お嬢様、自分で頑張りましょう。
翌朝、登校時の馬車の中で、今日だけは頑張るように言った。もし、それでも無理だったのなら、手助けするつもりだ。ルキナは渋々といった感じで頷いた。
昼休み。シアンは、職員室に提出物を届けに行かなければならなかった。マクシスには先に食堂に行ってもらい、急ぎ足で用を済ませる。食堂に向かう途中、中庭を横切った。
「シアン」
名前を呼んだのはチグサだ。ベンチに座り、手招きしている。
「何かご用ですか?」
シアンがベンチに近づくと、チグサはシアンの袖を掴み、ぐいっと引っ張った。チグサの力は想像以上に強く、シアンのバランスが崩れた。チグサは、魔法でその体をくるっと回転させた。シアンは、ストンとベンチに腰を落とす。
「チグサ様は魔法が使えるのですか?」
この世界で魔法を使える者は一握りしかいない。その中でも、竜の血を持つシアンは卓越している。チグサの魔法の扱いは、そのシアンに勝るとも劣らないうまさだ。
これほどの技術を持っているなら、マクシスが知らないわけがない。頻繁に、マクシスが「魔法を見せてほしい」とシアンに求めるが、その行動は不可解だ。それに、あのマクシスのことだ。姉はすごいのだと自慢してくるはずだ。
「内緒にして」
チグサは唇の前で人差し指を立てる。細く小さな声だが、不思議と耳に馴染む。
シアンは、家族にも隠している秘密を知って良かったのか不安に思う。しかし、それを言葉にして尋ねるのは野暮だ。
「お昼、持ってきたの。一緒に食べましょう」
のんびりとした発音が耳に心地良い。マイペースな性格が声に表れている。
「えっと、それならマクシスに伝えてきます」
シアンは、友を待たせたままにしてはいけないと立ち上がる。チグサのことを伝えれば、一緒に行くと言うかもしれない。
「いい」
シアンが立ち去ろうとすると、チグサが袖を掴んで引き止める。
「でも」
「まーくんには私が謝る」
チグサが決して離すまいとするので、シアンが折れるしかなかった。チグサの隣に座り、彼女が持ってきたサンドイッチを頬張る。
中庭には意外と人がいて、ベンチやシートの上に腰掛けて昼食をとっている。
「虹雲だ」
誰かが呟いた。その声につられるように、皆空を見上げる。
特定の気候条件が揃うと見られる虹色の雲が浮かんでいる。捻れて切れて、次々に色と形が変わっていく。
「きれいですね」
誰もが、自然が魅せる芸術に目を奪われる。これにはシアンも例外ではない。
「そうね」
チグサがシアンに同調するように頷く。
シアンは違和感を抱いた。チグサが顔を上げて空を見る様子はなかった。上を見ないで会話が成り立つところじゃない。
(まさか、ね)
シアンはチグサの横顔を見る。相変わらず、片目は眼帯で隠されている。
チグサの後ろにルキナが見えた気がするが、無視をする。シアンがいるのをチャンスと思って話しかけてくるだろうか。あまり期待はできないが、今日は手助けしない約束だ。
チグサは、シアンに見られていることに気づき、「ん?」と首をかしげる。
「チグサ様、失礼を承知でお聞きしますが」
「なに?」
「その目は…」
はっきりと言葉にしないで尋ねる。チグサは、「やっぱり気になる?」と言って控えめに笑う。
「呪われてるの」
チグサの表情は読みづらい。冗談を言われているのかさえ判断できない。
(まあ、簡単には教えてくれないか)
どちらにせよ、シアンが求める答えではなかった。
「そうですか」
「ん」
二人は、穏やかな昼を静かに過ごした。