お嬢様、いろいろ変わってしまいました。
文化祭から一週間ほど経った。シアンはすっかり日常に戻った学校で、夏休み前最後の一日を過ごしていた。
ルキナは病院で検査を受けたが、異常は何もないと判断された。シアンは、ノアルドが魔法をかけたと思っていたので、その結果にはかなり驚いた。今日は大事をとって家で休んでいる。ルキナはそのまま夏休みに入るだろう。チグサも病院に行ったが、ルキナと違い、目を覚まさなかった。今もまだ眠ったまま。彼女にはマクシスが付き添っている。マクシスは学校を休み続けている状態だ。
シアンは、一人で食堂に入った。ルキナもいないし、マクシスもいない。一人で食事をとるのが自然な流れだろう。
「あ…。」
シアンは、シェリカと鉢合わせした。文化祭以来、シェリカと話していない。なんだか気まずくて、顔をそらしてしまう。シェリカも、黙ったまま離れて行った。一緒にいたティナが、シアンに頭を下げて、シェリカを追って行った。
「はぁ…。」
シアンは思わずため息をついた。文化祭の一日で、いろいろなことが変わってしまった。
シアンは空いている席に座り、黙々と昼食を食べ始める。そこへ、ルイスがやってきた。
「リュツカ殿、ここよろしいですか?」
ルイスがシアンの前に座ろうとする。シアンはそれを了承した。相変わらず、ルイスが近くにいると、胸が痛むし、鼓動も速くなる。でも、なんだかそれもどうでもよく感じるようになったし、以前よりましになってきている。
「ミューヘーン殿の容態は?」
ルイスも食事を始めながら尋ねる。
「あまり変わりないですよ。まだ頭が痛いそうで」
「原因がわかると良いですね」
ルイスは、ここ最近、シアンを見つけると、話しかけてくるようになった。会話の内容は、今回のようにルキナやチグサの状態についてや、生徒会のこと。
「実はリュツカ殿にお願いがあるのですが…。」
ルイスがためらいがちに切り出した。
「何でしょう」
シアンは、顔を上げてルイスを見る。
「八月の終わりに、戴冠式を行う予定なんです」
ルイスが静かに言う。
「戴冠式!?」
シアンが思わず驚きの声を出すと、ルイスがへらっと笑った。シアンははっとして「すみません」と謝る。
「大丈夫です。一部の人は知ってますから。噂になってるみたいで」
ルイスが困ったように言う。たしかに、貴族たちは城内の動きに敏感だ。誰かが気づいて、噂になったのだろう。シアンが知らなかっただけで、噂はだいぶ広まっているようだ。シアンは、パーティに行く機会がなかったし、最近は社交界の噂に詳しいマクシスやイリヤノイドと話していないので、余計に知りようがなかった。
「そんな大事なこと、ここで話して良かったんですか?」
戴冠式の予定日の情報など、まだ出回ってないだろう。そんな国家機密レベルの話をこんな誰が聞いてるともしれない場所で話して良かったのだろうか。
「構いませんよ。近々、公式発表しますし」
「でも、どうして…?」
シアンには、なぜこの時期に王位継承が行われるのか見当もつかない。シアンは、早くても、ルイスが上級学校を卒業してからだと思っていた。それはシアンだけではないだろう。
「国王は今、床に伏されておられるんです」
ルイスは、シアンが知りたがっている理由を淡々と語った。シアンは声を出さずに驚く。そんな話も今初めて聞いた。それこそ噂になっているだろう。国王が病気だなんて、国中で騒ぎになる。でも、これは、貴族間でも噂になっていないらしい。
「このこともまだ公表してません。病気とは言っても、危篤とは程遠い状態ですし。ただ、王はこれを機に、隠居されるとのご意向を示されたんです」
国王は、予定を早めて、早々に第一継承権をもつルイスに王位を譲る決心をした。話を聞く限り、それほど時間的余裕がないように思えないが、話の進み具合が異常に早い。現国王が王位を譲ると発表してから、実際に王位が継承されるまで、一年ほどかかるのが普通だ。王の代替わりには、様々なことが関わってくる。国政にも大きな影響がある。それなのに、この短期間で全て終わらせようとするなんて、焦っているようにしか思えない。国王の決断がいつで、準備期間がいつからなのかは詳しくわからないが、多く見ても数か月しかない。
「正直、私も戸惑ってます」
ルイスがはははと笑う。
「それで、お願いなんですが、その戴冠式の前に、少し話せませんか?」
シアンは、次期国王から何をお願いされるのか身構えていたので、話をしたいだけと言われてきょとんとする。
「あ、はい、もちろんです」
シアンは戸惑いつつ首を縦に振る。今度の話はこんなところで話せないようなことなのだろう。また別に緊張するが、ルイスからのお願いを聞かないわけにはいかない。ルイスの言葉は、全て命令のような力をもつのだから。
「詳しいことはまたおって連絡します」
ルイスはそう言って席を立った。シアンは、ルイスの背中を見送る。ルイスが何を話そうとしているかを知るには、その日が来るのを待つしかなさそうだ。
学校が夏休みに入ると、シアンはミューヘーン家の屋敷に戻った。ルキナに会うのは一週間ぶりだ。本当は傍についていたかったが、ハリスが学校を優先するように言ったので、それはできなかった。
「お嬢様、ユーミリア様からお見舞いの品をもらってきましたよ」
シアンは、寮を出る時にユーミリアから渡された山盛りのフルーツをルキナに見せる。
「そういえば、ユーミリアはライブで夏は忙しんだっけ」
ルキナがシアンからフルーツのかごを受け取って、中身を確認する。
「本当は自分で渡したかったみたいです」
「でしょうね。手紙が入ってるくらいだし」
ルキナはフルーツの下に隠すように入っていた手紙を取り出す。封筒を開けて、手紙を読む。シアンは、手紙を読むのに邪魔だろうと思い、フルーツを預かる。
ルキナは、手紙を読み終えたのか、便箋を封筒に戻した。ユーミリアのことだし、便箋いっぱいにルキナへの書き連ねてあっただろう。でも、その割に、読み終えるのが速かった気がする。
「何が書いてあったんですか?」
「この前出した本の感想よ」
シアンの問いに、ルキナが手紙をひらひらさせながら答える。
「せっかく感想を書いてくれたんだし、後でちゃんと読むわ」
そう言って、ルキナが椅子から立ち上がった。
「その前に、このフルーツ、ルシュド家に持って行きましょ」
ルキナは、ルシュド家にフルーツをおすそ分けしつつ、ミーナにフルーツケーキを作ってもらうつもりらしい。どうせならそのまま食べるのではなく、スイーツにして食べたいそうだ。
「馬車の手配をしてきます」
シアンは、一足先に外に出て、使用人に馬車の準備をお願いしに行く。そうして、馬車が出発できるまで準備が整うと、ルキナを呼びに屋敷の中に戻る。
「ミーナのとこに行くだけから、心配しないでも大丈夫よ」
玄関で、ルキナがメアリと話していた。娘の体調が心配なメアリは、ルキナにあまり外に出したくないみたいだ。
「また倒れたりしたらどうするの?」
「薬も飲んだし、大丈夫」
「それは痛み止めでしょう?治るわけじゃないのよ」
「でも、ずっと家の中にいる方が体に悪い気がする。狂っちゃいそうだもの」
ルキナは、メアリの反対を押し切って家を出た。シアンも、メアリ同様にルキナを心配しているし、外に出ない方が良いかもしれないと考えている。しかし、ルキナの性格を考えると、家に閉じ込めておくのは良くなさそうだ。
「シアン君、ルキナをよろしくね」
ルキナが言うことを聞きそうにないので、シアンにルキナのことを任せるしかない。メアリが言うと、シアンはしっかり頷いた。
「シアン、早く行かないと、食べる時間がなくなっちゃうわ」
ルキナはやっと外に出てきたシアンの腕を掴んで引っ張る。
「果物が落ちちゃいます」
シアンは、両手で持っていたかごが傾いたので焦る。
「落ちたら罰ゲームね」
ルキナは、楽しそうにシアンの邪魔をする。シアンの腕を引っ張ってかごから離そうとしたり、わきをこちょこちょしようとしたり。シアンには、ルキナが空元気に見えてしかたない。一応、合わせて一緒にはしゃいで見せるが、内心、ルキナが無理をしてないか気が気でない。
馬車に乗り込むと、ルキナが静かになった。もしかしたら、屋敷から様子を伺っているメアリや使用人に元気だと訴えるために、不自然にはしゃいでいたのかもしれない。
「お嬢様、聞いても良いですか?」
シアンが声をかけると、向かいに座っているルキナが「なに?」と促す。
「文化祭の日のことなんですが」
シアンがそう言うと、ルキナは少し眉をひそめた。シアンがこれから質問しようとしていることが何か理解したのだろう。でも、シアンの言葉を止めようとはしない。ちゃんと答えるつもりなのだろう。
「お嬢様が倒れた時、ノアルド殿下が一緒にいましたよね?」
シアンが確認すると、ルキナはすぐに頷いた。
「あの時、殿下に何かされたんですか?」
シアンは、正直に、ノアルドのことを疑っていると口にする。ルキナは困ったように首を横に振る。
「ノア様には何もされてない」
「じゃあ、他の人が何かしたんですか?」
「今のところはわからない」
ルキナが煮え切らない答え方をするので、シアンは首を傾げる。
「でも、これだけははっきりと言える。ノア様は何も悪くない」
ルキナの言い方には自信がある。ノアルドを擁護するような態度には見えない。ルキナを信じるなら、ノアルドは何もしていないのだろう。
「わかりました」
シアンは、ルキナを信じるしかないと思う。
「それより、シアン。戴冠式は何を着ていくの?」
ルキナがわざとらしく話題を変えた。必要以上にテンションも高めている。
昨日の昼、シアンがルイスから戴冠式の話を聞いた頃に、王城から発表があった。ルイスに王位が継承されると。そして、今朝、各貴族の家に、式への招待状が届いた。ミューヘーン家だけでなく、シアンのもとにも。
「何を着ていくって…なんですか?また女装でもさせるつもりですか?」
「きっとロンドも行くだろうし、ね?」
「何が『ね?』ですか」
「みんなに好評なのよ、シャナちゃん」
「みんなって誰ですか?それに、式の日、僕は早く行くので、お嬢様が楽しむ時間はないと思いますよ」
シアンあての招待状には、ルイスと話す時間の確保のために早く来るよう書かれていた。女装で遊んでいる時間はないだろう。時間があったとしても、女装をする気などさらさらないが。
「私も早く行くわよ」
ルキナが胸を張る。第二王子の婚約者として、戴冠式の前に行われる王族の儀式にも参加するそうだ。戴冠式よりさらに神聖な儀式なので、本当に一部の人しか参加できない。ルキナが誇らしく思うのは当然だ。
「『りゃくえん』でも、あの儀式シーンは最高でね。ノア様か、ルイスエンドじゃないと絶対見れないのよ。あのシーンだけファンアートが多いし」
ルキナがもう既にワクワクしている。大好きなシーンをその目で実際に見れるのは嬉しい。
「良かったですね、ノアルド殿下と婚約していて」
シアンがニッコリ笑う。なんだか含みのある言い方になってしまったが、別に言葉の裏に何かを隠しているわけではない。
「別に、儀式が見たくて婚約してるわけじゃないんだけど」
ルキナが頬を膨らませる。シアンが皮肉を言ったとでも思ったのだろう。
「あ、いや、すみません」
シアンも、良くない言い方をした自覚があったので、素直に謝る。
「それはそうと、海、いつ行く?チグサも目が覚めたことだし、今年も行くわよ、海。夏の風物詩だもの。ユーミリアは仕事って言ってたし、罪悪感なしで置いていけることだし」
ルキナがまたテンションを上げる。ユーミリアが恋愛フラグを避けるため、ゲームのシナリオからそれる必要がある。だから、ユーミリアを連れて行くのはできれば避けたいところだ。
「え?」
シアンが間抜けな顔をして固まっているので、ルキナがどうしたのか尋ねる。
「チグサ様、目が覚めたんですか?」
「あれ?言ってなかったっけ?」
ルキナは、今朝、マクシスから連絡があって、チグサが目を覚ましたと知った。
「聞いてませんよ」
「えっと、じゃあ、チグサが目を覚ましたんだって。はい、今言った」
ルキナは本当に適当だ。マクシスから知らされたらすぐに教えてくれれば良いものを、大切なことを伝え忘れられているなんて。
「それを最初に言ってくださいよ」
シアンはため息をついた。




