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虹の口  作者: sanpo
15/21

 15

 




 その日はその後、雨になった。


 (しゅう)はそのままソファで泥のように眠ってしまったので気付かなかったが。

 ヴォルツォフの自室のドアは硬く綴じられたままだ。目が覚めたのは正午過ぎ。既に雨は上がっていた。

 湯に浸かった後で、他にすることもなく、街へ出る。

 気付くと足は路地裏を徘徊していた。

 マグレブ舗装の路を石を弾きながら進む。

 家鴨(あひる)の吊るされた軒先、煉瓦の壁、〈当〉の看板。軋む階段を上って最上階の部屋に至る。

 扉に鍵は掛かっていなかった。

 姉弟の一族の葬儀の作法や仕来りは知らないが、それでも、ささやかな弔いなどやっているなら弔意だけでも顕そうと中へ入る。

 室内には誰もおらず森閑としていた。寂静的房。静かなる部屋。

 昨夜の災厄が幻だったかのように見慣れた光景で、何ひとつ変わってはいない。

 寝台と卓子、傾いだ椅子。所狭しと並べたカンバスの山。それから?

 窓辺で揺れるガラスの房。

「……レインボーメーカーか」

 豪奢な姉の居室と貧相な弟の下宿に揺蕩(たゆた)う光の渦。

 乱反射する七色の屑だけは同じだった。雨上がりの雲間から復活した太陽が顔を覗かせている。

 今はもう主のいない部屋で賑やかにダンスを踊っている虹の欠片たち。

 どのくらいの時間、ぼんやりと窓辺に佇んでいたのか。

 我に返って顔を上げる。多分、もうここへ来ることはないだろう。別れの挨拶とともに室内を見渡して最後の一瞥をくれた。

「じゃあな、De gàobié (ジャー)。安らかに」

 燦ざめく光、卓子、椅子、寝台、床、床に立てかけてあるカンバス、壁、壁に飾ってある絵。

 そして――

 突然、脩はそのことに気づいたのだった。


「あ」





 《虹》の店内にはいつもと変わりなく華やかに着飾った娘がいた。


「まあ? 脩さん? いらっしゃい。今日はお早いお越しね?」

 昨夜あんなことがあった後で輝くこの微笑。娘は一級(プロ)なのだ。弟が一級の腕を持つ芸術家だったように。

「葬儀は終ったようだね?」

 娘は微かに瞬きをしただけ。

「おかげさまで」

「では、君の部屋に行けるかい? 話がある」

 脩は口早に付け足した。

「とても大切な話だ」


 


 階上の居室に入るなり、脩は告げた。

「君からの〈謎〉を解いたよ」

 真直ぐに窓辺のレインボーメーカーの下へ進む。

「厳密に言うと、まだ完璧ではないが。だが、読み解きの方法はこれで合っているはずだ」

 脩は腕時計を見た。

「いいかい? 晴天の日の一定の時間に、これ(・・)に反射した光が集まる、あの地図上の〝その場所〟が君の故郷だ」

「――」

 霓裳の瞳が見開かれる。

「どう? 当たったかい?」

「その通りよ!」

 娘は花のように笑った。

「凄い! どうしてわかったの?」

「今まで、甲の部屋にいたんだ。暫く窓辺に突っ立ったままで居て……レインボーメーカーが作り出す光の乱射が時間経過とともに移動しているのに気づいた」

 

 おや? ひょっとして……


「あいつ――甲の寝台の上に飾ってあったのは彼自身の描いた絵だったけれど、そこに導くように光の渦が出来ていた」

 玫瑰(メイクイ)に似た幻想の花園の上に散らばる光、光、光、光……


「問題は〝時間〟だな」

 今現在、姉の部屋では地図の上に虹の欠片は反射していない。

 脩はもう一度腕時計に目をやった。

「日本人なら――〈虹〉の名に引っ掛けて、にじ……2時と言いたいところだが」

 新型旗袍(チャイナドレス)の娘を見つめる。

「君たち中国人なら、虹(Hóng)……一番近い発音で何時かな? 正午(Zhōngwǔ)……真昼12時とか?」

「ところが、2時で正解よ!」

「え?」

 さも可笑しそうに娘は笑い崩れた。

「前に言わなかったかしら? 私たちの国では虹は蛇の化身だって。しかも、その蛇には雄と雌がいるの。雄を〈虹〉と書き、雌は〈霓〉よ。発音はNí。だから、〈霓の時〉ってことで、私、貴方のお国の呼び方にしたわ。()時、()時……全く同じ響きなんですもの。ここ租界で聞く殆んど全ての国の数字を調べてみたんだけど、吃驚しちゃった」

 得意そうに顎を上げる。

「そういう訳で、私、午後2時のお陽様が当たった時、光が集まるように、工夫して吊るしているのよ」

「こりゃ、やられたな! じゃあ」

 脩も表情を緩めた。

「ニーシャン……()裳……? 君の名もソレか?」

「そうよ。私の名も虹を意味するの」

 チョット恥ずかしそうに頬を染めて、

「フフ、私は正真正銘〈虹の娘〉なの!」

「君は光が似合うものな! よく……合っているよ、霓裳! まさに君にぴったりの名前だ!」

 ここで荒々しくドアが開いて飛び込んで来たのはヴォルツォフだった。

「鮎川さん! やっぱりここでしたか?」

「ヴォルツォフ?」

 青年は香水瓶を翳して叫んだ。

「出ました! 分析結果が出ました! まさしくこれは新薬――未知の魔薬だ!」







 


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