がミッシェルであるように。彼は若いながらに騎士団長を務めている。剣術は特筆するほど秀でているわけでもない。それでも、騎士団長であるのは、ノアルドにとって一番信用できる人物であるからだ。したがって、近衛騎士長は国王や王子のそれぞれの代弁者、分身として、国政を円滑に進めるために様々な権利が与えられている。
「僕が信用に足る人間だと?」
シアンはバスクを睨み続ける。
「そんなに敵意をむき出しにされると、さすがに僕もこたえますよ」
バスクが冗談交じりに言う。とてもそんな空気ではないはずなのに。
「ルーエン様にとっては、あなたは誰よりも信用できますよ。契約の保証があるのですから。まあ、百聞は一見に如かず。一度、ルーエン様とお会いになってください。すぐにわかりますよ」
そう言って、バスクは扉の方に目を向けた。ちょうどそのタイミングで、ドアがノックされた。バスクが外に出て、入れ替わるように、ルイスが入ってきた。戴冠式のための煌びやかな服を着ている。
(違う。ルイス殿下じゃない)
シアンは直感的に、ルイスの体の中に別人がいることに気づく。
「この感覚は久しいな」
ルイスの口が開いた。すると、シアンは、無意識にその場に肩膝をついた。そして、頭をたれる。
「お前がリュツカ家の人間だな。我が名はルーエン。お前の名は?」
ルーエンの魂はルイスの体に憑依したらしい。シアンは本人の口から名前を聞いて、やっと確証を得た。
「シアン・リュツカと申します」
シアンはルーエンの言葉には逆らえない何かを感じる。頭で考えるより先に、ルーエンの質問に答えていた。
「シアン、か。良い名だな。お前は今日から我が僕。我が命令に逆らうことは許さん」
ルーエンはルイスが持ち合わせていなかった威厳を示す。目の前にいる人物は、ルイスとは全くの別人だ。
「聞いたところによると、お前は既に別の主がいるらしいな。後で、その主人とは別れる時間を設けよう」
ルーエンはそれだけ言うと、シアンに背を向けた。そのまま部屋の外に出て行く。戴冠式の会場に向かうのだ。シアンは立ち上がってその後ろについていく。廊下で待機していたバスクも一緒についてくる。他にも従者が一緒だが、彼らは全員秘議会のメンバーだ。誰もあのローブを着ていないが、シアンには魔力という見分ける方法がある。
「ルーエン様はどうぞこちらへ」
従者の一人がルーエンを案内して連れて行く。シアンはそれを見送って、バスクたちと共に、会場に入る。
会場となるのは、城内にある教会だ。国教である竜神教の教会。国教とは言っても、厳しい宗教ではないし、国が進行するよう国民に強制しているわけではない。決して教会の力は強くない。そのため、新国王に冠をかぶせる役を担うのは竜神教のトップではなく、王族の一人だ。多くは、王位継承権をもっていた人物が行う。今回でいうと、ノアルドだ。
シアンたちは、教会の横の小さな扉から入って、部屋の壁際に立つ。そのまま式が始まるのを待つ。貴族や他国の王家の人間など、そうそうたる面々が、椅子に座っている。決して狭くはない教会だが、来賓たちが詰め寄る形で隙間を開けずに座っている。
「受冠者入場」
聖職者が式の始まりを宣言するように大きな声を出した。すると、観客たちが話すのをやめ、静かになった。正面の扉が開け放たれ、中央の通路をルーエンが歩き始める。皆が息をのんで見守る。ルーエンは、祭壇の前まで歩くと、観衆に顏を見せるように立った。その横で、ノアルドが王冠を受け取る。ノアルドは、王冠を持ってルーエンの前に立つ。手を挙げ、王冠を高く掲げる。
「国の主導者たる証をルイス様へ」
聖職者が言うと、ノアルドとルーエンが祭壇の前で向かい合う。ルーエンが跪く。その低くなった頭に、ノアルドが王冠を乗せる。冠をかぶったルーエンは立ち上がり、再び観衆に対して正面に立つ。
「皆に誓おう。国の僕として国民を導くことを」
ルーエンが宣言すると、聖職者が声を張り上げた。
「新たな王の誕生です。ウィンリア王国第二十三代目国王ルイス王」
観衆たちが拍手する。皆、新たな王を祝福しているのだ。
戴冠式が終わると、次はパーティだ。移動の時間と人によっては服装を変えることも考えて、式とパーティの間には時間が空いている。その間、シアンは少し城の中を歩いていた。普段はこんなふうに城内を歩くことは許されなかったし、そもそも中に入ることもなかった。こうして勝手に出歩いていても誰にも咎められないのも、騎士長という地位を得たからだろう。シアンが城の間取りを覚えるように歩いていると、ルキナとばったり会った。
「シアン、どこに行ってたの」
ルキナは、シアンを見つけるとプンプン怒りながら近づいてきた。
「…なに?その恰好」
シアンが騎士服を着ていることに気づくと、眉をひそめた。しかし、シアンはルキナの問いに答えない。ただ冷ややかな目を向けている。ルキナはシアンにこんな目を向けられたことがないので、その威圧感にたじろぐ。
そこへルーエンが現れた。ルキナの姿を確認する。
「シアン・リュツカ」
ルーエンがシアンの名前を呼ぶと、シアンは迷うことなくルーエンのそばにかけよった。ルーエンが歩き始めると、シアンもそれに続いた。
「シアン…?」
ルキナは戸惑う。ほんの数時間会ってないうちにシアンは別人のようになってしまった。ルキナは、立ち止まってシアンの背中を見送ることしかできない。
「彼女がお前の主人か」
ルーエンはシアンに尋ねる。シアンは素直に肯定する。
「そうか。そういえば、まだ剣を渡していなかったな」
ルーエンはそう言うと、さっきまで戴冠式を行っていた教会に向かって歩みを進めた。途中、宝具や武器がしまわれている部屋に立ち寄り、剣を一本回収した。
「せっかくだからな。ふさわしい場所で誓いをたてよう」
二人は、誰もいなくなった教会に入り、祭壇の前に立った。ルーエンが顎をクイッと下げて、シアンに跪くように指示する。シアンは、指示通りに片膝をつき、ルーエンに対して頭を垂れる。
「お前は、私の剣となれ。その身を盾として私を守り、私の進む道を邪魔する者は排除しろ。そして、お前にはこの剣を授ける。これは、主である私とお前自身を守るために使え」
ルーエンが剣を差し出す。シアンは顔を上げて、両手でそれを受け取る。
「ありがとうございます」
シアンは、ルーエンからもらった剣を腰に付けた。ルーエンはそれを満足そうに見る。
「では、行こうか。お前を皆に初披露するとしよう」
ルーエンはシアンを引き連れてパーティ会場にやってきた。
「国王陛下のおなりです」
既に会場には参加者が集まっており、ルーエンが現れると次々にお辞儀をし始めた。ルーエンが来て、やっとパーティが始まった。
「陛下、シアンを騎士にされたのですね」
王子としてルーエンの横に立っていたノアルドがルーエンに話しかけた。シアンが護衛としてルーエンの傍に控えているのを見て言う。
「ああ」
ルーエンはシンプルな返事をした。ノアルドは、シアンがルーエンの騎士となったことに対して、多少驚きはしたが、すぐに受け入れたようだ。そのことより彼が興味を示しているのは、ダンスを始めている同級生たちの方だ。ここにいる限り、シアンやミッシェルと話すことも叶わない。早く友の元に行きたいのだろう。
「ノアルド、行ってくると良い。友人が待っているのだろう?客の相手は私一人で十分だ」
ルーエンが優しく言う。すると、ノアルドは嬉しそうに離れて行った。ミッシェルは、ルーエンに一礼してノアルドについていく。
「ふむ、あれが弟か。なかなか可愛いものだな」
ルーエンが興味深そうに言った。その後、ルーエンは玉座に座り、貴族や他国の王族の相手を始めた。新しい王に挨拶をしようと、玉座の前に列ができはじめる。
「キルメラ王国第四王子、メディカ・キングシュルト様です」
従者が紹介し、紹介された者がお辞儀をする。その繰り返しだ。
「今後、役に立つだろうから、お前も顔と名前を覚えておくと良い」
ルーエンがそう言ったので、シアンは皆の挨拶を見続けた。
「リュツカ家が第一貴族に戻るとか」
「それ本当なんですの?」
列の終わりが見えてきた頃、シアンを噂する声が聞こえてきた。貴族たちも、ルーエンの騎士にシアンが選ばれたことに驚き、いろいろな憶測をしているようだ。これまで、ルイスが自分の近くに人を起きたがらなかったので、ルイスの近衛騎士長の座はずっと空席だった。余計に、シアンに興味を示す者は多い。
「シアン・リュツカはいろいろなところで活躍したそうじゃないですか」
「あー、ミューヘーン家の令嬢を誘拐犯から助けたり、シージャック犯から船を取り戻したりですかな?」
「アーウェン家の当主も暗殺から救ったそうじゃないですか」
「娘がリュツカ殿とルイス殿下が二人でお話されているところを見たと言ってました」
シアンは噂話をしている貴族たちの向こうに、知り合いの顔を見つける。マクシスは信じられないと言いたげにシアンを見つめ、チグサが絶望の表情を浮かべている。イリヤノイドは泣き、ベルコルがハンカチを無愛想に差し出している。タシファレドは、今日は女の子を侍らす気にはならないようで、壁際で黄昏ている。ハイルックとアリシアが心配そうに付き添っている。
(まあ、こんなもんか)
彼らの反応は想定内だ。シアンが突然王族に仕え始めたら驚くだろう。
その中で、ルキナは頑なにこちらを見ようともしない。ノアルドとミッシェルが諭すように何かを言っているが、ルキナは首を横に振っている。そして、最終的にルキナは皆をつれてシアンから離れる方向へと歩いていった。
シアンは、少し寂しそうな顔になる。それを見ていたルーエンが言った。
「正式な騎士になるのは早い方が良い。明日、ミューヘーンに別れを言ってこい」
正式な騎士とは、ルキナのそば付きをやめ、ハリスとの雇用契約を無にした状態のことだろう。できるだけ早い方が良いのはわかるが、明日はパレードが行われる予定になっている。そのパレードの最中にルーエンの傍にいないのは、護衛を任された身としては良くない。
「パレードなら既に一日延期にしてある」
シアンが何を心配しているのか理解し、ルーエンが淡々と言った。シアンのことに関係なく、パレードの延期は決めていた。他にもいろいろと都合があるのだ。
「わかりました」
シアンは、ルーエンの言う通りに、明日、ミューヘーン家に一度戻ることにした。




