刃の神
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2025/06/30 編集しました。
寝室のベッドにとりあえず沈んで、気付いた。シーツに金色のシミ。触れたらまだ濡れていて、俺の服も濡れていて、自分の血だと気付くのに時間はかからなかった。慌ててベッドを降りて、鏡で自分の姿を確認する。
そして気付いた。
まさかとは思ったけれど、ちょっとやってみたわけ。口に出して。思っていることを。
「俺って、ほんと、役に立たねえなあ」
バシュッ。
はい。
怪我しましたね今。
”言の刃“怖い、俺は自分すら傷つけるってことですかい。というか、たぶんこの細かい傷は俺自身が自分に向けた感情と自分への感想から出てきたもの、と考えると。
俺、イリスの前で既にボロボロに……?
おっと、余計皆の前に出れないぞっ!! 血だらけだぞ俺!!
そう思っているところへなんでお前が来るんだカドモスっ!
カドモスは絶対にアレスに状況を報告してしまう、それだけは避けたいっ! 今下手にアレスを傷つけるようなことは―――あれ、なんで俺アレスが俺の心配するとか思ってんの?
ザシュッ。
「ぐっ……!」
「うぉ!? なんでいきなりそうなったっ!?」
カドモスが声を上げた。今の痛かった、膝を着いた。うわーんこれ諸刃の剣だぁ。
当たり前か。だってこの力は。
”ゼウスとヘラを傷つけるためにある”力だ。最高神たちを傷つける力の代償、軽いはずがない。こなくそ、十分だやったるわ。
「悪いカドモス、心配するなと言えないのが残念だが、俺の権能の反動みたいなもんだよ」
「タチ悪いな」
「ほんと、言葉が“言の刃”になるんだから想定しとくんだった」
「!」
カドモスは結構俺のことをそもそも気にかけてくれる傾向があるのでいいやつすぎる。俺の言葉にカドモスは眉根を寄せた。
「……それが本当なら、アレスとは相性悪すぎるぞ」
「思い知ったわ」
カドモスは慌てて戻っていった。たぶん俺が居なくなったから探しに来ちゃったんだな。権能さっそく暴走とか笑えない。つーか暴走すらしてない気がする。
ちょっとばかしふらつく脚でなんとか立ち上がった。深い傷はほとんどないんだけれど、傷口が熱を持ってジンジンと痛みを伝えてくる。
自分ひとりじゃ傷の手当てを出来ないのが辛いな。ばたばたと走ってきたのはアレスで、なんでお前が来てんのとかいろいろ思ったけれど、カドモスが俺とアレスの問題だと思ってアレスを呼んだらしい。
「……なんだ、それ」
「……あー、俺の権能の反動?」
「なんで疑問形なんだ?」
「いや、こんななったの初めてだから」
「……お前、神になってどれくらいだ」
アレスが無表情のまま問う。俺は苦笑いするよりほかになかった。
「……4日目、です?」
「そのくせそんな馬鹿強力な権能つけられたのか」
権能ってゼウスからつけられるものなのか? 俺つけられた覚えないよ? それともちゃんとゼウスからもらってこの権能?
「……いや待てよ。言葉だけなら俺よりアテナんとこ行くだろ……まさかそれ基本スペックか」
「……分からねーよ。目を覚ましたらすぐ会議に引きずり出されたし」
「……」
アレスが考え込む。ヘンなやつ、さっきあんな別れ方したのにもう俺のことを考えてるなんて、相当な御人好しだな。
「アレス、お前人が好過ぎない?」
「……最近割とよく言われる。ヒーリングぐれーなら俺もできる、キトン脱げ、ヒマティオン貸してやる」
「え、悪いよ。たぶんこれ下手なこと言うとざっくり行くし」
「隠し事できなくてむしろ都合がいいな」
「は?」
「傷付くやつほど抱え込む。怪我するってんならありがてぇ、皆そうならいいのに」
アレスの言葉がぐさりと来た。馬鹿か、とは言えなかった。心からそう思っているような眼しやがって、でも悪意がないから余計に怖く感じた。
「……省略し過ぎだろ。皆が怖がるぞ」
「それで正しい」
アレスは分かれとは言わない、理解されることへの諦めが見て取れた。こういう反応するってことは、俺の想像通りでいいのかよ?
“傷付いていることを隠してさらに傷付いていくのを見るより目に見えて休めって言えるようになった方がいい、皆そうならいいのに”。
他人が言いたいことを頭の中で補填するのは日本人あるあるだと思うけど、ここまで補填しなきゃいけないのもなかなかないと思う。
もしこの解釈がマジだったらお前本当に舌っ足らずだよ。このセリフお前にそのまんま返していいか。俺の力でお前が言葉で受けた傷を視認できるようにとかならないのかな。
「……イリスが、お前にケガさせたっつってた」
「ありゃま。謝りに行かねーと」
キトンを脱いでアレスのヒーリングを大人しく受けた。あったかい。すげーふわふわしてくる。
「なーアレス」
「なんだ」
「勝己さ」
「……ああ、今日来たアイツか」
「うん。……アイツ俺がヘマしなかったら死ななかったんだよ、たぶん」
「なにが言いたい?」
アレスの問いに対して、ちょっとアレスの方を振り返って言う。
「アイツが笑って生きられる世界にしてよ」
アレスが目を見開いた。とりあえず、俺の願いはこれだけだな。
ゼウスから言われた言葉。
『オリンポス12神に願え、ただし1人にひとつだけだ。その権能の領分を超えたものは無理だが、大体のものは聞けるだろう。そして、願えば、叶えられたら最後、その神に対しては服従となる』
オリンポスの神々が管理者的な立ち位置にいるのは何となく察せられる。今の俺の立ち位置的にも、ギリシア神話に強権がある状態はありがたい。だが、底には所謂絶対的な力を持つ上級神とそれに従う下級神の分け方が存在してしまう事にもなっているらしい。
ゼウスから教えられたこの制約を、上等じゃ使わず行ってやるぜと豪語したけどここでアレスに使っちゃおう。俺が軍神系統である以上、上司はアレスかアテナにしかできないし。
「……平和か?」
「んなわけねーじゃん、いや平和はありがたいけど」
傷が全部塞がったらしく、背中をポンと叩かれた。ありがとうと礼を言って、アレスのヒマティオンを借りた。
「平和じゃねーならなんだよ」
「言ったら意味がないから自分で探せよ」
「……」
アレスは悩み始めた。オイオイこんなとこで悩むなよ、皆お前のこと待ってるだろうって言いながら俺は立ち上がる。アレスを連れて大騒ぎの会場へと向かった。
既にヘラクレスとアキレウスは酒が入っていた、カドモスはばっちりアレスの席をキープしていた。ディオメデスはブドウを摘んでいた。デイモスとフォボスはパンにかぶりついていて、アレス待たずに食うんかいと俺が突っ込むとごめんなさいと返ってきた。
「……はは」
小さく、アレスが笑った。俺はそんなアレスを見てなんかほんわかとしたぬくもりが胸に溢れて、ほっとした。よかったよかった。幸せそうに笑うアレス。いつの間にか俺が引っ張られる方になっていて、アレスがカドモスが張っていた場所に座って、その横に俺が座る形になった。
「……え、アレス?」
「なんだ、不満か?」
「え、いや、不満というより……仰天?」
「なんでだ?」
「いや、なんつーか。アテナたちから聞いてたけど舐めてたわ」
「過大評価だろ、アテナとヘファ兄は」
アレスの手が少し震えていて、俺は言葉を選んでよかったと思った。思ったことそのまま言ったらアレスを傷つけていたかもしれないな。
“捨てられると思ってた”
ザクッ
「今何考えたか言ってみろ」
「言わない! 絶対言わない!」
アレスがにやりと笑って俺を見て、いきなり切れた左手の甲に手を重ねてヒーリングをしてくれた。デイモスとフォボスが目をぱちくりさせていて、急に俺を睨んだ。
「!?」
「お前油断ならねーやつだなぁ! どうやってとーさん口説いたぁ?」
「ヤツザキだぁ」
「お前ら酔ってるな!? 誰か氷寄越せ!」
デイモスが双剣、フォボスが大剣の柄に手をかけたけれど、アレスがぱっと手を振った。すると、デイモスとフォボスは剣から手を離した。
「落ち着け、デイモス、フォボス。俺がこいつを気に入ったんだ」
片腕で抱き寄せられて驚いた。見上げる形になった。アレスって195はありそうだな。うわすげー、綺麗な顔。女なら惚れるだろこいつ。なんで正式な奥様居ないんですかね。争いの女神エリス説もあったけどどうもそんな話聞かないしな。
カドモスがアレスの酒杯にネクタルを注いだ。あんまり量を入れていないのは、あまり飲めない可能性のあるアレスへの配慮からだろう。だからって俺の酒杯になみなみと注ぐのはやめてほしいかな。未成年なんですけど。
「……なんか、楽になった。ありがとう」
耳元で言われて、会話で聞いているよりずっと低くて包み込むような声に、安心感を覚えた。でも、耳元はくすぐったいです。
「こっちこそ」
アンブロシアに手を伸ばして、アレスと自分の皿に取った。カドモスの横に座っている超美人な少女はきっとハルモニアだろう。話通り、金髪に桃色の眼、アレスと目が少し似てるな。俺を見てにこりと笑いかけてきた。そろそろディオメデスが酔い始めた、酔い始めると彼はトロイア戦争でのオデュッセウスの愚痴を言い始めるのでわかりやすい。というか味方だったくせに何だこの仲の悪さ。ああ、オデュッセウスが裏切ったから傷付いてたんだっけ。
アレスは少しずつ食べていた。うん、食べようっていう意思があるだけましだ。ところで、俺アレスのこと拒食症だと思っていたけど違う気がしてきた。あれ体系について悩む女子の病気じゃないっけ?アポロンに聞いた方がいいかな。やっぱ鬱かな。
食事を終えた俺とアレスはイリスとヘラの許へ向かうことになった。その間に、神々にいくつか権能によって分類される括りがあることを知った。
例えば、オリンポス12神と言っても、簡単に言えば彼らは皆家族であり、集まっているだけ。ゼウスは雷神、ポセイドンは海神というように、司るもので称号は変わってくるとのこと。
「ゼウスは雷神、ポセイドンは海神ね。デメテルは豊穣の女神?」
「ああ。ヘス伯母上、母様は守護女神だ。アテナは戦神としての性格の方が強い。俺も戦神」
「ハデスは?」
「ハデ伯父上は冥王としか言わねえなぁ。冥府の統括者なんてそういない気がする」
ペルセフォネことコレーは二面性のある女神だけれど、冥府の女王と豊穣の女神ということになるらしい。
「俺は?」
「お前も戦神だろうな」
ヘラの家に行くのにすれ違う神々は愛想笑いを浮かべるか、あからさまに嫌そうな表情をした。そこまでアレスを嫌うことないだろうに。
「気にするな、俺が軍神だからこうなるのは当たり前だ」
「?」
ずっと思ってたけど、戦神とか軍神とか闘神とか言い方いろいろあるよな。どれかにしてほしい気もするけど。
「軍神、戦神、どっちが正しいんだ?」
「……ああ、どっちも正しい。戦神は2種類いる。俺タイプとアテナタイプ。俺タイプは軍神、闘神、武神ってランク分けがある。アテナタイプは軍略神、将軍神ってランク分けできるけど、まあ、知略の神とか呼ぶ方が多いかね」
「……一兵卒か将軍かってことか」
ザクッ
「今ので傷付いてんじゃねえよ……」
「いやなんか貶める言い方が気に食わず」
「一兵卒万歳、兵士がいないと戦争にならん!」
アレスがまたヒーリングしてくれて、俺も早めにヒーリングを覚えないといけないと思った。
更に詳しく聞いたところ、通常は武人型か将軍型かと呼び分けるらしい。アレスが一兵卒なら俺も一兵卒、と笑って言ったらお前に一番槍はやらん、弓兵がお似合いだとか言ってきて、ふと某ゲームを思い出してしまった。
廊下を歩いて、ヘラの部屋の前に来ると、そこからヘベとエイレイテュイアが出てきた。俺とアレスを見て、ぱあっと表情を明るくしたヘベが、部屋の中に向かって言った。
「母様! イリス!」
ところで、ここ数日オリンポスを見回っていて気付いたことなのだけれど、母親のことを母様と呼ぶのが女神、母上と呼ぶのが男神のようだ、これはオリンポス12神に徹底されていることのようだったのに。
アレスが入り口に立つ。
「母様、失礼します」
「……アレス」
中にはヘラとイリスがいた。
「失礼します、ヘラ、イリス」
「2人ともお入りなさいな」
ヘラに促されて俺とアレスは部屋に踏み込んだ。ヘラはもうすぐ故郷に帰る時期らしい。荷造りをしている。こちらはゼウスのためでもあるのでそっちは頑張れといいたいところ。アレスはやっぱり少しヘラとの間に距離を置いているようだった。
「顔を見せてくれてありがとう、アレス」
「……いえ」
アレスは幸せそうに笑った。俺はイリスの方へ向かう。
「イリス、さっきはホント悪かった」
「い、いえ……こちらこそ、何も知らずに、本当に申し訳ありませんでした……あんなに反動の大きな権能をお持ちになっているなんて」
「あー、アレはホント不可抗力ね。こっちも怪我して知ったというか気が付いたというか」
その時、アレスが俺をぐいと引き寄せた。
「……アレス?」
「ゾーエー、お前……」
ヘラが何か言ったのかと思って、振り向いた。そこには驚愕の表情のアレスとヘラがいた。なんだろうと思ってイリスの方を向くと、イリスも驚愕の表情で俺を見ていて、俺にはさっぱり意味が分からなかった。
「な、なに?」
「……お前俺より強いじゃん、自分に返ってくるの当たり前だ」
「は?」
父様より強いんじゃないの、とアレス、そうかもしれないわとヘラ。アレスとヘラとイリスに引っ張られて鏡の前に立たされて、俺の体は青光りする光に包まれているように見えて、これ何? これが神力の光であることだけは漠然と理解した。神力が溢れかえっている、この色は見たことない、固有色だとかヘラ達が言い出して、俺は混乱した。
イリスから説明をもらえた結果わかったのは、神々、特に力のある神は神力が色を呈する。オリンポス12神、原初神、ディオニュソス、クロノス、ハデス、ヘラクレスあたりがそれらしい。抑え方を覚えないとこれじゃあ自分に反動が返ってきてしまうとのこと、この後ヘファイストスのところへ行くことが決まった。
「帰る前にアレスに会えてよかった。感謝しますわ、ゾーエー」
「いやいや、こちらこそ、何も知らないものだから。これからも何卒よろしくお願いします」
ヘラとアレスの間にはゆったりとした時が流れたけれど、どうにもアレスの存在が希薄になる。仕方がないんだけれどね。平和の中にアレスはいらない。
ビシャッ
「きゃあああ!?」
「ゾーエー!」
「どうしたのです!?」
ああいかん皆を驚かせてしまった。
「いや、ごめん、回想してたらちょっと」
「何を回想してた?」
「言わないからね!?」
アレスが俺の裂けた頬に触れてヒーリングしてくれた。
「アレス、むしろヒーリング教えてくれ」
「あ、それは嫌かも」
「なんで?」
「治すのに誰かのトコに行かなくなっちまう」
「俺は脱走する飼い猫かなんかか」
アレスは構いた性なのか。ヘラは人間の親ってこうするのかしらと言って金貨を数枚渡してきた。ヘファイストスに依頼する際には神々もちゃんとお金を払っているようだ。
「それでヘファイストスに依頼を出してきなさいな。あの子は今たぶんアヴリオスにいるから、依頼を受け取るのは明日になると思うけれど」
「ありがとう、ヘラ」
「ありがとうございます、母様」
アレスは深々と礼をしてた。ヘラは少し悲しげな顔をしたけれど、すぐに笑って、じゃあねと手を振ってきた。イリスも今度は笑って手を振って、俺とアレスはヘラの部屋をあとにした。
ヘファイストスの工房へ行くと、助手の3人のキュクロプスがいた。でっかい単眼、怖っ!アレスが俺の肩に手を置いて、彼らに笑いかけた。
「アルゲス、ステロペス、ブロンテス。依頼を出しに来たんだが、開いてるか?」
キュクロプスたちは大きな一つ目でこっちをぎょろりと見て、笑った。
「開いてますよ!」
「アレス久しぶり!」
「ちゃんとご飯食べてる?」
心配性なのか。そうなのか。
「あ、ヘファイストスが言ってた新人君かな?」
一番背が高い彼がどうやらブロンテスのようだ。金髪だよ……。目は赤い。こうしてみるとルビーみたいで綺麗かも?
「間違いないよ、見てこの綺麗な黒鉄色!」
「地球の極東の人ってこんな色してるよねえ」
ええおそらく合ってます、そこ日本でしょう。刀でしょうそれ。なんかちょっと嬉しくなった。
「ヘファ兄のことだから、もうこっちが頼んでくることぐらいわかってたんじゃね?」
「うん、できてるよ。でもねー、1個じゃ抑えられそうにないから、武器とアクセサリで持って行ってねって言ってたよ」
金に近い茶髪とスカイブルーの瞳はステロペス。焦げ茶色の髪と赤い瞳はアルゲスだ。
「ゾーエー、父様たちからはなんて言われてるんだ?」
「あ、冒険したいだろうからお友達と一緒に遊びに行っていいけど神殿に絶対寄ってね!って」
「なるほど、父様代わりに俺を強制召喚する気だな」
アレスは苦笑した。召喚するくらいなら俺のこと褒めてくれたらいいのに、なんてね。そう言ったアレスの顔がとても悲しげで、俺は旅立つ前に一発ゼウスに怒鳴り込みをしてやろうと思うのだった。