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悪役娘の巻き込まれ恋愛譚  作者: 天野きつね
【原作前】篇
4/23

sideカラトナ 医務室の邂逅

校医視点。

 自分の仕事場である医務室で、こまごまとした書類整理を終えたカラトナ・フィースは、一段落着いたところで、ふうと気だるそうに息を吐いて、机の隅に置いていた冷めたお茶に手を伸ばした。


「……だりぃ……」


 仮にも貴族ではあるのだが、その口は荒く顔は嫌そうにしかめられていた。ただ、幸い今の医務室にはカラトナと意識のない生徒が一人きりで、口の悪さを咎める人間はいない。

 それをいい事に、「煙草吸いてぇな」だなんてぼやきながら、だるい原因――エアルドットのお姫様(意識のない患者)について意識を向けた。


 カーテンを挟んだ向こうにいるのは、ヴィヴィアン・エアルドット。このカナリスタ王国屈指の貴族、エアルドット侯爵家の四女である。

 手入れのしっかりなされた燃えるような美しい紅の髪に、大きなエメラルドに似た緑の瞳。大輪の花に譬えられてもおかしくない美少女で気の強いお姫様といったところであるが、しかしその性格は良くない方向に「オヒメサマ」だった。

 さぞかし親に甘やかされているのだろう。自分のような子爵の出の医者では、遠目ですらその親の顔を拝んだことはないが。自分に逆らうものなど人間ではないと言わんばかりに、権力と財力を躊躇うことなく使い、とりまき達と共にわがまま放題やりたい放題。彼女に泣かされた人間がこの学園にどれだけいることか。嫌がらせの被害に遭った生徒を手当てしたこともある。

 身分が低いものを見下して、しかし権力があるがゆえに教師の中でも逆らえないものが少なくない。


 そんな生徒が、よりにもよって自分の仕事場に担ぎこまれてきたのだ。これがめんどくさくないはずがない。


 そのエアルドットのお姫様は、どうやら階段から足を踏み外して落ち、頭を打ったらしい。運んできたのは通りすがってしまったらしい憐れな男子生徒だった。わらわらとその後をついてきた取り巻きのお嬢さん方から頭を打ったと聞いた時は、少しばかり肝が冷えた。気絶だけならともかく、打ち所が悪ければかなりやばい。

 正直、医者としてはどうかと思うが――心配する気持ちと同時に、責任問題がこちらに飛び火する可能性もよぎっていた。

 ……幸い、彼女は気絶しているだけのようだったが。これなら、その内目覚めるだろ。

 だが念のため、無理矢理起こさずに自然に起きるのを待ち、異常がないか確認しなければならないだろう。頭に関しては、下手に治療魔術を使うのは時に逆効果になることがある。


 ぴーちくぱーちく煩い非患者(令嬢)たちを追い出して(男子生徒は運び終えてすぐに立ち去った。まあ、触らぬ神に祟りなしっていうからな)、目覚めるまでベッドに寝かせて今に至る。


 彼女の意識が戻った後のことを思えば、カラトナは頭が痛くなる思いだった。貴族とはいえ、侯爵家のお姫様から見れば下の身分。散々見下されて――実際、普段から見下されているであろうことは察しがついた――、面倒な対応を強いられる。ただでさえ貴族の令嬢は扱いづらいのに、その筆頭ともなれば……と考えて嘆息する。


 そんなことを考えながらお茶を飲んでいると、カーテンの向こうからぎしりとベッドの軋む音がした。自然、カラトナの視線はそちらに向く。

 そろそろ起きてもいい頃だ。が、それ以降カーテンの向こうに動きはなく。


 ――まあ、あのお姫様のことだ。起きて周りに誰もいなかったら声をあげんだろ。


 そう思ってお茶を置き、書類整理に戻った。

 が、すぐに溜息が聞こえてきて手をとめる。やはり起きたのだろうか。

 さて、様子でも見るかと書類を机の端にまとめて、立ち上がる。カーテンの向こうの空気が動く。と、何事かを呟く声が耳に入ってきた。

 小さすぎてその呟きは聞き取れなかったが、悪態でもついているのだろうか、とカラトナは少しばかり眉を顰めてカーテンに近寄る。

 そして、カーテンに手をかけて。


「……かあ、さま…………っ」


 ……は?


「おー、エアルドット、そろそろ起きたかー?」


 一瞬、聴こえた声に内心「気のせいか?」と思いながら、カーテンを開けてそう声をかけた。

 だが、その瞬間、衝撃の光景を見て絶句することになる。


「って、え……っ!?」

「――――っ!!?」


 ぼろぼろと涙を零す、エアルドットのお姫様。かみ締めるように結ばれた口元。そして涙を湛えた緑の瞳に思わず視線を奪われて。


 彼女もまさか見られるとは思っていなかったのだろう。しばし呆然とカラトナと見詰め合って。


 ――な、なんで泣いてるんだこのお姫様は……!?


 うっかり動揺してしまったのは否定できない。

 だが、そこは校医。生徒(子供)の泣き顔はそこそこ見慣れているからか、復活は早かった。驚いたのは多分、余りにも予想外だったからだ。このお嬢様が怒る姿を想像できても、何かを堪えるように泣いている姿は想像できなかった。


 やがて彼女は、やっと泣き顔を見られているという現状を認識したのか、かっと頬を染める。そしてこちらを睨みつけてきた。


「あー……、その、なんだ」


 ……正直、潤んだ瞳でにらまれても怖くないんだが、とカラトナは大いに視線を泳がせた。むしろ、整った顔立ちなだけに妙な加虐心が目覚めそうで怖い。 


「大丈夫、か?」

「……………………大丈夫、ですわ」


 何となく気まずい気分を味わいながら、泣いている理由を尋ねたほうがいいのかどうか悩んだ揚句、ありきたりにそう尋ねる。と、微妙な間と共にそう返事が帰ってきたが、同時に堪え切れなかったのだろう嗚咽が聞こえた。


 全く大丈夫そうに見えない。ますますどう扱うべきか悩んでいると、彼女はきっとこちらを睨みつけて厳しい顔で言う。


「……っ忘れなさい」

「はあ……?」

「っ、わ、(わたくし)が泣いていたこと、は、今すぐお忘れになって……!」


 ああ、更に泣きそうじゃねえか、とカラトナも焦る。思わず頭をがしがしとして、とにかく泣き止んでもらうためにタオルを取ってきてエアルドットのお姫様に押し付けた。


「なっ、なにをするんですの!」

「とりあえずそれで顔拭け、エアルドット」


 面倒くせー、と思いながら、しかし泣く生徒にはそこそこ慣れているため、対応はスムーズだ。相手がこの生徒である事に戸惑うが。


 しかし、「お母様」か。

 水を用意しながら、カラトナは先ほどこぼれ聞いた声を正しく認識して少しばかり納得できる気がした。確か、彼女の母親は少し前に亡くなっていたはず。医務室はそれなりに噂話の集まる場所、生徒からも教師からもその噂は耳にしていた。

 遠目に見て、特に気にしてないように振舞っていたから大して悲しんでないのだろう、お偉い貴族サマの考えることってのは下流貴族にはわからんもんかね、だなんて思っていたが。

 まあ、たかだか16の娘。親を失って悲しくないはずはない。食事をきちんととっているのか疑問になるほど身体は細いし(ただ、これは令嬢にありがちなのでなんともいえないが)、よくよく見ればやや寝不足のように見受けられる。


 一人でずっと、それを堪えていたのだろうか。


 そう考えると、今まであったヴィヴィアン・エアルドットのイメージが崩れていく。わがままなオヒメサマだと思っていたが、それは実は勘違いだったんじゃないか?

 確かにわがままだとしても、それが育つ環境によるもので、本来は純粋な子供だったとしたら?

 優しさを、悲しさを、不器用にしか表現できない人間だったとしたら?


「ほれ」


 喉が渇いているだろうと暖かい気分で彼女に水を渡しながら、カラトナは少し反省する。医者にあるまじき偏見で持って生徒を見ていたんではないか、と。

 そうすると、途端この少女に対する認識が180度変わるから不思議だ。

 思えば、目覚めてから今まで、この生徒は暴言を吐いていない。「忘れろ」発言も、まあ年頃の娘としては珍しくない反応だし可愛いものだ。


「それで、頭の調子はどうだ? ――ああ、答えるのはそれ飲んでからでいいから。――痛いところや吐き気は? 記憶の混濁とかはないか? 自分がどうしてここにいるか、覚えてるか?」


 校医の仕事を全うすべくそう問えば、エアルドットは素直に水を飲んでから答えた。


「私は、階段から落ちて頭を打って気を失った……のですわよね? 記憶の混濁は……たぶんありませんわ。打った場所が、少し痛みますけど、吐き気は特には……」


 特に問題はないらしい。

 にしても、やけに素直に感じられて、カラトナは思わず怪訝な顔をしてしまう。暴言が一つもないだと? と内心驚いていた。


「……そうか? ――じゃあ、ちょっと治癒魔法をかけるからじっとしてろ」


 だがしかし。体調に問題がないのならかまわないだろう。もしかしたら、母親の死によって少し余裕がないのかもしれない。先ほども泣いていたぐらいだし。

 治療魔法をどうして先にかけてくれないのか、と不満そうな顔をした彼女に苦笑しながら説明を加え、簡単な治療魔法をかける。


「よし、これで大丈夫だろ。一応しばらく様子を見てまた具合が悪くなったら、ここに来るか医者に相談しろよ。……今日はもう帰っていいぞー」


 泣いていた事が気にはなるが、触れて欲しくないようだった。そのためその事については触れずに立ち上がる。

 殊勝なエアルドットが気持ち悪くないか、といえば確かにちょっと違和感があるが。


 今までの彼女の傲慢な態度が、全て自分を守る殻のようなものだとしたら。母親の死によって殻がはがれて、いつもよりも素直になっているのかもしれない、だなんて。


「――さっきのこと、誰にも言わないでくださる?」


 帰り際、少し迷ってからこちらを見てそんなことを言ったエアルドットに、その推測がますます確信に近づいた気がして。自分はやはり偏見で見すぎていたのだな、とバツが悪くなる。


「ん? さっきってなんだっけ?」


 忘れろ、といわれたことだしとぼけて見せれば、彼女は睨んできた。が、やがて消えるような声で「……ありがとう」だなんて呟いたから、思わずその背に声をかけていた。


「あー、エアルドット? 余計なお世話かもしれないが……その、だな」


 振り返って訝しそうな視線を向けられ、思わず言いにくいと頬をかく。もしも、今までの態度が身を守る殻で、その殻がはがれてしまうほど一人で溜め込んでいるのだとしたら。


「――あんまり、無理するなよ?」

「――――よ、余計なお世話ですわ!」


 一瞬ぽかんとしてから飛び出してく生徒を見て、我ながらめんどくさいことをしたものだ、と溜息をつく。


 エアルドットのお姫様。

 わがままで傲慢なオヒメサマ。

 けれどなんだかそれは、素直になれない猫のように見えて。


 カラトナは、とりあえずこれからは少し気にかけてやるか、と思いながら書類整理をすべく自分の机へと戻ったのだった。

微妙に始まる勘違い。

そこまで深刻なお嬢様じゃないぞ、前世の記憶が戻っただけだ。

それまでは正真正銘のわがままお嬢様だ。

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