sideロイド 裏庭の邂逅
某魔術っこ視点。
なんて話せばいいのか、わからなくて。
「また今度、ぜひロイド様とお話させてくださいませ。――それでは失礼いたしますわ」
ロイド・パウワーが、言葉を探して戸惑っているうちに、紅の、まるで炎みたいな髪をした彼女はあっという間に立ち去ってしまった。まるで、触られるのを嫌がる猫みたいに。
揺れる赤い髪を見送ってから、何がだめだったのかな、とロイドは肩をおとした。
ロイド・パウワーにとって魔術と家族と少しの友人以外は、どうでもよかった。普段の生活でもそうだったし、魔術のことを考えているときはもっとそうだった。別に人が嫌いじゃないわけじゃないけれど、どうしても興味が持てなかったから。
幸いにも、家族も友人たちもそんなロイドのことを理解してくれていたし、魔術のことを考えているときは微笑ましそうに、時に苦笑しながらも好きにさせてくれていた。
――その時も、魔術のことで頭がいっぱいになったロイドが図書館に行くといえば、行って来いと手を振ってくれたのだ。
ロイドは、自分がどうやら人に構われる性質らしい、ということを知っている。原因はよくわからないけれど、女の子たちにはよくお菓子をもらうし(自分がこの学園の中でも特別年下だったからかもしれない)、男の子たちにはよく撫でられたり、嫌そうな顔をされたりする。嫌そうな顔をする人たちは、ロイドの魔術の才能を羨んでいるんだと友人たちはいうけれど、自分に魔術の才能があるのかというのはいまいちピンとこない。自分にとって、魔術についてわかるのが当たり前だったし、逆に理解できないということがよくわからないからだ。
ともかくも、友人たちから離れて図書館へ向かう道すがら、友人たちと一緒にいるときよりも多くの人たちに構われてロイドはすっかり疲れてしまっていた。
魔術のことを考えれば、疲れなんて吹っ飛ぶのだけれど。
それでも、今日は図書館の中でさえいろいろな人に構われるものだから、集中できるところを探して、図書館から出ることにした。
いい場所は、ないかな。静かな場所が、いいな。誰にも邪魔されないところ。
魔術を試してもみたいから、きっと外がいいな。
そんなことを考えながら歩いていると、人気の少ない裏庭に出て、ロイドは目をしばたたかせる。こんな場所、あったんだ。知らなかった。そう思って改めてその場所を見渡す。そこは建物の裏手になっていて、いかにも人がこなさそうだ。
だけれど、とロイドはしょぼんと肩をおとした。なぜならばそこにはもう先客がいたからである。
紅の髪の女子生徒だった。なんだかいつもたくさんでいる女子生徒たちにしては珍しく、こんな場所に一人きり。ちょっと珍しいけれど、ロイドは誰にも構われない場所がいいのだ。
いつか、あの人がいないときにここにこよう。そう思って、ロイドは踵を返そうとした。
その、時。
「……<とまれ・風よ>」
聞こえてきたのは、初級魔術の声。誰でもできるような魔術だったけれど、それでも魔術の呪文がきこえたものだから、ついついその動きをとめてしまう。
「……<炎よ>」
あまり上手じゃないみたい、と思ったロイドだったけれど、ぼんやりとしているうちに、続いてもう一つ、魔術を聞く。ああ、やっぱり。よっぽど魔術が苦手な子なのか、その魔術は、ひどく拙くて、きっと失敗に近いだろうな、と思った。
けれど、それは一瞬で覆された。
ぼっ、という火の付く音。刹那、ぼんっ!と響く爆音。
膨れ上がった、大きな炎。
「…………っぁ!?」
――なんだろう、今の……!
一瞬で消えてしまったそれだったが、ロイドは一瞬でその魔術に心を奪われた。
絶対に失敗だったはずだ。もともと、あの子の魔力の量は少なそうだったし、使った魔力もほんの少しだった。せいぜい、ろうそくの炎ぐらいの大きさがやっとで、あんな爆発を起こすようなものじゃなかった。
魔力の爆発に、似たようなものがあるのは知っているけれど。でもそれは、使う魔力がとても大きいのだ。あれは、むしろ逆。
使っていた女子生徒は座り込んでいたけれど、ロイドは全く気にならなかった。というか、ほとんど気づいていなかった。
興奮のままに(それでも無表情にかわりはないのだが)ロイドは彼女に近寄って、声をかけた。
「…………いまの、」
「っ!?」
ばっと立ち上がってこちらを振り向いた彼女。宝石みたいな緑の瞳と、視線が交わった。ロイドの名前を呟いて、何か用ですかと聞いてきた。そう、自分はあなたに用があるのだ。
「もういちど、見せて」
……なぜか、彼女は咳き込んだ。どうしたんだろう、とちょっとだけ思ったけれど、ロイドはそれよりも彼女にもう一度あれを見せてほしかった。
「い、今のとは何のことですかしら?」
「――ほのおの、魔術。……いや、炎と風、だった?」
炎の前に、風の魔術を使っていた。だとしたら、関係があるのかもしれない。風と炎の組み合わせ。うん、そうか。
「もういちど、みせて」
もう一度。そう、もう一度見せてくれれば、きっと自分はその魔術の原理を理解できる。新しい魔術のきっかけになるかもしれない。そう複雑なことをしている様子はなかったし、何より、使っている魔力の量が異常に少なかった。魔術具を使っていればロイドにわからないわけがないのだから、きっと使ってない。もし使っていたとしても、ロイドにわからないようなものだということはそれだけ高度なものだろうから、やっぱり見せてほしい。
そう思って、わくわくと頼み込んだのだけれど。
「なぜですの?」
彼女は首をかしげる。理由、そっか、理由が必要なんだ。ロイドはぱちくりと目を瞬いた。周りには、ロイドの思考に慣れていて、特に言葉を重ねなくても意図を察してくれる人ばかりだったから、なんだかちょっと驚いた。
必要性がないからあまりしゃべらないだけで、別にロイドは喋るのが嫌いだというわけではない。それに、見たい魔術をしてもらうのに、言葉を惜しむ理由なんてありはしないのだ。
だから、ロイドは口を開く。
「消費魔力が、すごく少なかった。どうして、風と炎の魔術を単純に組み合わせただけで、あんな魔術になるのか、気になる。――だから、確かめたい」
そう、だから、見せてほしいのだ。さっきの魔術を、もう一度。
一度でいい。もうすぐそばまで検討はついてきたのだ。あれは、風と火の応用なのだ、きっと。でも、風で火をあおるのではなく、なぜか逆に風をとどめていた。きっと、そこになにか秘密がある。
一度でいい。一度見せてくれさえすれば、その秘密がわかる。そして秘密がわかれば自分は満足なのだ。
「……っ、い、いやですわ」
だというのに、彼女はふいっと顔を背けてしまう。
どうして、だろう。そう難しいことをしているようには見えなかった。使った魔力も本当に少なかったから、きっともう一度やるのも手間じゃないはずなのに。
ロイドは、不思議でしょうがなくなって、彼女をじっと見つめる。もう一度、宝石みたいな瞳と視線がかみ合った。きれいな緑。自分の家にある、風の魔術具に埋め込まれたエメラルドみたいだ。
「っ、そもそも! ロイド様の見間違いではなくて? わたくし、そんな魔術を使った覚えはありませんわ」
その彼女から飛び出した言葉は、そんな不思議なものだったけれど。先ほど魔術を使ったのを確かに見たのに、この人がそんなウソをつく意味がわからない。
「それに女が魔術を使うだなんて、野蛮だとは思いませんこと? 淑女である私が、そんな魔術だなんて……」
困惑している間にも、彼女の口は不思議な言葉を紡ぐ。
魔術とともに生きてきたといっても過言ではないロイドにとって、「魔術が野蛮」と言われてもさっぱり理解できなかった。野蛮というのは、もっとこう、意味もなく理不尽な暴力をふるったりだとか、動物にみたいに暴れたりだとか、そういったことじゃないんだろうか。
それにこの学園では、魔術を使う授業がある。得手不得手はあるらしいが、それでも、女子生徒も男子生徒も関係なくうけていたはずなのだ。
だから、そんなことをいう彼女は、ちょっと変だ。
「あら、もうこんな時間。……そろそろ帰らないと、お父様に心配されてしまいますわ」
よっぽど魔術が嫌いなんだろうか。でも、今さっき確かに魔術を使っていた。
じゃあ、どうして。悩んでいるロイドを無視して、彼女はそんなことを言って暇を告げる。
「また今度、ぜひロイド様とお話させてくださいませ。――それでは失礼いたしますわ」
最後にそう言い残して、彼女はくるりと踵を返してしまったのだった。
ロイドが嫌いなら、きっと「また」だなんて言わない。じゃあ彼女は、魔術が嫌いなのか。でも、魔術を唱えていた彼女は、とても真剣だった。
魔術に真剣になれる人が、魔術を嫌いになるだなんて思えない。
――魔術を使うのを見られるのが、いやだったのかな。
ロイドは自分が幸せな環境にいることを理解している。その理解が他人と一致するかはともかくとして。自分の魔力は、どうやら他人よりも異様に多いらしい――ロイドからしてみれば、周りがやたら魔力の少ない人間ばかりなのだが――のだが、そんな存在は、時として嫌われる。いや、怖がられるのだ。魔術を嫌う人間はそう多くないだろうが、強すぎる魔術を嫌う人間がいるのは知っている。実際、ロイド自身も怖がられたり、嫌われたりしたことも、かつてはあった。気にも留めなかったけれど。嫌われたところでどうなのか、まったくわからないからだ。……今は、怖がられることも嫌われることも表面上はない。友人たちや家族が、守ってくれているらしいことは、おぼろげにわかっている。
ともかくも、そんな異様に魔術にたけているらしい自分が、こうして家族に愛されて大切な友人がいるというのは、幸せなことなのだろう、と思っている。
――じゃあ、彼女は?
自分よりも年上だろう、あの人は。魔術を使うことに対して、いやな思いでがあるのあろうか。……幸せじゃない、のだろうか。
たとえば、家族に魔術を使う自分を拒否されたとしたら。
たとえば、友人たちの瞳に奇異の、忌避の色を見つけてしまったとしたら。
そうしたら、自分はどうなるだろう。
そこまで考えて、ロイドはわずかに肩を震わせた。それは、いやだと思う。基本的に、家族と友人以外に興味はない。だから、家族と友人以外に、何を言われても気にならないし覚えてもいられない。
でも、家族と友人に何かを言われたら、ロイドだって何も思わないなんてことはあり得ないのだ。
――じゃあ、彼女は、もしかして、魔術を使う自分が嫌いになるようなことを家族か友人に言われたのかな。
だとしたら、さっきの、怯えた猫みたいな威嚇っぷりも――そうだ、あれは家で母様が飼っている猫がちょっとおびえて威嚇するのに似ている――理解できる、気がする。きっと、彼女は魔術を使っているところを見られるのが嫌いなのだ。だからきっと、あんまり上手じゃないのに違いない。不思議な魔術だったけれど、それはとてもつたなかったから。
そこまで考えて、ロイドはそんな自分にぱちくりと目をしばたたかせた。
不思議だな。あの子は、家族でも友人でもないのに。あんまり魔術もうまくなさそうなのに。普段だったら、すぐ忘れてしまうし、前までだったら忘れてしまっていたというのに。
変なの、とロイドは思う。あの魔術も変だったが、あの子自身もちょっと変だった。どこかちぐはぐなところもあって、とっても変だ。
紅の髪を思い返しながら、そういえば、とロイドはぽつりと思う。
――名前、知らない。
興奮が冷めてきて、よくよく思い返してみれば、見覚えがある顔だったはず。前に、よくかまってきた人だ。でも、友達ではない人に興味なんてないロイドにとって、名前なんてないも同じだった。
友人たちに聞けばわかるだろうか。彼らは、人の名前と顔を覚えるのがとても上手だ。
そう思って、ロイドはようやっと歩き出す。
最短ルートで友人たちのもとへたどり着くべく、探知の魔術を使って、そちらへ向かった。
……残念なことに、友人たちは顔をしかめるばかりで、まったくその彼女のことを知らないと言っていたのだけれど。珍しいな。
話はそのまま流れて、ロイドは魔術の本を開きながらぽつりぽつりと思う。
でも、彼女は自分のことを知っていたし、「今度話そう」と言ってくれたから。
きっと、また、会える。
次見つけたら、絶対に、もう一度、あの魔術を見せてもらおう。
思考が完全に魔術のことだけになる前に、ロイドはそんなことを思って。
――あと、名前。教えてもらおう。
そう、決意した。
割とひどい少年。基本的に魔術のことしか見えていない魔術馬鹿です。
惜しいところまで行っているのに途中で変な方向に勘違い。惜しい、惜しいぞ少年。魔術を見られるのが嫌なのはただ単に恥ずかしいからだ。そして下手なのはただ単に練習不足と才能不足だから。別にそういやな過去があるわけじゃない。




