消えたスピカの巡る先
第134開拓団は40のコロニーを繋ぎながら宇宙を漂流する人々の集団である。目的は1つ。新天地の捜索と、途中惑星における資源の調査・発掘である。
太陽系を離れて数万光年。
世代はとっくに地球という場所を忘れ、ただ伝承に従って自分たちが発掘を終えた星の情報を遥か彼方へ向けて送るだけ。返答はないが、それが定められた仕事なのだ。
それでも高度な技術と時々採取される新たな資源によって人々はなんとか食いつなぐことができていた。
「いや、しかし驚きましたね」
成分分析用のカートリッジを付けたネイザー(射出装置。本話では特に小型で、片手で扱えるものをそう呼ぶ)を確認しながら、男は笑った。
ここは旧第8コロニー。
15年前の恒星フレアで外壁の一部を失い、降り注ぐ宇宙放射線から逃れるために放棄されたコロニーだ。
第7,第9も同じ理由で放棄されており、近年で一番衝撃的な爪痕を残す災害であった。もちろん、フレアや隕石に何の対策もしていないはずもなく、全滅したわけではない。
しかし、フレアによって特殊なコーティングや外壁の一部を蒸発させられたコロニーは、宇宙放射線を直に浴び、人が住める土地ではなくなってしまったのだ。
おまけに、空の一部に亀裂が入り、中の空気も少しずつ失い、最後には無人の地となっていた。
「そうだな。まさか、ここに巨大隕石が激突するとは思わなかった」
ネイザーを構えた男の脇に居るのは、同じくネイザーを手にぶら下げた壮年の男性。書いた件において調査前の発掘を専門に行う”穴掘屋”の長の一人だ。元々は惑星の地質調査を行うためについた名前だが、今回の仕事は地上のみになりそうであった。
「中隔が歪んだってのにパージもしないで、まさかそのまま資源にするっつうのも驚きだがな」
「それは確かに。まぁでも、聞いた話に寄るとフレアの時にはパージ機能は不全に陥ってたって話ですよ?」
2人は、ははは、と笑いながらアラートのなったネイザーから情報を受け取る。
コロニー外を探査するための気密服にネイザーをつないで、頭部を覆うヘルメット内部に情報を写すのだ。
「……金属、ほとんどが鉄ですね。ハズレ、ですか」
「馬鹿。需要が安定してるんだから希少金属やら最重要資源探して宇宙の藻屑になるよかずっと良い結果だろうよ」
「そりゃそうですけど」
不満顔の男に、長はため息混じりの言葉を投げる。
「いいか。炭素はともかくとして、酸素やら水素が構成物質だったら発掘中に火が付いてぶっ飛ぶ可能性もあるんだ。しかも仲間がそれ見ながら笑うんだぜ、取り分が増えたってよ」
「……それは」
「俺が若かった頃の話だ。まぁいい。とりあえずコロニーに情報を送って増援頼む。それが来るまでは周辺調査だ」
「了解しました」
微妙な空気を振り払うかのように動き出した2人は、視界に入った”新しい話題”に飛びつく。
「そういえば、新人のあの子、どうですかね?」
「初調査でどうもこうもねぇよ。ま、第8コロニー出身だっつう話だから、ちぃっと気にかけてやらんといけないがね」
第8コロニー出身。
それはつまり、滅んでしまったコロニーの出身であるということだ。
その意味は長に言われなくとも、男には十分過ぎるほどに理解できた。
「了解しました。できるだけ気に掛けるようにします」
「馬鹿。ちぃっと、っつたろうがよ。お前、新人の女の子に気ぃ使ってるとコマそうとしてると思われるぞ?」
「若くて美人なら、大歓迎であります」
2人はひとしきり笑うと、周辺調査のために別れた。
惑星調査ならばともかく、コロニー内であれば気密服を溶かすような気体が充満している可能性も低い。おまけに意味不明な地形、というわけでもない。
となれば、あとは危険なのは個体か液体。
巨大隕石の物理変化が目視できない以上は、周辺に惑星の欠片が飛び散っていないか確認するのが主な仕事となっていた。
「ハルちゃん」
男が声をかけると、一回り小さな気密服がくるりと振り返った。
「あ、先輩」
「どした。なんかぼーっとしてない?」
「あ、いえ……」
ハルは男の問いに言いよどみ、顔をうつむかせる。
男は苦笑すると、ハルの頭――といってもヘルメットだが――に手を置いた。
「15年ぶり、なんだろ? 周辺探索も兼ねていろいろ巡ってみるか?」
「いえ……はい」
煮え切らない様子のハルだが、それも仕方のないことだろう。
避難船は他のコロニーのものを接収してなお、第8コロニーからは人口の9%しか救出できていない。それは両隣にあたる第7,第9にも避難船を飛ばす必要があったからだが、十分の一以下と考えれば、ハルの知り合いは軒並み亡くなっている可能性が高かった。
むしろハル自身がその9%に入れているということが幸運なのだが、だからと言って家族や友人の死を受け入れられるかといえば別問題だからだ。
「それじゃ、ビーグル(移動用の乗り物。本話では特に車輪を持った地表探索用の乗り物で、2〜5人乗りの小型のものを指す)出すから、ちょっと待ってて」
努めて明るい声を出した男に、ハルは軽く会釈を返す。
大気を失った第8コロニーは、見上げればそのまま宇宙の星が見える。
ドーム型の、壊れた空を見上げながら、ハルは大きく深呼吸をした。
(帰ってきたよ、お父さん、お母さん、アキ)
まぶたに浮かんだのは優しかった母と、よく遊んでくれた父。そして双子の姉。
3人が笑顔を向けた姿が浮かぶのは、唯一ハルの手元に残された家族写真のせいだろうか。
は、と息を吐くと、近づいてくるビーグルの音を感じ、そちらへと移動した。
***
「ハルちゃん、ネイザー構えてて。使い方は大丈夫?」
「はい。物理衝撃のカートリッジで、使う前に周囲に向けて警告ですよね?」
ビーグルの進行を妨げるものを排除するためのもので、ハルの言葉は専門学校で習った通りの模範解答であったが、男は笑った。
「穴掘屋でいちいち警告する奴なんぞいないよ。まぁ新人だし最初はそのくらいで丁度いいけどさ」
「……そうなんですか」
「そうだよ。お、前方、障害物」
「飛散した巨大隕石ですか?」
「分からん。とりあえず止めるから、ネイザーのカートリッジを成分分析用に取り替えて。折角だからハルちゃんが分析してみよう」
言われた通りに準備をすると、横倒しになった柱のような形をした、長方形の岩の前でネイザーを構える。
ぱしゅ。
気の抜けた音とともにネイザーから日本のニードルが発射され、突き刺さる。
「はい、ごくろーさん。あとは2,3分待ってれば成分分析は終わるから、ちょっと休憩だね。緊張した?」
「……いえ、大丈夫です」
「そう? ビーグルも屋根張れば食事とか飲み物とかも大丈夫だから、そっちで休んでてもいいからね」
ひらひらと手を振りながらビーグルへと戻る。
先輩自身は休憩を取るつもりはないらしく、屋根を展開することもなくただ座っている。
見た感じ飛散した巨大隕石ではなくただの瓦礫なので、ハルが破壊する公算が高いと見ているのだ。
ハルはアラートが鳴るまで手持ち無沙汰になり、周囲を見回した。
地面はさくさくとした感触の枯れ草。元は芝生か、それとも牧草地か。
真空に晒されてフリーズドライにされたはずのそれはしかし、紫外線を始めとした宇宙空間を飛散する物質によって編成しているらしく、踏んだ瞬間に砂となって崩れる。
しゃがみ込み、液体のような細かい粒子となった草を掴めば、砂場で遊んでいた時のような感覚を得ることができた。
(ハル! とんねるつくろ! とんねるっ!)
思い出すのは幼年期のことだ。
母に連れ出されたハルとアキが、砂場に作った山にトンネルを掘る、そんな遊び。
(アキ、いまさわった!? ハルのて、さわった!?)
(さわった! あくしゅ!)
(おかーさーん! とんねるつながったーっ!)
ニコニコと笑う母に、二人して手を振った。
懐かしさよりも寂しさを感じる記憶に浸っていると、アラートに意識を呼び戻された。
成分分析が終わったのだ。
「終わったか。ハルちゃん、結果と、その考察教えて」
「あ、はい。えっと、主成分はアルミニウム。酸化アルミが0.02%で、あとは純度の高いアルミですね。多分、コロニー時代の建材か何かだと思います」
「そうだね。俺もそう思う。物理衝撃で道開けてくれる?」
そうして、2人はまたビーグルで進んだ。
「お、旧市街地に入ったかな?」
「N34B。私が住んでいた街です」
「……そうか。どっか、寄りたいところはあるか?」
男のといに、ハルは首を横に振った。
それと同時、整備された道の端に、人影をとらえた。
「ッ!? ッ止めてくださいッ!」
「おお!? どうした!?」
急停止するビーグルから飛び降りて背後を見るが、視界をかすめた人影は既にない。
「なんかあったのか?」
「あ、いえ……ごめんなさい」
「びっくりするだろ? まぁ良いから、乗って」
後ろ髪を引かれながらも、ハルは再びビーグルに乗り込んだ。
そして、再び振り返る。
(アキ)
一瞬だけ見えた、姉の姿を探すように。
そして、居ないはずの姉の姿に怯えるように。
***
「うわー。ここら辺は相当無事だなー」
「……ですね」
「おー、見事なもんだ。あんだけ立派な奴だったら、中の金属も結構な量になると思うんだけどな」
「駄目ですよ、所有権はまだ第8コロニーにあるんですから」
「今回みたいな飛来物がイレギュラーだってのはわかってるよ。まぁ、俺としてもハルちゃんの思い出の地を金に換えようとは思ってない。安心してくれ」
「ありがとうございます」
男は振り返ると、ハルへと向き直る。
市街地に入り、少しだけ元気になったように見えるハルに男は笑みを見せる。
「休憩と、周辺調査しよう。空気が勿体無いから、ビーグルの屋根張る時は連絡入れて」
「はい」
「それじゃ、1時間を目安に周辺調査な。万が一に備えて、ネイザーは構えておいて」
ハルは頷いて歩きだした。
方角は決まっている。
己の家があった場所だ。
(ハル! 広場いこう!)
(ええ、アキだけで行きなよ! わたし、テレビ見たい!)
(だーめ。ハルがいないとつまんないもん)
(ちょっと! ひっぱらないで!)
(良いから良いから。はーい、お姉ちゃんの言うことはききましょう!)
(ズルいよ! 同い年なのに!)
視界を元気よく走り回るのは、元気よく手を引くアキと、困り顔で引っ張られるハル。
もう16年は前になる記憶だ。
広場に向かう2人とは反対方向へと向かえば、そこはハルがよく知る通りに出る。
光明通り。
ハルとアキ、2人の生家があった通りである。
否。
生家は、今もなお存在していた。
色を失っている木製の表札を目にして、ハルは止まった。
両親が見守る前で、ハルとアキがパーツを貼り付けてつくった、安っぽい表札。
ハルのルが少しだけ傾いており、アキのアが少し間延びしたような、バランスが悪い表札である。
入って大丈夫だろうか、と思案するが、まるでハルを出迎えるかのようにキィ、と門扉が開いた。
(ただいまー!)
(ただいまー! お母さん、今日のご飯なに?)
(グラタン? グラタン?)
(良いにおいする!)
(あ、シチューだ!)
玄関でバタバタと靴を脱ぐ2人を幻視しながらも、ハルは一歩を踏み出した。
建屋の中には入らない。
基本的に、穴掘屋は調査と発掘が仕事であって、わざわざ危険性の高い場所に入ることはない。
そう教わっていたからだ。
もっとも、専門学校で教わった時は洞窟や谷などが想定されいたが、とにかく中ではなく、ぐるりと家の脇を回って庭に出た。
(うわぁ、きれい)
(アキ、次はこれやろう!)
(ええ? 線香花火は最後にしようよ)
(ハルは今やりたいの!)
(分かった。じゃあ一本だけやって、そしたら後は最後にしよ?)
(うん!)
すでに枠だけになった窓を覗けば、薄暗い部屋にはソファとカウンターキッチン。そして本棚らしき崩れた瓦礫。
「懐かしいな……」
(そう? なら、帰ってくればいいのに)
唐突な幻聴に、ハルは辺りを見回した。
「誰?!」
応える者はいない。
ただ、視界の端に人影があるように見えた。
すぐに消えてしまったそれは、
「アキ!? アキなの!?」
扉の外れた勝手口に吸い込まれたように見えた。
ハルは慌てて追いかけた。
既に建物が倒壊する危険性など、頭から消えていた。
「アキ! どこなの!?」
(みんな、待ってるよ?)
「アキ!」
(ほら、お父さんも、お母さんも)
姿はない。
代わりに耳朶に響くのは、姉の声か、己の願望か。
「どこ?! どこにいるの!」
悲鳴に近い言葉をあげるが、返答は返ってこなかった。
代わりに、ザッ、と一瞬だけノイズが聞こえた。
『ハルちゃん、そろそろ休憩したいんだけど、どうかな?』
「はい……今行きます」
***
「どうした? 顔色悪いぞ?」
「あ、いえ……大丈夫です」
再び元気のなくなってしまったハルに、先輩は心配そうな目を向ける。
「初めての探索で、疲れたか?」
「そうかも知れないです」
いっそ悲痛にすら見える笑顔を向けられ、男は内心で歯噛みした。
フルーツ入りの携帯食料と飲み物を渡すと、そのままビーグルの座席にどっかりと腰を下ろす。
すでに屋根張りは終え、ビーグルの内部は1気圧に近い空気で満たされている。
「ま、それ食べて少し休むといい。穴掘屋は体が資本だ」
「はい。ありがとうございます」
もそもそと口を付けるハルを見て、男は小さくため息を吐いた。
(やっぱり連れてくるべきじゃなかったかな……いやでも、第8コロニーなんぞそうそう入れるもんじゃねぇし、連れてきて失敗っつうことはねぇはずだよな)
言いながら先程、出発前にビーグルを取りに行った時、上司とした通信を思い出す。
『せっかく故郷に来たんだ。そのまましばらく散策してやれ。流石にビーグルで一泊とか言い出したら許せんが、そのくらいはしてやってもいいだろ』
口は悪いが部下思いな人なのだ。
それを受けてビーグルでまっすぐハルの住んでいた街を目指したはいいものの、気付けばハルは大きく落ち込んでいた。
(15年も前のことだ、なんて言えることじゃねぇのは分かるけど)
もう少し吹っ切れたりするもんじゃないのかね、と男はハルを見る。
ハルは男の視線にも気付かず、もそもそと携帯食料を齧りながら飲み物を飲んでいた。
「帰るか?」
「え、はい?」
心ここにあらず、といった状態のハルは男の言葉を聞いていなかったどころか、その存在すら忘れていたようで、びくりと体を震わせて男を見た。
「辛いなら、帰るか? 飛散物質もなさそうだし、無理しなくても良いんだぞ?」
「あ、いえ……できればもう少しいたいです」
「そっか。じゃあもう少しみて回るか。あと2,3時間が限界だぞ?」
「ありがとうございます」
ハルは弱々しく笑顔を見せると、残りの携帯食料を口に放り込んで飲み下した。それは決して元気が出た、という類のものではないが、それでもきちんと己の意思が見て取れた男にとっては、先程までよりも数段マシに見えた。
「それじゃ、もう少し見てきます」
「……分かった」
結局、男はそれを見送るしかなかった。
そして、男はそれを後悔することになる。
ハルは外に出ると、今度は関係のない地区へと足を向けた。
ハルの家がある地区とも違い、知り合いすらいないであろう場所だ。唯一、この場所でハルの記憶にあるのは、避難船に乗り込む人の群れに紛れたときだった。
避難船がタラップを下ろした場所の近くなのだ。
(ハル、早くいこう!)
(うん……)
(大丈夫、お父さんもお母さんも後で来るから!)
(うん……)
人の群れをかき分けるように、アキはハルの手を引いてくれた。
大人ばかりの場所で、遅々として進まなかったが、それでも歩みを止めることなくハルとアキは避難船を目指したのだ。
アキは前を見ながらハルの手を難く握りながら。
ハルはアキの手を握り、後ろを振り返りながら。
「……ここだ」
かつて2時間以上掛けてたどり着いた避難船の発着場所は、人がいなくなった街では20分強でたどり着く程度の距離しか無かった。
(こんなに近かったのに、大変だったよね)
「ッ!? アキッ!?」
再び視界を掠める人影。
声は紛れもなく、アキのものであった。
しかし、その姿は最後に見た7歳の時のものではなく、どちらかといえば成長したハルと近い姿に見えた。
とはいえ一瞬で姿を消してしまったそれが何であったのか、ハルに確かめるすべはなく、しかし確かめずにはいられずにハルは走り出した。
「アキ! 待って!」
気密服のヘルメットが曇るほどに息を乱し、既に肩は大きく上下している。それでもハルは全力で走り続けた。
「待って! 私! ハルよ!」
(わかってるよ)
路地の端。
ちらりちらりと誘うように消えていく影を追えば、それがマンションのエントランスへと消えるのが見えた。
巨大な建屋に飲み込まれるように消えた影を追い、ハルはマンションの中へと足を踏み入れた。
(……お母さん、お父さん)
(ハル、泣かないで。大丈夫だから)
(でも、)
(大丈夫。お父さんもお母さんも、絶対来るから)
ぞろぞろと歩く人に紛れ、2人はそれでも避難船を目指して歩いていた。
周囲の人々に2人を気にする余裕はなく、後ろから押されるように、前を押すようにして避難船目指して歩いていた。
その流れに乗って、2人は歩いていたのだ。
「アキ……」
マンションのエントランスは踏み荒らされた形跡もなく、ただ伽藍になっていた。下に積もる埃が、追っていた影が足を踏み入れていないことを示している。
しかしそれでも、ちらりと再びハルを誘う人影に誘われ、ハルは階段を昇った。
4階。
影はその廊下へと消えたように見えた。
「アキ! どこにいるの!?」
廊下に響く声に、応じる者はない。
(ハル、待ってて)
(アキ!?)
(大丈夫。お父さんとお母さん、迎えにいってくる!)
タラップに入る直前。その直前に、アキはハルの手を離した。
(アキ! 待って! 私もいく! 待って!)
(だーめ。ハルは待ってて)
(でも、)
(お姉ちゃんの言うこと聞いて)
(ズルいよ、同い年なのに!)
ハルの言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか。
アキはそのまま人の群れに飲まれるように消えた。
そして、導いてくれる温かな手を失ったハルは、流れに任されるまま避難船に乗り込み、第10コロニーへと避難し、そして、
「結局、約束、まもってくれなかったよね」
父も、母も。
そして、アキさえも避難していなかったことを知ることとなったのであった。
「ズルいよ、アキ」
ハルは泣いていた。
既に影は見えない。
4階の廊下。
そこにへたり込むようにして、ハルは泣いていた。
キィ。
微かな軋みとともに、ハルの近くにあった扉――誰かが住んでいたであろう、マンションの一室が開いた。
***
『どうなってやがる!』
「俺にもわかりません!」
『うるせぇ! 良いからさっさと迎えに行け!』
「もう向かってます!」
男は焦っていた。
本部から、ハルの反応が消えたと、連絡が入ったのだ。
新人とはいえ卒業したとなれば一端の穴掘屋。それも、危険度が少ないコロニーでの話だ。
何が起こっているのか分からないまま、男は本部から示された地点――ハルの反応が消えた地点にビーグルを走らせた。
『くそ……郷里だからって好き勝手させたのは失敗だったな……』
「すみません……」
『ああ、いい。言い出したのは俺だ。お前が気にすることじゃねぇ』
上司はとにかく、と言葉を区切り、
『新入りを探し出せ。無事ならげんこつで済む』
空元気でそう伝えると、通信を切った。
「マンション、か」
ビーグルの向かう先、ヘルメットが示す場所を見て男は嫌な予感がしていた。
そもそも洞窟・建物・谷など、事故が起こりやすい場所には立ち入らないのが穴掘屋の鉄則である。
それはつまり、入ってしまえば事故に遭う確率が跳ね上がるという意味でもあった。
「無事でいてくれよ」
***
マンション4階。
埃とも砂ともつかないものに付いた足跡をたどり、男はそこに足を踏み入れていた。
「なんだ? ここで座ったのか?」
酷く乱れた埃は、人ひとり分が座った程度に無くなっており、
「いや、でも先に進んだのか……なんだってこんなところに……」
足跡の先には開かれた扉があった。
ハルが入ったであろうそこに足を踏み入れると、部屋の中は思いの外明るかった。
反対側、ベランダの方で窓が開いているのだ。
「ハルちゃん、いるのか?」
男はネイザーを構えながらも奥へと進んでいく。
ぎっ、と軋むドアを開くと、そこには豪華な天蓋付きのベッドがあった。
そして、その上には家主であろう男女と、その娘らしき3人が横たわっていた。避難船に乗り遅れた人々なのだろう。
徐々に失われていく空気、そして密度を増していく放射線の恐怖に耐えることができなかったのだろう、枕元にはコップと、そして殺鼠剤の入ったボトルが置かれていた。
(……苦しむ前に、死んだのか)
男は、抱き合うように眠る3人を見ながら、枕元に一枚の紙が落ちていることに気付いた。
それは15年という歳月を感じさせない新しさがあるもので、
(……どっかから取り出して、ハルちゃんが書いたのか?)
取り上げて読めば、簡潔な文章だけが残されていた。
『家族が迎えにきてくれました』
男は、とうとうハルを見つけることができなかった。
こんな夢を今朝見ました。
ご愛読ありがとうございました!