第七話 まだまだ道は遠そうです
今日も今日とて、どうにか取り巻きたちを振り払い、私は学園の図書館へとやってきていた。
最近、彼女たちの視線が心なしか冷たい。今日も「ヴィヴィアン様ったら、最近付き合いが悪いですわ」とシャノンにぷりぷりと怒られた。……言い訳も尽きてきた私は、迎えの者達に遅く来るように言いつけて、彼女たちと帰宅時間をずらすことで何とか時間を確保している現状である。
このフォトス学園は、王立であるだけあって図書館の蔵書が非常に豊富で素晴らしい。噂では、時折王城の学者もここに足を運ぶんだとか。そのほとんどが学術書であるが、生徒の傾向から貴族の令嬢向けの恋愛小説や、入りたての新入生向けの冒険小説や絵本、入門書もそれなりに取り揃えている。
今まで本になんてほとんど触れてこなかった私――家には貴族の家らしく小さな図書室があるのだが、あるのは精々恋愛小説や童話程度だった――は、その大量の本を見てすぐに逃げ帰りたくなった。が、同時に前世の記憶が蔵書の豊富さに狂喜しだして――どうやら前世の私は結構な読書家だったらしい――相反する感情の扱いに非常に困っている。どちらにせよ、情報源として本は基本だから、早く読書に慣れるしかない。
さて、蔵書数が多いということは学生にとって素晴らしい環境であると同時に、大きな欠点が存在する。
それは、目当ての本を見つけ出すのが非常に困難であるということ。
もちろん図書館内で働く司書に頼めばすぐに見つけてくれるものの、彼らだってそうそう暇じゃない。限られた人数で学園の生徒を捌くには限度があるのだ。事実、彼らは酷く忙しいらしく、何度か来ている中で司書たちが仕事量に悲鳴を上げて「館長ぉおおお、お願いですから予算ぶん取って人員増加してくださぁああああい!」「え、無理」というやり取りをするのを何度も耳にしている。……中々に面白い図書館だ。
まあ、そんなわけで。安全にすばやく必要な本を得るためには、図書館に慣れるだけ入り浸るか、図書館に慣れた友人を得るか、――もしくは、学生司書を味方につける必要があるようだった。
学生司書とはそのままの意味で、学生で司書をしている人間の事だ。まあ、簡単に言えば、希望者――本が好きな者、特待生、貴族でも金銭的に余裕がない者など――がやっているアルバイトである。彼らは基本的に司書の手伝いや本の配架や整理などの雑用をしており、同時に学生という立場であることから勉強の都合を考慮されて、仕事量は正規の司書よりも少ない。
しかし、本の整理や配架を手伝っているため、図書館内には詳しい――そんな学生司書を味方につけたならば、本探しが非常にスムーズに済んでしまうというわけだ。
――まあ、私には到底縁のない話ですわね……
ふう、と嘆息して、私は読んでいた本から視線を外し、しばし瞑目して目を休めた。
私、ヴィヴィアン・エアルドットは庶民や下級貴族にかなり恨みを買っている。仲良くなるどころか、話しかける以前の問題だった。彼らは私を見たら嫌そうな顔をして声をかけるまえに足早にいなくなってしまうのである。……まあ、散々見下して苛めてきた相手なのだ、仕方あるまい。
そのため、私のとる手段は一つしかない。取り巻きは図書館に興味なんてないのだから、慣れるまでここに通い、時間をかけて本を物色していく、という地道な作業をこうしてやっているというわけだ。
……正規の司書に頼めば、きちんと探してくれるとは思う。彼らだって仕事なのだから。しかし、いざ声をかけようとして結局私は口をつぐんだ。まさかの伏兵――つまり侯爵令嬢としてのプライドが「あの、子供向けの入門書はどこにあります?」だなんて事を訊ねるのを拒否したのだ。
恥ずかしすぎてそんなこと口に出来ない、と。
我ながら情けないけれど、諦めて自力で本を探し、こうして図書館の隅の人が来なさそうな閲覧スペースで目を通しているのだった。……人通りのないひっそりとした場所なのも、本を読んでいる自分を見られたくないからだったりする。
かなしいかな、今の私は本を読んで勉強する事自体が恥ずかしいことだと思っているようだった。何故だ! と前世の記憶が叫ぶが、これは理屈じゃないところで妙に恥ずかしい。
まあ、読んでいる本の題名のせいかも知れないけれど、と私はそっと読んでいた本の題名を思い返す。
ほぼ零からのスタートとなった勉強だが、自分のレベルにあった本が中々見つからず(勿論、私のレベルが低すぎるという意味で)、あちこち探し回った結果、図書館の奥、人も滅多に来そうもなくもしかして忘れ去られているんじゃないかという場所の本棚で見つけた本。
その名も『オークでも分かる世界の歴史』。
お分かりだろうか、読者に喧嘩を売っているようなこの題名。前世の世界的に言うならば、猿でも分かる世界史といったところか。作者の名前はアルルカンという人だが、さっぱり聞いた事がない。
しかし、である。
うわぁ……と嫌な気分で、けれど突き抜けた題名にいっそ興味を引かれて手にとった私だったが、内容を読んでみて別の意味で、うわぁ……となった。題名を裏切らず、物凄く分かりやすい本だったのである。
自分がオークと同じレベルかもしれない、と落ち込みはするものの、確かに私の低レベルで理解できる本で。しかも、例えや雑学がちょこちょこ入っていて本を読むのに慣れていない私でも飽きない。かといって内容が不正確だったり適当だったりする気配はなく理論と筋がきっちり通っている、まさしくお子様でも理解でき、大人でも題名を許容できれば楽しめる良本だった。
そしてこの本だが、他にも種類があり、『オークでも分かる魔術入門』『オークでも分かるカナリスタ王国史』『オークでも分かる魔術実践』……とまあ、「オークでもわかるシリーズ」として同じ本棚に並べてあった。
しかしまあ、いい本なのにこうして図書館の隅の忘れられたような場所にあるのはもったいない。(題名さえ許容できれば)もっと人気があってしかるべき本なのに。
――でも、こんな馬鹿げた題名の本を読んでいるだなんて知られたら、何て言われるのかしら……
いい本で、面白い本だと分かっていても、思わずそう顔をしかめてしまうのは、もはや条件反射のようなものだろうと思う。
そんなことを考えながら、私は続きを読むべく本に視線を戻した。
ページを数十ほど捲った頃だろうか。こつ、と意識の端で物音を捉えて、私は何気なく顔を上げる。
「――――っ」
と、同時にかち合ったオレンジの瞳に、思わずあげそうになった悲鳴を飲み込んだ。
――だ、誰ですの……!?
整った容姿に、瞳と同じ鮮やかなオレンジの髪。数冊の本を抱えた同い年ぐらいの青年は、顔をしかめてこちらを睨みつけていた。
よくよく見れば、右腕に学生司書であることを示す腕章と「ラーウィル」と書かれた名札をつけている。ということは、手に持っている本を本棚に並べにきたのか。
さてどうしたものかと私が固まっていると、相手はふいっと視線を外して、無言のまますたすたと本棚の前に立ち手に持っている本を並べていく。時折、並び方が間違っていたらしい本を入れ替えたりしていた。……ここから見える位置の本棚は一通り私も漁ったので、並び方をばらばらにしたのは多分私だろう。そう思うと、ちょっとバツが悪くなった。
と、そのまま本を戻しながら排列をチェックしていたそのラーウィル(仮)は、ふととある場所でピタリと動きを止めた。どうしたんだろう、と訝しく思う私は、次の瞬間はっと顔から血の気が引くのを感じる。
あそこは、確か「オークでも分かるシリーズ」の並んでいる棚だ……!
何度かこの場所に通っているが、このシリーズが私以外によって動かされた形跡はなかった。それだけ、忘れられた本なのだろうと推測できる。
彼は、少し首を傾げるようにしたのち、ふっとこちらに視線を向ける。
ぱちり、と見事に視線がぶつかった。
「…………」「…………」
互いに沈黙。うっかり「何をみているの、この貧乏人ごときが!」とか暴言を吐きそうになったけれど、理性でぐっと押さえ込む。格下の相手を見れば反射的に暴言が飛び出しそうになるだなんて、笑えない悪癖だ。
彼はやっぱり物凄く嫌そうな顔をしていて、それからすっと視線を落として私の手元にある本を見てやや意外そうな顔をした。もう一度視線が合う。
「なっ、なにか用でもあるんですの?!」
とうとう堪えられなくなって、私は思わずけんか腰に口を開いた。思った以上に高い声が響いて、私は思わず顔を赤くする。恥ずかしい。前世の常識は「図書館では静かに!」と咎めてくる。
彼は、そんな私を見て、何故かくすりと笑った。
「いや、用ってほどじゃないけど。――それ、アルルカンの本?」
「…………し、知りませんわっ!」
……うっかり否定してしまった。
いや、でもあの顔は絶対私を馬鹿にしていますわ! と心の中で言い訳。このタイミングで笑うとか、そうに違いない。それにあの位置から本の題名なんて見えるはずがないのだ。作者の名前なんて覚えてなくても本は読める。だから彼のあてずっぽうのはず。
「ふうん? その装丁はそこに置いてあった『オークでも分かるシリーズ』だと思ったんだけど」
だから大丈夫のはずだ、とぐるぐるした頭で考えていると、不意に彼が私の方へと歩いてきて、自然な動作で読みかけの本を奪い取る。「あっ」と声を上げるが頓着せずに、表紙を見て「やっぱり」と口の端を上げた。
……さっきまで真面目な雰囲気だったのに、口を開けばこの男、少し軽薄そうな印象を受けた。もっと簡単に言うなら、ちょっとチャラい雰囲気、と言えばいいのか。
「『オークでも分かる』だ。これは『世界の歴史』か……。――エアルドットのお嬢様が、こんな本を読んでるなんて意外」
さっと羞恥に顔が熱くなる。その言葉は私を馬鹿にしているようで、弱みを握られたかのような焦燥感と敗北感を覚えた。
「あなたには関係ありませんでしょう!? だいたい、なんですの? 初対面の名前も知らない人間になれなれしく近寄られるだなんて、不愉快ですわ! 去りなさい!」
色々メーターが振り切れた私は、座っていた椅子から立ち上がって思いっきり怒鳴りつける。がたんと椅子が倒れる音が聴こえた。
ぜい、と息を切らせた私は、本を持ったままのラーウィル(仮)を睨みつけて――、すぐにはっと我に帰った。ここは図書館だというのに、何をやっているのよ私は!
「リンジー・ラーウィル」
「は?」
「オレの名前だよ、エアルドットのお嬢様。――これで“名前も知らない人間”じゃないでしょ?」
唐突な名乗りに、私は意表をつかれて困惑する。突然なんだそれは。怒った侯爵令嬢にわざわざ名前を教えるなんて、報復されたいのだろうか? 学生司書ってことは、さほど金銭的に余裕がない場合が多い(例外に、司書になりたい子がいるが)。そういう人にとって、私は鬼門なはずで。え、何、この人マゾなの?
ぐるりと思考が一巡したところで、はっとさっき自分が言った言葉を思い出した。
“初対面の名前も知らない人間に――”
「私は、近寄るな、と言ったんですの!」
なんというか、名前を教えればいいってもんじゃない。名前も知らない、っていうのはただの言葉のあやだ。そのぐらい気づきなさいよ、と私は理不尽にも憤る。……我ながら、ちょっと滅茶苦茶な自覚はあった。自覚できるのは前世のお陰だろうとは思う。
けれど、それ以上に私は今まで見下していた類の見知らぬ男子生徒に、ちょっと嬉しくない題名の本を読んで勉強しているところをみて動揺していたらしい。
私の剣幕にやや体を引いたリンジー・ラーウィルは、しかしすぐに立ち去る気配はなく。それどころか、重ねて何かを言おうとしているようで。
「――――――っ」
やがて怒りと羞恥と自己嫌悪に堪えられなくなって、「相手が去らないなら私が去ればいいじゃない」とわけの分からないことを心の中で喚いて(このあたりがとても動揺してた証だと思う)、彼が口を開く前に、逃げるようにその場から立ち去る。
そして、勢いで迎えの馬車に飛び乗るようにして自宅まで帰り、一人になった自室で泣きたいぐらいの自己嫌悪にかられるのだった。何をしているのよ、私は!
――過剰反応もいいところよ。これじゃあ道程が遠すぎるわ……
色々緊張気味の毎日を送るヴィヴィアン。
見られたくないところを見られてうっかり逆ギレ。
そしてラーウィル氏、君はよくぞまあ侯爵令嬢に軽々しく話しかけられたな、おい。
その時の彼の心情は、追々別視点で明らかに……なる予定。