第十四話 知らない世界がございます
こそこそと自分改革に勤しみながら、学園と屋敷と時折お呼ばれするお茶会やパーティーなどを行ったり来たりする日常も、随分と経ったように思う。
「――ということがありましたの」
「まあ!」
「それは素敵ですわ」
こまどりが囀ずるようにお茶とお喋りに興じながら、私はこっそり息を吐く。今日も今日とて授業の後に、学園の一角でお茶会を開いていた。この学園では、貴族の子供たちの学びの一貫として、社交を行える場所が複数存在する。簡単な申請をすれば利用できるようになっていて、奨学生たちも交流に使ったりしているらしい。まあ、もちろん複数あるなかでも人気の場所と言うものはだいたい決まっており、それなりの寄付をすれば、年中その場所を押さえておくことも可能だ。不公平ではないか、とも前世の価値観に突っ込まれて眉を寄せてしまったものだが。まあ、そういった場所をいかに押さえて活用するか、とかも一つの学びなのだろう。因みに、王族に関しては始めから専用のスペースがきちんと存在している。
「そういえば、ラミゼット商会がこの王都に店を構えたのはご存知? とても広いお店で、設えも上等なんですとか。珍しい品々もたくさんあって、王族の方々がお忍びで訪れるくらいなんですって」
「まあ、わざわざ?呼びつければ良いでしょうに」
「あら、商品ならともかく、店をまるごと持ってくるだなんてできませんでしょう?」
「そんなに素敵なんですの?」
「――それは興味深いですわね」
ふと始まった話題に私も加わると、話を始めた子が「でしょう?」と目を輝かせた。他の子も、口々に同意を見せる。
そのまま、その店についての噂話やラミゼット商会のお勧め商品について盛り上がりながら、一体その店はどこにあるのかしら、とひっそり思いを巡らせて。私はそう言えばと思い至る。
――そういえば私、屋敷と学園と招待された行事の会場以外に、外に出たことがあったかしら?
前世のことならいざ知らず。ヴィヴィアンとして生きてきて今まで、なかった……気がする。流石に物心つく前のことは覚えていないのだけれど。だって、そもそも外にでる必要がないのだ。だから、むしろ出たいと思ったこともない気がする。必要なものは屋敷に運ばせてしまえばいいし、今までそうしてきた。食べ物や日用品などはもちろんのこと、自分で選びたい宝飾品だって、新しく仕立てるドレスだって、それぞれ品物を持った商人と道具を持った仕立て屋がやってきていた。そう、外に出るなんて面倒だし危ないものじゃないかしら。だから外に出るなんてしたことがないのだ。
これじゃあ籠の鳥ね。いえ、むしろ(前世的に言うならば)ただの引きこもりダメ人間の思想だわ。特に面倒だと思うあたりが。
だなんて思ってから、一歩遅れて前世の価値観があれ?と疑問を呈す。
――というよりも、外は本当に危険なのかしら?
違うんじゃない? と前世を鑑みると、そう思えるけれども。判断がつかずに私は内心で首をかしげててしまう。……外の世界を知らない私には判断がつかない。
前世の感覚で考えれば、外には危険な場所もあるだろうがそれ以上に安全で楽しい場所もたくさんあると思う。だけれど、それは平和で文明の発展した日本という限定的な範囲での感覚だ。それがこの世界のカナリスタ王国の王都でも通じるかどうか、と言われると私の知識や記憶にはない情報なので判断がつかないのだ。
ただ、普通に考えれば。一歩外に出れば危険な都市はどうかと思う。私が暮らしているここは王都、ならばそれなりに治安はいいはず。何しろ王がいて貴族がいて他国からの客人も集う、そんな場所なのだから。そうでもないと国として特殊すぎる気がする。……それがこの世界の常識じゃないことを祈ろう。
女の子のおしゃべりはいつまでも続いてしまうもので。
気が付けば、それぞれの迎えの馬車がやってくる時間に来る時間になっていて。私の家の馬車ももう来てしまう時間になっていたものだから、今日の一人での情報収集をあきらめて(まあお茶会をするとわかった時からだめだろうなとは思っていた)、家路へとつく。
がたごとと走る馬車の中で、私はぼんやりと馬車の窓に触れた。エアルドット家にある馬車にはどれも(少なくとも私の知る範囲のものには)嵌め込み式の窓がついている。綺麗な色付きのでこぼこしたガラスがはめられていて、ステンドグラスのようなそれからは外の光が差し込み馬車の中はとても綺麗だ。
……綺麗、だけれども。
残念ながら分厚いそのガラスは、透明度にはあまり優れていなくて。外の様子を垣間見ることはかなわない。
今まで、あまりに与えられすぎて気にも留めてなかったけれど、今更ながらに思う。……今までは、手の届く範囲の知識で手一杯だったけれど。
「……どんな景色なのかしら?」
この窓の外に広がっている、王都は。
そんなことを考えた次の日、何とか図書館による時間を確保した私は、帰り際に二冊の本を借りた。一冊はいつも通りの恋愛小説、もう一冊は『王都案内』とかいうものすごくひねりのない観光案内書だった。……いや、我ながらここまでひねりのない本はどうかと思った。思ったけれども、作者の名前が、アルルカンだったのだ。あのオークでもわかるシリーズの作者と同じ名前で、あまりにもまともなタイトルだったためについつい手にとってしまった。なんだか負けた気分である。というより、まともなタイトルがつけられるならあのオークでもわかるシリーズのタイトルをなんとかしてほしい。
幸いとするか不幸とするか。明日と明後日は学園の休日である。珍しくお茶会の予定も友人同士のパーティーの予定も入っていない。……おそらく、お父様はここぞとばかりに甘やかしてくるだろうけれど。
そのお父様は今夜はこちらに帰って――いや、やってこない予定らしい。仕事が忙しいから、残念だけれど明日まで待っておくれ、という伝言が残されていた。
ほとんど毎日こちらに帰って――じゃなかった、やってくるお父様だったものだから、ちょっとばかりさみしい気もする。
明日のドレスのこと一割、お父様のこと三割、勉強のこと一割、王都のこと五割……と、思考の半分くらいはよく知らない外のことを考えながら、寝る支度を整えていく。窓のほうを見ながら、ぼんやりとメイドに手伝ってもらって、だけれど。
香油で髪をとかされ、手や肌の手入れをされ、寝る前のブランデーを垂らした紅茶を手渡されて、ゆっくりと飲みほして、ほうと息を吐いた。
「もういいわ。下がって頂戴」
そういって手を振れば、静かに一礼してすすすっと部屋からいなくなるメイドたち。ふと思いついて、その最後の一人(多分年が近いだろう)を「ちょっと待ちなさい、あなた」と呼び止めた。……全員が、ぴたりと動きを止めてしまったので、思わずぎょっとする。
「あなただけでいいわ。少し残ってくださる?」
「は……はい」
私がそういうと、呼び止められた側のメイドのほうもぎょっとしたようだった。他のメイドたちも、戸惑いをにじませながら、けれどプロらしく再び部屋から消える。
「何か御用でしょうか?」
……その声がやや震えて聞こえて、思わず「私がおびえられるいわれはないはずですわ!」とむっとしてしまった。が、それからふと自分が今までこうしてメイドを呼び止めたことはあったかしらと思う。いや、思い起こしてみれば、今まで言付けだとか「あれをもってきて」だとか、メイドならば誰でもいいものでしか声をかけていなかった……気がする。もっとよくよく思い出してみなさい、私。むしろ何か言う前に私のしてほしいことはほとんど叶えられているものだから、何かを頼むだなんてことすらあまり多くはなかったのではなかった?
そりゃあ、普段は仕えている令嬢にこうして「あなたがいい」と呼び止められることなんてないのに、急に指名されたりしたらびっくりするに決まっていますわね、と少しばかり頭を抱えたくなるのをこらえて、私は息を吐いてから(びくりとメイドの肩が揺れた)口を開く。
――こんなに仰々しく何かを聞くつもりはありませんでしたのに。
「……ねえ、」
と、このメイドの名前を呼ぼうとしてくちごもる。
今まであまりに当たり前すぎて気に留めていられなかったけれど、私、思えば使用人の名前はほとんどわからない。執事頭のマシューだとか、侍女頭のルイーザぐらいじゃないだろうか、名前がわかるのは。あとはメイドとひとくくり、もしくは「庭師」だとか「コック」だとか役職名で呼べば事足りた。
……個人としてほとんど認識していないだとか。それはさすがにどうなのよと思って自分にあきれる。これからは、少しは顔と名前を個人として認識するようにしよう。というよりももう少し使用人たちに歩みよってみるのも必要かもしれない。
「あなた、名前は?」
「、は、ハンナと申します」
「王都出身?」
「はい」
「そう、あなたから見て、この王都はどんなところ?」
緊張しているらしいハンナは、一瞬だけなにいってるんだこいつ的な表情を浮かべた。すぐに無表情に戻ったが、この家の使用人たちは滅多に表情を崩さないので意外に思う。まあ、我ながら王都に住んでるのにその質問はないと思うけれど。自分の暮らしている土地を知らないなんて、とても情けない話だ。
正直、私の方も使用人にこうして話しかけるだなんて始めてに等しいから、どうしゃべっていいのかわからなくて。会話をする、というよりも尋問に近い形になってしまったのはなんだか納得がいかない。ああもう、もっと軽い調子で聞くつもりだったのに。どうしてこうなってしまうの。
「……景観は美しく、中央大陸の中でも一番の規模を誇っております。治安も他の国の都市と比べるとよいでしょう。歴史が深く、また商業が盛んで、我が国の繁栄を象徴する素晴らしい街です」
「……、そう。ありがとう。もう下がっていいわ」
違う、私が聞きたいのそういうことじゃありませんわ! と言いたい気持ちをぐっとこらえて顔をそらす。私が聞きたいのは、もっとあの店が素敵だとか、道の様子がどうだとか、どんなお店が並んでいて、どんな人が暮らしていて、というものだったけれど、それを聞くよりも私の居心地が悪くなるほうが先だった。下がるように告げる。さぞかし苦い顔をしていたのだろう、ハンナはやや顔を青ざめさせて、けれど「はい」と一礼して去っていった。
失敗いたしましたわ、と私は大きく息を吐いて、ベッドにぼふりと腰かける。きっと、私みたいに貴族じゃなくて、使用人ならば、王都を普通に歩いて生活をしたこともあるだろうし、身近な感想が聞けると思ったのだけれど。そもそも、思えば私みたいな「上の立場の人間」にそんな率直な意見を言えるはずがない。飾った、当たり障りのない言葉が飛び出してくるのは当然なのだろう。
そのまま、後ろに倒れこんで天蓋をぼんやりと見上げる。
本当は、自分で外に出て、見て触れて感じて知るのが一番いいのだろうけれど。それはまだ、どうにも気が進まない。なんだか、怖いような嫌なような、妙な不安感があるのだ。けれど。
――でも、きっと。このままじゃあ前に進めませんわ。
出たくない、という思いと同時に湧き上がってくるのは、妙な焦燥感だ。
やるだけのことは、とりあえずやってみよう。……明日。
そう思って私はそっと『王都案内』を手に取ったのだった。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇
――まあ、そんな決意を打ち砕くかのように不意打ちをしてくるのが我が最大の敵というものでして。
「おはよう僕のヴィヴィアン、かわいい天使。寝起きの君もかわいらしいね」
「、おはよう、お父様」
……親子といえども心の準備は必要だと思いますの、私。
目覚めた瞬間に視界に広がったのは、お父様の満面の笑みだという、一日の初めからなされた先制攻撃に、私はぎょっとした。それをなんとか顔に出さないようにして、まだぼんやりとした頭であいさつを返す。女の子の寝起きはみるもんじゃあありませんわ。……別に、驚いただけで不快感はないのだけれど。
「お父様、お父様はいつこの屋敷にいらしたの?」
「ああ、ちょうど先ほどだよ。昨日は帰れなくてすまなかったね。さみしくはなかったかい? 代わりに仕事はある程度片づけたから、今日と明日は君との時間をたくさんとれる」
「まあ。それはうれしいわ、お父様」
そんな会話を交わしながら、使用人の一人が持ってきた紅茶をベッドの上でのんびりと飲む。お父様もついでなのか一緒に紅茶を飲んでいた。……というよりお父様、今朝こちらに来たって、もしかして徹夜とかそういうことなんですの……? そこまでしなくてもいいと思うのは、私の前世の記憶が故なのだろうか。
「でも、それだとお父様は疲れているんじゃないかしら? せっかくお仕事が休みなんだもの。私のことなんで気にせずに、ゆっくり休んでもいいと思うわ」
無理をしすぎてほしくないという心配と、ゆっくり休んで私への甘やかしの手を緩めてくれないだろうかという打算を半々に、そう首をかしげて訪ねてみれば、お父様は、ぱちくりと瞬きをして、ほわりと相好を崩した。
「心配してくれるのかい? なんて心優しいんだ、僕のヴィヴィーは。――ああ、けれど大丈夫だよ。きちんと仮眠はとったのだし、何より君とともにいるだけで私は元気になれるのだから。ヴィヴィーこそ、気にせずにいつも通りにしていてよいのだよ? そのままの君がとても魅力的なのだからね」
そして、カップをサイドテーブルに置いて、お父様は立ち上がった。
「まずは朝食を一緒に取ってから、それから今日と明日どんなことをするか考えようか。商人を呼んで新しい宝飾品を選ぶのも楽しいだろうし、仕立て屋を呼びつけて新しいドレスを仕立てるのも素敵だと思わないかい? ああ、そういえば最近読書がお気に入りのようだから、いくつか珍しい本を取り寄せようか」
にこにこと言うお父様は、私の頬に一度口づけてから部屋から出ていこうとした(私が着替えるためだ。さすがに着替えまでは一緒にいない)。
そのお父様を私は引き止める。思い立ったら吉……には少しばかり遅いかもしれないが。チャンスは逃すべからず、だ。
「なら、お父様。私やりたいことがありますの」
「おや、なんだい?」
お父様は、振り返って優雅な微笑みを浮かべる。どこか甘さのにじんだ深い緑のまなざしとかち合った。
私は少しばかり緊張した気持ちで、こっそり深呼吸をしてから口を開く。口もとには笑みを装備だ。
「お父様と一緒に、お出かけがしたいわ!」
サイドテーブルでは、読みかけの『王都案内』から差し込む朝日を受けていて。
………久しぶりのおねだりは、果たして効果があるのかしら?と、私はお父様の反応をうかがったのだった。




