ヨルクライ
夜は眠らない。
今の日本ってホントおかしい。だって、夜って本来眠るものじゃん? なのに、夜の街はいつまでもチカチカとうるさく騒いでて、私たちを眠らせてくれない。自然のセツリに逆らってまで遊び回るなんて、ホントバカみたい。
私が思うに、例えば恋人なんかと夜遅くまで遊んでるような人って、その人をホントに信用してないんじゃないかな? だって、ホントに好きな人と一緒にいれば、それだけで満たされるモノじゃん? それなのに、眠いのをガマンしてずっと起きたままで遊ぶなんて、何か変なカンジ。まるで、もし寝ちゃったら、知らないうちに財布とか、それ以上に大事なモノが奪われちゃってるんじゃないかって心配してるみたい。
やっぱり、相手の人を本当に愛してるんだったら、夜は寝るべき! 愛するコトは、信じるコト。お互いのコトを心から信頼し合ってるなら、自分をどんなに無防備にしたって怖くない。守るモノが何もなくても、相手の人が守ってくれる。絶対に傷付けたりなんかしないっていう強いキズナが、二人の間にはある。きっと、愛ってそうやって育んでいくモノで、たぐり寄せてもちぎれたりしないくらいにキズナが強くなってから、お互いを引き寄せ合って、ココロとカラダをひとつにしていくものなんじゃないかな。
かくいう私は、そんなキズナを切ってしまうことのないように、怖がりつつもそろそろと引っ張り始めている真っ最中なのでした。
「ん~! やっぱり夜風って気持ちイー!」
私の名前はミキ。スペックは極めて並の、どこにでもいるような普通の高校一年生。顔だって、クラスの可愛いコたちと比べれば若干見劣りするし、身長もスタイルも少し厳しい。高校デビューして早数ヶ月経つというのに、人生が変わるような刺激的な出来事になんてちっとも巡り合えていない退屈な毎日を送っている。でも――
私にも、好きなヒトなるものができたのです。
「ねえアキ! 見て見て! 夜風になびく私の黒髪!」
私は、私の目の前に大きな背中を得意げに見せつけている最中のアキに向かってそう呼びかけた。
私の髪は、純黒サラサラのロングヘアー。周りの子たちはやたらと染めたがるんだけど、私の持論は流行なんかに流されない。
ザユウの銘は、絶滅危惧種の大和なでしこ。日本人として生まれたからには、その特性を生かしたコーディネートをするのが一番。希少価値がウナギ登りな今の世の中が大チャンス。茶道部にも入ったし、理想像に近づく日も、そう遠くない。
惜しむらくは、京都生まれじゃないコト。せめて、奈良でもよかったんだケド。
「ったく、しょーがねーなー……」
口ではそう言いつつも、アキはしっかりと私の顔を見てくれる。真面目なのに、悪ぶってるの。……カワイイヤツ。
「あー! ちょっと! 前見て前!」
すぐに私は、今とは全く逆の命令をした。
「え? あ、ヤベっ!」
自転車を走らせる前方から、一人の老人がまっすぐこちらに向かって歩いてくるのが見えたのだ。
横幅が狭い道なせいで、よけるのは相当難しい。事実、自転車とその老人とは、ほとんどスレスレですれ違った。
「コラ! 少しはスピードを落とさねーか! ……クソったれ!」
小汚い野次が後ろから飛ぶ。確かに、お年寄りにとってはスピードが速すぎて、心臓をヒヤっとさせたかもしれない。
でも、それはおあいこ。だって、お年寄りの背は小さい。それに対して私は、自転車の後ろに立って乗っている。お年寄りの顔の高さと、私のスカートの位置はぴったり重なっていて、更には強い風を浴びていた。
つまり、そういうこと。こっちがお釣りをもらっても文句は言えない。
アキこと本名アキヒロは、私の同級生。とはいっても、入学してから一学期が終わるまで、話をしたことなんて一度もなかった。……なんかクラスから浮いてたし、暗かったし。初めてしゃべったのは、二学期の学園祭のとき。私の入った茶道部は、和菓子を出して、客の前で抹茶を点てる実演をすることになっていた。ちなみに、見物料お茶代込みでひとり一回百円。その客の中に、アキがいた。
ところがそいつ、誰もが認める挙動不審だったの。一回のみならず、何回も、何回も遣って来た。お金に換算すれば千円、和菓子でいえば、なんと十皿分。甘ったるくて、意外と腹にくるのに十皿分。更に、お茶もしっかり十杯飲んでるの。胃の中どうなってんの、って感じ。それはもう、想像するだけで気持ち悪くなってくる。
でも、ようやく来なくなった。本当はせいせいするところなんだけど、そうはいかなかった。
だって、そいつが来なくなる前の最後の実演が、よりによって私だったの。それだけなら、まだ偶然っていうコトにできた。
ところが私、お茶点てるときに大失敗しちゃったの。失敗っていっても、お茶の味が悪かったとかそういうのじゃなくて、もっとこう、私のプライバシーや尊厳にかかわるっていうか、その、もちろん日本の伝統っぽく着物を着こんでたワケで……つまり、そういうコト! これ以上言わせないで。先輩なんかは『いいサプライズになった』とか言っちゃって、ホント冗談じゃないっつーの!
とにかく、その盛大なサプライズを最後に、アイツはばったりと来なくなったってわけ。
タイミングがタイミングだっただけに、私の中では単なる偶然じゃ済まされなくなった。後味と私の機嫌は、すこぶる悪かった。
だから私、何かひと言言ってやりたくて、その後すぐにアイツを捜し回ったの。
『ちょっと! 何で来なくなったのよ!』
人気のない茶室の裏でようやくそいつを見つけて、私は真っ先にそう言葉をぶつけてやった。
『そんなの、俺の勝手だろ』
アイツは目だけをこちらに向けて、鬱陶しそうに言った。
間近で顔を見て、声を聞くのは初めてだった。単なる根暗だと思ってたんだケド、意外と顔はイケてるし、声もイイカンジ。いわゆる、ダークホース的な存在。玉石混交の教室の中で、ついうっかり見逃してたダイヤの原石のようなヤツ。
それが、余計にカチンときた。
コイツが単なる根暗だったなら何にも思わなかったのに、思いの外イケメン。しかも今までそう思ってなかったギャップのせいもあって、相乗効果がかかってる。
悔しいながらも、思わずドギマギしてしまった。
『勝手なわけない! 私のあんな姿が見れて、満足したから来なくなったんでしょ! このスケベ! むっつり!』
息を切らしながら、頭に思いつく限りの文句をありったけぶつける私。ていうか、なんでこんなにムキになっちゃってんだろ。
『へ~。あのサービスの過ぎたパフォーマンスって、最初からプログラムのうちに入ってたのか』
『そんなわけないでしょ! あれはあくまでただのアクシデント! 着物なんか着馴れてないからつい緩んじゃっただけで……』
まずい。わざとだなんて噂が広がっては、間違った私の自分像が学校中に知れ渡ってしまう。なんとしても揉み消さなくては。
『なら、いくら俺が常連ぶって何回も訪れても、お前のショーが見られるとは限らないよな』
『あ……』
『そんな予測不可能な出来事をお目当てにするなんて、理屈に合わないだろ』
(マズイ……)
言われてみれば、確かにその通りだった。私は、自分の失敗の憂さ晴らしに、言いがかりをつけていただけだったのだ。
『俺が来なくなったのだって、ただ単に、お茶と茶菓子を十回も食って腹がヤバくなっただけのことだよ』
今の私は、ものすごくカッコ悪いマネをしていたのだった。
『あ、あの、その、……一応、ゴメン……』
そう謝りかけた、そのときだった。
(ん、まてよ……)
とてつもなく重要なコトに気が付いた。コイツは、まだ肝心なコトを言っていない。
今の私は、はぐらかされている。
『ちょっと待った! 今の謝罪取り消し! フツーに考えたら、そもそも腹がヤバくなるまでお菓子食べる理由ないじゃん!』
『え……いや、確かにそれはそうだけど……』
手応えアリ。ここにきて初めて、アイツの自信が揺らいでいる。
『それなのに、アンタは性懲りもなく十回も来た。その本当の理由を、私はまだ聞いてないっ!』
『……まいったな』
私は勝った。そう思った。これで、下手な言い訳はもう通用しない。いい気になって私をやり込めた罰だ。顔だけイケメン面したコイツの本性を暴いて、吠え面をかかせてやる。
『……実は、お前目当てだったんだよな』
『……は?』
ここへきて、予想外の答え。いや、予想外ではない。私の推測が当たっていたというコトを、コイツは潔く白状したのだ。それにしてはあまりにも平然としていて、悪びれてる様子なんて微塵もない。そのせいか、逆に私のほうが焦ってしまっている。
『か、カッコつけて開き直らないで!』
『あれ? 別にカッコつけてるつもりはないけど……そう見えたんだ?』
しまった、墓穴。こんなことでは、コイツをますます図に乗らせてしまう。
『お前、クラスでいっつもはっちゃけてんじゃん? 元気いっぱい過ぎて、ありえねーっつーぐらいに。なんかこう、全然落ち着いてないっつーか、そんな感じ』
その証拠に、コイツは好き放題に私のコトをしゃべり始めた。正直、悪口にしか聞こえない。その対象である私にとっては当然不愉快であり、一刻も早くやめさせるべき。
なのに、不思議と私は声を出さない。体中に動揺が走ってるせいもあるけど、その理由が分からない。
だけど、何でだろう。コイツの声を聞いてる私、なんだかスッとしてる。なんだかよく知らないけど、私の体はコイツの声を聞きたがって、私の意思に逆らっている。
ていうか、普段から私のコト見てたんだ。私のほうは、コイツになんか見向きもしなかったってのに。
『そんなお前がよりによって茶道部なんかに入ってるって聞いて、居てもいられなくなったんだよ。だって、想像つかねーもん。普段は教室や運動場で叫び回って騒ぎ回ってるお前が、放課後にはそこの茶室で着物着て正座して神妙な顔つきでお茶かき混ぜてるなんて姿。ギャップあり過ぎて何にも思いつかねーよ』
私のコトを、それも本人を目の前にしてまるで原始人呼ばわり。ホント失礼なヤツ……
『大丈夫?』
そう思った矢先、コイツは突然私のほうを心配そうに見つめて、優しく声をかけてきた。
『え? な、何が……?』
急激な態度の変化に戸惑い、思わず舌を噛んでしまう私。単なる驚きを恋のときめきだと誤解されないか、それだけが心配。
『いや、ずっと黙ってるから、らしくねーと思って。てっきり、噛みつかれるもんだとばかり思ってたからちょっと意外でさ』
文句を言われるって分かってるなら、初めから挑発するようなコト言わなきゃいいのに。言いたいコトをずけずけとしゃべってたと思ったら、途端に私の心配。自分本位のヤツだと思ってたのに、なんだか調子狂っちゃう。
『具合でも悪いの? なんか顔赤くなってるし?』
『あ、赤くなんかしてないわよバカッ!』
思わずカッとした後に、とっさに気付いた。そうだ、コレは一種の催眠術だ。言われるまでは何ともなかったのが、一度赤くなってると言われれば、実際に顔が熱を持ってくるのをひしひしと感じる。軽い男にありがちな、中身のないナンパ文句。そんなセリフにいちいち反応してしまう自分がひどく薄っぺらに感じられて、ひどく悔しい。
『私をいいようにからかってるつもりだろうけど、言っとくから! 私、アンタの手のひらで踊らされてなんかいないから!』
『そりゃそうだ。お前を手のひらに乗せたりなんかしたら、俺の腕が折れちまうよ。お前は親指姫か』
『からかうのもいい加減にして!』
私はそんなちっぽけな女じゃないと、そう言いかけたところ……
『でも、その着物着てるお前、なんか和風のお姫サマっぽくて結構似合ってんぜ』
『え? ……あっ!』
うっかりしていた。私は茶道部の出し物の途中で抜けてきたから、今の私は滅多にお目にかかれない和服美人姿なのだ。それだけならまだしも、ハプニング後の着つけが甘かったのか、なんと肩の部分がずり落ちて、真珠のような私の肌が惜しげもなくさらけ出されているではないか。
『――!』
私は素早く肩の地肌を隠して、目の前の一般の男=スケベ男に声を大にして問い詰めた。
『気付いてたんならさっさと言いなさいよ! この変態! 警察に訴えてもいいんだからね!』
そう言っても、コイツは何でもない風に言い返す。
『だって普通気付くだろ? 肩がスースーするとかそういうの何も感じなかったわけ? てっきり好きでやってんのかと思ったぜ。ホントお前鈍感だよな』
『そ、それは……』
まさにその通りで、私は何も言い返すコトができなかった。
怒りと苛立ちからか、私の内側はますます燃え盛っている。この熱のせいで、私の感覚は鈍っていたに相違ない。
それにしても、なんで私はこんなに熱くなっているのだろう。コイツと話してると、なんだかどんどん私が変になっていく気がする。
『ま、お前が鋭い女だったら、俺がお前のことずっと見つめてたってことがとっくの昔にばれてたからな』
『え?』
『あ、やべ。爆弾発言』
『ずっと見てた……?』
そういえば、さっきもコイツはこんなコトを言ってた。普段バカ騒ぎをしてる私が茶道部に入ってるのが意外で、好奇心が抑えきれなくなったって……
『あ……』
その瞬間、私の中で何かがビビっと走った。コイツは私のコトを見ていた。そして、コイツが来なくなった最後の実演が、ちょうど私の番。ってコトは……
『もしかして、私の番を待ってたの? だから、あんなに……』
『あーあ、ばれちまったか』
あーあと言ってるわりには、ちっとも悔しそうじゃない。まんざらでもない感じが丸見え。わざとらしいヤツ。
『わざわざ、十回も同じ物飲み食いして……?』
『うん。結構ヤバかった。あと一回食ってたら吐いてたかもしんねー』
『……バカみたい』
コイツのボサボサとした髪の毛が、私の着物のすそが、ヒラヒラと風に揺れている。
コイツが黙ると、耳の奥がキンと痛くなる。……なんでだろ。今は学園祭の真っ只中で、普段は勉強勉強で縛られていた生徒たちも大いに弾け、校内はとてつもなく騒々しいハズ。
でも、間近にあるはずのその声の群れが、今ははるか遠い空の下の出来事のように、やけに離れたところからのように、頼りなく、弱々しく聞こえている。
……この熱で、私の耳が溶けちゃったのかな?
聞こえてくるのは、風にそよぐ木々の葉がザワザワとこすれ合う音。太陽の光がほとんど届かない中で、コイツの上だけピンポイントで光が注ぎ、キラキラと輝いている。ズルイ立ち位置。
校内で唯一木々が密集する、隠れ家的な茶室の裏。ひんやりとした黒い土を踏みしめながら、今ここにいるのは、私とコイツの二人だけ。
『でも、見るだけ無駄だったなー。だってお前、いつもと何も変わんねーんだもん。ったく、俺の十回分の料金の千円返せよな』
『何よ……好きで見に来たくせに』
『ははは……』
それからしばらくの間、私たちは押し黙った。
『……なんだよ。いつまでもそんなジメジメしたところにボーっとして突っ立ってっとコケむすぞ』
『ア、アンタのほうが日の光独占してんでしょ! 私にもよこしなさいよ!』
そう言って私は、コイツにそこをどくように強く命令した後、光の下へとつかつかと歩み寄った。ところが……
『ん、眩しいっ!』
目線をコイツの目に合わせるために顔を上げていた私の目に、鋭い太陽の光が容赦なく襲いかかってきた。今までいた陰のほうに目が慣れてしまっていた私にとって、急激な日の光はあまりにも強烈で、眩し過ぎたのだ。
たまらず目を閉じた、そのときだった。
まぶたに感じていた明るさが、突然届かなくなった。何かが私の顔の上に覆い被さり、光を遮ったのだ。
何だろうと思った刹那、私の唇は塞がれていた。
『ん……』
目がチカチカする。陰になったりならなかったり。体勢に慣れていないらしく、目の前の頭がぐらぐらと落ち着かない。
下手なら下手なりでいいのに、背伸びしてる。カワイイ奴。
とはいえ、私が一方的にオモチャにされている感も否めない。……何かムカツク。
するときも一方的なら、やめるときも一方的。数秒後、コイツは満足したように、自分勝手に唇を離した。
でも、私のほうはまだ足りなかった。
私はすかさず分かれたての唇を、今度は私のほうから押し当てた。
『ん……』
呆けてたコイツにとっては、本当に不意打ちだったらしい。すっかり固まってしまい、慣れてないコトが丸分かりである。
当然だ。コレは私の復讐なのだから。してやったり。
今度は、舌まで入れた。
しばらくの間そうした後、互いに目と目をしっかりと合わせながら、一つを二つに、ゆっくりと引き剥がした。
『……なんか、思いがけないサービスが付いてきたって感じ? ちょっとビックリしたけど』
こっちから攻め込んだっていうのに、コイツはちっとも疲れていない。むしろ、ますます喜ばせただけみたい。逆に、長時間背伸びをしていた私のほうが息を切らす始末。
私の復讐は、見事に裏返しに終わった。結局、ヤラれっ放しの私。
だけど、不思議と嫌な気分じゃなかった。
『……あのさ』
コイツを真剣な目で見つめて、大事な話を切り出そうとする私。
今の私、コイツの目にどう映ってる?
『……何?』
ぶっきらぼうな返事ながらも、コイツの体はちゃんと私の言葉を待っている。素直じゃないトコが、かえって素直。
『アンタ……名前何ていったっけ?』
本当の気持ちだった。私は、コイツの名前を覚えてなかったのだ。
『お、お前~。あそこまでしといて言うことそれかよ~』
コイツは大げさにそう嘆いて、がっくりと肩を落とした。そのオーバーリアクションの勢いに紛れさせるように、勝手に私の腰に伸ばしていた両手もどさくさに引っ込ませる。
残念でした。期待通りの展開にならなくて。
『あ~、マジかよ~。俺、自分の名前も知らないような女口説いてたっていうのかよ~。マジありえね~』
心の底からショックを受けているらしく、頭を抱え込んでしまったままで、情けない言葉を言い続けているコイツ。
最後にようやく、私はコイツに一泡吹かせることに成功したのだ。
その日から、私たちは付き合うことになった――
「ねー、アキー? これからどーするー?」
気をとり直して、私はアキに話しかける。
「んー? そうだなー、やっぱりお前の……」
片手をポケットに突っ込み、さりげなく自転車テクを見せびらかすアキ。
「あ? ちっくしょー! マジかよ……」
「ん? どうしたの、アキ?」
「いや、何でもねえよ。それより、今からどうするかって話だよな」
突然何かを悔しがったかと思うと、すぐに平静を装うアキ。正直いって、まだコイツのコトはよく分かんない。
でも、それを探求するのが恋愛の第一歩。
「うん。アキはどうしたい? 私は、カラオケとか……」
「……そろそろ、俺の部屋とか、な」
「え……」
アキの言葉からとっさに連想してしまった物事に、私の頭はたちまちオーバーヒート。
「それってどういう……」
「だから、そろそろいいだろってことだよ!」
おかしい。こんなのいつものアキじゃない。いつものアキに、こんなことを言う度胸なんてない。
それとも、これがまだ私の知らないアキの姿なの?
「だってまだ八時だよ? カラオケとか、ゲーセンとか、大きなショッピングモールだってまだ開いてるし。私、今はまだそういう広い明るいところで、アキの隣にいたい!」
「……俺のこと、嫌いなのか?」
「嫌いって、そんな……」
違う。そうじゃない。ケド、まだ早いの。私もアキも、まだまだお互い知らなきゃいけないコトがたくさんある。私たちの絆は、まだ成長途中なんだよ。こんなときに変に焦って引っ張ったりなんかしたら、簡単にちぎれちゃう。
体はひとつになれても、心は一生引き裂かれたままになっちゃうんだよ。
「やっぱそうだよな。最低だよな、今の俺。こんなんじゃ愛想尽かされて当然だよな……」
ズルいよアキ。何でそんなに悲しそうなの? アキは最低だよ。最低だけど、今のアキに向かってそんなコト言えないよ。
「やっぱ、俺じゃミキは喜ばないんだ……」
笑ってよ。『冗談だった』って。いつもの生意気なしゃべり方で、『本気だと思ったか』って、からかってみせてよ。
綺麗だったはずの夜景の輪郭がじわりと溶けて、真っ暗闇になっていく。クルマのヘッドライトの光が次から次へと飛んできては、私の目を刺していく。
やめてよ。見ないでよ。今の私たちをそんな風に、何回も何回も照らしていかないでよ。見えないままでいさせてよ。
痛いよ。痛いよ。痛いよ……
「……アキ、今日はここで降ろして」
その言葉を絞り出すのがやっとだった。自転車が止まり、私の髪を優しくなでてくれていた向かい風が、私のもとを去っていく。
「……また今度、一緒にカラオケ行こうね」
それだけ言って、私は自転車からおもむろに飛び下りた。
「じゃあな。またおごってやるから……」
アキもまたそう言うと、ペダルをゆっくりと漕ぎながら、名残惜しそうにして走り去っていく。なかなかスピードを上げなかったのは、もしかしたら私の言葉を、仲直りの言葉を待っていたのかもしれない。
でも、とうとう私にはそれができなかった。
アキの背中が、どんどん遠ざかっていく、小さくなっていく。
涙を流すのが悔しくて、私はひとり夜空を見上げた。
星は、一つたりとも見えなかった。
「お星さまにも、きっとあきれられちゃったよね……」
星が見えなくなったのは、地球の空気が汚れてきているのと、地上が明る過ぎるからだと聞いたことがある。
人間は本来夜行性じゃないはず。なのに、その摂理に逆らって、夜に眠ることを人々は忘れてしまった。そのせいで、街の明かりは一晩中光り輝いている。……目に毒なくらいに。
それは、きっとお星さまを裏切ることだったんだよね。散々その輝きを奪っておきながら、夜遊びをすることでその手伝いをしておきながら、困ったときだけお星さまに慰めてもらおうだなんて虫がよすぎるよね。
「そんなだから、アキにも嫌われちゃうんだよね……」
こんな気持ちになるんだったら、アキの誘いに乗っておけばよかった。アキと私、二人とも悲しくなるくらいだったら、私だけが泣けばよかった。
アキの胸を、涙でぬらせばよかった……
「今さら、何言っちゃってんだろ、私……」
決めた。明日学校で、アキにはっきりと謝ろう。そして、私の考えをちゃんと伝えよう。今回の空回りも、私がちゃんとアキと話さなかったせい。アキなら、アキならきっと私のことを分かってくれる。
(アキならきっと……きっと大丈夫だよね)
今は早く、アキと仲直りしたい。そして、アキの声を聞きたい。あの、ちょっぴり生意気で、それでいてどこか恥ずかしがり屋。ほんの少し暗めだけど、その分真面目で、他の誰よりも誠実な、そんなアキの声を。
聞きたいよ、アキ。早く、アキの声聞きたいよ。
(アキ……)
「てめっ、何しやがる!」
「――!」
願いが届いたかのように、突然前方からアキの声が響いてきた。でも、近くからじゃない。それに、なんだか様子がおかしい。普段のおとなしいアキらしからぬ、叫び声にも似た感じの大声だった。
「アキっ!」
上を向けていた顔を下げて、アキが去って行った方向に目を凝らした。見ると、はるか遠くのほうに、確かにアキの姿を見つけた。こちらの声は、どうやら届いていないらしい。
(どうしたの? 何があったのアキ?)
「離しやが……!」
いつものアキには似つかわしくない怒号。一体何があったの? 何が、アキにそうさせてるの?
いてもたってもいられなくなって、私はアキのもとへと一目散に駆け出した。最初の声から、時間にすればほんの数秒足らず。
「アキっ!」
距離が近くなるにつれて、次第にアキの姿形がはっきりとしてくる。すると、アキの隣にもう一人、別の人物の影があることに気が付いた。中、高生の男子だろうか? 遠目からでは、真っ黒な学生服が夜に溶け込んでしまっているせいで全く分からなかったのだ。
(アイツ……誰? アキに何してるの?)
横断歩道の前で、自転車にまたがったまま止まって叫んでいるアキ。そのすぐ側で、電信柱に寄り添って身を隠すようにしながら突っ立っている男子学生。顔は電柱の陰になっていて、声も聞こえないが、アキと何らかのトラブルを起こしているには違いなかった。
(アキを、アキを助けなきゃ……)
そう思った矢先だった。その二人の体勢に、変化が生じたのは。
それは、一瞬の出来事だった。けれど、まるで映画のワンシーンのように、その一コマ一コマが目に焼き付いて、永遠にも感じられるほどでもあった。
そのすぐ後で、私はその考えの間違っていることを知った。それは、永遠に感じる瞬間ではなく、これから続いていく永遠を決定づける一瞬だったのだ。
「うわっ!」
アキの短い悲鳴。言葉にすれば、あまりにも単純すぎる叫び声。
そのたった一言で、自転車もろともアキの体は大きく弾け飛んだ。
「――!」
あまりの唐突な出来事に、私は何がなんだか分からなかった。
アキの体はそのまま地面の上を滑るようにして、横断歩道の上に投げ出される。
歩行者信号は、赤だった。
(……なんで? なんで赤なのよ?)
そのアキの体を包むようにして、その光はいわば、これから目の前で起こる事の顛末――アキの末路を、私にまざまざと見せつけるためのスポットライトだったのだ。
トラックが一台、容赦なくアキのほうに向かって突っ込んでいく。一応急ブレーキはかけているようだが、その減速具合は微々たるものだった。それどころか、ブレーキによるけたたましい轟音はそのトラックに描かれた運送会社のキャラクターである動物の絵柄とあいまって、アキを救おうとしたがための音よりもむしろ、獲物を目の前にして歓喜する猛獣の雄たけびにすら思える。
トラックはそれなりの速度を保ったまま、その先端部分をアキの体へと喰らいつかせた。
(やだよ……アキを、アキを食べないで……)
アキの体はこのままトラックに飲み込まれ、その車体の下へと引きずり込まれるかと思われた。
だが、アキの体はなくなったりはしなかった。まるでマズいものでも口にしたかのように、トラックはアキの体を尽く拒絶した。
詰まるところ、アキは轢かれたのではなく、はねられたのだ。まるでただのサッカーボールのように、いとも簡単に宙に跳ね上げられるアキ。
空気が入っていないのか、バウンドはしなかった。
(なんで……なんでアキを吐き出すの? 吐き出すくらいなら食べてよ。アキは、アキはマズくなんてないんだよ、おいしいんだよ……)
私は錯乱して、自分が何を考えてるのかすら分からなくなった。
ただ一つ分かっている事実は、アキがトラックにはねられたというコト。その一部始終を、私は確かに目撃した。アキのもとへと必死に駆け寄ろうとしていた最中だった私には、それを防ぐことができなかった。
「……イヤ、イヤっ!」
道路の真ん中に転がったまま、ピクリとも動かないアキ。その体の周りには、闇夜のアスファルトよりも黒い何かが点々としていて、同じものが今もアキの頭から流れ出ている。元から交通量の少ないところで、後からやってくる車はなかった。アキをはね飛ばしたトラックも、数メートル先に止まったままでそれっきり何のアクションもない。
黒の道路は、今やアキの、いや、アキの体のためのステージと化している。
いつの間にか、私は足を止めていた。
これ以上、アキに近づくのが怖かった。自分の目で、すべてを終わらせてしまうことがたまらなく恐ろしかった。
「アキ……そんなところで寝ないでよ。夜は寒いんだよ? 風邪なんか引いちゃったらバカみたいだよ。ねえ……」
こんなの、バカみたいだよ……
「やめてよ。見たくないよ、こんなの……」
私の意思に関係なく、網膜を焼き焦がした一連の出来事の映像が、私の中で繰り返し繰り返し流されていく。どんなに止めようとしても、どんなに拒んでも、それは消えなかった。
(なんで、こんなに酷いコトするの? 今さらどうしろって、私に何ができたっていうの?)
私があのままアキと一緒にいれば、こんなコトにはならなかった? ケンカ別れしたりなんかせずに、意地を張らずにアキの提案をおとなしく受け入れていればよかった? 私の本心は、私にそう言ってるの? そう言いたくて、こんな光景を何度も何度も私に押しつけてくるの?
何回も、何回もアキがはねられる姿を、私に見続けろって言うの?
何回も、何回も……
「……何回も?」
そうだ、あまりの衝撃に頭が真っ白になってしまっていて、肝心なコトを忘れていた。誰が好き好んで、自分から道路に躍り出たりなんかするだろうか。私を口説き損なったから? バカにするな。アキは、そんなコトで自殺するような単純なヤツじゃない。
アキは、二度に渡ってはね飛ばされたのだ。一回目で道路に叩きつけられて、そして二回目に、トラックではねられた。一回目がなければ、二回目などは起こりようがなかったのだ。そして、その一回目はというと……
(あの、男子学生っ!)
私の思考がそこに及ぶのと、その男子学生に不審な動きが見られたのは、ほとんど同時だった。目の前で、私よりも至近距離で交通事故を目撃し、しかもその被害者は血を流したまま動かない。それなのに、取り乱して逃げ出すでも慌てふためいて警察や救急に通報するでもなく、その男子学生は極めて自然な足取りで、アキのもとへと近寄っていく。
まるで初めからこうなることを見越していたかのように、その動作からは、動揺した素振りなど微塵たりとも感じさせなかった。
そのまま何をするのかと思うと、流血し続けるアキの頭を尻目に、アキのズボンのポケットをまさぐり始めたではないか。
(――!)
簡単には、信じられない光景。怪我人を差し置いて人の財物を物色しようだなんて、人間のやることとは思えない。思いたくない。
でも、現実だった。
「アキっ!」
私は、弾かれたように走り出した。
私の悲鳴が聞こえたのだろうか、男子学生は少しだけ焦ったようにして、その動作を速めた。他の部分にもさっと目を通した後、アキが身に付けていたであろう手のひらサイズの何かを、アキの体から強引に引き剥がす。
ちゃりんと、小さな金属のこすれ合う音がした。
(――まさか、アキの財布?)
それだけ手にした男子学生は顔が見えないようにこちらに背を向け、脇目も振らずに逃げ出していく。
アキのことなど、完全に無視していた。
(信じられない……)
嘘だと思った。こんなの、都合よく作られたドラマだけだと思っていた。相対的に他のキャラを格好つけさせるための分かりやすい悪役なんて、現実にはあり得ないと思っていた。
(人の心の痛みが分からない人間なんて、この世にいないと思ってた――)
でも、それは違った。
私は生まれて初めて、本当の悪というものを目にした。
「そこの君、待つんだ!」
不意に、別の声が聞こえた。少し年を食った感じの、耳にずっしりとくる野太い中年男の声。
見ると、アキをはねたトラックのドアが開き、一人の中年男が飛び出していた。少し痩せた頬に角刈りの、体格のいい筋肉質な男。
「逃げるんじゃない! 恥ずかしくないのかっ!」
中年男の怒鳴り声は、私とは逆の方向を向いていた。
男は逃げていった男子学生を追うようにして、鬼のような形相で駆け出していく。
(アイツも逃げていく……アキをはねた張本人なのに……)
男子学生を捕まえるようなことを言ってるが、どうせ嘘に決まってる。ああ言えば、誰にも引き止められることなく逃げ切れると思っているのだ。本当に捕まえる気があるなら、アキをはねた直後にトラックから降りていたはず。
(みんな逃げてく……みんな、みんな……)
頭がおかしくなりそうになる。人間って、こんなに汚かったの? 自分のためなら、他人がどうなったって構わないっていうの?
「あ……」
トラックの荷台を回って走る方向を変えている最中の男の目と、アキに近寄れないまま横断歩道の前で立ちすくんでいる私の目とが、ぴたりと合った。
一言、『逃げるな』と言ってやりたかった。でも、声がどうしても出てこない。
そんな私を見ながら、男はこう言った。
「……絶対捕まえてやるから、信じてくれ」
「え……?」
そのときに見せた男の顔は、今まで見たどんな人よりも真面目で……
どんな顔よりも、優しかった。
「警察と消防にはトラックの中で連絡しておいた。こんなことになって、本当にすまない」
更にそう言った後、男は、まるで陸上選手がクラウチングスタートをしたときのような猛ダッシュを見せ、あっという間に夜の向こう側へと姿を消してしまっていた。
しばらく、放心状態になる私。そんな私の目を覚まさせるように、誰かのうめき声が聞こえた。
「っ! アキっ!」
すぐさまアキのもとへと駆け寄る。今の声は、間違いなくアキの声だった。
「アキっ! アキっ!」
私の必死の呼びかけに、アキは応えた。指先がわずかに動き、唇がかすかに振動している。
アキは、生きてたのだ。
「……っ! ミ、ミキ……」
「アキ! ダメ、しゃべっちゃ!」
しかし、アキの声は今にも消え入りそうなほどにか細い。自発的に呼吸しているような声ではなく、まるで穴のあいた風船のように、ただ外に漏れていくだけの、残り物の空気。
もし、それがなくなってしまえば、アキは……
「……ミキ、ゴメ……ン、な」
「謝らないでいい! アキは何も悪いことなんてしてない! だからもうしゃべらないで! 息しないで!」
だが、アキはそのことを聞き入れてはくれなかった。うっすらとほほ笑むようにしてまぶたを閉じると、そっと優しく、頭をわずかに左右に振ってみせる。
「……やっぱり、俺だけの力じゃ……み、ミキのこと、喜ばせら……れな……かっ……」
プツンと、耳をつねられたような感覚。それまで聞こえていた音が突然途切れたとき特有の、どこか現実感を欠いた空々しい余韻が耳の奥で暇を持て余している。
わけも分からず、耳を塞いでいた。そうしないと、アキの声が出ていってしまいそうだから。ここにしか残っていないアキの声が、私を置いて去っていってしまいそうだったから。
もう二度と、新しく入ってくることのない――
「……アキ?」
力の緩んだ両手の指の隙間から、最後の声があっけなく流れ落ちていく。
それっきり、アキはいなくなった。目の前には、つい先ほどまでアキだったモノが血の海に囲まれて静かに横たわっているだけ。
まばらな街頭に見捨てられた道路上の間隙、ただでさえ闇夜で暗度を増したアスファルトの上をより一層の漆黒が塗り潰し、あたかもそこにはぽっかりと穴が開いたよう。反射する光もない底なしの暗闇の中、その中央でアキの体は風船のように浮かんだままでいる。
(ふうせん……そうだ、アキに空気入れなきゃ……じゃなきゃ沈んじゃう……)
人工呼吸という単語が、おぼろげながら頭に浮かぶ。アキの頭の横にひざまずくと同時に、でこぼこの路面をなだらかに映すほどの厚みを持った血溜まりが絡みつくような粘性を伴った弱々しい水音を鳴らす。
その存在感を新たな外層によって数段にも膨らませた髪の毛が指に絡みつくのも厭わず、アキの頭を両手で抱え上げて路面から引き剥がし、力なく開かれてカサカサになった唇に自身のそれをこすり付けるようにして覆い被せる。
「アキ……お願いだから早く起きてよ。そしたら私、アキの望むコト何でもするから……」
穢れを知らない無色透明の涙でさえも、紅く染まっていく。
必死に空気を送り続ける一方で、これはアキの度を過ぎたイタズラなんじゃないかとも思っていた。初めから人工呼吸を装ったキス目当てで、こんな大それた大芝居を打っているのではないかと。それなら普段より激しいコトをすれば満足して起き上がってくるはずだと、舌がしびれて動かなくなるまで攻め続けた。
それから、口臭防止を施し忘れたことも気がかりだった。死体役をやめて目を覚ましたアキに開口一番でそのことを言われたらどうしようとか、まんまと騙してやったみたいに思われるのはしゃくだとか、そんなことを色々と考えているうちに……
(なんだか……眠くなっちゃったよ、アキ……)
息を吐き出し過ぎて酸欠にでもなったのだろうか。視界は次第ににじんでぼやけ、四肢の感覚でさえもおぼつかないものへとなっていく。
(そうか……私も落ちちゃうんだ……)
無意識に血溜まりを避ける格好となり、アキの体に交差するようにして倒れ込む。
(このまま一緒に寝ちゃえば……アキとひとつになれるかな……?)
数分後、駆けつけた救急隊員の目に映ったものは、血まみれになって折り重なった若い男女二人の姿だった。いくら揺さぶってみてもぐったりとして反応はなく、片方の少女がまるっきり無傷の体であるということに気付くまでには、思いの外時間を要したのだった。
読者の皆様、ここまで目を通していただきまことにありがとうございます。
ケータイ小説の読み味を目指して書き始めた本作ですが、家族に読んでもらった際、何故か「アキはマズくなんてないんだよ」の部分がツボにはまったらしくそこだけやたら爆笑していました。自分としては単なる混乱の演出だったのですが、読み手の感性は人それぞれだと感じ入った次第です。
主人公の心中を反映してか、次章以降は作品の雰囲気が段々と変化してきます。是非とも最後までお読みください。




