戦の予感
<Side of Zoe>
ディオメデスの先導で無事に神殿跡に辿り着いた俺たちは、すぐさまあたりの確認を行う。魔物はいなくて助かったと思ったけれど、本当にこれでいいのか?という謎の疑問が浮かんできた。神殿の中、祭壇があっただろう場所には瓦礫があって、周りには人骨が転がっている。
「うわぁ……」
「早めに済ませよう」
ディオメデスはそう言って勝己とともに準備を始めた。俺も手伝う。
神晶石を祭壇を作っていたであろう石の上に置いて、なんか言えばいいらしい。
「何か文言は浮かぶか」
「まあ、なんとなく」
「よし、言え」
隆志たちが警戒をしてくれている。
「勇猛なる武神アレス、俺の声を聞き届けたまえ」
神晶石がぶっ壊れた。
『よし、つながったな』
「アレス」
『加護の調整するからちょい待ち』
アレスがせっせと支度している姿が目に浮かんだ。そして、閃光とともにアレスが現れた、が、ローブ姿!
「今ぐらいよくないか」
「無理、癖になった」
「えー、もったいない、綺麗な顔なのに」
勝己の額に手を当ててアレスが加護の調節を行う。しばらく触れていたが、淡い赤い光が溢れ、アレスの手が離れると同時に消えた。
「ちったぁ変わったろ」
「おお……なんか、体軽いし、あと胸が熱くなってきた」
「は?」
素直な感想を述べたらしい勝己に対してアレスが首を傾げた。
「おいおい、そんな効果は……まさか、」
アレスはディオメデスと顔を見合わせた。
「敵襲か?」
「え?」
見張りをしている隆志たちには特に変化なんてなかった。
「視認できないのかもしれん」
「ちっ、テュデウス、見渡せるか」
アレスは上にいる使いのひとり、テュデウスに声をかける。ディオメデスの父親で、最後には発狂しなさったお方だ。ディオメデスと違ってこちらには首輪がつけられていたのでよく覚えている。
「……くそ、感覚が鈍ってやがる」
どうやら、何か戦争関連のモノが近付いているらしい。アレスは声を上げた。
「おい、アテナのファミリア、お前このパーティのリーダーだろう、全員呼べ、集めろ」
「は、はい」
隆志にそう言ってアレスは建っている柱の一本に手をついて外を見渡す。ギリシア風の神殿は基本的に小高い丘の上にある。普通はこれを中心に都市としての集合体を作って生活していたらしいが……この神殿跡、なんでこんなに生き物の気配がないんだ?
「アレス、あんまりにも静かすぎやしないか」
「そうだな……俺のせいでもなさそうだ。ん?」
アレスが何か見つけたみたいだ。そちらを俺も見た、何か石の組み込まれたものがあった。
「……まずいな」
「え?」
「何も居ないんじゃねえ、全部殺されたんだ」
横に来たディオメデスがうなった。
「あれは結界宝具。魔物の出現を阻んでいる……余計なことを、オリンポス式ではないぞ」
何故だろうと思ってまずは、ここを根城にするつもりかということを考えてみた。え、ちょっと待って、ここって国境近いのかな?
「ディオメデス、ここって国境付近なのか?」
「ああ。あの山を越えれば隣国・アルフィ王国となる」
指さされたのは西。するとアレスが言った。
「もう一つ隣国があってな、南のガッテラ王国もなかなかうざいぞ」
「どちらの国だろうか」
「ま、帝国に入ろうってんだから連合の可能性は否めないな」
アレスが言った時、隆志が皆を連れてきた。
「連れてきたよ」
「ああ、ご苦労。お前たちに言っておきたいことがある」
「?」
「今、ここに結界宝具が布陣されていることが分かったんだが……まさか破壊したとかはないよな?」
「はい、壊してはないですけれど」
ヘルガが答えた。アレスはほっとしたように息を吐いた。
「おそらく戦になるぞ。俺たちはアレに気付いたが何なのかは知らず、目的のモンスターがいなかったので帰る。これで切り抜けるぞ」
「いけるのか?」
俺が問うと、アレスはうなずいた。
「普通あれを知っているのはここよりもずっと強い魔物がわんさか出るところで狩りをしている奴らだからな」
「要は、レベル制限付きのアイテムってことか。俺たちはあのアイテムを見聞きしたことすらないほど低レベルの人間、ってことにしておく……ってとこだよな?」
「ああ」
「……レベルって何?」
ユリアが問う。するとヘルガさんが答えた。
「ずっと神晶石を神殿で捧げるとね、たまにアイテムがいただけるの。とってもわかりやすいことに、皆同じ形。それ全部こんな風に紐に通して持っておくのよ」
ヘルガ、隆志とルイもごそごそとし始めて、革紐に通したプレートを見せてくれた。
「私たちはまだ1枚目だけど、ほら、昨日のアレスファミリアのオジサマ。彼は今何年って言ってるの?」
「30年って言ってたけど」
「じゃあプレート3枚目くらいかなあ? これ、石が10個はまるんだけれど、今私3個目ね。ここまで来るのに5年はかかったわ。この石1つがレベル1」
外見17前後だと思うんですがね。レディに齢は聞くなっていうだろ。
「さて。もたもたしてると退路もなくなっちまうぜ」
アレスが言った。
「視認できる距離に来たのか?」
「ああ。人間にゃまだ無理だけどな。……ああ、めんどくさいな。パーンがまた泣く」
アレスが悲しげに目を細めた。パーンと言えば、ヘルメスの息子だろう。ディオニュソスとは仲がいいのだとディオニュソスが言っていた。彼は牧神パーンというくらいだ、平原に住まう神のはずだ。なるほど、このあたりの草原が行軍経路になればパーンにとっては痛手になる。そして、踏まれるだけならまだしも、ここは戦場になる可能性だってある。1時間ほどの距離のところに中継貿易の要の都市があるわけだから当たり前だ、国に属しているということはさっきの会話からわかるし、国が守らないわけがない。
「ゾーエー、お前の初陣はおそらくこの戦になるだろう。パーンの慰めは頼むぞ」
「曾孫ちゃんの面倒は自分で見ろよ」
「わかってる」
そしてもう一つ気になることがある。アレスとアテナはどっちの味方だ?いやそもそも、軍神が味方になるなんて、あり得るか?
「ゾーエー、もう俺とアテナがどっちにつくか不安だって顔してるぞ」
「不安になるに決まってるだろ!」
「安心しろ、俺とアテナが同じ方を支援する可能性は低い。アテナのファミリアは帝国の方が多いからな、帝国側をアテナは支援するだろう」
「……じゃあ、アレスは向こう側を?」
「そうなる可能性は高い。お前は好きな方についていい」
アレスはそう言って俺の頭を撫でる。でもさ、考えてみろよ。
俺が支援できるのは剣士だけ。アレスの方には不和のエリス、恐慌のデイモス、敗走のフォボス、エニュオたちだってついてくるだろう。戦力差酷くね?
「アレス、戦力差がやばいと思うんですが」
「アテナの回復次第だな。全開になりゃあ俺を捻って……捻れるかな、今のアテナで?」
「自分に問いかけてどうするんだよ! 俺アテナの力がどれくらいなのか知らないんだけど!」
「うわやべえこれ王に話つけないとマジでやばいかもしれない」
アレスが考え込んでしまった。加護が戻って来たらしい隆志が剣をまだ引きずりながら近づいてきた。
「戦争になるのか」
「そうみたい」
「まずいな……ファミリアの俺が感じるほどだから、アレス、あなたは相当な神力を持っておいでなのでしょう」
「……分かるのか」
「はい」
隆志は不安げだ。神力の感じ方がよくわからないから俺は何とも言えない。
「あなたとゾーエーがいるだけでこの空間にいる精霊たちが、抑え込まれた精霊たちが、怒りに打ち震えている。今にも抑えを破っていこうとしている」
ヘルガさんも言う。そうか、アレスは皆に発破をかける役だからそうなってしまうのか。
「アレス、神力の効果が権能になるのか?」
「ああ。王のファミリア、精霊たちの抵抗は強まっているのか?」
「はい、徐々にですが強まってきてます。早めにここを離脱しないと、行軍と精霊の戦闘に巻き込まれる可能性も」
「エルフと俺のは置いとくとして、アルテミスのファミリアにはちと痛いな。離脱準備は?」
「出来てる」
ああ、話というか、いろいろと対応が早いなあ。さすがプロ、というかこの世界でずっと生きてる人たちだなあと思いながら俺は隆志たちを見ていた。
「ヘルガさん、精霊って種族は何になるんですか?」
「精霊は下級神に当たるのよ。つまり、神。ファミリアに抑え込まれるほどの力だけれど、通常の人間、ファミリアになれない者は皆精霊の加護を受けることが多いわ。その精霊を統括する大精霊、これは中級神になる」
「俺は中級神に当たる。だいぶ上級神に近いがな」
ディオメデスが言った。そうか、それくらいの力か。つまり、地上と交信するほどの力はない。
「アレスは上級神というか、上級神とか言ってられないくらい神力持ってて今実際かなり怖いんだけど」
「アレスは戦場以外ではすっごく大人しいってアテナから聞いてるが」
「そうなの!? 神話は!?」
「それたぶん王都の守護女神がアテナだからできたアレスの貶し話だろ」
ルイが言った。弱いってここでも言われていたようだな、アレス。王都と彼が言ったのは故意だろうか、ここ帝国って言ってなかったっけ、ここの首都は帝都じゃないのか?
とりあえず、準備が完璧に整ったようだ。さあ、逃げようか。
ぞろぞろと歩く集団の中にいた青年は気付いた。近くにアレスがいる。
まだ戦闘の意思がないことを示すために武装らしい武装はしていないとはいえ、人数は万単位である。
領主にはやめろと言ったのだがなあ、と隣の男と女が小さく話している。とはいっても、馬上から聞こえてくる話声である。
「何を考えておいでなのか」
「帝国の手が伸びてこないようにすればいいだけなのに」
まあそりゃ仕方ねえわな、と青年は思う。帝国と呼ばれる、現在青年たちが不法入国している国家は“氷河帝国”グレイシアと呼ばれる国家で、これは帝都が年中氷に閉ざされているため付いた名である。実際の国家の名前は誰も知らない。元々人間の国家ではなく、魔人の国家だったと言われている。
「そもそも、帝国から領土をぶんどっているのだから攻められても何も言えん気がするがなあ」
「それを言ってやるな、それでノイローゼになっておいでなのだから」
青年はそんな会話を聞きながら静かに歩く。
「おいテツロー」
「はい?」
名を呼ばれて青年は馬上の男を見る。男の馬は黒毛、女の馬は白馬である。
「近くに人間はいるか?」
「ああ……ちょっといますよ。神が3柱、ファミリアが6人」
「感づかれたか……」
男がつぶやくと女がいや、と言った。
「結界を張ったせいで近くの魔物の出現率が上がっているのかもしれない。または、あの遺跡には低レベルパーティが狩るのにちょうどいい魔物がごろごろしていた。それを狩ろうと考えてきていただけかもしれん」
本当にそうだろうか、と男が不安げに呟く。テツローと呼ばれた青年はそうとしか思えなかった。
「神が3柱来てるってことは、あれが結界だってことには気付いてるだろうけれど、何もしないと思いますよ。たぶんほんとに低レベルパーティだ」
加護を深く注がれた者がいなくはないようだが、それでも6人のうち2人はまだ加護が行き届いているとは言い難かった。慣らすために来ていた、ぐらいだったのではなかろうかとテツローは思った。
それにしても、アレスが降りてくるとは、戦争でもないのにとテツローは思う。戦争の意思がこちらにあればきっと颯爽と現れたに違いない。しかしこの士気の低さである。アレスは反応しないはずだ。
おや、移動を始めたなあとテツローはつぶやいた。
「移動を?」
「ええ、向こうにいる神がアレス神と、ディオメデス神、そして初めて見る神ですが、神力の量だけならハデス神に匹敵する馬鹿強力な神がいますね。戦神の系統なのは間違いないです。あ、でもちょっと鍛冶が入ってるかな」
「新しい兄弟でもできたのかしら」
女の言葉にテツローは笑った。
「そんな素振りなかったけどなあ」
「……とにかく、その者たちの行動次第では戦闘になるぞ」
「低レベルのやつが3人いるので、庇いながらというのは難しいのでは」
「だが全員ファミリアだろう」
「あまり怯えているとアレス神に付け込まれますよ」
テツローは男にそう言って、アレスのいる方を見る。ああ、ちゃんと城塞都市に戻っていくのが分かるなあと思いながら、そう言えば、と女に声をかけた。
「エレン、さっきのアテナファミリアの異変は何だったんだろう?」
「ああ……あれはかなり気になった。まるで加護が消えたようになってしまって……武装させていなくてよかったよ」
「なんもないといいけど」
「本当にな」
エレンと呼ばれた女は白銀と瑠璃色の鱗を使って作られた鎧を着ている。腰に刺した剣にはまったスカイブルーの宝玉がきらりと輝く。
「テツロー、3柱と6人はどうなった?」
「アレス神ともう1柱がこっちを警戒しつつゆっくり帰ってるな。ディオメデス神はそのまま神殿に残ってる」
「ほう」
「アレス神はエレンが俺と仲がいいことを知ってるから警戒してるんだと思う」
「なるほどなるほど。アレス神、ようやく本領発揮ということか」
「え?」
エレンの言葉にテツローは驚く。男が言った。
「古い文献によれば、アレス神は封印されていたと聞く。アテナ女神が生まれた時にはもうアレス神という強力な軍神がいたために、アテナ女神は神格をはじめから失っていたも同然だったが、アレス神は異母妹のために自ら狂気を背負い、神力を封じられ、思うように力を行使することも、ファミリアに合わせた加護を与えることもできなくなったという、アレス神にしてはやたら美談となっている神話だ」
「そんな神話知らねー……」
テツローは目を見開いた。
「アレス神の性格の豹変はそこからだったと言われている。この神話を伝えたのは確か、時の神クロノスと鍛冶神ヘファイストスだったと思うが」
「まるでアレスがそのあと貶されていくのが分かっていたみたいよね」
「時を司る神ならわかっていたんじゃないか」
神殿跡に着き、エレンとテツローは精霊がぽつぽつと光っているのを確認する。
「やっぱり光ってる」
「アレス神が来た後じゃ仕方ないと思う」
「そうね。力無き者は皆アレスに縋るしかないんだもの」
「だが、攻撃色を発しているものがいないな」
男は馬を降りてゆっくりと道を進む。精霊たちの光は攻撃色の赤ではなく、淡い緑や水色といった落ち着いた色をしている。そのうちのいくつかがテツローにまとわりついてきた。
「うわ、なんだよくすぐったいな」
テツローの少し長めの赤毛に体を押し付けてくる精霊たちに、テツローは苦笑する。アレスの加護を受けた者の不思議なところである。名の付いていない下級の精霊や、動物、魔物に懐かれる。魔人たちのほとんどはアレスの信奉者という部分も考えれば、確かに人間の紡いでいるアレスを貶す神話は割に合わない。
「おお、テツローが精霊球になってらぁ」
「ぴかってんなぁ」
「ハゲみたいに言うな!」
同僚となった青年軍人たち、現在は武装していないが、テツローを見て笑う。テツローもなんだか笑えてきて、声を上げて笑った。
「ガンツ卿」
「どうした、シュレイア卿」
男に声をかけたエレンはその銀髪をなびかせながら、祭壇前へとやってきた。
「……ここにおわしたか、ディオメデス」
「予想より早い到着に驚いだが、なるほど、武装しておらなんだか」
青黒い短い髪を後ろに流し、黒と青のキトンを纏った男。足首には細く繊細な装飾の施されたアンクレットがつけられている。
ディオメデスは、くつくつと笑った。
「アレスが様子を見ろと言うわけだ。何を考えているのかさっぱりわからん士気の低さだな」
「挑発するような言動はやめていただきたい」
エレンが声を上げた。神殿の外では野営の準備を始めた男たちの声がする。
「なに、あまりの指揮の低さにこちらも驚いておるのだ。……して、目的は何だ?」
金色の瞳がエレンを射抜く。
「……しいて言うならば、領主の命でここまで来た、とだけ。はっきり言って私たちもどうすればいいのかわからない。領主は神託を受けに行って以来変わってしまった」
ディオメデスはふむ、と小さく考える仕草をして、口を開く。
「神託を授けた神は誰だ」
「ニャルラトテップだ」
「……、また妙な神の神託を受けに行ったのだな」
「闇の信奉者であるが故かと」
「ふむ。……アレスのファミリアがいるだろう、そいつをここへ呼べ」
「……?」
エレンは整った眉をすっと細めた。
「呼んで来よう」
ガンツ卿が踵を返して祭壇前からいなくなる。ディオメデスはエレンを見つめて言った。
「迷っているな。正義もなければ信ずる支えもない、戦になるかどうかもわからぬと」
「はい。……何故この平和を壊さんとするのか、人間同士が争うこともないだろうと思うのです」
「その通りだ。だが人間以外はほとんど戦争なぞしない」
ディオメデスはまだ明るい空を見上げて息を吐いた。
これで彼女らの目的は分かった。目的が特になく、命令によって動いているだけ。戦争になるほどのことではない。しかしなぜアレスはあんなにも警戒していたのか。まさか彼女らが嘘をついている?
ディオメデスは考える。
あまり嘘を見破るのが得意ではないディオメデスは、とにかく彼女らを信じてみようと思った。
「連れてきました」
「御苦労」
ガンツ卿がテツローを連れてやってきた。ディオメデスは目を見開いた。
「なんとまた珍しい……!」
テツローはディオメデスの前にやってきた。
「何の用っすか、ディオメデス」
ディオメデスは嗤う。ああ、これだ、こいつだ、と見た瞬間に悟った。
「はは、はははっ……」
「……? なんだよいきなり笑い出しやがって……」
テツローは眉根を潜めた。ディオメデスは笑うのをやめ、真剣な面持ちに戻ると、まっすぐテツローを見据えて言った。
「この戦争の導火線は貴様だ」