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虹の口  作者: sanpo
14/21

 14

 



 数人の若い男たちに暴行をうけているのは画家志望の少年、(ジャー)だった。


「おい! 止めろ! おまえ等……そこで何をやってる――」

 群れに飛び込んだ(しゅう)

「五月蝿い! あっちへ行きな!」

「俺達を誰だと思う!」

「俺達は〈折白(チュロパイ)〉様だぞ!」

「関係ない奴は引っ込んでいろ!」

「止めろったら!」

 止めようとする脩にも容赦なく鉄拳が降り注ぐ。

 脩も殴り返した。

「止めろと言ってるんだ! 止めろ!」

 暫く揉み合う内にざわめきが広がった。

「おい、待て! こいつ――」

「日本人だぞ!」

「え?」

「ほんとか?」

「そりゃ、ヤバイ」

「日本とは関わるな!」

「もう、いい――ここまでだ!」

「行くぞ!」

 潮が引くように若者たちは駆け去った。地面には血だらけの少年が残された。

「甲! しっかりしろ! 甲!?」

 飛びついて抱き起こす脩。

「待ってろ、すぐ病院へ運んでやる」

 甲は薄く目を開いた。

「病院は……いやだ。お願い……部屋に……僕の部屋まで……連れてって」

「――」


 


 急な階段を背負って部屋へ運び入れる。

 寝台に寝かしつけた少年は見るからに重篤だった。

「連中、折白党だろ? おまえ、あんな奴等と何の関わりがある? 一体、どんな問題起こしたんだ?」

 折白党は魔都に巣食う凶暴な不良少年グループである。言うまでも無く巨悪の親玉、ギャング組織青幇(チンパン)に繋がっている。

「何か訳有りなら――畜生!」

 思わず口をついて出る悪態。傷ついた少年を前に、迂闊で無力な自分自身を叱咤したのだ。

「俺が知っていたら、もっと早い内に相談に乗ってやったのに」

「いいんだ。大丈夫」

 何処が大丈夫なものか。確実に浅くなっていく呼吸。少年は死にかけている。

 脩は屈みこんで額の髪を撫で上げた。

「なあ? 病院に行くのがいやなら、医者を呼んで来るから、待ってろ。虹口(ホンキュー)の福民病院に知り合いの医師がいるんだ。国籍なんか問わない、腕が良くて信用の置けるいい先生だよ。だから、安心して――」

 細い腕が伸びて麻の背広の肘を掴んだ。

「それより、一つだけ、お願いが……」

「なんだ? うん?」

「姉さんを……呼んで来て。僕、姉さんに……会いたい……」

 少年の目は窓辺のレインボーメーカーを見つめていた。

 ちょうど、昇った太陽の陽射しを集めて部屋は七色の洪水。

 突然、それら、粉々に散った虹の飛礫(つぶて)に撃ち抜かれて、脩は悟った。


「……霓裳(ニーシャン)か?」

 

 そうか? そうだったのか……!


「うん」


 くそっ、

 何故、気がつかなかった……


「わかった。すぐ、連れて来るよ。待ってろ!」

 先刻、〈虹〉の姉の居室から飛び出した、その同じ勢いで鮎川脩(あゆかわしゅう)は少年の部屋を飛び出して行った。




 


         ✙

 







「ど、どうしたんです?」


 明け方、ホテルの部屋へ帰って来た、焦燥した脩の姿にヴォルツォフは驚いた。


「甲が死んだよ」

「え?」

 

 鼻先に香水の小瓶を差し出す。

「ほら、今度こそ正真正銘……本物の〈虹〉だ」

 反射的に受け取りながら、視線は脩の顔から離れない。

「……死んだって……あの甲君が?」

 振り返ってマントルピースの上を見た。昨夜、その少年画家から買い上げた絵が置いてある。

 青空の下、風に戦ぐ美しい花の群れ。

「……ハハハ、貴方、また、僕を担いでいる? お得意の与太話ですか?」

 脩は事実だけを淡々と告げた。 

「昨夜、外灘(バンド)の路地裏で、折白党の糞餓鬼どもに袋叩きにされた。偶々(たまたま)、俺が通りかかって助け出したが――手遅れだった」

 脩はソファに腰を落とすと煙草に火をつけた。

 あれから――

 

 《虹》へ走って姉、霓裳に事情を告げ、連れて戻った。

 だが、部屋に入った時、既に少年は硬く強張り、息をしていなかった。

 冷たくなった弟の頬に手を置いたまま、振り返って姉は言った。

『色々とご面倒をおかけして申し訳有りませんでした。もうお引取りください。この後は私だけで大丈夫ですから……』



「なんてこった! そんな……」

 流石に呆然と立ち尽くすギルベルト・ヴォルツォフ。

「よせばいいのに。あいつ、危ない商売に手を染めていた」

 煙を吸って、咳き込む。涙は、そのせいだ。

「まあ、可愛かったからなあ。甲の奴、客を取ってたんだよ。そのことが折白党にバレて、もめたらしい。上納金も払わず好き勝手に商売してたって、それで、制裁を受けたのさ」

「ああ、なるほど……」

 ヴォルツォフは少年の下宿の階段で擦れ違った男を思い出した。

「おまけに、甲は霓裳の弟だった」

 乱暴に髪を掻き揚げる。

「やっぱり、俺はカワイルカ以下だったな」

 視野が全然効かない。世界がまるで見えていない。

「はあ?」

「何でもない。独り言だよ」

 

 弟の屍骸を見下ろしていた虹の娘は気丈だった。

『お教えくださってありがとうございました、脩さん』

 お辞儀の後、白い指がドアを差した。

『もう私だけで大丈夫です。どうぞ、お引取りください』

『だ、だが、これから色々と大変だろう? 葬儀とか埋葬とか――良かったら、力になるよ』

 脩はボソボソと言った。

『これも何かの縁だ』

 霓裳はきっぱりと首を振った。

『お心使い感謝します。でも、結構です。私たちには私たちのやり方がありますから――』





「『それぞれのなすべきことをなせ』……か」

 ソファの背に頭を乗せると脩は天井へ煙を吐き出した。

 

 《 ヨハネによる福音書 13章

   あなたがしようとしていることを、今すぐ、しなさい 》

 

 ヴォルツォフは覚醒したようにブルッと身震いした。ゆっくりと頷く。

「そうですね」

 透明の液体の入った小瓶を手に自室へ向かう。

 一度だけ、ドアの前で立ち止まって、頭を廻らせて少年の花園の絵を眺めた。美しい玫瑰(メイクイ)揺蕩(たゆた)いながら水底に沈む献花に見えた。


 ドアを開けた。滑るように中に入って、後ろ手できっちりと閉めた。








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