表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/127

お嬢様、別れは悲しいものです。

 ルキナとシュンエルが初めて話した日の夜。シアンは、寮の自分の部屋でゆっくり過ごしていた。今日は満月で、月が大きく見える。こんな日は、なかなか寝付くことができない。シアンは窓辺に座って月を眺める。体内の魔力が月の呼びかけに答えているみたいだ。

 その時、すぐそこにはえている木が揺れた。枝が動いて、ガサガサと葉が音を立てている。今日は風がそんなに強い日ではないはずだ。

 シアンは不思議に思って窓を開けた。外へ顔を出し、下を覗き込む。誰かいるのかもしれない。

「やあ、キゾク。元気してたか?」

 頭の上から声が降ってきた。シアンは目を見開いて、声の主を見る。

「久しぶりだな」

 木の枝にキーシェルが立っていた。オレンジ色の髪が優しい風に吹かれて揺れている。

「キール」

 シアンは久しぶりに会えた友人の姿を見て感極まっている。少し泣きそうな気分だ。

「一生会えないのかと」

「いやー、俺もちょっとそんな気してたわ」

 キーシェルがハハッと軽く笑う。「よっ」と言いながら、シアンの部屋に飛び移ってくる。

「キゾク、どうした?」

 キーシェルの顔を見て、シアンは何も言葉が出てこなくなってしまった。いろいろ話したいことはあったのに、言葉が何も思い浮かばない。

「…捜してた」

 シアンは、キーシェルの顔を見ながら小さな声で言う。キーシェルは「知ってる」と微笑んで答える。

「キールも同じ学校にいたんだね」

「いや…、通ってはないけどな。まあ、一応いたかな」

 キーシェルが微妙な反応をする。でも、シアンはあまり気にしない。それより確かめたいことがある。キーシェルがここにいるということは、あの少女はキーシェルの妹でほぼ間違いない。

「じゃあ、あのシュンエルさんは君の…」

「ああ、妹が悪かったな。あいつも悪気はないんだ。全部俺が悪いんだ」

 シアンが確かめようと口を開くと、キーシェルがすぐに肯定した。そして、なんだか悲しそうな顔になる。

「もうすぐ十六歳なんだ」

 キーシェルが唐突に言った。

「あー、誕生日」

 シアンは、冬にキーシェルと会うことがなかったので、ちゃんと当日に誕生日を祝ったことがない。それでも、誕生日は知っている。彼の誕生日は明日だ。といっても、もうすぐ日付が変わる。今年の誕生日はおめでとうと言ってあげられそうで、シアンは嬉しくなる。

「キゾクにこうしてまた会えて良かったよ」

 キーシェルがシアンの目を真っすぐ見る。

「そんな言い方したら、なんかお別れみたいじゃん」

 シアンが冗談めかして言う。でも、キーシェルは笑わないし、否定もしない。ただ真面目な顔でシアンを見つめている。

「え…?」

 シアンは笑顔を消した。キーシェルの顔を見たら、キーシェルが会いに来てくれた理由がわかってしまった。

「なんで?」

「仕方のないことなんだ」

 シアンが自分の考えを信じられずにすがるように呟くが、キーシェルは落ち着いて答えるだけ。

「ほら、俺はキゾクにちゃんとお別れが言えただけ幸せ者だからさ」

 キーシェルが太陽みたいな笑顔を見せる。無邪気に走り回っていた頃と変わらない笑顔だ。

「なんとかならないの?」

 シアンは最後の希望を見出そうとしている。理由は知らないが、キーシェルはいなくなってしまうらしい。本当にもう二度と会えないらしい。キーシェルがちゃんと口にしたわけではないが、きっと死と同義なのだ。そんなこと、簡単に受け入れられるわけがない。

「ごめんな」

 キーシェルはなぜか謝った。そして、シアンから目をそらす。

「いつまでも居座るとシュンエルがかわいそうだから」

 キーシェルが静かに言った。シアンには意味がわからない。

「別に死ぬわけじゃないしさ」

 キーシェルは窓枠に座る。シアンに向かって寂しそうな笑顔を向ける。

(死ぬわけじゃないなら、なんでそんな泣きそうな顔をするんだよ)

 シアンも、キーシェルのように泣きそうな顔になる。それを見て、キーシェルは意を決したようだ。脚を外に出して、シアンに背を向けて座る。

「またな」

 キーシェルがシアンの方に顏だけ向ける。

「あ、違うか。…じゃあな」

 キーシェルは最後にそう言って窓から飛び降りた。

「キール!」

 シアンは窓に駆け寄って下を見る。でも、そこにキーシェルの姿はない。既に死角に行ってしまったのだろうか。

 シアンは慌てて追いかける。窓に足をかけて、キーシェルのように飛び降りる。だが、やはりキーシェルの姿はなくて、どこに行ったのかわからない。でも、その場にい続けたところで、キーシェルが戻ってきてくれるわけではない。手当たり次第に探すしかなさそうだ。

 冬の深夜は凍える。走っていると、前方からの風で顔が痛い。鼻がツーンとする。体は温まっているのに、手先が冷たい。

「シアン!?」

 不意に、ルキナの声が聞こえてきた。シアンは、立ち止まって声のした方を見る。

(どうしてこんな時間に?)

 ルキナが深夜に出歩いていることに驚く。シアンは駆け寄って、人影がルキナであることを確かめる。

「キールを見ませんでした?」

 シアンは、焦りを隠せず尋ねる。

「キール?キールがいたの?ここに?」

 この反応を見る限り、ルキナはキーシェルを見てないのだろう。シアンは、ここで油を売っている場合じゃないと判断し、また走り出す。

「ちょっ!シアン!待ちなさい!」

 ルキナはシアンを引き留めようとする。しかし、シアンは聞いていない。

「あー、もう!シアン!命令よ、止まりなさい」

 ルキナが大声で言った。さすがにこの声はシアンの耳にも届いたようで、シアンが慌てて立ち止まる。

「シアン、キーシェルの誕生日は?」

 ルキナが語気を強めて尋ねる。おそらく、もう日付が変わっている。シアンは今日だと答える。でも、なぜこんな質問をされるのかわからない。シアンは今すぐにでも走り出したいというのに。

「良いから待ちなさい。闇雲に探したって見つかりっこないわ。生まれた時間までわかれば確実なんだけど…。」

 ルキナはそう言って、キョロキョロと辺りを見渡す。

「こっちよ」

 ルキナが走り出した。シアンはその後につづく。この様子だと、ルキナはキーシェルの居場所に心当たりがあるようだ。

「はあ…はあ…」

 走り始めて間もなく、ルキナの息が乱れ始めた。ルキナはシアンほど体力はない。ルキナの足の速さに合わせていると時間がかかりそうだ。シアンが見かねてルキナをお姫様抱っこする。その状態で、シアンが走る。

「あっちよ」

「どうしてわかるんですか?」

 ルキナは迷いなく道案内する。なぜルキナにわかって、シアンにはわからないのだろう。シアンは走りながら尋ねる。

「法則みたいなのがあるのよ」

 ルキナが適当に答える。キーシェルの居場所にあたりをつけた根拠はあるようだ。

「そもそも、なんでこんな時間に外にいるんですか。危ないじゃないですか」

 シアンは少しずつ落ち着きを取り戻し始めている。

「シュンエルに誕生日を聞こうと思ったら部屋にいなくて。外に出てるみたいだから、捜しに。急ぎだったから」

 ルキナは進行方向に目を向けたまま答える。

「誕生日?誕生日が何かあるんですか?」

「ここよ」

 ルキナは、シアンの問いかけに答えないで、代わりに自分を下ろすよう言った。ルキナが自分の足で歩いて、目の前の建物の入り口に向かう。扉に手をかけ、思い切り引く。普段なら防犯のために鍵がかかっているはずなのだが、今は何の抵抗もなく開いた。

「ビンゴね」

 ルキナはためらうことなく中に入っていく。この建物は魔術研究科の生徒が使う棟だ。二人とも入るのは今日が初めてだ。

「シアン、屋上に行くわよ」

 ルキナが人差し指で屋上を指す。シアンは、ルキナの言いたいことがわかって、またさっきのようにルキナを抱き上げる。普段なら魔法石で動くエレベーターに乗れば良いのだが、今はスイッチが切られていて動かないだろう。屋上まで階段で行かなくてはならない。十階以上あるのに、ルキナが階段を駆け上れるわけがない。

「掴まっていてくださいね」

 シアンはルキナを落とさないようにしっかり支えて階段を上り始める。人を一人抱いてるとは思えないスピードでのぼっていく。そうしてあっという間に屋上にたどり着いた。

「このドアの向こうね」

 ルキナがシアンの腕から降りると、屋上に出るためのドアに手をかけた。ここも鍵がかかっていない。普通ならかかっているはずの鍵がかかっていない。これは、先客がいることを如実に物語っている。

 ガチャリと音を立ててドアノブを回すと、重い扉が動き始めた。扉を開けると、そこは不思議な空間だった。たしかに、屋上に変わりないのだが、空気が他のところと違う。ほんのり温かい感じもする。なぜか霧がかかっていて、学校の敷地内じゃないみたいだ。

「シアン」

 ルキナがシアンの服を引っ張る。彼女が指さした先には、ぼんやりと一つの人影が見える。シアンがキーシェルかもしれないと思って近づこうとする。しかし、ルキナが服を掴んだまま引き留める。

「お嬢様?」

「しっ」

 シアンがなぜ行かせてくれないのかと聞こうと思ったら、ルキナは人差し指を唇の前に立てた。静かにしろということなのだろう。シアンはルキナの指示に従い、その場で静かに人影の動きを見る。

 人影は、霧でゆらゆらと輪郭を揺らし、いつの間にか、一人から二人に増えていた。すると、霧が薄くなってきて、屋上の中心に立っている二人の姿がはっきり見えるようになってきた。そこにいたのは、キーシェルとシュンエルだった。互いに向き合って立ち、目を閉じている。キーシェルの方がずっと身長が高い。双子とはいえ、成長したら身長もこんなに変わってしまうのだろう。

 シアンたちが息を飲んで見守っていると、二人がゆっくり目を開けた。タイミングが全く同じだった。

『体を貸してくれてありがとう』

 キーシェルが話している。でも、いつもと声の感じが違う。

『辛い思いをさせてごめんね。でも、もうこれで終わりだから。君と会って話すことはできなかったけど、君の兄になれて嬉しかったよ』

 キーシェルがシュンエルにゆっくり話す。シュンエルは、複雑な表情でキーシェルの顔を見つめている。

「キール!」

 シアンは耐えきれなくて、大きな声で名前を呼んだ。キーシェルは、声に驚いた後、シアン達の方を見て微笑んだ。

 シュンエルもシアンたちがここにいることに驚いた様子だ。でも、シアンが目の前にいる謎の少年がキーシェルという名前の人なのだと理解すると、慌ててキーシェルに向き直った。

「あの」

 シュンエルが呼びかけると、キーシェルがシュンエルの方を見る。

「クッキー、ありがとう。お兄ちゃん」

 シュンエルは、彼こそが、何度もクッキーをくれた人なのだと気づいた。同じ色の髪で、顔だちも自分に似ている。彼が自分の兄であったということも気づいた。

 キーシェルは、シュンエルに最初で最後に「お兄ちゃん」と呼ばれて、満面の笑みを見せる。キーシェルの身体はどんどん透けていく。このまま消えてしまうのだろう。

「さようなら」

 キーシェルは、最後にシュンエルの頭をぽんぽんと優しく撫でて別れを告げた。そして、次の瞬間、キーシェルの姿は透明になってしまった。それと同時に、霧も消え、別空間に来たかのような感覚もなくなってしまった。

 シュンエルは、心の中にあった大切なものを失ったかのように感じ、その場で泣き崩れる。声をあげて泣きじゃくっている。ルキナが駆け寄り、抱きしめる。シアンは、それをただ眺めていた。


「小さな時から、何度もクッキーをもらってたんです。両親は妖精からのプレゼントだって。私はそのクッキーが楽しみで」

 シュンエルが言った。しばらく泣いていたが、もう今は落ち着いている。三人は、外は寒いので、建物の中に入った。

「寄生妖精」

 ルキナがぼそりと言った。シアンとシュンエルがルキナに視線を集める。

「キールは、寄生妖精だったのよ」

 ルキナが言うには、シュンエルは希少疾患を患っていたらしい。多重人格が認められるのがこの病気の大きな特徴だ。しかし、普通の多重人格とは違う。身体の骨格まで完全に変わってしまうのだ。シュンエルの場合、キーシェルが体を操っている間は、性別まで変わっていた。

「だから、男の服が家に…。」

 シュンエルは納得した。子供は自分しかいないのに、なぜか男の子用の子供服がタンスに入っていた。家族に理由を聞いても誰も教えてくれなかったが、今合点がついた。

 治療法はないとされているが、治らないわけではない。子供が生まれたと同時に寄生した妖精は、きっかり十六年でその体を去って行く。一部の妖精は、外敵から己を守る術を身に着けるまで、人の身体を借りるらしい。でも、その妖精は本当に珍しい種で、長寿であるからめったに新しい妖精は生まれない。だから、希少疾患なのだ。

「よく知ってましたね」

 シアンが感心する。ルキナは「たまたまベルコルから聞いてたから」と言った。ベルコルは病院を経営する家の子なので、医療に関する知識をかなりもっている。偶然、ルキナはこの病気の話をベルコルから聞いていた。

 ルキナが、誕生日を執拗に確かめていたのも、この建物を目指してきたのも、ベルコルからこの病気の特徴を聞いていたからだった。妖精は、十六歳を迎える数年前に己が妖精であることに気づき、それと同時に、寄生相手の身体を操れる回数が減ってくる。そして、体を去る日が来ると、自分が行ける範囲で最も北よりの高い場所に向かう。この国よりずっと北に妖精の国がある。そこへ帰るため、できるだけ国に近いところから出発する。その際、天に近い方がより良い。

「話は明日でもできるわ。今日は部屋に戻って寝ましょう」

 ルキナが話を切り上げ、シュンエルを女子寮に連れて戻った。多少なりとも、シュンエルの身体には反動があるはずだ。早く眠らせた方が良い。


 翌日、シュンエルの髪は紫色に変わっていた。妖精に寄生された者の身体の一部には、遺伝子を無視して、その妖精の特徴が現れる。オレンジ色ではなく、紫色が本来の色なのだろう。

 シュンエルは、謝罪と感謝を伝えるため、シアンを訪ねてきた。ルキナが危惧したように、妖精が体を出て行った反動があって、昼まで起きられなかったらしい。この後は、病院にも行くそうだ。

「綺麗な髪ですね」

 シアンは、シュンエルを見送る直前に言った。シュンエルは自分の髪を触りながら、「少し寂しいですけど」と返した。シュンエルの気持ちを考えたら、最後にキーシェルと話せて良かったと思うばかりだ。

 シュンエルと別れた後、シアンはルキナに呼び出された。渡したいものがあるそうだ。彼女についていくと、調理実習の部屋に案内された。中に入ると、甘い匂いがしてくる。ルキナが何かを作っていたらしい。

「お嬢様、料理できるんですか?」

「練習中」

 そう言って、ルキナが見せたのは、焼けたばかりのクッキーだった。

「まだちゃんと作れるわけじゃないけど」

 まだ渡すつもりはなかった。ルキナは満足していない。シアンには完成したものを食べてもらうつもりだった。例えば、ファレンミリーの日に。それでも渡したのは、今必要だと思ったからだ。

「いただきます」

 シアンはクッキーを一枚手に取る。そして、一口食べる。

「少し硬いですね」

 シアンが感想を言う。

「やっぱり?」

 ルキナは肩をすくめる。

「でも、美味しいです…あれ?」

 シアンの目から、ポロポロ涙が落ちる。ルキナも悲しそうな顔をして、シアンを見守る。何も言わない。これで良いのだ。昨日、シアンは泣いていなかった。現実を受け止め切れていなかったからだろう。でも、今、こうして、キーシェルとの別れをシアンの中で完全なものにしている。時には泣くことも大切なのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ