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2 梶原紗枝

 紗枝は、巫女や真由美たちとリビングでローテーブルを囲んだ。コンロにかけられた鍋で、ぶつ切りにされた毛ガニが煮込まれている。せっかくの真由美のおみやげなので、野菜や豆腐を入れてカニスキにした。ほれ薬の入った鍋は臭いので、巫女に言ってキッチンに下げさせた。


 湯気で眼鏡を曇らした巫女が、菜箸で食材をつついている。紗枝は向かいの真由美の様子をうかがった。青ざめた顔でしょんぼりうなだれていた。


「彼との北海道旅行はどうしたの。3泊4日のはずだったでしょ」


 紗枝は思い切って尋ねた。


「彼と2泊してランチのときに、好きな娘ができたから別れようって」


「は? 旅行のさいちゅうに、なにそれ」


「真由ちゃんとセックスのしおさめ」巫女がぽつりと言った。


 わあっ、と泣いて真由美がローテーブルに突っ伏した。


「みいこ。ひどいこと言わないでよ」


 紗枝はテーブルをまわって、真由美の背中を抱く。


「もう泣かないで。そんなひどい男は忘れて、カニ食べて元気だしなって」


「あんなにいっぱいセックスしたのに」


 真由美が泣き止む様子はなかった。


「このカニ、元気がないみたい」巫女は鍋のほうが気になるらしい。


 たしかに、紗枝はカニをぶつ切りにしながら、色が悪く少し臭った気がした。


「落ち込んでいるのに悪いんだけどさ、真由のおみやげ、網に入ったままだったじゃない。これって、いつ買ったの?」


 紗枝の問いに真由美が顔を上げる。


「彼にふられたあと、ランチをしていた店を飛び出し、市内をあてどもなく歩くうちに紗枝との約束を思い出し、市場で毛ガニを買って新青森から新幹線で……」


「電車を乗り継いで帰ってきたの。何時間むきだしのままだったのよ。北海道から配送してもらえばよかったじゃない」


「早く届けたかったの」真由美が声をあげ、手で顔をおおった。


 真由美が自宅マンションに着いたのは午後6時過ぎだったという。宅配ピザを頼み、失恋してもお腹はすくんだな、とマルゲリータを噛みしめたそうだ。


 1人でいると寂しさがつのるいっぽうだった。引っ越した巫女から新居の住所がメールされていたのを思い出し、話し相手が欲しくてマンションを出た。田園都市線の用賀駅で降りると雨が降っていた。悪い天候と宵闇で道に迷い、ようやくカニを届けにたどり着けたという。


「巫女に電話すれば、うちらで迎えに行ったのに」紗枝は言った。


「そんなに責めないで」また真由美が泣きだした。


「わかった。苦労して届けてくれたおみやげだ、みんなで食べよう」


 そうなぐさめて、紗枝は真由美の背中に手を置いた。


「よいしょ」と声がして、リビングの片隅から重そうなダンボール箱を巫女が引きずってきた。ふたを開けると、ワインのボトルが詰まっていた。


「キャンペーンであまったやつね」


 紗枝は、ボトルのラベルをのぞきこんだ。


「ワイン」真由美が濡れた目を向けた。


「あんた、これに目がないでしょ。今夜は真由を励ます会にしよう」


 そう決めると、紗枝はさっそくしきりだした。


 グラスに赤ワインをつぎわけ、ことさら明るく音頭をとって乾杯した。カニはやはり危険そうなのでダシに使い、身はとりのぞいた。鍋をやろうと買ってあった食材を煮込み、ポン酢で食べる。


 紗枝は、自分も恋の悩みを抱えていて、自然に飲むピッチがあがった。真由美が手酌で酒をついでいる。その頬は赤らみ、だいぶ元気を取り戻したようだ。最初は2人でつぎあっていたが、そのうち勝手に飲みはじめた。巫女だけ白いの顔のまま、グラスのワインをちびちびやっている。


「だいたいひどいじゃない。真由と旅行に出かけた先でふるなんて」


 紗枝は、人ごとながら腹がたった。


「違うのよ。彼は別れを切り出せずに悩んでいたんだと思う。わたしを傷つけるのを恐れていたんだわ。それでずるずると旅行の出発日になったの」


 そう言って、真由美が一人でうなずいている。


「まだそんなこと言って。彼に未練があるんでしょ。真由と付き合いながら、他の女に手をつけるなんて、ひどい男だったのよ」


「そんなふうに言わないで。悪いのは誘惑した女のほうよ。彼がアマチュアバンドのボーカルをやっているのは知っているでしょ。その女とは今月初めにライブハウスで知り合ったんだって」


「先月、有給がとれていたら」巫女が口を挟んだ。「その女が誘惑する前に北海道旅行に行けた。事態は変わっていたかも」


「そうなの! 鹿島早智子が有給を認めていれば」


 真由美が手のひらでテーブルを叩いた。


「あるある。タイミングの問題よね。1ヶ月の違いで新しい女ができたか」


 紗枝も同意した。


「その鹿島主任と葉山課長はもっと前からできてるよ」


 ――えっ。巫女の暴露に、紗枝は真由美と顔を見合わせた。


 グラスに4分の1ほど残った赤い液体を揺らし、巫女がそれを凝視している。


「それって巫女の占い判断でしょ。2人にそんな様子はないじゃない」


 紗枝は反論した。


「隠していても、わたしには見えるの。血の涙が教えてくれる」


 揺れるグラスの内側で、赤ワインが旋回しながら上昇する。その動きがふいに止まり、赤いしたたりがガラス面を伝い落ちる。


「葉山課長と鹿島主任が裸でもつれあう姿が見えるよ。ほら」


 巫女がグラスを差し出した。


 紗枝は雰囲気にのまれて見入った。2人の情事が映っている気がしてきた。


 待てよ。鹿島主任もこのマンションに住んでいると巫女は言っていた。葉山課長が主任の部屋に入るのを目撃したのではないか? そうだとしたら、ワイン占いより確かそうだ。課長と主任は付き合っている――。


「許せない」紗枝は声をあげていた。「日影さんをいじめて退職に追い込みながら、自分は不倫をしているなんて」


「日影さん、辞めちゃうの?」真由美が訊いた。


「そう。祖母の介護で忙しくなったらしいんだけど」


 紗枝には、それだけが原因だとは思えなかった。


「日影さんは介護と葉山課長のパワハラに悩んでいた」巫女が話に割り込み、「その重みに耐えて業務をこなしていたの。そこに紗枝ちゃんの発注ミスを背負わされ、ついに押しつぶされてしまった」


「そうよ。葉山が日影さんをいじめなければ」


 紗枝は怒りがこみあげてきた。


「その葉山課長は鹿島主任とできている」巫女がむしかえす。


「鹿島早智子。先月、あの女が有給を認めていれば」


 真由美もつられて声をあげた。


「そんな2人がベットで抱き合っている」


 そう巫女にあおられ、紗枝の怒りはついに沸騰した。


「判決」と厳かに巫女が言う。


「死刑」紗枝は、真由美と口をそろえて宣告していた。


 巫女がローテーブルの下にもぐりこんだ。「これ」と平たい木箱を取り出した。ふたを開けると、身の丈15センチほどのわら人形が現われた。 前もって用意してあったようだ。


 紗枝は巫女にうまくのせられた気がしたが、まんざらでもなかった。


 テーブルの上の鍋や食器やグラスが片づけられ、まな板を2枚重ねで置く。そこにわら人形を横たえ、周囲に5本のアロマキャンドルを立てる。炎が灯され、リビングの照明を常夜灯に変えた。


 巫女がまな板からわら人形をつかみあげた。もう一方の手につまんでいるのは髪の毛らしい。葉山課長からむしりとったものに違いない。


 テーブルに身を乗り出した巫女が、毛髪をつまんだ手を差し上げる。巫女の影が大きく伸びあがり、天井で怪しくうごめいた。


「葉山課長の魂」


 巫女が宣言し、わら人形の胸をさいて髪の毛をつめこみだした。


「鹿島主任の髪は?」真由美が尋ねた。


 そうだ、鹿島早智子の髪の毛も必要だと紗枝は気づいた。


「大丈夫。そこは抜かりはないよ」


 そう言って、巫女がまたテーブルの下にもぐった。


 なにがあるんだ? 紗枝も身をかがめた。テーブルの下で、巫女が厚いアルバムを取る。デジタルカメラもあって、なにに使うんだ? と紗枝はいぶかった。


 火あかりのなかで、巫女がアルバムをめくりはじめた。たくさんの毛髪が持ち主の名前とともに貼られているのが、淡い光に浮かび上がった。


「巫女のコレクション」


 真由美がささやき、つばを飲み込む音が聞こえた。


「あっ。あたしの髪もある」紗枝は声をあげた。


「うん。紗枝ちゃんのもあるよ。コレクションは完璧でなくちゃ」


 ページをめくる手が止まった。


 アルバムの片隅に、長く黒い髪が渦を巻いて貼られている。その下に鹿島早智子の名前がサインペンで書かれていた。


 巫女がにんまり笑った。


 紗枝は真由美と顔を見合わせると、巫女につられて笑い返した。


 犠牲者の毛髪が人形につめられ、呪いの儀式の準備が整った。巫女が、人差し指と中指に釘を挟んで、くるりと回す。その慣れた手つきに、紗枝は見入った。


 わら人形の胸に釘があてられた。巫女の真剣な表情に火影がゆらめいている。ふいに腕が振り上がり、どん、と釘を叩きこんだ。


 思いがけず大きな音が響き、紗枝は息をのんだ。まな板にわら人形が釘づけになっている。リビングはたちまち重苦しい空気に包まれた。


「つぎは紗枝ちゃんの番だよ」


 巫女が金づちを差し出した。


 その柄を、紗枝はぎゅっと握りしめた。


 わら人形を凝視していると、葉山課長の憎らしい顔が思い浮かんだ。3分の1刺さった釘のまわりから、わら屑がはみだしている。課長のはらわたに思えてきた。


 ――やろう。紗枝は力まかせに金づちを叩きつける。


 が、狙いを外して人形の頭を粉砕した。


「紗枝ちゃん、へたくそ」


 巫女にダメ出しされた。


「ごめん。こういう手作業って苦手なんだよね」


 それでも少しは気持ちが晴れた。


「こんどは真由ちゃんがやってみて」


 真由美が緊張した面持ちでうなずいた。受け取った金づちを恐るおそるかまえ、ためらっている。釘を打ちつけるだけの行為だが、わら人形が意味するものを想像すると、思いきりがつかないらしい。


「鹿島主任のせいでふられたんだよ」


 巫女がこじつけ、あおりたてる。


 真由美の目がすわった。両手で金づちを握りしめ、わら人形を見すえる。その脳裏でなにをイメージしているのだろう、と紗枝は恐ろしくなった。


 意を決した真由美が、わら人形に釘を打ち込んだ。半ばまでめりこんだ釘に、真由美の口もとがほころんだ。


「やった」巫女が、ぱちぱちと拍手した。


 真由美から緊張が抜け、手から金づちが放れてテーブルに転がった。


「とどめは紗枝ちゃんがさして」


 巫女にうながされ、紗枝は金づちを拾った。こんどは外すものか、と釘の頭に狙いを定める。課長への憎しみをこめて強打し、まな板が跳ね上がった。


「あっ、やった」


 巫女がまな板を持ち上げる。釘は見事に突き抜け、テーブルまでも傷つけていた。


「ごめん、つい――」恨みがこもりすぎた。


 わら人形は頭を粉砕され、めりこんだ釘で「く」の字に曲がっていた。


 もはや、わら屑と化した人形に、巫女が呪文を唱えはじめる。薄暗く静まり返ったリビングに、どこの言葉ともしれない詠唱が続く。明かな外国語に、


「わら人形って、日本の儀式じゃなかったっけ?」紗枝は訊いた。


「最近は和洋折衷がはやりなの」


 巫女が答えて、また呪文詠唱に戻る。


 紗枝はなんだか白けてきた。儀式でした行為がバカらしく感じられる。隣の真由美は真青な顔をしていて、悪酔いしたかな、と少し心配になった。


 儀式が完了し、巫女が部屋の照明を全灯にした。


 薄暗いなかにいたので、室内がこうこうと照らされると、やけにまぶしい。まな板にのったわら人形の残骸が、白々しく見える。真由美がぐったりよりかかってきて、疲れ切っている様子だ。巫女だけが生きいきとしている。


 戸外で車のエンジン音がした。マンションのそばで止まったようだ。


 巫女が立ってベランダのカーテンを開けた。耳をすましている様子だったが、ほどなくテーブルの向かい側に戻ってきた。


「記念写真を撮るよ。呪いの儀式のあとって、よく面白いものが写るの」


 巫女が言った。


「心霊写真」と紗枝は訊き返した。


「もういいかげんにして」と真由美はうんざり顔だ。


 おかまいなしに、巫女がテーブルの下からデジタルカメラを取り出した。紗枝と真由美の反対側にまわってデジカメを構える。


「もう少し右、ベランダを背にして。紗枝ちゃん、もっと真由ちゃんに寄って」


 巫女が指示し、紗枝はいやいや従った。早く終わらせて、いいかげん眠りたい。


「撮るよ。チーズ」


 ストロボが光り、カメラの連写音が響く。


 雷鳴がした。雷が落ち、室内を白く照らしだす。真由美が悲鳴をあげ、紗枝に抱きついてきた。落雷には動じず、巫女がシャッターを切りつづける。


「落ちたの近くじゃない」


 紗枝はベランダを振り返り、そのとたん目覚まし時計が鳴った。


 驚いた紗枝は、真由美と悲鳴をあげて抱き合った。


「なんで、こんな時間に目覚ましかけてんのよ」


「脅かすのはやめて」


 2人の苦情にはとりあわず、巫女がベランダを凝視している。その視線を紗枝は追うが、暗いガラス戸に、自分の冴えない表情が映っているだけだ。


 時計はまだ鳴っている。


 紗枝は立って行って、アラームを止めた。


 巫女が足早にテーブルをまわった。ベランダのガラス戸が開け放たれ、突風が巫女の髪を舞い上げる。手すりの向こうには、闇が広がっているだけだった。


「みいこ、寒いよ」


 紗枝の言葉を無視して、巫女がベランダに出て行く。手すりから身を乗り出し、上を見て、下を見た。じっと道路を見下ろしている。


「なにやってんのよ。幽霊でも出たの。寒いってば」


 紗枝は近づこうとして、巫女が振り返った。


「雨は止んだみたい」


 そう言ってリビングに戻り、ガラス戸をぴしゃりと閉めた。


 紗枝はその場にしゃがみこんだ。巫女がなにかを目撃したようだが、もうどうでもよかった。眠くて、なにもかもおっくうだ。紗枝は大きなあくびをした。


「日付は替わって11月9日、午前0時。呪いは成就されました」


 巫女が口もとだけでにんまりと笑った。



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