第十六話 はじめてのおでかけ
「ヴィヴィアン様……!」
窓の外を流れていく景色に目を奪われていると、前の席に座っていた使用人のハンナが慌てたようにカーテンを閉めなおしてしまった。そして、斜め前に座っていた年かさの使用人が、そんなにカーテンを開ききってしまってはなりませんと静かな口調で告げる。私が不満そうな顔をしているのが見て取れたのだろう、加えて「旦那様の指示でございます」と淡々と付け足した。外が見えるならば、当然外から中も見えてしまう。それでは危険だから、ということらしい。
さんざん危険だと言われていたのだから、それも仕方ないことかもしれないと私は納得して。……いや、不満な気持ちはあったけれど、せっかくの外出をわがままな言動のせいで台無しにはしたくなかったし。これがお父様が一緒であれば、不満をあらわにしてみるのも一つだったのだけれど。そんなちょっと打算的なことを思いながら、私は今度はカーテンの隙間からそっと外を覗いた。
――隙間からだけでも十分ですわね。……今の私には。
隙間から垣間見ることのできる景色はとても鮮やかだ。ただし、普段見ている景色と比べると決して綺麗とは言えない。普段自分が見ている屋敷や学園、そして王城や知人の家や庭園と比べるのが間違っているのかもしれないけれど。だってなんだかごちゃごちゃしているし、質素な部分が多い。装飾がある家なんて数えるほど。歩いている人々も、圧倒的に粗末(これは貴族と比べてみればの話だとは思うけれど、と前世の知識が一応突っ込んだ)な服装で、身ぎれいな人もいればボロボロな人もいる。兵士らしい男に店の女主人らしき人、露天商に八百屋の主人、駆け回る子供に旅人らしい青年、芸を披露している一団に、大きく声を張り上げて客引きをしている少女。
本当に、様々な人がいる。様々な声が、音が、景色が見える。
通り過ぎざまに見ていくそれは、まるで前世でいう映画のワンシーンを眺めているようで。
しばし、声も出さずにぼんやりと見入ってしまった。
ごちゃごちゃしていて混沌な場所だ、と思うと同時に、物語の世界に紛れ込んだみたいで素敵だ、だなんて思う気持ちがある。相反する気持ちの扱いに、一瞬戸惑うしかない。
――どちらにせよ。……とても、活気にあふれていて、“生きている場所”なのは確かね。
別に普段の場所が生きていないというわけではないのだけれど。そんなことを思って、それから意味の分からない感想だわと息を吐く。生きている場所ってなんだ。初めての光景に私もかなり気分が高揚しているんだな、きっと。
私は、目を休めるように、窓の外に張り付いていた視線を引きはがして馬車の中に戻す。面白いけれどどれがどんなものでどんな店で、というのはさっぱりだ。こういう時こそ、あの『王都案内』をみるべきなのかもしれない。あれにはお上りさん向けにこういうマークはこういう店で、とかこんなものが井戸で……など基礎の基礎まで図解してあったのだ。観光案内兼、ちょっとした辞典といっても悪くない代物だった、とほう、と息をはけば、こちらをうかがうハンナと視線が合った。はっとしたように視線を伏せられる。……なんなの。
ついでにハンナの隣に座っていた年かさの使用人に目を向ければ、感情の読めない瞳で見つめ返された。彼女は最近、割と頻繁に見る顔である。使用人たちが動いているときにそばに控えていて、彼女たちに指示をしているようだったから、割と使用人の中では上の立場のほうなのかもしれない。
そんな彼女は、一瞬目を伏せたかと思うと荷物の中からすっと本を差し出してくる。……『王都案内』だ。
思わず受け取ってしまってから題名を見て、「ありがとう」と言ってページを開いた。もともとは、これを見ながらあちこち回ろうと、そう考えていたのだけれど。ただ外を眺めるだけとなってしまった今、果たして役に立つかどうかはわからない。……あ、いや。普通にそれっぽいものが見えたら「へーこれなんだー」と思えばいいのか。
そんなことを思いながら、ふと前の空気が驚いたように揺れたような気がして顔を上げる。実際にハンナはぱちくりと一瞬目を見開いた表情をしていて。斜め前の使用人も、やはり視線を移した一瞬だけはちょっとだけ表情に変化が見えた。……どちらもすぐに業務用表情に戻ってたけれど。
一体何なんですの、と眉をひそめながらもう一度本に視線を戻そうとして、はたと年かさの使用人に目を向ける。
「そういえば、あなた、名前は?」
何度も顔を合わせているのだから、今更な質問といえばそうなのだが。ちょっとずつ使用人とも距離を縮めてみようと決意したのだし、これはいい機会かもしれない。一気に声をかけてもこちらの対応が追い付かないからできれば一人か二人ずつ、不審に思われない程度に進めていきたいのだけれど。大勢の中から一人だけ声をかけると、前回のハンナの時の二の舞だ。……あれはちょっとぎょっとした、と思わず遠い目になる。
「……ロジーネ、と申します」
「そう。あなた、この王都には詳しいかしら?」
「ある程度は」
「ふうん。なら、窓の外の景色について、いろいろ説明しなさい」
「……かしこまりました」
……なんでこんなに偉そうな口調なのだろう、私は。一瞬、遠い目になったが仕方ないことだと思いなおす。そもそも、使用人相手に「お願い」だなんてばからしい。仕える相手の言葉には基本的に強制力が働くのだし、ヴィヴィアンだったならば普通にこういう口調なのだから。私が「お願い」だなんて使用人相手に言った日には、彼らは驚くだろうしお父様に報告が行って尋問がとらされるだろう。
それから、カーテンをもう一度少しだけ開けて、あれは何? あらあそこは面白そうねだなんてつぶやいたり尋ねたりしながら、道を進む。ロジーネの解説は端的だったがわかりやすかった。
ひとしきり興奮が冷めたところらへんで、この馬車が町の中で浮いていることにやっと気づいた。
道行く人たちはやや遠巻きにしていて、無遠慮な視線を向けてくる。子供なんて。「あー、馬車だ!」とわかりやすく指をさしてくるのだ。わたくしは見世物じゃありませんわ、とややむっとするが、馬車の中から声を上げるなんてはしたないし、わざわざ人々を散らすのは本意じゃない。
ふと、そうしているうちに急に前方でざわめきが聞こえて、馬車がやや乱暴に停止する。
「な、何なの?」
「……何かあったようです、ヴィヴィアン様。危険ですので動かれませんよう」
彼女たちと、思わず静かな馬車の中で待機する。馬車が静かな分、外の音がよく聞こえた。外もやや静まり返っており、唯一前方から聞こえる音だけが騒がしい。怒鳴り声、それから何かを殴るような音、金属音。どんっ、と爆発に近い音。
――乱闘でも起きたのかしら。
ならば巻き込まれる前にここから離れるべきですわ、だなんて思うけれど馬車は動かない。
ややあって、とんと馬車が少し揺れた。御者台とつながっている小窓から、ロジーネが御者に小さく「報告を」と話しかける。
「少しトラブルがあっただけだ。……もう、問題はない」
そう答えたのは、雇われ護衛の冒険者で。ちらりとこちらを深い紫の瞳が覗いたのが見えた。そう、とロジーネはつぶやいて出発しなさいと御者に指示を促す。それから私に向かって、「もう問題ございません。少しトラブルがあっただけでしょう」と報告をしてきた。それってどんなトラブルなの、と気にはなるけれど、彼女たちが言わないということは、私の耳にはあまり入れたくないことなのだろう。道の真ん中で乱闘があったのか、それともこの馬車が襲われそうになったのか。
……どちらにせよ、護衛は護衛の仕事を果たしたということのようだ。
何かねぎらいの言葉でも行ったほうがいいのだろうか、護衛対象としては。そんな風に思うのは、こうして外部から雇われた護衛ときちんと言葉を交わして挨拶したのは彼で初めてだからだ。
どんなふうにいうのが自然だろう、と悩んだ挙句、私はロジーネ越しに口を開く。
「――馬車に傷はついていませんでしょうね?」
何かを答えようとするロジーネたちが口を開く前に、くすり、と笑みを含んだ吐息が聞こえて、「ついていない」と静かな声が落ちた。
「そう、ご苦労だったわ」
――普通にお礼が言えたらいいのに。ごちゃごちゃ考えているうちに、結局こんな偉そうな物言いになってしまう自分の思考回路が恨めしいですわ。
内心でこっそりため息を落とした。
その後はたいしてトラブルもなく、『王都案内』とロジーネとハンナの解説を聞きながら、馬車は進む。
やがてたどり着いたそこは、随分と異国情緒溢れる場所だった。木製の建物は、どこか大胆さを見せた彫刻で彩られており、観葉植物やちょっと怪しい木製の仮面が飾ってあったりして――って仮面? え、何あれ呪術に使うの!? ちょっと怖いんだけれど!
……ともかくも。どちらかといえば前世でいう東南アジア風の店内に、ちょっと一周回ってむしろ懐かしい気持ちを覚える。
貴人用の出入り口から入り、「おまちしておりました」とどこか剽軽な顔立ちの男にむかえられ、部屋に案内された。
出されたお茶に手を伸ばしながら、「ようこそ、ラミゼット商会へいらっしゃってくださいました」とつらつらと歓迎のあいさつを述べるのを耳半分で聞きながら、室内の装飾と珍しい香りのお茶を楽しんでいた。……いや、別に挨拶を聞きたくないとかじゃなくて。景色が珍しいから思わず目を奪われてしまってだな。
「――エアルドット侯爵家にご利用いただけるとは光栄の至り! さて、お嬢様。今日はどんな品をお求めでございましょうか?」
ハッと我に返った時には、剽軽男の口上は終わっており、こちらの答えをにっこりと待機している状態だった。
そうね、と私はあわてて頭を回転させる。
「何か珍しいものはないのかしら? せっかく来たのだもの、他では見られないものを買いたいわ」
「かしこまりました、お嬢様!」
にっこりと業務用笑顔を浮かべる剽軽男(正直名前を聞き逃した)は、ぱんぱんと手をたたいて下働きらしい人たちに指示をする。
「こちらは、さる冒険者が西の海で手に入れたという人魚の涙で作った首飾りです。――こちらは魔の森の奥からとってきたという特別なキノコ。非常に美味だと珍重され、王族でもめったに口にすることはできないとか。――こちらは大陸の東側のとある国の名産物で……」
次々と出てくる珍しい商品に、私は思わず買い物というよりも美術館や博物館を見ているようなノリで楽しんだ。
同時に、買い物としては少しばかり物足りなさを感じてしまう。なんというか、外に出て買い物をするということへのイメージとちょっと違ったから。もっとこう、前世の感覚が原因だと思うんだけど、陳列されているものを見て歩きながら好きなものを物色する、というのをイメージしてしまっていた。……まあ、仮にもお偉いお貴族様な身分の人間が、そうそう気軽に店を回るのはいろんな意味でよくないのかもしれない。
ラミゼット商会は、ターゲット層が広い。とても広い。上は王侯貴族、下は辺境の庶民まで、何でも売るのをモットーにしているんだとか。いわゆるなんでも屋である(物品などに限るけれど。さすがにサービスはあまり売っていないらしい)。王都の店舗でも、表の店内のほうはいろんな人が出入りしているんだとか。……前世でいう百貨店のようなものだろうか。
出てくる商品を楽しみながらも、購入するものを決めていく。……そういえば、支払いとかどうするんだろうとか考えたのだが、いまさら聞くなんてできないし、考えても答えが出ないのでとりあえず後で調べてみようと決意。
アクセサリーを数点、珍しい置物を一つ、それからお父様へのお土産のカフスを数種、珍しいお茶と食べ物をいくつか。……あと、魔術のかかっているという手帳が一つ。
値段の説明がなかったためいくら使ったのかさっぱりだが、剽軽男が非常にほくほくした顔をしていたのでかなりの値段になっていたことだろう。
試食も兼ねたお茶やお菓子も存分に楽しんで(おいしかったのはもちろんお買い上げである)、店の異国情緒あふれる景観も楽しんで、わりとあっさりと私は帰路につく。馬車から店が見えなくなるまで見送りをしてくれた剽軽男(どうやら店の人たちからはティーロと呼ばれているらしい)は、割と腕のいい商売人なんだろうなぁとちょっと納得。
――もう一度、今度はお父様と来れたら楽しいですわね。
もう少し早ければ、お母さまも一緒に連れてきたかったかもしれない。現実的ではないのだけれど、それでも。
そんなことを思いながら、帰りも外の景色を観察して時折ロジーネ達にわからないことを尋ねる。さすがになれないお買い物につかれたのか、帰りはどうにも口数が少なくなりがちだったけれど。
お父様の指示なのか、行きとは違う道を通る馬車に、私は楽しむ反面、「これじゃあ道を覚えるなんて無理ね」と内心で嘆息した。別に覚えようと思っていたわけではないのだけれど。
「――あら、あの建物は?」
ふと目に留まった茶色の建物。シンプルな作りだが決して粗末ではない。出入りをしている人は、どちらかといえば荒っぽそうな人たちが多い。ただ、そこに大きな幅はあった。こぎれいな鎧やローブを着ている人から、ぼろぼろの身分の低そうな人たちまでさまざま。掲げられた大きな看板にあるのは、鳥と植物と剣が絡み合った不思議な文様だった。
「冒険者の所属するギルドでございます」
「……ふうん、あれが」
じいっと観察をするが、数人がこちらをちらりと見たのが見えただけで、当たり前だが中は見えない。そしてここは馬車の中、あっというまにギルドの前は通り過ぎてしまい見えなくなってしまった。
……どこかで前世の感覚が「なにそれ面白そうな場所!」とか思わせてきたけれど。
――まあ、私にはかかわる機会もないような場所ですわよね。
だって、今の私がお金に困るようなことは起こりそうもない。いや、自分改革に失敗して将来没落とかしちゃったらあり得るかもしれないけれど。そんなことにならないように、今地味にあがいてみているわけで(成功しているかはわからないけれど)。まあ今度機会があったらちょっとギルドについて調べてみようと思いつつ、次の景色に意識をうつしたのだった。
やたらに疲れる、けれど充実した一日を終えて。家に帰れば、仕事を猛スピードで終わらせてきたのだというお父様に迎えられた私は、今日の買ったものを見せたり、お土産であるカフスをお父様に渡して(そして思いっきり抱きしめられて)いろいろ今日の感想を話したり。
ちなみに、お父様へのお土産はとても好評だったのでちょっと満足。
明日からまた学園での生活を頑張ろう、次はもうちょっと別の本も借りてみようかしら、だなんて。
そう思って、私は眠りについたのだった。




