冬色の君
――少女は夢を見て――
そこで初めて会ったとき、少女は雪の降る空に両手を挙げていた。
冬の夕闇の訪れは早い。
授業が終わって、急いで駆け出しても太陽は待っていてはくれない。雲に覆われた西の空は、茜の色が漏れほんのりと染まっている。
僕は母の見舞いへ行こうと近道の公園を横切ろうとした。その時のこと、公園に植えられた木下に小さな人影を見た。
それは、冬の妖精だったのか。くるくると回る雪の中、公園の街灯の光のに、きらきらと細やかな水滴を散らした白い外套をまとって、その雪の結晶に消えそうな色をした肌、その白に映える赤いマフラーが印象的だった。
「なにをしているの?」
気になった僕は、少女に話しかけた。
「あの実」
少女の指差す先には、真っ赤な実がなっていた。その木は街路樹としてよく見かけるもので、取り立てて珍しいものではない。
「あの実がどうしたの?」
「あの実がほしい。そして、食べたい」
長い間外にいたのだろうか、赤い唇はかすかに震え、そこから吐き出される白い息が、雪に空に溶けてしまいそうなほど青白い肌を覆い隠す。
「あれは、あの実は……苦くておいしくないんだよ」
「それでも良い」
少女は、赤い実から視線を離さず再び空を見上げるように、小さな腕を天に掲げた。公園に生えているその木では、到底届きそうに無い高さに、赤い実があるのだ。
「わたしは、食べたかった……」実がなっていた。その木は街路樹としてよく見かけるもので、取り立てて珍しいものではない。
「あの実がどうしたの?」
「あの実がほしい。そして、食べたい」
長い間外にいたのだろうか、赤い唇はかすかに震え、そこから吐き出される白い息が、雪に空に溶けてしまいそうなほど青白い肌を覆い隠す。
「あれは、あの実は……苦くておいしくないんだよ」
「それでも良い」
少女は、赤い実から視線を離さず再び空を見上げるように、小さな腕を天に掲げた。公園に生えているその木では、到底届きそうに無い高さに、赤い実があるのだ。
「わたしは、食べたかった……」
「……ところで……どうして、君はこんなところに? 僕はかあさんが、あの病院でちょっと入院しているんだ。この公園を通ると近道で……もしかして、君の所も誰かが?」
僕は、この少女から自分と似たような雰囲気を感じていた。
「……わたしは双子でね。でも、顔は似ていても、体の強さはぜんぜん似てないんだ」
「そうなんだ……」
病弱な片割れがいるらしい。僕はそう思った。
「病院の窓から、あの実、あの赤い実がちょうど見えるんだ」
少女が指差した先には、白いコンクリートの病院がある。
「窓から見えたあの実がほしい。食べられなくても良い、この白しかない世界に浮かぶこの赤い実がきれいだから……お姉ちゃんも、おいしそうねって言ったから。だから、わたしは、いっしょに食べたかった。だけれど……」
少女は瞳に写る、しかし届くことの無い赤い実に手を伸ばしていた。
「そうだ、明日ぼくがあの実をもってきてあげるよ。学校の近くにもあるんだ」
「……でも」
「もう、日も暮れるし……君はずいぶん長く外にいただろう? 君が風邪を引いたら、家族が心配するよ」
「……うん」
「ぼくも、あの病院へ行くから、途中まで一緒に行こう?」
「……うん」
僕たちは、病院へ向かった。
「わたし、302号室だから、ここで……」
「うん、また明日!」
「……約束ね」
「……ありがとう」
少女はそうささやいて廊下の奥へ消えていった。
次の日、学校の帰り道にて。白い世界と同じ色をした空を見上げれば吸い込まれそうな雪がちらついている。街路樹の木々は雪をたたえ、その中に熟れた赤はひときわ目立っていた。
僕は雪のつもった垣根の上に落ちている、赤い実がなった一枝を拾う。木から落ちて間もないのだろう、未だ大地からの恵みを得ているようにみずみずしさを失っておらず、汚れの無い真っ白な雪の積もる垣の上に落ちていたこともありその赤い輝きはあざやかで、磨き上げられた紅玉のようであった。
僕はその赤い実を持って、病院へ駆け足で向かった。
どことなく薄暗く無機質な病院の廊下は、蛍光灯の光で黄ばんだ色に染まっている。
僕は3階にある目的の部屋まで来た。302と描かれたその病室の扉は閉ざされていた。耳を当ててみても、何の音も聞こえない。ノックしてまで入る勇気は無かった。昨日会ったあの子が部屋の中にいるとも限らないし、何よりもこの病室に入院している子とは面識は無いのだ。僕は病室の前をうろうろするしかなかった。
「あら、あなたは?」
ふと、背後から女の子の声がする。聞き覚えのある声に僕は振り向いた。雪のように白く肌理の細かい肌の、しかし血の気のあるほんのり赤い頬を持つ、そこには昨日公園であった少女がいた。しかしその顔貌の中にどこか違う雰囲気が混じっているように感じた。
「ええと……」
人違いかと思ったが、見れば見るほど似ている。戸惑う僕に少女は怪訝そうな表情を見せる。僕は困り果ててしまった。
「えっと……僕はこれを届けに来ただけなんだ」
僕は、少女に赤い実のついた一枝を見せる。
「これは……」
少女は目を見開いた。
「なんと言ったらいいのか、難しいけれど……」
僕は昨日公園であった出来事を簡単に話した。
「……外へ、行きましょう?」
「え? でも」
くるくると舞う雪の公園は街灯の光に染まり、その世界の中で少女は空を見上げていた。
「わたし、双子の妹がいるの。でも、顔は似ていても、あの子は病弱なの……ずっと病室にいて、公園を見ていたわ」
そう言って、彼女は雪の降る空に両手を挙げた。
「あの病院の窓から、いつも見ていたわ。あの実が食べたい、お姉ちゃんと一緒に食べたいって。あの実は……食べられないのにね……でもわたしは、妹とあの実を食べたかった……」
僕は、少女が泣いていることに気がついた。
「……妹はここ数日ずっと眠っているの。このまま目が覚めないかもしれないって……」
流れる涙は、ほんのり赤く染まった頬を伝い、潤んだ瞳は雲の厚い白い空を見つめたまま、意識の戻らぬ妹を思っている。
「なのに、どうしてあの子はあなたと会えるの? あの子はずっと眠っているのに……」
北から吹く凍れた風に自然と体がぶるりと震える。
どれくらいそうしていただろう。
そう思う暇もないほど、僕の意識はこの少女から目が離せなかったのだ。
「……大丈夫だよ、行こう」
僕は昨日、この赤い実を持っていくと約束したのだ。まだ名前も知らないあの子は待っていてくれる。彼女が望んだ木の実を持っていけば……
「きっと、大丈夫」
僕は高く手を上げている少女の手を取り、病院へ足を向けた。
「だって、僕はまた明日って、約束したんだから」
空から降り注ぐ雪、誰もいなくなった公園で、赤い実をたたえた木の枝は雪の重みに耐えかねてしなる。雪がぽたりと落ちて、枝は上下に揺れた。
照り映える赤い実は白の世界をすべて映して、生き生きと精彩を放っていた。
――少女は夢から覚める――