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クサリ=タイ

 マコの件もあり、噂はそれなりにとどろいているのだろう。自分が素知らぬ顔をして教室に足を踏み入れると、生徒たちは俄然大騒ぎして一斉にこの身を取り囲んだ。

 昼休みを直後に控えた授業の真っ最中という、間の抜けた登校時間のせいもあったかもしれない。

「ミキ! 昨日は何があったの? マコは?」

「今日も休んでないで大丈夫?」

 教師の制止をよそに、陣形を組んだ数人の女子が口々に安否を気遣う。無論、クラス全員が総立ちになるでもなく、特に男子はそのほとんどが話題そのものに関わるまいと席に着き、所在なさそうに時間を持て余している。残りの授業がこのままうやむやに終わってしまえばと、密かにエールを送る者もいるだろう。

 だが、一見無関心に座ったままの生徒たちの中に、ひと際異彩を放つ集団が含まれていた。例の、オタクたちだった。都合良く最後列に固まった座席同士肩を並べて、優越感が溢れ出た訳知り顔を隠しもせずにこちらに向けている。さすがに所業を吹聴はしない自制を備えてはいるものの、ひけらかしたくて仕方がないという表情を口ほどの雄弁さで以て見せびらかしている時点で、無思慮で浅はかな性分がよく知れていた。

 周囲の友人に気のない挨拶を投げかけつつ、憮然とうなだれながら、足を重そうに引きずるようにして教室の後方へと身を移す。上の空でうろついたのか自身の席とはまるで見当違いで、肩を支えようとする友人の援助も覇気なく断り、はっと顔を上げ足を止めたのは、まさかの憎らしい顔ぶれが居並ぶ真正面。「授業中だ」とか「前に立つな」とか、にやにやとそんな型どおりの嫌味を言うにも飽き足りたか、あるいはついに虚栄心が高じたか。ノートをとるふりをしてページの隅にせっせと文をこしらえ、これみよがしに指を差す。

『カメラを返せ』『自殺女の写真がある』『動画も完備!』『親友(笑)を裏切る?』と。

 実は、ちょっと感心してしまった。まずはその発想の転換に。肝心の行為に至れなかった上に証拠品を握られた失態を、『自分さえ無事ならそれでいいのか』と仲間思いの歯がゆさをかき立てる挑発に見事昇華してみせた。それに、お手数にもこうして文面に記してくれたことだ。この程度の喧噪と他生徒との距離では、どんな小声でささやくにしても内容が漏れたり、耳うち等の格好が不審がられたりてしまう。その悩みを解消するとともに、誰に対してもあやふやにならずに伝わる形で書き残してくれたことは、本当に素晴らしいことだった。

 本当に、都合がいい。

「皆さん、聞いてください」

 自分に差し出されたノートをありがたく頂戴し、高々と掲げた。次に、突然の行動に呆気にとられている目の前の一団の名前を読み聞かせるように、ひとりずつ余すところなく空で唱えてみせる。

「今しがたの人たちが、レイプ犯です。これが、たった今提供してくれたその証拠のひとつです」

 宣言だけならば、こうも狂騒の渦は巻き起こらなかったであろう。『いつかやると思った』と、着席状態でうんうんとうなずいてそれで終わりだ。だが、図らずも手に入った見世物、それも遠目には認識できない小さい文字の効果は絶大で、実物見たさにクラスの半数弱が一点にどっと押し寄せ、それが触発する形でたちまちに教室は無秩序の様相を呈する。

 クラスの日陰者の、一世一代の面目躍如だ。

「おい! ふざけんなよ! 友達を売る気か! こんなことしやがってただで済むと……」

『マジだ』『いつかやると思った』『カメラ取られたんだ、だっさ』と、激怒も好奇もない交ぜにした立て続けの非難に矮小な器量が耐えられなかったに違いない。裏返った声でわめき散らして自身の筆跡を奪い取ろうと手を伸ばしにかかったところを、

「そこまでだ。お前らには署の中で貴重な経験をしてもらう」

 どこからか現れた険しく荒れた俊敏な手つきが、長年そうしたように振り上げられたその手をつかんでよどみなくひねり上げる。

「ミキちゃん、こんなに大騒ぎにするなんて聞いてないよ、まったくもう」

 入口から突如数人の私服警官たちがこぞって雪崩れ込み、ごった返した生徒の合間を縫って捕獲対象に近づくなり揃って肩を抱え込む。両手の自由を奪って各々の私物から遠ざけると、知り合いの二人の刑事がこちらに目配せをした。何事かと大慌てで教壇を蹴り上げる本来の統率を担った大人ひとりを、「警察だから」といってその場に押しとどめる。

「そのとおりです。事件に関与のない生徒の皆さんは、速やかに着席をお願いします」

 興奮冷めやらぬままに席に戻る生徒たちを一瞥すると、こくりとうなずき、続けて新たに四人分の名前を声高に朗読してみせる。共犯者である大学生――サキ先輩を除いた四人組の本名を、正確に、滞りなく。

 愕然と、束縛を逃れた唇が大きく引きつった。

「何でだよ? カラオケじゃあ、偽名しか名乗ってないはずじゃ……?」

「お前たちの仲間のことは、ミキくんの協力もあって抜かりなく調べ上げたよ」

「さすがに今日の朝になっていきなり言われたんじゃ、てんやわんやで大変だったけどね」

 刑事たちの言葉尻に便乗し、鞄から首ひもの根元を引っつかんでデジタルカメラを取り出してみせる。

「あなたたちが投げてよこしてくれた証拠品が、詳細の解明に大きく貢献してくれました」

 昨晩、中身のメモリーカードと一緒にツトムから受け取ったものだった。今朝方刑事に連絡を入れ、消去されているはずのデータの復元及びその解析を警察に依頼できないかと持ちかけ、トオルを送り届けるついでに持ち込んだのだった。無論、自分が地面で身をよじる写真も重要な手がかりとしてそのままに。すべては感情のおもむくままにただ被害を訴えた半端な捜査で加害者を刺激した腹いせにデータを流出されることのないよう、犯人全員を同時刻に一網打尽にできるよう秘密裏の、情報機器に手を触れる暇さえ与えない電撃作戦のため。どのみちデータを握られてしまった以上流出のタイミングは向こうの手心次第であるため、博打に打って出るしかないと判断したのだ。

「それを聞いたおやっさん、『女子高生なんてうちの娘みたいに短いスカート履いてケータイいじってるだけの生き物だと思ってたのになんて立派な心意気なんだ』って、思わず涙ぐんでましたから」

若輩者の新米が、仕事中に年長者をからかって小言を食らう。

二人が熱心に働きかけてくれたこと、マコの自殺未遂を重く受け止めたことなどから、警察の対応はことのほか迅速だった。よくありがちな、どこかのお偉いさんのドラ息子といった人物の該当がなかったことも大いに幸いしたらしいと、こっそりと教えてくれた。実はこれまでも幾多の女性を泣き寝入りに落とし込んだ凶悪常習犯……などという特別メディア受けする事案では決してなかったようだが、それだけに、まだまだ警察も捨てたものじゃない。

 画像の節々に写り込んだ人相、その他にも自身の記憶やサキ先輩の通っている大学の情報、話し渋るマコを根気強く説き伏せてようやく聞き出した当時の状況等を照らし合わせてグループの構成に目星をつけ、危ない橋に付き合うような他の知人がいないことまでに当たりをつけると、一斉に行動を起こした。今ごろは四人の大学生もその身柄をほぼ同時に拘束され、万が一誰かに流出の指示をされないよう連絡手段から遠ざけた上で、身につけていた分のみならず自宅のほうにもパソコン等の押収が及んでいるという。

 ちょっと待ってと、そこまでを呆然と聞いていた女子生徒が立ち上がる。

「何それ、聞いてない。あんた、私に嘘ついたの?」

 ハズだった。実は、彼女にも先の休み時間に電話を入れていたのだった。『今日も学校に行くのは怖い』と、弱みをみせるふりをして、それとなく相手の人数等を引き出すために。それだからこちらが教室に踏み込んだ折も騒ぎに紛れず大人然として、あたかもひな鳥の巣立ちを歓迎する母親のような微笑をしゃくしゃくと浮かべていたというのに。

「おい、何とかしろよ! お前の友達だろ? 止めてくれよ! なあっ!」

「うるさいっ! 寄るな気持ち悪いっ!」

 警察官の羽交い絞めを振りほどき、助けを求めるようにして指を絡めてきた男の一人の手を、にべもなく振り払う。

「あんたらみたいなアニメ漬けのヘッタくそなキモいシチュばかり押しつけてくるダッサい連中どうでもいいのっ! それよりも、何であの人たちが連れて行かれるの? 私は、望んでるのにっ! 進んでこの身を捧げたのにぃ! ミキ、あんた、友人を裏切る気? 純粋に誰かを想う心を小汚く踏みにじるつもり? この、偽善者っ!」

「ハズ、今のアンタ、客観的にみて“いい人”? 他のみんなを見てごらんよ。どっかのやっすいドラマみたいに過激なワードをやたらにはやし立てて悪ノリするような奴はどこにもいない。そこのあいつらが投げかけられても文句のひとつも言えないような悪口ですら誰ひとり口にしないで、黙って席に座って見てる。ま、刑事の前だし内心ではどう思ってるか分からないけど、それを表に出さない節度みたいなものはみんな持ってる。みんなすごく本当は“いい奴”じゃん。そんな“いい人”だらけの中で浮き彫りになった今のアンタが、人が何かをするときにいちいち考慮してもらえる“いい人”の資格があると思ってんの?」

「はっ! いい人? あんたの言うそんな“いい子ちゃん”ならあんたがさっき世迷言ぬかし始めたときにあそこまで興味津々に群がってはこないだろうよ! それともこうでもいうつもり? あんたにとっての“いい人”ってのは、何かとんでもないことをしでかすときにも見咎めず口を挟まず邪魔立てひとつせず、自分の言いたいことも言えずに指をくわえて黙って見てるだけの傍観者だって!」

 握りしめた手を大振りに胸に掲げ、そのこぶし大ほどの唾を吐き捨てるように啖呵を切った。その剣幕に、再び手綱を握り直された男子も、その先を今度こそがっしり固めた警官も、周囲の誰もが息を飲む。

「私があんたらから浮いて見えるのはね、私が先に進んでるからよ。今だってそうじゃない! あんたが人をだまくらかして権力の威を借りてクラスの同情を集めて得意顔に浸ってる傍らで、私はたったひとり、あんたらに面と向かって自分一人で戦いに挑んでる。多勢に無勢だからって諦めたりしないで、押しつけられた運命を変えようと一生懸命に頑張ってる。そういうことができる人こそが、本当に自分を成長させることのできる“大人”で、自分自身の力で運命を切り開こうとする前向きな志を持った称えられるべき“いい人”なんじゃないの?」

 この場の人のどれほどが、何をするにも人の背中に隠れていた内気な少女を覚えているだろうか。それを思うと、間違いなくハズは変わった。それは世にいう“一人前になった”とか、ときに“女になった”とかの甘美な響きを伴うものなのかもしれない。

「……あの、さ」

 だが、一番の問題はそこではない。

「熱入ってるところ悪いんだけど、ぶっちゃけ、そんな大層な理屈どうでもいいんだ。だって、今の私……」

 あんたの気持ち、これっぽっちも想像できないんだもん、と。

 は? と、色を乗せた唇が醜く歪んだ。

「いや、さ。目をつけられたくなくて口をつぐんじゃう気持ちは分かるよ。逆に、ちょっとしたイベントを目にして盛り上がっちゃう気持ちも。でもね、嫌がるに決まってる相手の意思を無視してねじ伏せたり、それをなぜか喜びに感じちゃってしまいにはそれで一段も二段も大人の階段をのぼったみたいに御高説を垂れちゃうような気持ち、私には微塵たりとも理解できないんだ」

 ごめんね、分かってあげられなくて、とだけ、最後に付け加えておいた。

「残念ながら、それがすべてだよ。ハズくん、といったかな?」

 自分たちの何倍も歳を重ねた定年間近の刑事がハズの側へと物静かに歩み寄り、肩へと乗せたいかめしい年季の入った手の甲とは裏腹な、柔らかい口調で言い含める。

「君の言うとおり、私たちは彼女に同情し、共感した。だから協力を快く承諾した。その一方で、今の君の言動には我々の誰も、理解を示すことが心からできないんだ」

 何だそれ、と。ありえない、アンタの感性で善悪決まってたまるかなどとうわ言のように繰り返すハズをよそ目に婦人警官も含めた部下たちへと指示を飛ばし、確保した男子生徒を授業中らしく野次馬一人いない廊下に連れ出させる。訳も分からず説明を求める担任を「上とは話がついてるから」と下がらせ、学習中の非礼を詫びてから教室の異物全員が元通り姿を消してしまった後も、声を失った生徒たちの間には日常のひと小間に前後なくして打ち込まれた風穴を空けた銃弾の衝撃が、しばらくは消えそうになかった。

 ハズは、未だに血肉色の短い爪が食い込むほどにわなわなと両手を握りしめている。

 これで、少しは“いい人”が救われたと。濁りなく澄みきった他人の空までを無遠慮にはばかる醜い暗雲を本来あるべき鞘に収めることができたと、ほっと胸をなで下ろした。

 ほどなくして昼休みを告げる音が軽やかに跳ね、席を離れた生徒が、外のクラスからも大勢が自分のもとへと浮き足立って詰めかける。授業直後の徘徊は、悪いことでも何でもない。

 大したタマだと誉めそやす。不慣れな真似をと負け惜しむ。誰も彼もが息巻いて、手に汗かいたと舌を巻く。

 賞賛の嵐に、心で繋がったアキまでが見返された気がして、嬉しくなった。


 世間はことのほか優しかった。トオルは案の定何の罪にも問われず、あっけなく我が家にとんぼ返りを果たした。前夜の淡々とした去り際のやりとりを思い返してでさえ吹き出してやまなかったのだから、もしもあのまま今生の別れのような感動的な演出に漕ぎ着けてしまっていたとしたら、それこそ気まずさが極まって当分は他人のふりで過ごしたかもしれない。自身の思い描く理想の展開とは違った拍子抜けの結末にサトミはがっくりと肩を落とし、やがて何を期待したのか折りに触れてトオルのことを付け回し始め、この家にもしばしば顔を出すようになった。ツトムも刑を免れ、最近は滅多に会うこともない。アキの両親は、賠償請求を放棄した。妹のクミちゃんは、最近恋をしたらしい。マコはすっかり元気に回復し、時折何かに怯える仕草をみせることはあるものの相変わらず友人の関係を続けている。サキ先輩は、講義を休みがちになったと聞く。ハズとは二年になって別クラスで疎遠になってしまい、近況もほとんど耳に入らない。

 ちなみに、例のドラマはクライマックスが原作から大幅に改変されて、あの世とこの世でいつまでも結ばれているとヒロインが気を持ち直したところで、更に死んだと思っていた恋人が奇跡の生還を果たすという文句なしのハッピーエンドになった。自分たち家族は今でも毎日を平穏に、せわしなく生きている。

 そして私は、大学生になった。


 一年次も夏休みが過ぎた十月のある日、その日もいつものように講義をひと通り終えると、他学部に在籍するマコと二人一緒に所属する点訳サークルの活動場所へと足早に向かっていた。他の学部棟へと屋外キャンパスを移動する最中、その懐かしい声は、何の前触れもなく自分たち二人を背後から呼び止めたのだった。

「ミキ、マコ、久しぶりね。元気にしてた?」

 振り返るまでもなく、そこに立っていたのは紛れもなくハズ自身だった。

「ハズ~ぅ! ちょっとやだ、どんだけぶり? 全然変わってないじゃんアンタぁ~!」

 思わぬ再会に感激もひとしおといったマコが、肩を叩いて全身飛び跳ねる。よほど嬉しいのか、その両脇で品定めをするようにじろじろと視線を上下に往復させる知らない男二人については気にも留めていない。いや、そう努めているのか。男の生態といってしまえばそれまでだが、ここまでぶしつけな例はそう見なかった。

 本当に変わらないねと、冷めた物言いがこの口を突いて出た。

「あなたたちもね。私は今こことは別の私学に通ってるんだけど、この人たちは同じ大学の友達。その紹介も兼ねて、実は今日は二人に用があって来たの」

 男好きがする格好というわけでもなく、むしろ地味な部類だ。そこだけは、本当にあの頃と何ひとつ変わらない。だからこそ、その隣で食いつきの良さを当然のように見せびらかす男たちとの落差が織り成す不協和音には、敏感にならざるを得なかった。得なかったのだ。

「ミキに、プレゼントを渡しに来たんだ。はい、これ」

 そう言って、一枚の写真を手元に差し出してみせた。

 薄い紙の中に、一糸まとわぬ高校生のマコが閉じ込められていた。

 ピントが合った瞬間にめまいを覚え、自身がその上に覆い被さっていくかのような感覚に囚われる。何の気なしに覗き込んだマコが小さく喉を鳴らすと、とっさにそれを手ずからもぎ取り両手で抱えるようにして丸め込んだ。

 写真の角で切れたのか、握りしめた指の隙間から一筋、果実を潰したような鮮血が流れ出る。

「そんなに慌てて独り占めしなくても、いくらでも印刷できるから。バックアップも万端だし」

 さえずるように苦笑しながら持ち上げられた手の指先には、小さな記録媒体がつままれていた。

「何で? 何でアンタがその画像を? まさか、最初からもらってたっていうの? 友達の……苦しんでる顔を?」

 私には笑っているように見えるけどと、万人がそれと認めてくれる漫画絵のような絶望性を醸しはしない堅く目を閉じ叫んだ平面の表情を、感じていたみたいだなどといって茶化しながら続ける。

「まさか。こんな物を最初から欲しがる趣味は私にはないもの。これが私の手の中に舞い込んだのはね、ミキ、あなたがあの日教室で私のことを丸裸にしてくれたまさにあのとき、」

 それは、ハズ自身全くに虚を突かれた形だったという。ついでのように大学生四人の終幕をもあっさりと告げられ立ちすくむしかなかった彼女の手が、連行される寸前警官の腕からいっとき抜け出したお仲間に加勢を懇願してすがりつかれた際、すべてが奪われてすり抜けていった手の中に偶然もたらされた。

「伊達に、細かいことをねちねち考えるオタクをやっていないわね。大事な宝物が没収されると悟るなり即座にあんな小芝居が打てるんだから。実際誰にも気取られなかったし、連れ出されるときも『まんまと出し抜いてやった』って顔をこちらに向けてきたわ」

 あわよくば三たび脅して告訴取り下げ、そうでなくとも釈放後の慰みに、最悪その日のうちの報復をと、様々なもくろみを一手に担う布石だったに違いない。

 だが、ハズはそれを誰の目にも触れさせることなく隠してしまった。あれほど御執心だった大学生の一人にさえも。

「あの人たちは勘違いしていたようだけど、私は大胆で情熱的な殿方に憧れたのであって、何も犯罪者の一員になったつもりはないの。そんな風に男の言うことなら何にでもなびくような自我のない都合のいいゲームの登場人物みたいな女、普通に考えればいるはずがないってことぐらい分からなかったのかしらね。このデータを手渡されたこともそう。心当たりが全然なくて、家で中身を確かめてそこに写った私やマコに唖然としたわ。いやね、ある程度ならね、好きな人のためなら我慢できるの。自分ひとりが受け入れればそれで済むこととか、とっくに起こっちゃって騒いだところで仕方のないこととかね。ひんしゅく買って嫌われるの怖いし。そういう自分の意見を押し込めちゃう気持ち、ミキはあのとき分かるって言ってたよね?」

 ただし、それにも限度があるのだと。

「幻滅したっていうのかな? 彼らにとっては仲間意識からきた最高の即興の連携プレイだったんだろうけど、皮肉なものよね。私はそれで気分が冷めちゃった。カードはあの後すぐに見つかって取り上げられたってことにして、それ以降はきっぱり縁を切ったわ。私にだってね、一線を越えたりしないくらいの正義感はあるの。それなのにミキ、あなたは私を盛大にコケにした。人をまるで悪女みたいに、みんなの前で男狂いの抜けっカス呼ばわり。私ね、そのことがとても……」

 寂しかった。

 晴れの日にしたたる雨粒のように、数年来の憎悪のはけ口を覚悟した心構えの予期せぬ一点を濡らした言の葉がまるで弛緩剤みたいに、眼前にそびえる復讐者への緊張を気化熱のように奪っていく。

 だが、それが虚偽りでないことだけは憂いを帯びた声音が証明していた。

「理解してもらえないことが、理解してあげられるようにしてあげられなかったことが、すごく悲しかった。浅はかな、視野狭窄の快楽漬けみたいな印象で終わったことが尚更ね。もちろん、当初は憎みもしたわ。自分の見聞のなさを棚に上げて、人のことを思考過程が不明だからって短絡的で情動的な原生物扱いされたんだから。でもね、考え違いするようになったの。本当にかわいそうだったのは、あれほど仲良しだった大親友を信じられなくなった、あなたたちなんだってね」

 だから、仲直りをしにきたと、そう言って広げた両手で自分たち二人の手をそれぞれ強く握りしめた。うち片方は血まみれに強張ったままのそれを、少しの躊躇もみせることなく。

「私の味わった幸せを、あなたたちにも心の底から分かって欲しいの。豪胆で物怖じしない理想の男性に身も心も真っ赤に焦がされるときのあの絶頂を。このデータはそのためだけにとっておいたわ。あなたたち大親友にも心置きなく紹介できる素敵な甲斐性を持ち合わせた彼らを見繕うそのときまで。不本意だけど、こうでもしないと試してもくれないでしょ? ミキ、理解できないことを謝ってたよね? だったらそのときの私の立場をあげるから、それで許してあげる。もう気後れなんてしないで。マコ、あなたも本当に嫌だったんならその場で舌でも噛み切ったはずじゃない。後出しなんかせずにね。そうしなかったのは、気持ちよかったからよ。あなたを本当に殺したのは社会があてがった背徳的な罪悪感、つまるところ二次被害が本体なの。責任転嫁はよして。もちろん、今度は無理強いの(てい)じゃない。ちゃんと屋根の下で、一対一で、ベッドで、合意の上で、誰にも責められない普遍的な営みの方式で私の快感を追体験させてあげるから、それですべてを共有してあのころの関係に戻りましょう。私たち、切っても切れない絆で結ばれた仲だったじゃない」

 命令とも、哀願とも脅迫とすらつかない不可解な言動。そう思うのは想像力の欠如だと、そう言って彼女はそのとっかかりを提示した。それすらも想像の範疇を逸しているとは、夢にも思うことなく。

「切っても切れない絆、か」

 包み込む。そう言えば聞こえのいい、無遠慮に押し当てられた手のたおやかな甲を見下ろして言った。

「ろくなもんじゃないね、そんなの」

 溜め息と同時に息を吸い込み、声高に周知した。

「みんな聞いて。この人たち、私たちをこっちには何の落ち度もない過去のネタを持ち出して強請ろうとしてくるんだけどー」

 声量を単純に大きくするだけに特有な、間の抜けた棒読みが一帯に押しなべて広がる。遮る壁や天井を持たない開かれた空の下でのそれは、反響して意味を強めることもなくその空間に見合わない自身の丈を恥じて逃げ隠れするようにかき消えてしまう。

 ハズが、他人のこぶしに置いた手をそのままに忍び笑いした。

「ごめんなさい。助けを求められたのは心外だけど、何だかおかしくて。そんな気のない声で、無関係な通行人が物珍しさで振り向きはしてもわざわざ加勢しに来てはくれないわよ。一緒のこっちまで恥ずかしくて……」

――ミキ、どうしたの?

 木陰で無関心に立ち話をしていた女子学生が、相方をそこに待たせて一人で近づいて来た。

「マコ、血が出てるじゃない! 酷いの?」

 建物入口のせり出しで携帯をいじっていた学生も、途端に手を止めてあたふたと走り寄った。暴力的な単語の登場に、興味を引かれたせいも多少はあっただろう。

 それからも、読んでいた参考書を閉じて顔を出す者、帰り際に漕いでいた自転車ごと乗りつける者、更にはサークルの集まりか男子学生の一団までもが人だかりの中心で気遣われる客体を聞きつけるなり次々にその周囲へと駆けつけた。何より驚くべきは、その全員が決して野次馬の類などではなく、誰に教わるでもなしに渦中の人物の名をその口々で述べてみせたことだった。

「ハズ。さすがの私も、接点のひとつもない有象無象相手に大声で呼びかけるような度胸はないの」

 あっという間に自分たちのひと悶着を核として取り囲むように、鶴のひと声に呼応した何十人もの学生たちによる一糸乱れぬ円陣が形作られた。その異様なまでの一体感は、あたかも鎖で繋がれた一列の連環さながらに。

「分かった、ハズ? 今の私たちには、こんなにたくさんの友人がいるの」

 それは、親友というにはおこがましく、常に固い絆で結ばれているわけではない。中には顔見知り程度の間柄でしかなく、しまいには別の友人を介した間接的な関係、有り体に言ってしまえば名前以外を全く知らない赤の他人だっていないことはない。

 だが、その誰もがいつでも好きなときに繋がることを選べる、れっきとした仲間であった。

 たまたま群がった観衆を口からでまかせでそう言ったのではないということは、場の雰囲気が証明している。

「な、何よ、こんな浅く広くの交友関係なんて。ミキとマコの一番の大親友は私……」

「マコ! 傷口みるから手の中見せて!」

 人垣を飛び出したひとりの女子学生が申し出るなり、マコが手を引っ込め、親友を名乗る手かせを自らの意思で引き剥がす。

「マコ、なんでっ!」

 裏切られたという顔をしていた。宙ぶらりんになった素手をすかさず、こちらに残った片手に付け足す。

 こじ開けるような手つきでさらされた血まみれに丸まった写真を目に、内容は知れずとも何らかの事情を察した学生一同が非難の声を上げ始める。それにも拘わらず、

「ミキ、あなたは私の誘いに乗ってくれるよね? だって、あなたにはそんな写真ないじゃない! それでマコの気持ちが分かる? 同じ条件の私より分かるの? 想像できないでしょう! それで本当に親友のつもり? ひょっとしたらあなただけ土壇場で助かったってことすら知らないんじゃないの?」

 追い詰められたねずみが、ここへきて的確な急所をかじりとった。

「あれ? 固まっちゃった? 図星?」

 薄桃色をした唇が、にんまりとねじ曲がる。

「やっぱりそうだ! あははっ! 私だってカメラのくだりでようやく引っかかって、その後にデータを見て確信したんだもの。ずっと病院だったマコが知らなくて当然よね。でも、安心した。ミキだって心の弱いちっぽけな人間なんだ。何だか達観してみえてたけど、虚勢だったんだ。ねえマコ、聞いたよね? マコのことずっと騙してたんだってよ、親友なのに、ひどいよね?」

 長年心の奥底に居座った古カビが、日差しを当てられて俄然活気づく。その繁殖の様子が目に見えているかのように、養分となるじっとりとしたささやきをその都度適所に回し注がれた。

 まだ、まだ最高の栽培箇所には気付かれていない。積年の秘密にすり減らした心が、積もりに積もったうってつけの耕作地が。

「病院で会ったときも、すっかり男を知ったような顔になってたから全然気付かなかったぁ。それとも、直前に助けてくれたっていうその男とそのまま続きを楽しんじゃった?」

 絶好の腐植土が、悪意の種に深く深くえぐられた。摘む暇もなく根付いて芽吹いて蘭々と咲き誇った禍々しい花びらの色が、この肌を、目を、突き破って外界にそのはしたなさ、醜さを存分に見せびらかす。

 我が意を得たりと、ハズが大いにせせら笑った。

「……まさかとは思ったけど、信じられない! マコ、考えられる? マコが死ぬほど苦しんで手首まで切っちゃった一方で、ミキは自分から進んで快楽に溺れちゃってたんだよ? マコを犯した奴らの仲間を前座にしてさあ! それなのに隣で同じ目に遭った被害者面して、そそのかして、つらいこといっぱいしゃべらせて、その男たちの逮捕に協力させたんだ。他の人の男は平気で奪っておきながら、自分()とはきっとその後もいっぱいいっぱい楽しんでさあ?」

 愛したわけでも、襲われたわけでもない。たった一度でも、それこそ過ちだった。お互いあれから一度だって口を開かなかった関係を、過ちと言わずに何という。

 自身の発言の前後に齟齬が生じることすらお構いなしに、高らかにハズは唄い上げた。

「許せないよね、マコ? あり得ないよね、マコ? 本当の本当に友達なら、同じ目に遭って欲しいよね? 私決めた。やっぱりミキにはあのときと同じ状況を体験してもらう。もちろん二人がかりでね。マコはあまりにも哀れだから今回は許してあげる。そうじゃないとフェアじゃないもんね。マコも、それでいいでしょ? ……いいよね?」

 恐る恐る、マコの様子をうかがった。手当て中の学生に支えられたまま放心状態で、その女子学生も、周辺の大多数も自分を見る目が咎めるものへと変わってきている。援護射撃をくれるはずだった集団は、四面楚歌の牢獄へと成り果てた。

「マコ、私、私……」

「……ミキ、何も言わないで。言いたいことがあるのは私だから。ハズに、返事をしなくちゃ」

 言葉すら、遮られた。おぼつかない足取りで自分とハズとのはざまに位置取り、包帯を巻き終えたその手をこちらの手――ではなく、その上に被さったハズの手に乗せ重ね合わせる。

「私、ハズの言うことに賛成する」

 それは、今まで信じていたものに決別を告げるような、強くて、残酷なひと言だった。

「――『過ぎたことはしょうがない』っていう意見にね!」

 言うなり、マコは手を払い落とした。ハズの、元々はマコに組み付いていた後からのそれをこちらの手から、ここにもどこにももはや止まり木などはないという風に。

 ハズの目が、理解できないものを前にしたように大きく見開いた。

「マコ? 何のこと? 私、そんなこと言ってない!」

 取り乱すハズを尻目に、マコがこちらに向き直って朗らかな笑みをたたえた。

「ミキ。確かに私はミキと違って本当に何の前触れもなく心を殺された。そのときの痛み、憎しみ、悲しみは今でも昨日のように思い出せる」

 そう語るさなか、マコは静かに目を閉じた。それは、恐怖に満ちた惨劇を再現する作法には到底映らず、敢えて言うなれば、優しい回想を述懐するときのそれのよう。

「だから“想像”できるんだ。ミキが同じ目に陥ったときの苦しみが、そうならなくて本当によかったって、今なら心からそう思えるよ」

 それは彼女が、悲惨な過去を“思い出”として乗り越えられたことの証だった。

「そ、それにさ、ミキが実はなんにもなってないほうが、私にとっても都合がいいじゃんさ。ミキだって同じことになってたら自殺のひとつもしたかもしれないって、条件が違うんだから自分が格別弱いわけじゃないって言い訳もつくし」

 照れ隠しのように頭をかきながら、そんなことを言ってはにかんでみせた。

「おい、周りの奴ら! 私が許すって言ってんだから、私に嫌われたくなかったらお前らもそんな顔すんのやめな! 当たり前とは言わないけど、お前らの中にだって中高生時のそういうアンケの該当者ぐらいいるだろうがぁ! たまたま不謹慎なタイミングだったからって同じことした自分らだけいい子ぶってんじゃねえぞこらぁっ!」

 生来の威勢が蘇った彼女の一喝を浴びて、冷ややかだった周りの視線がなりを潜める。罰悪そうに笑ってごまかしたり、当てずっぽうに指を差し合う。「ぶっちゃけでたらめなんじゃね?」という夢みる男の疑問には、丁重にその期待を折ってやって、それでまた爆笑がこぼれる。

 手榴弾の、ピンが抜けた。木っ端微塵に爆発して、わだかまりごと吹っ飛ばした。

「マコ! それじゃあミキはあなたを理解なんかしない! 分からせなきゃ、身に染みて味わわせなきゃ!」

 逆転した形成のなかで、とっくに辟易した男二人を蚊帳の外に、唯一ハズだけが最後の抵抗を試みる。

「……ハズ、あなたが本当に友達に戻りたいと思っているのなら、きっと友達ってそうじゃないと思う。だって、私もマコもそれぞれ別個の独立した存在なんだよ。それを一本のロープみたいにひと続きだって、どんなときでも道連れだって巻き込むのは、それこそただの腐れ縁だよ? そんなのを強固な絆で結ばれた関係だってちやほやされるくらいなら、私は絆なんていらない。ここにいる仲間たちとは、もっと別の形で繋がっているから」

 ハズとの絆なんていらない。断ち切った絆の片方を手にしたそのひと言が、かつての友人に送られた最後のたむけだった。

「……ひどい。信じてたのに、ずっとずっと親友だったのに……寄ってたかって、すぐに手のひらを返すような連中と、私よりも繋がってるって……そんなはず、絶対にないのに……」

 だったらと、ハズが今の今までつかんで離さなかったこの手を、見限るように突き放した。寸前、爪を立てて骨がきしむほどに踏みしめ、新たな足場への跳躍の糧とするよう食い破り、蹴落としながら。

「絆がいらないなら、ずっとそうやって生きればいい! 誰とも一生心からの結びつきを持たず、見せかけの友情にまみれて愛のない結婚をして、そうやって最後には私みたいに裏切られて絆を捨てたことを嘆けばいいんだわ! 私のほうはあんたとは違う。これからもっと強くて絶対に切れたりしない絆を見つけて、アンタみたいにうわべだけの空虚じゃない、心から充足した人生を送ってやるんだから! そのときになっても、もうミキの居場所なんか用意しないからっ!」

 言い切ると同時に、こぶしを振りかぶった。きつく握りしめた中のカードを、そこに住む自身と友人ごと地面に叩きつけた。

 従者二人を引き連れて去っていくハズの背をたくさんの仲間と見送りながら、別れ際に意図せずしてか刻まれた甲の爪痕をしみじみと見遣った。

 やっぱり、絆なんてろくなものじゃない、と。

 一本のひもは、切れてしまえば二度と元には戻らない。そこには絶えず身を切る痛みが伴い、両端を結び直したところで出来上がったいびつなこぶがしこりとなっていつまでも付きまとい、厳密な意味で元通りになることはない。それどころか一方が足を踏み外して転落し始めた折には、強制的により合った繊維に引っ張られてこちらまで落ちてしまう。それを避けるには、身の一部を切り離すより他にない。

 私たちは、鎖の関係なのだ。一個の頑丈な輪っか同士が一時的にその切れ目を開放し、互いに噛み合わさって幾重にも重なっていく余地を残した自発的な繋がり。逃げ道のように残した隙間は信頼のなさの表れではなく、一本に編み込まれた糸のようには縛られず、いつでも好きなときに互いの身を削ることなく切り離すためのもの。そうしてまた、必要になったときに繋ぎ直せばいい。

 それぞれが磨き上げた鎖の切れ目を緩め、後ろ髪を引かれることなく集った仲間と解散する。ばらばらに散らばったまばゆい光沢を惜しむことなく、自分もマコも歩き出す。いつかまた手を繋ぐ、その日を楽しみに。

 それらの愛おしい光に連なった際、見劣りしないだけの輝きをこの身にも与えておこうと、秋晴れの空に強く願った。


 最後までお読みいただき、ただただ感激のひと言に尽きます。本当に、心よりお礼申し上げます。


 作品を書く際には、「人間は皆自分本位」をモットーにしています。この書き方だと語弊がありますが、言いたいところは、「他の誰かのためだけに存在する都合のいい人間はいない」ということです。それを常に意識することで、少しでも「作品の嘘っぽさ」をなくしていけると考えています。


 これからも、読んだ方の心が優しくなれるような作品づくりを目指していきます。

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