第四話 私の私による私のための自分改革計画
「――今日はもういいわ。さがって頂戴」
「はい、お嬢様」
綺麗な動きで一礼して、すすす、と部屋から居なくなっていく数名のメイドたち。業務用スマイルを浮かべた彼女たちの最後の一人が居なくなり、パタンと扉が閉まって数秒。
「はぁあああああ…………」
自室に一人になったことを確認した私は、業務用スマイルを思いっきり引っぺがして溜息をついた。
「疲れましたわ……」
思わず呟く。ああ、本当に疲れた。だらしがないぞと僅かな罪悪感がちくちくと文句を言ってくるのを無視して、ぼふりとソファーに突っ伏す。高級な素材の肌触りをしばし堪能してから、ころんと仰向けに寝そべった。……誰かに見られたら、確実に「お嬢様が乱心なされた!?」となるわね、これ。
ちくちくと貴族令嬢としての常識に咎められつつも、私は天井の模様をなんとなしに眺めつつもう一度息を吐いた。溜息をつくと幸せが逃げると前世では言われていたけれど、果たして私に幸せの残高は残っているのだろうか。
――いけない、現実逃避をしている場合じゃなかったわ!
私は、がばりと起き上がった。そう、そんなことよりも自分がこれからどうして行くかをきちんと考えなくてはいけないだろう。幸か不幸か、私には二人分の記憶が存在するのだ。それはつまり、今までとは違った視点で自分を見つめなおすことができるということ。
今日、記憶が戻ったばかりの時点でも既に、今の自分が恐ろしくよろしくない令嬢であるということを自覚できたのだ。ならば自分をある程度客観視して、これからどうして行けばよいのかが分かるんじゃないかと思っている。
名付けて、「私の私による私のための自分改革計画」!
「少なくとも、今のままじゃ絶対に駄目ですわ……」
学園内には取り巻きしかいない。将来有望な男子生徒には秋波を送っていたはずだが、確実に嫌われているだろうと推測できる。いくら地位と財のある父親に庇護されているとはいえ、父が引退するか私が結婚するかすれば、その庇護も消える。そしてその頃権力を握っているのは既に私を嫌っている優良物件たち。……これ、詰んでる気がするのだけれど。
そもそも、今までの性格だったら碌な男に嫁げまい。悪い男に引っかかるか、愛のない政略結婚か、どちらにせよ少し前の私が夢を見ていた“幸せな愛のある家庭”だなんて送れるわけがなく。
「なんで私、こんなありえない夢を信じられていたのかしら……?」
ありえない、本っ当にありえない!
本当に、今までの私はまるで現実が見えていなかった。砂糖で作られたふわふわとした夢の中で生活していたのかとでも言いたくなるぐらいだ。
……あのまま過ごしていたらどうなっていたか。それを考えるととても恐ろしい。いくら権力があるとはいえ、夢の中で過ごしていたのなら全く現実を自覚することなく、ささいな綻びで引きずり下ろされてしまうことだろう。嫌われ者の行く末は、大概没落か死か。少なくとも、幸せなまま生涯を終えるなんてありえない。
――そんなこと、真っ平ごめんだわ……!
私は、ぐっと拳を握って立ち上がり、決意する。
少なくとも私は、現状をきちんと自覚して、改善していかなければならない。
仮にも私は侯爵家の娘。ならばきっと貴族の義務があるはずで。前世の私にも、溺愛してくれる父親にも恥じない人間になりたい。
……そこで問題が一つ。
今の私はそんなことに関心を向けたことすらなく、前世の私にいたっては全力で庶民。まともな貴族の令嬢として、そしてこの世界に生きる人間として何が必要なのか、その知識すらそもそも存在していなかった。
――まず私がやらなきゃいけないのは、出来るだけ多くの情報を得ることだわ。
残りのことは少しずつ、すぐに出来ることから、様子を見ながら変えていこう。この世界の令嬢として相応しい行動こそ分からないが、人間として駄目なことは前世とこちらで大きく変わることはないはずだ。根本的に世界の仕組みが全く違うということじゃない限り、同じ人間という生物なのだから。
しかし、急激に変えてしまうのはきっと危険だと思う。今まででろでろに甘やかされてきた私なのだ、誘惑にも厳しさにも弱いのは自覚済み。
ついでにいえば、悪役の化身のような令嬢が突然性格や態度を変えてしまったら、周りの人はいったいどう思うのだろう。
何かを企んでいるのかと訝しがるが、頭がおかしくなったと憐れむか、何かに取り憑かれでもしたのではないかと心配するか。……確実に、普通に「まともになった」とは認識されない。そういえるぐらいに私は周りに信用がないと断言できる。
だから、じわじわ、ゆっくりと。不自然じゃない程度に、他の人に受け入れられる速さで、自分で自分を慣らしながら。
……手始めに、明日は自分より身分が下の人に嫌味や嫌がらせをするのを控えよう。
そう今後の方針を決定付けた私は(とても低レベルなことだったことにちょっと落ち込んだ)、ベッドに潜り込む。ついたままの明かりは、恐らく私が寝静まったころを見計らってメイドたちが消しに来るはずだ。……なんて怠惰な、と前世の価値観がつっこんだが、今の私にはそれが当たり前で、果たしてこれがこの世界でも常識なのかそれとも怠惰なのか分からないので、とりあえず今日はこのままで。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇
現状では先行き不安、しかし少しずつ改善していけばきっとなんとかなる、頑張ろう! 明るい未来のために!
――だなんて、意気揚々と前向きな気持ちで新しい朝を迎えた私、本当に甘かったわ。
私の自分改革計画に立ちふさがる、最初にして最大の障害は、一番身近な場所に存在していたのだった。
「ああ、私の可愛いヴィヴィー。もしかして具合が悪いのかい? そういえば昨日は階段から落ちたのだって聞いたよ。その時に頭を打ったとも。校医に見てもらったそうだけれど、あの校医は若いから実力が足りないのかもしれないね。そういえばメイドたちも早めに下がらせていたね? まだ傷が癒えていないのなら、遠慮せずにちゃんと言うんだよ、ヴィヴィー。すぐに最高の腕を持った医者を呼んであげるから。念のため、今日の学園はお休みしたほうがいいね。マシュー、すぐに手配を――」
「ちょ、ちょっとお待ちになって、お父様! 私、大丈夫ですわ。どこも悪くありませんもの。ちゃんと学校へ行けますわ」
優雅な口調の癖にこちらに口を挟む隙を与えない父親が、揚句に暴走して初老の執事のマシューに指示しかけたところで、私は慌てて止めに入った。
夕べは確かに帰ってきていなかったはずの父のオズワルド・エアルドット。濃いブラウンの髪に、ナイスミドルといいたくなるような整った顔立ち。チャームポイントは多分、整えられたひげと私に似た深い緑の瞳だろう。
その父が、何故か当たり前のように朝食の席に座っていて、しかもまだ私が語っていないことまで全て知っているらしく、私が席について食事を取り始めるのと同時に怒涛の如く言葉を連ねてきたのである。
父が「もしかして具合が悪いのか?」という疑問に至った理由は、私がいつもよりも大分早く朝食の席に訪れたことが原因らしい。
――たかだかドレスをいつもよりも早く決めたぐらいで、こんなに心配されるだなんて……!
思わず内心で頭を抱えたのは仕方ないといえよう。本当に些細なことなのだ。
私はいつもその日のドレスを選ぶのに一時間はかける。持っているドレスの量が半端ではないし(衣装部屋まるまる二つ分だった)、その中で今日の気分にあったコーディネートをするのが楽しいからだ。記憶が戻った今でも、ドレスを見ればワクワクするしコーディネートは楽しい。が、デートでもパーティーでもないのにかけすぎである。
しかも、だ。そのドレスは、朝食をとった後に学園の制服へと着替えるのだ。
何て無駄な……! と戦慄してしまったのは記憶に新しい。
言うなれば、忙しいはずなのに何故か必ず朝食を一緒に食べに来る父に見せるためにわざわざ選んで着替えているようなもの。
家族サービスといえばそれまでだが、流石に無駄すぎると判断した私は、自分改革の“些細な一歩”ということでドレスの即決を行ったのだ。
幸い、私が今まで培ってきたセンスは健在。直感で決めても、充分自分で納得できるものだった。
……そういえば、メイドも少し驚いていたわね。
職業上なのか、業務用スマイルが常のメイドたちだったが、私が「今日はこれにするわ」とドレスを眺めて僅か五分で決めた事には驚きを表していた。
……そんなに私が即決したことが珍しいのだろうか。
先行きが不安だわ、と思わず顔をしかめそうになって、父の表情を見て、はっとポーカーフェイスをつくる。
私がマシューへの指示をとめた事が不服なのか、ナイスミドルな顔立ちの癖に拗ねた少年のような表情を浮かべていたからだ。――これは、顔をしかめでもしたらすぐに学園を強制的に休まされ、父親との面談をとらされることだろう。
「君がそんなに学園に行きたがるなんて、――もしかして誰か好きな人でもできたのかい?」
「まさか。昨日、お友達に心配をかけてしまいましたもの、ちゃんと元気な姿を見せて、お喋りしたいと思っているだけですわ」
――どうしてそこで「好きな人が出来た」って思考に跳ぶの、お父様!?
私を溺愛してくれる父が、どこか黒いオーラを背負った笑顔で問いかけてきたのを、私は内心引き攣りながらも笑顔で否定する。だってここで「そうですの」とか言ったら、家から出してもらえずに、あげく相手を調べ上げて「僕の可愛いヴィヴィーについた悪い虫は君だね?」とかいって排除するか釘をさすかしそうな気配だった。
「本当に大丈夫かい? 無理はしていないかい? ――アイリーンが居なくなって、まだ日が浅いんだ。君が望むことなら、何でもしてあげるから、何かあったら遠慮せず言うんだよ?」
「――――、大丈夫ですわ、お父様。だって、お父様がいますもの、それだけで充分だもの」
私は、砂糖のように甘い答えを吐く。父はそれで満足したようだった。
ちなみにアイリーンとは、父が私よりも溺愛していた私の母の名前だ。
話に一区切りがついたところで、食事が再開される。
小さく芸術的にお皿に盛られた豪華な料理を口に運びながら、私はこちらをとろけるような笑顔で飽きもせず眺める父親にチラリと視線をやる。
悲しいかな、これがいつもの光景だった。父の溺愛に、親馬鹿にもほどがあるだろうと言いたくなるような甘ったるい砂糖菓子のような会話。
手加減なく私を甘やかそうとしてくる父と会話して、私は改めてこの環境の異常性を認識する。
誰かの所為にすることはあまり“前世”の価値観的に気が進まないが……、明らかに私が最低の貴族の娘だったのって、この父親が原因だろう。これでも王城に勤め、仕事をきっちりこなす有能な人材……、らしい。思えば私は父がどんな仕事をしているのかさえ良く知らない。――教えてもらってない。ただ、偉い人なのだ、としか。
これが、果たしてこの世界での標準なのか。私としては、前世の価値観が完膚なきまでに崩壊してしまうのでぜひとも違って欲しいと思っているのだが。
だって、こんな……溺愛を通り越して微妙にヤンデレが入っちゃっているお父様が標準だとか、……下手をしたら人間不信に陥るレベルの恐怖だ。
それに、だ。
私はエアルドット家の四女なのである。
少なくとも上に三人の姉が居るはずなのに、今思い出そうとしても誰一人として顔どころか名前すら浮かんでこないのはどういうことか。
父曰く、すでに姉はみんな嫁にいっているらしいのだが、その結婚式に呼ばれた記憶も存在しない。
兄がいるかどうかも定かではなく、私の中で家族というのは、父と亡き母、そして私の三人だけという認識だ。
……明らかに、おかしい。おかしすぎる。
前世の価値観が私に提示した現実に密かに背筋を震わせながら、私は父のために笑顔を取り繕う。
それはまるで、甘く綺麗に作られた鳥かごが、世界の全てだとでも錯覚している小鳥のように、無知で愚かな――けれどそれ故に幸せな危うい夢。
――本当に、私は現実が見えていなかったのだわ……
前途は多難。先行き不明。最大の敵は身内。
ヴィヴィアンの自分改革計画は始まったばかり。