sideリンジー 図書館の邂逅
リンジー・ラーウィルは、自分が野心家であると自覚している。見た目と態度と言動から、そうであると知っている人物はさほどいないが。
「ああもう、この本修繕するのにどれだけの労力かかってると思ってるのっ! 次、本を破損させたらあの人貸し出し禁止にしてやるんだから! ――あ、リンジー君、ちょうど良かった。そこの本たち、返却手続き終わらせたから配架してくれる?」
「わかりましたー」
「ありがと。――あ、館長っ、ちょうど良かった! ぜひとも次の会議で追加予算と人員ぞ、」
「無理!」
「せめて最後まで聞いてくださいよぉおおお!!」
生徒の出入りが一番多い放課後のこの時間。戦場と化したカウンターで、先輩の司書から仕事を言いつかったリンジーは、二つ返事で了承して示された数冊の本を抱えた。ふらりと現れた館長に予算と人員の増加を頼むもあっさり却下される様子を見て、いつもの事ながら苦笑する。
リンジーは、試験に受かって特待生となった、薬師の父を持つ――身分的にいうならば平民だった。王都ではそこそこ有名な薬師の子であるとはいえ、金銭的余裕は貴族に比べるべくもなく。こうして学生司書と奨学金を併用しつつこのフォトス学園に通っている。
――まあ、冒険者としてギルドに登録して稼ぐよりは安全で効率的だけど。
学外にでてしまうより、学内で働いていたほうが勉強もはかどる。特に薬師としてならば仕事としては調合が主。体を使う騎士などを目指すならいざ知らず、わざわざ外で修行する必要もない。
そして、一番の利点はやはり学内で得ることのできる人脈である。
薬師は信用第一であり、それを得るためには誠実な仕事や優秀な腕がかかせない。だが、それだけでは仕事を得ることができないのも確か。
仕事を得るのに一番手っとり早いのは、誰か社会的信用の厚い――そう、貴族といった――人間のお墨付きがあることだ。
有名な冒険者でもいいし、ギルドのランクでもいいのだが、貴族のお墨付きが一番稼ぎがいいし、仕事のできる範囲が広い。そう、稼ぎがよければその分様々な薬材を手にできるし、そこから薬を作ることもできる。そして、ギルドでも冒険者でもなく――貴族の伝があれば、さらにその幅は広がるのだ。
そして、リンジーにはそうした薬師になってどうしてもやりたいことがあった。
抱えた本のいくつかは、この図書館の奥、あまり利用者のこない場所に所蔵してあった本で。
リンジーは、途中途中で本を本棚に放りこみながら、そちらへ向かっていく。
ちなみにリンジーの客観的評価は、“ちょっと軽いが、でもやるときはやる奴”である。
髪の色が明るいオレンジ、という点で、どうやら周りからはノリのいい明るくナンパな人間というイメージに見えるらしい。事実、そちらの方が男女ともに受けがいいので、リンジー自身もそう振る舞うことが多い。だからといって、別に自分を偽っているつもりはないが、ただでさえ庶民というハンデがあるのだ、受け入れられるに越したことはない……と、積極的にそうしている部分があった。
――いっそ、適当に下流貴族の令嬢とかをひっかけて、貴族の仲間入りでもできたら楽なんだけど。
我ながらひどい考えだとは思うが、とどこかさめた心の隅で考える。女を道具だと思う趣味はないが、どうも自分に恋愛などできそうもない。ならば誰と結婚しても一緒だし、そうして結婚するなら少しでもメリットがあればいい、と思う。
さて、あと残り3冊を本棚に戻せば終わりか、と図書館の奥に足を向ける。本棚の森を抜けてそこにたどり着けば、目に入った光景にリンジーは思わず足を止めた。
――珍しい、誰かがいる。
鮮やかな紅の長い髪と緑の瞳をした同い年ぐらいの少女が、座って本を読んでいた。伏せられた目は、真剣に文字を追っているのか、ゆっくりと動いている。
この付近は、常連でもあまり来ない。一つの穴場だと自分は認識していた。しかし、頭に浮かぶ常連にこの少女はいない。いったい誰だったっけ――、とすぐにこの少女が誰だか思い出して顔をしかめてしまった。この学園内でとても有名な女子生徒――名は確か、ヴィヴィアン・エアルドットだ。
わがままで傲慢、そして自分のような庶民を虫けらのように見下している少女。いままでは図書館になんて足を運んだことはなく、正直貴族にコネがほしいリンジーでも、さすがにこんな雲の上の存在に関わろうとは思わなかった。特待生仲間でも彼女はある種危険物扱いで、できるだけ関わるなという了解ができている。
危険人物ゆえにその顔はよく覚えているのに、一瞬でも気づけなかったのは……、まさかこんなところにいるとは思っていなかったから、だ。
賑やかな取りまきを連れて入るには、図書館は静か過ぎる。そういえば、最近珍しい人が通っている、と司書の先輩たちが噂していたけれど、それはこの少女だったのか。
――こんなに図書館と本が似合う少女だとは知らなかった。
はらり、とページをめくる少女を思わず見ていると、不意に彼女が視線をあげた。つかの間、互いの視線が交差する。
「――――っ」
どうやら驚いたらしい緑の瞳に、しまったと舌打ちしそうになった。
何をやっているんだよ、オレは。
いくらパッと見絵になる光景だったからといって、相手はあのエアルドットだ。何を言われるか分かったものではないし、身分が下を見下すような奴が変な因縁をつけてこないとも限らない。どうせこちらを人とも見ないケダモノの一人なのだ。――見た目だけはいいけれど。
何も言われないうちに、リンジーはふいっと拒絶の意を込めて視線を逸らし、忘れそうになっていた自分の仕事を再開した。
エアルドットが、じっとこちらを見ている気配がする。いつ何を言われるかやや慎重に、しかし無視をして仕事続けた。関わりたくはない。
――やけに本の並びが乱れてない?
本を戻し、ついでにバラバラだった本の並びを正しい順番に並べ直すリンジーは、ふと内心でそう首をかしげた。やがて、とあるシリーズがおいてある場所まで来て、思わず動きを止める。
――珍しい。「オークでもわかるシリーズ」が利用されているだなんて。
この本は、アルルカンという作者(たぶん偽名だろう)が記したシリーズで、その題名から手に取ろうとする人間は少ない。実際、リンジーの周りにはこの本を読む人間はいなかった。
リンジー自身は、学術的にもしっかりしているし、読みやすく雑学も手に入るこの本が結構好きだったのだが。
題名に似合わずこの作者はとても博識らしく、見つけたときは夢中になって読んだものだ。題名が変だからといって、中身も変とは限らないという代表例だと思う。これを題名で避けている人間はもったいないことをしていると思うと同時に、見つけることの出来たことにちょっとだけ優越感があって。
もっと真面目な題をつければ利用者も増えるだろうに。しかしこの作者は狙ってそういう題にしている気がする。
その本を読んでいる人間がいるらしいと知って、リンジーは少しテンションがあがった。いったい、どんな人がこの本を手に取ったのだろう。あわよくば、この人の書く本について語り合えるかもしれない。
アルルカン――その意味は道化師なのだが、その名にふさわしく彼の書く本は、「オークでもわかるシリーズ」だけではない。やや下世話な題名な本も多いし、あらゆるジャンルに渡っているために図書館のあちこちにちりばめられていて見つけにくいが、かつその中身はかなりレベルが高く。
もしこの本を手に取った人に会えたら、自分が見つけた本を紹介したいし、もし他に知っている本があれば紹介してほしい、だなんて思ったところで、はたと一抹の推測が頭をよぎった。
そういえば、先ほどエアルドットが読んでいた本は、このシリーズの本に似てはいなかっただろうか。
そう首をかしげたリンジーは、うっかり――それはもううっかりとエアルドットの方へと目を向けて。
ぱちり、と見事に緑の瞳と視線がぶつかった。
「…………」「…………」
ああしまった、今度こそ何か言われるだろうか。そう考えて顔をしかめたのもつかの間、微妙に視線をおとした先にみえた本の装丁に、思わずまさか、と瞬きをする。ついもう一度彼女の顔に視線を戻してしまった。
「なっ、なにか用でもあるんですの?!」
と、さすがに不躾に見られたのが気に障ったのか、彼女が声を上げた。高い声はやや図書館には大きすぎる。普段ならば少し不快に思うであろうそれに、しかし顔を赤くして怒鳴る彼女が、急に人間味を帯びて感じられて。理不尽な暴言を吐かれる覚悟はあったのだが、意外な事に極々当たり前の言葉だった。語気がちょっと強いけど。
何せ、相手は雲の上の侯爵令嬢。接する機会なんてないが、どこか自分とは違う存在だろうと思っていたのだ。けれど目の前にいるのは、もし予想が正しければ、本を読んでいるのを見られて恥ずかしがる内気な女の子――の、少しばかり過激版。普段愛想良くしている他の貴族令嬢と、いや下手をすると普通の庶民の女の子と何らかわりない姿で、思わずくすりと笑みがこぼれてしまう。
「いや、用ってほどじゃないけど。――それ、アルルカンの本?」
「…………し、知りませんわっ!」
……何この可愛い生き物。気が強いが、妙に警戒心の強い猫に見えてしまう自分はちょっと頭がおかしいのかもしれない、とリンジーは思わず校医に相談しようか迷った。
「ふうん? その装丁はそこに置いてあった『オークでも分かるシリーズ』だと思ったんだけど」
相手が侯爵令嬢、というのは知識でわかっているはずなのだが、今までずっと避けていたから本当のところ、こうして言葉を交わすのは初めてで。
よくない噂も聞く。嫌がらせの現場を目撃したこともある。
しかし、たった一人、真剣に本を読んでいた姿や言葉を交わしてみた現在とのギャップが激しすぎて、どうにもあのヴィヴィアン・エアルドットとしゃべっているのだ、という実感がわかない。さっきまで“ケダモノ”の仲間だと思っていたのに、そのイメージがどこかにいってしまっていた。
だからだろうか、こうしてからかうように、そしていつも友達と接しているようなノリで、歩み寄ってかたくなに否定する彼女からさりげなく本をとりあげて、題名を確認してしまったのは。
「あっ」
「やっぱり。――『オークでも分かる』だ。これは『世界の歴史』か……」
多分それだけではない。
正直に言おう、このときの自分は珍しい本について語り合えそうな相手を見つけて、浮かれていたのだ。ノリがよく皆の受けがいい自分と、少し勉強馬鹿の気がある自分。その両方がリンジー・ラーウィルだと自信をもって断言できるが、自分の勉強馬鹿の面と話の合う人はいない。
「エアルドットのお嬢様が、こんな本を読んでるなんて意外」
だからもしかして、このお嬢様も意外と読書が好きで話が合うのかもだなんてうっかり思ってしまったのである。……勿論、侯爵家の令嬢と仲良くなっておいて損はないという打算もちょっとはあったけど。
でも、どちらかといえば同志を見つけたような心持ちで、そう口にしたのだが。
次の瞬間、それは大きく失敗だったらしいと悟る。
「あなたには関係ありませんでしょう!? だいたい、なんですの? 初対面の名前も知らない人間になれなれしく近寄られるだなんて、不愉快ですわ! 去りなさい!」
さっと顔を赤らめた彼女は、がたんと椅子から立ち上がり怒鳴りつけてきた。フシャーッと威嚇する猫が頭に浮かぶ。いくら奥の方とはいえ、ここは図書館。静かを好む場所のために、その声は大きく響く。
――不味いな、こんなところ、先輩司書や館長に見つかったら確実に雷が落ちる。
「リンジー・ラーウィル」
「は?」
「僕の名前だよ、エアルドットのお嬢様。――これで“名前も知らない人間”じゃないでしょ?」
焦ったリンジーが口にしたのは、自己紹介の言葉で。まあ、誤解を解きたいというのと、少しこの少女に興味があったというのと、意表をつけば落ち着くかな、と思ったのとで口にしてみた。ぽかんと呆気にとられた彼女に、少しほっとしたが。
「私は、近寄るな、と言ったんですの!」
あっさり拒絶されて、思わず身を引く。そして重ねて何か言う前に、真っ赤な顔をした彼女は脇をすり抜けていなくなってしまったのだった。
「あー……、逃げられ、た?」
呆然として思わずくしゃりと前髪をかき回す。手に持った『オークでも分かる世界の歴史』が重い。
「リンジー? 何か凄い剣幕の声が聴こえたけど、何かあったの?」
「――あ。いえ、ちょっと……」
ひょい、と騒ぎを聞きつけたらしい先輩司書が本棚の脇からやって来たので、曖昧に答えると、先輩司書は疑うようにこちらを見てきた。
「エアルドットのお嬢様が凄い形相で図書館飛び出していったけど……あんた、何かやったんじゃないでしょうね?」
「あー……」
「えっ、まさか本当に何かやったの!? ちょっと勘弁してよ、これでエアルドット家から何か言われて図書館の予算がさらに減ったらどうしてくれんの!?」
「オレの心配じゃないんだ、先輩……」
「だってあのお嬢様に喧嘩売ったなら、私が心配したってどうしようも出来ないじゃない。それよりも山のように待っている仕事が更に増えたら私が死ぬ」
若干虚ろな目で言う先輩に顔を引き攣らせながら、更なる雑用を承ってリンジーは図書館を駆け回る(気持ち的に)。
そんな中、若干これからどうなるか不安になりつつも、もし何もお咎めなしで次会う事が出来たら、誤解を解くべく話しかけてみよう、そして貴重な本好き仲間をゲットできたらなぁ、だなんて。
予想外にも、理不尽な侮蔑の言葉を一つも投げかけてこなかったあの危険人物について、思いをはせた。
「あの馬鹿館長、ふらふらと何処いってるわけ!? 今日も徹夜になりそうだとか、もういやだ!」
「……先輩、オレも手伝いますから、ちょっとおちつい」
「館長の馬鹿ぁあああああ後で闇討ちしてやる!」
「……」
▽ヴィヴィアンは 猛獣から 猫に 格下げされた!
……互いに勘違い。むしろヴィヴィアンが勘違い。
余りにも接点がなさ過ぎると、逆に実感が湧かないよね、ということでリンジーは侯爵令嬢の怖さを微妙に実感できていません。しかも初めて接したのがNEWヴィヴィアンなので余計に。
好意的な勘違いをし始める人物その二。
結構な腹黒ですが、声をかけたのはどちらかというと好きな本について語りたかっただけだったり。