第十話 容姿家柄、高スペック。才能性格、低スペック。
――ぜ、絶望的ですわ……!
私が、自分改革に乗り出して早数か月。毎日のように壁(取り巻きの探るような視線)にぶつかったり、最大の敵による妨害に晒されたりして、けれど何とか情報収集と性格矯正を進めて、ほんのちょっと成果が見えだした今日この頃。
最近は周りにも“当たり前”と認識されるようになった放課後の単独行動の時間中に、私は人のあまり来ない穴場的な裏庭の一角にて、思いっきり絶望していた。何が絶望的って、魔術の才能が、だ。
…………こ、こんなにも自分に魔術の才能がないだなんて思いもしませんでしたわ。
ここが野外じゃなかったら、そして私が仮にも侯爵令嬢なんかじゃなかったら、思いっきり膝と手をついて打ちひしがれているところだ。
この世界における魔術は、前世におけるファンタジーの代表格“魔法”とほぼ変わらない。鍵となる呪文を唱えて念じれば、魔力が放出されて魔術が発動する。その魔術には、ある程度属性が決まっていて、たとえば火属性だったり水属性だったり、風だったり地だったり闇だったり光だったりする。属性については、研究者たちが分類をしただけなので、時代によって増えたり減ったりもしているようだ……、とは“オークでもわかるシリーズ”の『オークでもわかる魔術基礎』の豆知識。
もちろん、人によって使いやすい属性というものがあったりして。ちなみに私が使いやすい属性は火と風である。逆に相性が悪いのが水と地。他属性はどれも可もなく不可もなく――というか、普通にできない。
「…………<炎よ>」
往生際悪く、私はもう一度手を差し出すようにして呪文を唱える。
ぼぅっ、と小さな炎が数秒灯って、それから、ぷすん、と情けない音を立てて掻き消えた。……何度やってもマッチ並みなんだけれどどういうことなの。
本来ならば、この魔法は非常に簡単な魔法で。最低でも、手のひら程度の大きさの炎が表れて、数分――ある程度訓練すれば、数時間ほど――灯していることができる、魔術の中でも初級の初級。いくらなんでもできないのは悲しすぎる。
ヴィヴィアンとして生きた過去の記憶を思い返してみれば、明らかに訓練と勉強の不足であることがよくわかる。――そして、練習を始めた今、追加で分かったことが一つ。
――私、まっったく魔術の才能がありませんわ……!
悲しいかな、勉強と訓練以前に、魔力そのものがかなり少ないようなのだ。思わず握りしめたこぶしが悔しさでふるふると震える。もう一度言う。いくらなんでも悲しすぎる。
道理で中等魔術が理解できなかったわけだ。そもそも初期の初期でつまずいていたらしいのだから。ちなみに魔術習いたてだったころ、やんわり教師にそのことを指摘された私は思いっきり癇癪を起していた記憶がある。まあ、「僕のヴィヴィ―は別に魔術なんてできなくていいんだよ。そんなもの、魔術師を雇えば事足りるのだからね。――それにほら、女の子は、少しか弱いぐらいが魅力的だろう?」だなんて言われて「それもそうですわね!」とあっさり納得して、その後に贈られたドレスと装飾品たちにあっさり機嫌を直したのだけれど。過去の自分が単純すぎてもはや乾いた笑いしか出てこない。最近はそのことをすっかり忘れ、あたかも自分が元からそう思っていたかのように「魔法なんて使えないぐらいがおしとやかですわ」だなんて、むしろ自慢していたぐらいなのだから救いようがない。……ああああ、恥ずかしすぎる……! うっかり身もだえしたくなった。っていうか、容姿家柄は物凄くいいというのに、才能と性格が残念すぎるとか、自分の事ながら嫌になる。
――そういえば、あの時の教師。あの時以来、姿を見た記憶がないのですけれど、どうしたのかしら……?
残念ながらあの時の私は全く低俗な教師に興味がなくて名前も憶えていないのだけれど。それでも、記憶を探ればあれ以来見ていないことに気づいて、咄嗟に首を振って考えるのをやめた。な、なんだかこの先を考えるのがとっても怖い。もしかしなくてもそれは、私の所為じゃないか、だなんて。なにそれこわい。
私は、一度息を吐いて色々振り払ってから、近くのベンチに腰を下ろす。このベンチがあることも、この場所が穴場だと思う理由だ。建物の裏手と林に挟まれたスペースなのだが人はほとんどこない。けれどこの学校の清掃員がしっかり仕事をしているのか、清掃魔術の腕がいいのか。ベンチも私が使って困らないぐらいには手入れされている。……実はほんの少し、汚いような気がして腰を下ろすのをためらっていたこともあったのだが、一度座ってしまえば開き直ってしまって、それ以来遠慮なく座るようになった。どちらにせよ、エアルドット家の使用人たちは優秀だから、多少汚れたところで困らないのだ。
そよそよと風が吹く中、ノートを取り出してページをめくって――最近は読書量も何とか増えてきて、このノートも大分埋まってきたから、そろそろ新しいものを買わなければならないだろう――魔術のページを開く。文字をなぞるように指を這わせて、それから目当ての単語を見つけた。……“魔力と魔術の発動の関連について”。
魔力と魔術は、たとえるならば燃料と火打石である。魔力だけあっても炎は燃え上がらないし、呪文だけあってもやっぱり炎にはならない。両方があって初めて、魔術は正しく形になるのだ。もちろん、魔力がありすぎる子どもなんかは、些細なきっかけで魔術を暴発させてしまったりする。これは、何かの拍子にうっかり燃料に炎が引火してしまったということなのだ。だからなのか、強力な魔法は時に周りの人の暴発を誘発させるらしい。逆に魔力のありすぎる人は、コントロールをうまくできていないと周りの魔法につられてしまうことがあるんだそうだ。
呪文はまだいい。その存在を知って、その理論を理解し実行すればいいだけなのだから。しかし魔力、これはそうもいかない。人がそれぞれ身の内にためておける魔力の容量の大きさはだいたい生まれたときに決まっているのだ。もちろん、訓練次第で増やすことができないわけじゃないけれど、さして伸びしろはない。加えて、一度に放出することのできる量も決まっているという仕様。
……私は、そもそもこの容量が多くないらしい。だから音までガス欠っぽいのかしら、と前世の記憶と一致する音に、あきれ半分切なさ半分。
ちなみに、風属性の魔術は自分の周りの風を留めたり扇風機程度の風を起こせたりする程度である。炎よりもマシというべきか、扇子で扇いだほうがよっぽど楽だというべきか。…………前世の心が魔法と聞いてわくわく騒いでいたというのに、すっかりどこかに行ってしまった。
せいぜい、私の魔法じゃあ蝋燭に火を灯すぐらいにしか使えませんわ。あとは頑張ればその火を風で消せる……かしら。いや、むしろ火を煽って火事を招くかも――――、
「……火事?」
はた、と私は動きを止める。瞬きをして、それからノートを閉じて目を伏せた。
炎だけでは使い物にならない。風だけではただの団扇か風よけ。――なら、二つを合わせて工夫すれば?
思わず考え込んでしまった。けれど予想に反して結論はすぐに出てしまう(だってもとより、深く考え込むのは今の私にとってあまり好きなことじゃない)。ごくごく単純、やってみればいいのだ。
私は、右手を差し出すようにして、それから集中する。息を吸って、吐いて、それからまた吸って。そぞろになりやすい思考を研ぎ澄ませて、目的を明確に。途端、耳に飛び込んでくる鳥のさえずりや木々のざわめきや遠くにいる生徒たちの喧騒。
「……<とまれ・風よ>」
――イメージするのは、濃い、空気。前世でいうならば、酸素の濃い空気だ。
少し時間をかけてようやく納得がいったと思ったその時、私は続けて口を開いた。
「……<炎よ>」
ぼっ、と火の燃え上がる音がした。刹那、ぼんっ!とそこそこ大きな爆発音とオレンジの大きな光、そして焼けるような熱が私を襲う。
「…………っぁ!?」
咄嗟に上がりそうになった悲鳴を押し殺した私はえらいと思う。
その爆発は本当に一瞬で、同時に私はどっと疲労感に襲われてその場にへたり込んだ。心臓がばく、ばく、と胸を叩いた。
ほ、炎のくせに私を驚かすだなんて生意気な! だなんて、うっかりそう思ったのは、確実に現実逃避だった。むしろちょっと混乱していたのだと思う。
燃え上がった炎は、私の上半身と同じぐらいの大きさで、実際のところは対して大きな爆発だったわけでもない。びっくりはしたし熱いとも思ったけれど、幸いなことに怪我をするほどでもなく。
ただ、私が予想したよりも遥かに大きくて威力がありそうだったのは確かだ。し、しばらくはもう一度やりたいだなんて思わない。
――まあ、でも。才能はなさそうだけれども、工夫次第ではなんとか使えるレベルになるかもしれないと分かっただけでも収穫ですわ。
はあああああ、と自分の気持ちと心臓をなだめるように息を吐いた。そういえば、はしたなくも地面に座ってしまっている。よし、あと十数えたら早々に立ち上がって土を払って、今日はもう帰ろう。今ので私の魔力はほぼ使い切ってしまったから、どのみち練習はできまい。
そんなことを考えた私が、ゆっくりと数を数えようとした、その刹那。
「…………いまの、」
「っ!?」
不意に背後から声をかけられて、私は飛び上がるように立ち上がって振り返った。見られた、ととっさに羞恥でかっと顔に血が上り、落ち着きだしていた心臓がどきどきと鼓動を刻む。
「ロイド・パウワー様…………、」
――な、なんで将来有望な魔術師のあなたがこんなところにいるんですの……!?
しかも一人で! と私は思わず心の中で叫ぶ。ばしっと指をさして叫びたいのを我慢できたのは、ここ数か月せっせと耐えて自分の性格言動を矯正してきた努力の賜物だ。
濃い紫の髪に、ラベンダー色の瞳。背の高さは、私よりも少しばかり小さくて、無表情ながらもどこか小動物的で、うっかり頭を撫でたい衝動に駆られる、パウワー伯爵家の末息子。
「な、何か御用ですの、ロイド様?」
にこり、と引きつりそうになる笑みを浮かべる。いけないいけない、気持ちを切り替えるのよ私! いつも通り、優良物件に向ける笑顔を作らなければ。
そう思って、気持ちを切り替えるために息を吐いた。
「もういちど、見せて」
……吐ききったところで、優秀な魔術師さまはそんな言葉を投げつけてきたので、思わず咳き込んでしまったのだけれど。
「い、今のとは何のことですかしら?」
とっさにそんなことを言えば、無口な小動物と評判の彼にしては珍しく、数拍おいてから答えを口にする。普段は、首をふったりうなずいたりが多いらしいのだが。
「ほのおの、魔術。……いや、炎と風、だった?」
彼は、答えを口にして、首をかしげて、それからまあいいやとばかりに「もういちど、みせて」とこれまた珍しく言葉を重ねて催促した。
……はしたなくも地面に座っていたことは気に止めていないらしい。そればかりは幸いかもしれない、と思いながらもしかし、私は眉をひそめた。彼の静かでちょっとつたないしゃべり方は少しばかり私に落ち着きを与える隙をくれたし、数か月前までの私だったら、素敵な男の子との出会いに運命を感じてみたり舞い上がってみたりしただろう。何せこの学院の筆頭優良物件なのだ。ここぞとばかりににこにこと話を広げようとしていたはずだ。
だけれども、だ。
「なぜですの?」
正直なところを言えば、やりたくないしできない。だから、なぜ私がやらなければならないのかという困惑と拒絶の意を載せて首をかしげてみせた。かわいいし、撫でたいと思う彼だが、残念ながら今の私にとってはそれだけなのである。むしろ、過去ロイドを含む優良物件たちに秋波を送って醜態をさらしていた身としては、あまり話していたくない相手なのだ。
それに、だ。誰かに練習風景を見られるなんて、と私のプライドが訴えてくるし、あれはしばらく使いたくないし、そもそももう一度やれと言われても魔力が足りなくてできないし、かといって「できない」と言うのも癪に障る。
だからこそやりたくないと断る気満々でいるのだが、残念ながらその少年には通じなかったらしい。
「消費魔力が、すごく少なかった。どうして、風と炎の魔術を単純に組み合わせただけで、あんな魔術になるのか、気になる。――だから、確かめたい」
「……っ、い、いやですわ」
彼の瞳が、きらきらと熱を帯びてくる。こんなに彼がしゃべっているところ見たのは、遠目も含めて初めてかもしれない。ロイド少年は本当に魔術が大好きらしい。きっと彼は好きなことを語りだしたら止まらないタイプだ、と取り留めもなく思った。
このままでは根負けして、けれど結局発動できなくて無様な姿をさらす羽目になる、と思った私はふいっと顔を背けて拒絶した。なぜ、とばかりにこちらを見てくるロイドに、私は「っ、そもそも!」と動揺のままに口を開いてしまったのだった。
「ロイド様の見間違いではなくて? 私、そんな魔術を使った覚えはありませんわ。それに女が魔術を使うだなんて、野蛮だとは思いませんこと? 淑女である私が、そんな魔術だなんて……」
前の私の衝動のままに口を開けば、魔術好きだろう少年には失礼な発言ばかりで、さらに「それよりもロイド様、」と性懲りもなく媚を売り出そうとしたので慌ててストップをかけた。
あ、あぶない危ない。残念ながら、性格矯正の成果は本当にまだまだ少しらしい。
私はそっと目を伏せてから、改めてにこりと業務用スマイルをかぶって「あら、もうこんな時間。……そろそろ帰らないと、お父様に心配されてしまいますわ」と、ありきたりだが、さも今気づきましたとばかりに空を見上げてそんなことを告げる。
「また今度、ぜひロイド様とお話させてくださいませ。――それでは失礼いたしますわ」
そして、困ったような顔で次の言葉を探しているらしい彼に、そう言葉を投げつけて。私は逃げるようにその場から立ち去ったのだった。……もちろん、「また今度」は一生訪れない予定である。
――とりあえずは、前世における炎や風の知識を掘り起こして、何とか低スペックの魔法を使える代物にしなくてはいけませんわね……
魔法は、貴族の嗜みのひとつでもある。使えなくても確かに困らないが、使える人間のほうが多いし、貴族として庶民よりも優秀であるという力の誇示にもなるのだ。……それに何より、使えたほうがかっこいいじゃない、前世の記憶的に。
願わくば、もうロイドと出会いませんように、と願いながら、私はその日の夜、一人で今日のことを思い返しながら眠りについたのだった。
魔術講座です。
にわか知識と創作魔法で失礼いたしました。
魔法がチートだなんてことはないヴィヴィアン。一人前は遠い。




