第九話 父と娘の(心情的に)長い一日
家庭環境その2。前回の続き。
放っておくとそのまま堕落一直線になりそうな恐怖と戦いながら、しかし一日中一緒にのんびりしようという父を突き放すこともできず。
私は、あえて前世の常識や価値観を無視して、今まで通り父と一緒に散歩を楽しんだ。悲しいかな、私はまだ、前世の常識に邪魔をされずに無意識に身を任せてしまえば、今まで通りの言動が飛び出してしまうのだから。前世の価値観が加わって感じ方は変わったけれど、生まれてこの16年ほどかけて培われた言動や思考は、もはや癖のようなものになっていてなかなか変えられるものではない。
「――たまには外で食事、というのも悪くないだろう? ヴィヴィ―」
「そうですわね。風が気持ちいいですわ」
庭の奥にある小さな泉。泉といっても、きちんと大理石で調えられていて、前世の感覚的には噴水だとか池だとかに近い気がする。木陰になったその傍に、丸テーブルが設えられて白いテーブルクロスがかけられている。その上には軽めのランチセットが用意されていた。少し離れたところには、使用人が数名控えている。てっきりピクニックのようにシートを引いてサンドウィッチなどをつまむのだとばかり思っていたのだが、結構本格的なのにひっそり驚く。それから内心でそんな自分に苦笑した。地面に座るなんてはしたないのに、どうしてそんなことを思っていたのか。完全に前世の影響だろう。
二つだけ置かれた椅子に腰かけ、さわさわと揺れる木々の音や、水のせせらぎを聞きながらとる食事は確かにおいしくて。
頬を緩ませながらナイフとフォークをあやつっていると、不意に目の前から「ふふふ」と小さく笑う声が聞こえて、私は顔を上げる。目の前で食事をとっていたはずの父は、いつの間にやら食べ終えていて甘い瞳で私を見ていた。
「どうかいたしましたの、お父様?」
「いや、君があまりにも楽しそうに食べるから懐かしいな、と思ってね。昔もこうして、アイリーンとヴィヴィ―と一緒にここで食事をとったことを思い出したんだよ。アイリーンはこうして外で食べるのが大好きだった……」
やや遠い目をする父に私はどう反応していいのか悩む。残念ながら、私の記憶にはぼんやりとしか残っていない思い出だ。なんとなく、こうして外で食べたような気がするなぁ程度だった。私の記憶に残る母は、病弱で家の中にいることが多くて。自然、その思い出も家の中のものがほとんどだったから。
「ふふ、君は思いっきりあの泉で遊んでいてね。だけど、しばらくして泣きながらアイリーンに抱きついて、二人してびしょ濡れになってしまったりしたんだ。何故そんなことをしたのかと聞けば、虫が顔に飛びついてきたんだといって。泣き止ませるのに苦労をしたよ。新しいドレスを仕立ててあげると言って、やっと機嫌が直ったんだけれど、私とアイリーンが外で食事をするのも気持ちがいいねと言っていたら、ぷっくりとかわいい頬を膨らませて『むしがいるから、わたくしはもういやよ!』と言いながら、でもおいしそうにご飯を食べていたっけ」
「……そ、そう」
ものすごく楽しそうに語る父の目は、懐かしそうに細められていて。
対して私は、ものすごくむず痒い気持ちに駆られて視線を泳がせた。まったく覚えていない自分についてそんなにきらきら語られても恥ずかしいだけだ。というか、私のドレス好きはそのころからだったのか……。
「アイリーンはそれを聞いて笑っていたけれど、濡れてしまった君とアイリーンはそのあと二人して風邪をひいて大変だった」
それは申し訳ないことを……、いや、そのころ私は子供だから仕方ないよな、うん。
そのあとも色々と語りだしそうな父に、私はこれ以上いたたまれない会話は嫌だと思って慌てて話を変えようと口を開く
「そ、そういえばお父様。お父様とお母様の馴れ初めはどんなものでしたの? 私、お父様とお母様がどうして結婚なさったのか聞きたいわ!」
私が笑顔を向けると、父は一度目をぱちくりと瞬いて、それからとろけるような笑顔になった。ナイスミドルな容姿の癖に、どこか少年のような面がある。それはそれで父の魅力の一つなような気がするが。
「君がそんなことを聞いてくるなんて珍しいね? ああ、もう君も16だから、そういうことに興味をもつお年頃なのか……、成長を思うと少し寂しい気もするけれど。――いいとも。いくらでも話してあげよう」
「ありがとう、お父様」
やっと食べ終えた私に合わせて、デザートが二人分出される。父はデザートに手をつけずに、懐かしそうに遠くを見ながら口を開いた。
「そうだね、アイリーンと出会ったのは、君が生まれる2年前だった――」
私は、デザートに手を付けながらその話に耳を傾ける。
「その頃のアイリーンは、本当に高嶺の花でね。ジリタス侯爵家の一人娘で、大胆なぐらい活動的な令嬢だったよ。よく大輪の花にたとえられていて、美人なのももちろん、性格も魅力的だったから、求婚者もたくさんいたし、王妃になるのではないかとも言われていた」
「王妃!? お母様が?」
「ふふ、驚いたかい? そうなんだ」
私は目を瞬いた。王妃にもなれる立場にいただなんて、少し意外である。私が覚えている母は、結構不安定な人だったから。王妃だなんて職業、豪胆な人でないと難しそうだし。身分的には可能なのだろうけれど…。
だけど、ジリタス家なんて聞いたことがあっただろうか。これでも、意識的に取り巻き達との会話で貴族社会についていろいろと学んでいるつもりではあったが、ジリタス侯爵家の話出てこなかった。もしかしたら、手ごろな独身貴族がいないからなのかもしれないけれど。
「だけどね、その時期、ジリタス家は少しごたついていてね。一人娘のアイリーンも家の継承問題に巻き込まれて、少し障りが生じてしまって……、最終的には、ジリタス家は没落してしまったのだよ」
「没、落……」
まさかのディープな身の上に、私は思わずスプーンを止める。道理で名前を聞いていないはずだ。没落してしまった貴族の話題はタブーになることが多い。
そしてお母様のあの不安定な様子は……もしかしてそれが原因なのだろうか。
「そう。結局、王妃候補から外れて、求婚者たちも減った。……愚かな話だ。アイリーンほど美しくて気立てのよい女性もいなかったというのにね。この時ばかりは、陛下も周りの者たちも愚かだと思わずにはいられなかった」
冷たく眇められる目に、私の心臓がどきりと高鳴る。私を見ているわけではないというのに、ひどく怖かった。
「ジリタス家とエアルドット家は懇意にしていてね。何か力になれないかと、私も何度かジリタス家を訪れたんだが……その時に、彼女と出会ったのだよ。かろうじて残った家の庭の奥で、泣いている彼女と」
そこで父はふと表情を和らげて、照れたように笑った。
「こんなことを君に言うのは恥ずかしいけれどね、ヴィヴィ―。私は彼女に一目ぼれだった。彼女を知れば知るほど好きになってね。次第に彼女も私に心を開いてくれて、私たちは惹かれていった。――その一年後には、私たちは思いを打ち明けて、結婚をして、……君が生まれた」
「……まるで物語のようですわね」
没落した美しい令嬢と、手を差し伸べる貴族の男性。
娘としての贔屓目を差し引いても、父の容姿は整っている。あの母への溺愛ぶりを見れば、大切に大切に母との愛を育んだのに違いない。
そして父は多分、母が死ぬその時までずっと大切に愛し続けていたはずだ。
それは、女の子が一度は憧れる、甘く愛される恋物語のようで。
憧れる私がいる中で、どこか「ありえない甘すぎる!」と砂を吐きたくなる気持ちがわいてくる。……このひねくれた感想は多分前世によるものだな、うん。
――それにしても、お父様は一年かけてお母様を口説いて、結婚したのね。それで私、が……?
私は、用意されていた紅茶をそっと飲み込みながら、ふとした違和感にはたと眉をひそめた。
――私が生まれる二年前に会ったのでしたら、私が生まれる一年前に結婚したということですわよね……?
だが、それだと大きな問題が生じるのだ。私自身は会った記憶はないのだが、私は四女なのだから少なくとも3人の姉がいる。
いるはずの3人の姉は、いったいいつ生まれたのいうのだろう?
まさかリアルに「赤ちゃんはコウノトリが運んでくるの」っていう世界だったり、子供が生まれるのが十月十日よりも速いのだというのではない……と思う。
「ねえ、お父様」
「ん? 何だい、私のヴィヴィ―?」
思わず表情が硬くなるのを自覚しながら、私は口を開く。
「私にはお姉さまが3人いらっしゃるのでしょう?」
父は、それを聞いてしばしきょとん目を瞬いた。それから困ったように苦笑した。
「本当に君は成長したね。――君の姉のキャサリン達や、兄のオウエンを生んだのはアイリーンではないんだ。あの子たちを産んだのは、アイリーンに会う前に死んでしまった一人目の妻のシビルだよ。アイリーンは、二人目の妻なんだよ」
「そうでしたの……」
衝撃の事実に、私はかなり動揺して目を伏せた。あれだけ母を溺愛していたこの父が、かつて別の女性と夫婦だっただなんて信じられないのだが。ただ、それならつじつまが合う。姉たちとは腹違いということになるのか。
しかも、私には兄がいる、と。
「ああ、そんなに沈んだ顔をしないでおくれ、私のヴィヴィー。誓って言うよ、私が一番愛していたのは、アイリーンだ。妻を亡くして傷ついた私を癒してくれた、彼女だけなのだよ」
その次に愛しているのが、君だ。そう言いながら、私の手に自分の手を伸ばして重ねる父。少しかさついた暖かい手に、私は視線をあげて父を見る。
真剣な深い緑の瞳。
「アイリーンと君のためにこの屋敷を立てたのだ。もう、本邸は息子のオウエンが仕切っているようなものだったしね。アイリーンと君と、ゆっくりと過ごすのにはこの屋敷はとてもちょうどよかった」
ちょっと待て、ここは別邸だったということか。ならば父はここに「帰ってきている」というよりも「やってきている」が正しいのだろうか。
今まで、興味を持っていなかった姉や兄の存在に、母が後妻でここが別邸であるという初めて知る事実。我ながらよくぞここまで気づかなかったものだ、とある意味感心したい。
「君はアイリーンにそっくりだ。瞳だけが、私の色が混じったけれどね。アイリーンの瞳は、淡い若草の色だった。君の瞳は、私に似た深いエメラルドだから……」
寂しそうに私を見つめる父に、私は妙に切なくなる。父は本当に母を愛していたのだろう。その視線を受け止めきれなくて、私は思わず視線をそらしてしまった。
「ああ、暗くなってしまったね、ヴィヴィ―。もっと楽しい話をしようか?」
「そう、ですわね」
私は気を取り直して、いつの間にか淹れなおされていた紅茶に口をつける。口の中でほわりと香るラベンダーの香りに少しほっとした。
「そういえば、今日一日お休みをいただいたと聞いたのですけれど、お父様は何の仕事をなさっているの?」
「おや、今日のヴィヴィ―は質問ばかりだね?」
「え、あ、ごめんなさい」
「謝る必要はないよ、ヴィヴィ―。私に興味を持ってくれるのはとても嬉しいし、私がヴィヴィ―の願うことを嫌がったことなんてあったかい?」
「……いいえ」
「だろう?」
くすくすと笑われて、私は思わず口を尖らせた。少しからかわれているように感じたからだ。答えをせかすと、「ごめんごめん」と手をあげる。そして紅茶に手を付けてから口を開いた。
「私は王城で国の人事に関する部署を取りまとめる仕事をしている。今は特に忙しい。あと数年もすれば、次の王の代に向けて徐々に色々な部署で世代交代していくからね。その準備がある」
「……ええと、お父様。それならば今日休むのはまずくはないのかしら?」
「君と過ごす時間の方が大切だからね。仕事はきちんとこなしているのだ、問題はないよ」
いい笑顔で言い放つお父様に、私は少しだけ父の部下である人たちに同情の念を送った。
「でもこんな話、ヴィヴィ―にはつまらないだろう? 今度は君の話を聞かせてくれないかい、私のヴィヴィ―?」
学園ではどうしているんだい、だなんて言われて話題が変わる。
そのまま、ころころと話題を変えながらも、他愛のない会話を交わして、一日が過ぎていき。
やがて夜、部下に呼び出されたのだという父が、とても申し訳なさそうな顔をして名残惜しそうに王城へと馬車で向かっていくのを見送って、私の長い一日は終わりを告げたのだった。
――ああ、家族とゆっくり休日をすごしたはずなのに、なんて長い、そして疲れる一日だったのかしら。
家族に対する新事実を知ってちょっとorz状態のヴィヴィアン。
しかしあくまでお父様が語るのは、お父様が話したい事実。




