お顔ころころ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あっ、あなた今、ウソをついたでしょ?
はは、分かりやすーい。だって指摘すると、すぐに耳まで真っ赤になっちゃうんだから。今、文字通りに顔から火が出そうなくらい、熱いんじゃない?
怒らない、怒らない。恥ずかしい思いをすると、つい表情に出ちゃうものよねえ。
こういう風に分かりやすいサインばかりだったら、相手がどのように思っているかは、簡単に悟れる。けれど、中にはそんな内心をこそりとも見せない、ポーカーフェイスの人もいるもんだから、ややこしくなってくるわ。
時々いるのよねえ、普段は無関心そうでケロリとしているのに、ちょっとボーダーを越えたとたん、豹変しちゃう子。喜怒哀楽がはっきりしている子より、落差と怖さを感じてしまうのは。私だけかしら。
「顔色をうかがう」という言葉がある通り、顔は大事な判断材料。そこからは、予想を上回る事態の兆しが、見え隠れする。
そのひとつについての話、聞いてみない?
昔の私は、かなり泣き虫だった。辛いこと、悲しいことがある時はもちろんだったけど、怒る時も泣くし、思い通りにいかなくて、ごねる時にも泣く。よっぽど一生懸命だったんでしょうね。
最初こそ「大事件発生!」とばかりに、おおげさなくらい構ってくれた親だけど、回数を重ねるうち、逆に怒られるようになったわ。
「どうでもいいことで、手を煩わせないで!」とね。母親も慣れない育児をしたりと、帰りが遅い父親を車で迎えに行ったりと、だいぶストレスが溜まっていたんでしょう。かなり危うい状態だったんじゃないかと思うわ。
そのうち母親は、泣く行為だけじゃなく、泣いた痕跡である真っ赤な目元を見せることにも、いらだちを募らせていったみたい。
実際に叩かれたこともあるけど、半ば脅されることも多かったわ。はさみの先、シャーペンの先を向けられて、「ウソ泣きとかしていたら、今度はこうだよ」と、突き刺すフリをしつつ、目の前で寸止めされるのよ。
これがもうね、縮み上がるくらい怖かった。まつ毛にかすったこともあったから、いつか絶対に刺されるって、おののいたわ。
泣かないようにしなきゃ、と思いながらも、我慢しきれない時だってある。涙そのものをこらえたって、私の場合は、ほっぺも目元も赤くなってごまかせない。
――泣いても元の色のままだったら……いや、そもそも、顔全体が元から赤かったら。
夏場に日焼けして、顔が真っ赤になった時のことを思い出す。
――いつもあんな感じに赤ければ、たとえ泣いてしまったって、お母さんに怒られない。刺されない。
そう考える私は、天気がいい日は積極的に外へ出たわ。
太陽のある方に、わざと顔を向けて立つ。じっと見つめることはできないから、まぶたを閉じながら、顔に受ける日光の暖かさを感じていたわ。
でも時期は冬。夏場に対していささか紫外線不足なのか、顔の日焼けははかどらない。
熱さえあればなんとかなるかも、と親が見ていないところで、ストーブやガスコンロの火にまで、顔を近づけたわ。
母親がやっているフェイスパックも見よう見まね。赤い絵の具をつけたガーゼを、顔面にくっつけて過ごしてみたり……けれども、望んだように顔は赤くならなかったの。
なかなか出ない結果にいらだつ私は、「それならば」と、かえって反対方向に振り切れることにした。
つまり、泣いたことが分からないよう、顔が常に白くあるようにしなくっちゃ、と。
そして、先の真っ赤っか作戦が失敗した私は、方法も考える。自然の力も、人工の力も、私の望みを叶えてはくれなかった。だったら、自分の力だけでどうにかしなくちゃいけない、と。
私は無表情を貫く練習をし始めたの。心の中では喜怒哀楽の百面相をしながらも、決して表には出さない。泣く時も顔色を全く変えず、涙を流すだけの状態を理想としたの。
すさまじく辛かったわ。これ、悲しくても楽しくても、無理やりこらえたらこらえたで、すぐに紅潮しちゃうからね。
失敗するたび「こんなことじゃ、お母さんの魔の手から逃れられないぞ」って、寸止めのシーンを何度も思い出しながら、頑張ったわ。
その時の恐怖さえ、表情を変えることなく思い出し、備えることができる、というのも、私の理想の姿だった。
半年が過ぎ、一年が過ぎ、その間、多くの友達にも手伝ってもらって、私はポーカーフェイスを獲得したわ。ひたすら室内にいたこともあって、一時期よりも更に肌が白くなっている。
その結実は、学校で反戦ものの映画を鑑賞した時に、見ることになったわ。
当時の小学生の涙腺を刺激する演出、ストーリー。クラスのあちらこちらから、すすり泣く声が聞こえる。
私も泣いていることが、頬を伝う温かいものの感触で自覚できたけど、それ以上に隣で見ていた女の子が、「大丈夫?」と血の気の引いた顔で尋ねてきたの。
聞くに、私はいつもと変わらない顔のまま、涙だけをタラタラ流していたみたい。その間、まばたきをせず、身体も動かさないその様は、まるで彫像が泣いているようだったとか。
やった、と思ったけど、その喜びも出さない。おかげで彼女の表情から、気味の悪さは一向に消えないまま。
――これでもう、母親から怖い思いをさせられなくて済む。
私は安堵のため息をつく。心の中だけで。
「あなた、家では全然泣かなくなったわね」
その日の家で、母親が夕飯を作りながら、台所でテレビを見ている私に声をかけてくる。
――誰が原因で、こんなことになったと思っているんだ。
私は「きっ」と母親をにらんだつもりだったけど、どれだけ効果があったか分からないまま、話を続けてくる。
「あの時は、お母さん、ずいぶん辛く当たっちゃったでしょう。ごめんね。
でもね、最近は、顔を赤くして泣くことが大事だって、聞くようになったのよ」
本当に、どのような顔をしたらいいのか分からない、とはこのようなことを言うんでしょうね。
いきなり謝られたところで、私が逃げるために費やした時間は戻ってこないんだから。
「知ってる? 顔を赤くする時っていうのは、身体が戦う時や逃げる時の準備をするために、身体の内側から外側へ、血を送り込んで体温を高めるの。
でも体温が上がるのは、準備のためだけじゃなく、予防のためでもあるのよ。まだあなたは経験がないと思うけど、風邪を引くと身体中がすごく熱くなるの。
これはね、戦いながら周囲を熱くすることで、風邪菌の働きを弱めるため。だから赤くなるっていうのは、危険に対してしっかり対応している証なんだって。
特に泣く時。涙が流れ落ちる時ってね、心にスキができているから、良くないものが入ってくるらしいのよ。泣いた眼のすき間からね。
だから大事にならないように、目の周りが赤く腫れて、戦うんだって」
私はテレビを消して、席を立った。
あの時は泣くなといい、今回は泣けと言わんばかり。ころころ変わる言葉に、私は嫌気が差していたの。
もう、この人の言葉を真剣に受け取るのは止めよう。
そう決意するや、視界がかすかにゆがむ。信じられないことだけど、私は泣こうとしているようだった。
ところが、溜まった涙があふれようとした時、両方の下まぶたが猛烈に痛んだの。
じくじくと、内側からフォークで刺されながら、スプーンでこそぎ取られているかのような感じ。
その場で倒れ込んだ私は、すぐにまぶたをこすって、後悔したわ。
ますます痛くなる。辛すぎて、長い間押しとどめていた私の表情は、一気に解き放たれた。
病院に運ばれるまで、私はわあわあ、大きな声を出して顔をくしゃくしゃにゆがめていたわ。
診察の結果を聞くと、珍しいケースだと前置きされる。私の下まぶたの表面に、神経が浮き出てきているとのことだったの。そこには幾分か毛穴のようなすき間が開いていて、塩分を含んだ涙がもろに入ったのが、激痛の原因だって。
普段、目をこする人でも、ここまでまぶたの皮膚が薄くなることはないみたい。なぜなら、こすった時にまぶた自体が腫れて、熱を持ち、入り込む菌の活動を鈍らせ、被害をおさえるから。
そうでなくても、顔全体が紅潮することがあれば、瞬く間にそれらの菌は殺されて、影響を及ぼさなくなる、とも。
「しばらく、顔色をまったく変えなかったりしたのかなあ? ちゃんと笑ったり泣いたりしていいのよ……なんて、おせっかいよね」
女医さんは笑っていたけれど、私は何とも苦い顔をするよりなかったわ。