第十八話 交渉にすらならない
お父様がいなくなった部屋には、ずいぶんととげとげしい沈黙だけが残った。窓の外ののんきそうな小鳥たちの鳴き声がいっそ恨めしい。
――どうすればよいのかしら。……正直、さっぱりわからないわね……。
とりあえず、ここにお父様がいたのでは互いに本音では話せまいという思いから、二人きりを望んでみたが。二人きりだと、そもそも言葉すらなかった。
とりあえず、相手に対話の意思はなさそうである。立ったまま向き合ってはいるが、ルーカス殿下はこちらを見もしない。そして私も、一体何から言い出せばよいのやら、と言葉を必死に探すが見つからなくて。
……それに、お父様は出て行ったとはいえ。果たして、ここには本当に二人きりだろうか、という疑問が頭をもたげる。たとえ二人きりだとしても、声の聞こえる位置に誰かがいれば意味は全くないだろう。
――と、いうより。むしろ、本当の意味での二人きりだなんてこと、ありえませんわよね……。
少なくとも、私の周りには、いつだって使用人がいる。私の必要に応じて、私が意識しないぐらい自然に動いてくれる使用人たちは、少なくとも私の動向を察知できる位置にいつもいるのだ。同時にそれは、私の目につかない場所でもあるはずで。
そのことを考えると、今だっていないはずがないのだ。たとえば私が今ルーカス様と一緒に飲むお茶がほしいそぶりを見せたとき、それが用意されていなければ私が不機嫌になってしまうのだから。
結局――ルーカス様にとってはその限りではないが――お父様が出て行ったところで事態はあまり変わらないじゃないの、と私は一瞬だけ眉を顰める。いや、取り繕って話を進めればいいのだけれど、それだとルーカス様は私の話を聞く前に切って捨ててしまいそうな雰囲気を漂わせていて。……本当に、あのお父様はどういう風に手を回してルーカス様を私の婚約者にするまでにこぎつけたのかしら。いくら有力貴族とはいえ、この殿下が嫌っている相手との婚約を了承するとは思えないのだが。
もういっそ、ずばっとそのまま訊ねてしまおうかしら。そんなことをやけっぱち気味に思った私は、はたと気づく。それも悪い案ではないかもしれないわ。それに。
――お父様にばれるのは怖いけれど、それならばばれないようにすればいいじゃない!
魔術の中に、結界を張る魔術というものが存在している。系統や段階によってさまざまなそれは、密談から魔除け、そして旅などの途中、そして戦闘のさなかに使えるものとさまざまだ。
この王子に怪しまれても、気味が悪いと思われても、お父様にばれて万が一嫌われてしまうよりはよっぽどましである。それに、そろそろ自分一人でちまちま自己改革にいそしむのことに限界を感じ始めていたのだ。いっそここで一人、だれでもいいから打ち明けられる人を作ってしまうのも悪くはない。私と結婚するのが嫌ならば――そんな失礼極まりないこと、ありえませんわ!だなんて心のどこかが叫んだ――私だってこの婚約を回避することに協力するのもやぶさかではない。お父様の説得だって、頑張れば何とかなる、かもしれないし。
そうなったら、互いに好意を抱くまではいかなくても、一時的な共同戦線を張ることも可能かもしれないのだ。
……ただし。その肝心の結界魔術は、私には使用できないのだが。主に魔力量と実力的な意味で。
私の頭は、このとき思いっきりぐるぐると回っていた。予想外のことに動揺して、そして空回りしていたといってもいい。
だからだろうか。どうすれば安全にルーカス様と話し合いができるか悩んだ挙句、思考が変な方向に化学反応を起こして、いかにもわがままヴィヴィアンらしい行動にでてしまったのは。
「――ルーカスさま……! 婚約なんて夢のよう。とてもうれしいですわ!」
私が結界魔術を張ることができないのならば、成績優秀で有能なルーカス様に張ってもらうしかないじゃない、と自分勝手な思考にたどり着いて。それを周りにいるであろう使用人たちに気づかれずに頼むには、物理的に接近するしかなかろうと、感極まったような声を出して(果たして本当にそう見えるかはわからないが)、ルーカス殿下に抱き着いてしまったのだ。
「なっ……!?」
予想外のことだったのだろう、ぎょっとしたような声が頭上で発せられる。
私も一拍後に自分で自分の行動にぎょっとした。
――私は馬鹿ですの!? っていうか馬鹿ですわ!
セクハラもいいところだ。親しくもない相手に抱き着かれるとかいやな気分しかないだろう。ああもう、とっさに体が動くとろくなことがない。考えすぎた挙句もから回るから、結局は私ってダメダメすぎるのかしら、と穴に引きこもりたくなった。せめてもの慰めは、私がそれなりに発育がいいほうだったことだろうか。役得だと思って適度に忘れてほしい。わがまま令嬢だったころの感覚が、「私にだきしめられるだなんて光栄に思って当然よ」と訴えてくるが、そっと見なかったことにした。世の中そう甘くはないんだよと前世の私が訴えてきていたので。
「おい、離れろっ!」
ぐいっと肩をつかまれる。心底いやそうな声であるが、むしろここまで来たら逆に目的を達成しないまま離れるわけにはいかなかった。だってそんなことしたら抱き着き損だし、私の羞恥心がただ単にダメージを負っただけになってしまう。
「……申し訳ございません、ルーカス様。結界を張ってくださいませんか? 張り終わった後でしたら、ののしるなり、突き飛ばすなりしてくださっていいですから」
内密に話したいことがあるのです、とルーカス様の耳元に、私は囁くように懇願した。他力本願だけれど、お願いだから聞き入れてほしい。……うう、こんな体制、自分でやっていてとても恥ずかしい。
ああもうっ、と意味もなく内心で毒づいていると、ぐいっと体を離された。ルーカス様の青の瞳と視線がかち合う。
「自分で張ればいいだろう、そんなもの」
「……恥ずかしながら私にはそれができるだけの魔術の才能が有りませんの」
認めるのはとても癪だけれど、と思いっきり顔をしかめてしまった。それでも、思ったよりすんなり自分の未熟さを口にできたのにほっとする。
が、ルーカス殿下はそんな私を見て容赦なく嘲笑した。
「はっ、高貴な貴族令嬢が結界すらはれないなんて、聞いてあきれる話だな」
「っ、なんですって!」
馬鹿にしてきた事実に、私の無駄に高いプライドが咄嗟に声を荒げさせる。いやいやいや、落ち着け、ここで切れている場合じゃないでしょうヴィヴィアン! というか余計な仕事しないでよ無駄なプライド!
声を荒げた私を鼻で笑って、ルーカス殿下はどんと私を引き離した。
「何を話したかったかは知らないが、どうせお前のことだ。ろくなことではないんだろ?」
「なっ……!」
まだ話してもいないのに一刀両断。重要なことよ! とわめきたくなったけれど、どんと引き離された衝撃から微妙に立ち直れてないわがまま姫の喉では音にならなかった。
唇を震わせる私に何を思ったのか。ルーカス殿下は冷たい瞳で尊大に言い放つ。
「いいか、勘違いするな、ヴィヴィアン・エアルドット。この婚姻はあくまでエアルドット家と王家のつながりを確かにするための取引だ。お前と結婚することはその手段であって目的ではない。お前のそのお花畑のような頭でわかるかは知らないが、よくよくおぼえておけ。断じてオレは、お前を好いているからこの婚姻に承諾したというわけではない。――思い上がるなよ?」
「……っ」
「だが、それでもお前は第二王子の妃となるということをわすれるな。国のためにも、王家のためにも、……オズワルド殿のためにも、それに相応しいふるまいをしてもらう」
「……今の私ではふさわしくない、とおっしゃりたいんですのね」
当たり前か、と思いながらつぶやく。そりゃあ、今までのようなわがまま令嬢ではふさわしいなんて到底言えないだろう。だけれど、少しは……、少しは最近ましになってきていたと思うんだけれどなぁと少しばかり落ち込んだ。
でも、だからこそ。少しでも相互理解を深めて、利害の一致でいいから協力をしあえないかと思うのだ。最終的にこの婚約を解消するにしてもしないにしても。
と、そんな風に意気込んで口を開こうとしたのが悪かったのか。
「少なくとも、婚約者にいきなり抱き着くようではな」
第二撃の言葉で、最もですわ、と私は苦く撃沈した。
話したいことは終えて少しは満足してしまったのか、ルーカス殿下は「これで失礼する。ああ、見送りは不要だ」と言って扉から出て行ってしまう。私は、結局何も言えずにそれを見送った。……ばたん、とやや乱暴にしまった扉の音が耳に痛い。
――せめて、この婚約が私の本位ではないこと、なんとか穏便に婚約解消、もしくは平和的解決策を見つけられるようにしたかったですわ。
そもそも、私が根拠のない感情で「お父様に嫌われたくないから」だなんて思って無駄な小細工をしようとしたのが悪かったのかもしれない。やらかしたなぁ、と後悔するも時はすでに遅い。
「……どうしたんだい、ヴィヴィアン?」
ふいに、がちゃりと扉が開いて、お父様が入ってくる。私を見て、少し驚いたようにし、それから困惑したような顔で微笑みを浮かべてそっとこちらに歩いてきた。流れるような動作で私の髪をなでて、それから「殿下は……?」と部屋の周りを見渡した。
「……お帰りになられましたわ」
私が小さな声で答える。するとお父様は、「そうか」と短く言って小さく顔をしかめた。あまり見ないお父様の表情に、私はどきりと体を震わせる。
お父様が手を軽く振れば、どこからともなく使用人たちがやってきて、あっという間にお茶の準備を整えてしまっていた。そして、年かさの一人から小さく事のあらましの報告を受けている。……ああ、やはり見ていたのだな、と思って私は居心地が悪くなって視線をさまよわせた。
いつの間にかテーブルにつかされていて、温かい紅茶を手に取っていた。
「――大丈夫だよ、ヴィヴィアン。僕のかわいいヴィヴィー。殿下は照れているだけだろう。学校でも見知った女の子が自分の婚約者になったと知って、少しばかり驚いているんだよ、ヴィヴィー」
にっこりと、こちらを安心させるようにそういうお父様。私は思わずそれを聞いて「いや、それはないでしょう」とと突っ込みたくなった。同時に、なんだか脱力してしまう。あの父がどういう反応をするのか、と身構えていたのだが、ある意味前世の価値観を思い出す前の私の言いそうな言葉に、ああ私の価値観はこのお父様の影響があったんだろうな、と遠い目をしてしまった。
――いくら少しばかり柔らかな言い方で報告されたからといって、あそこまで言われたことに対してこうも都合のよい解釈ができるとは、わが父ながらすごいですわ……。
若干引きつりながらも、私は「ほ、本当にそうですかしら?」と控えめに反論を試みる。
「お父様、やはり殿下はおいやなんじゃないかしら? 私、」
殿下に嫌われるのはいやだわ、この婚姻は少し考えたほうがいいんじゃないかしらと思うの、だなんて言おうとしていた私の言葉は途中で止まる。ふわり、とお父様に抱きしめられたからだ。
「――大丈夫だよ、ヴィヴィアン。僕のかわいいヴィヴィー。そんなことはない。たとえ今は戸惑っていたとしても、殿下はきっと君の魅力をわかってくれる。そう、君の魅力がわからないだなんて、殿下はそんな愚かな目を持っていないだろうからね。だから安心していなさい」
そんなにかなしそうにしないでおくれ、となだめるように背中をぽんぽんとかるくたたかれて、私は「そうじゃない」という言葉をもう一度飲み込んだ。別に私、彼に嫌われているから悲しそうなのではなくて。
このままでは、きっと何かまずいことが起きる、という明確な根拠を提示できない自己保身に過ぎないのだけれど。
――お父様も、実は私の話を聞いてないんじゃないかしら。でも、それは私を愛してくれているが故、なのだろうけれど。
ちなみに殿下が私の話を聞かないのは、私を嫌っているが故だろう。あと、今日の私の馬鹿な行動がそれを助長させたのは確かだ。
ため息を飲み込んで、私の意気地なし、と内心で自分を罵った。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇
自己嫌悪と憂鬱な休日が終わって、私はいつも通り学園へと登校する。
たどり着いた教室では、すでに来ていた取り巻きが、ひそひそと熱心におしゃべりをしていた。いつも通りの光景だ。
シャノンが真っ先に私に気づいて、「おはようございます、ヴィヴィアン様」とあいさつを述べる。ほかの子たちも後に続きてかわいらしい令嬢らしく「おはようございます、ヴィヴィアン様」と声をそろえた。
「おはよう、皆さま。――今日は何の話をしていたんですの?」
いつも通りの光景に、いつも通りの挨拶、そしていつも通りの問いを重ねた私。しかし、答える側の彼女たちの様子はいつもとは少し異なっていた。
彼女たちは意味深な笑みを浮かべて、互いに顔を見合わせる。
「ヴィヴィアン様のお話ですわ」
「……私の?」
ええ、とうなずいて、くすくすと笑いあう彼女たちに、ひっそりと地味に嫌な予感を覚えた私は、心持慎重に聞き返す。
そして、彼女たちの答えに、結局頭を抱えることとなるのだった。
「聞きましたわよ、ヴィヴィアン様! ルーカス殿下との婚約、おめでとうございます」
「あの殿下と婚約なされるだなんて、なんてお羨ましい。さすがヴィヴィアン様ですわ」
「あら、ルーカス殿下につりあうのはヴィヴィアン様ぐらいでしてよ」
「そうですわ! きっとお似合いなご夫婦なられることですわね」
「おめでとうございます、ヴィヴィアン様!」
口々にお祝いの言葉を述べる彼女たちに、私は「あ、ありがとう」とひきつった笑顔で答えながら内心で叫んだ。
――発表もまだ、私が知ったのも昨日だというのに情報が早すぎですわ……!
彼女たちの女子力は恐ろしい、と戦慄するしかなかった。




