第一話 前世の記憶を思い出しました
妙なテンションと見切り発車。
がたん、と不意に足を踏み外す感覚がして、「あ、」と小さな声をあげる。思わず見開いた目が、ぐるりと回る世界を映した。
刹那、襲ってくる浮遊感。
「ヴィヴィアン様!?」
友人たちの甲高い悲鳴。
そして全身を襲った鈍い衝撃を最後に、私の意識は、闇にさらわれた。
――強い衝撃を受けると、人は時折忘れていた記憶を取り戻すことがあるという。言うなれば壊れたテレビを叩いて直すようなものだ。
それが医学的に根拠のあるものなのかは知らないが、しばしば耳にする民間療法。ただし、高いリスクも伴うので実行する人はあまりいない。
――というか、そういうのって物語だけで充分だと思う!
私は、鈍い痛みを訴える頭に手を置き、ベッドの上に上体を起こして、心の中で思いっきりそう叫んだ。
はぁああああ、と深く深く息を吐く。
私、ヴィヴィアン・エアルドット。
何の因果か知りませんが、階段ですっころんで頭を打ったあげく、前世の記憶とやらを思い出してしまったのでした。
◇◆◇◇◆◇◇◆◇
そもそもの私――つまりは前世での私は、ごくごく普通の一般庶民だったようである。
平均的な日本人で、どちらかといえば流されやすく、深く考えもせず空気を読んで、そこそこ真面目に大学生活を送っていた。
毎日の楽しみは、友達とのおしゃべり。大学の勉強を乗り切った後には家に帰って母さんの作ったご飯を食べる。おもしろい本を見つけた日にはテンションがあがり、くだらないゲームの話で友達と白熱した議論をかわし、新発売のコンビニスイーツを自分へのご褒美にする。
――そんな平凡で、けれどそこそこ幸せな生活を送っていた……ようだ。
あいにくと、思い出した記憶は、あれがあって楽しかった、こんなことが悲しかった、とどちらかと言えば感情的なものばかりで。
そのころ自分がなんと呼ばれていたのか、両親がなんて名前だったのか……そんなことは全く思い出せなかったが。
あと分かることといったら、記憶の中の私はこことは別の世界で生きていた、ということぐらいだろうか。
あちらでは日本という国に暮らしていた。科学を学び、機械がひしめき、高い高いビルが立ち並び、馬車のかわりにハイブリットカーや電気自動車があった。
こちらではカナリスタ王国に暮らしている。学校では科学の代わりに当たり前のように魔法を学び、王政で騎士が居て貴族が居て魔術師がいて。ああ、魔物や精霊なんてものもいるのだったか。
この世界のどこにも、その二つが交わる場所はなく。
どう考えても、別の世界。今からみれば科学の発展したSF世界から、前世から見れば剣と魔法のファンタジーワールドに転生したのだと言えよう。
頭の中がぐるぐると混乱している。当たり前だ、急に人一人分の経験の記憶が増えたのだ。混乱しないほうがおかしい。
ただ、不思議なのは今のヴィヴィアンとしての記憶と、前世の記憶とやらが混じりあったりはしてない、ということだろうか。
これは前世の経験、これは今の経験、というように、前世の経験か今世の経験かわからなくなる、ということはない。
……だから余計に混乱しているとも言うが。
悲しきかな、前世での価値観と今世での価値観が違うのだ。前世を思い出してしまったとはいえ、私は基本今まで生きてきたヴィヴィアンなわけで。ヴィヴィアンの価値観のほかに、もう一つ前世の価値観が突っ込まれてしまった形なのだ。
そして、前世の価値観は今世の私に猛烈なツッコミを浴びせかけてくる。
そもそも私、ヴィヴィアン・エアルドットは、このカナリスタ王国のエアルドット侯爵家の四女である。父親に溺愛され、権力も財力も使い放題。お陰で周りにいつも取り巻きがいた。
母親に良く似た、紅の髪に緑の瞳という派手な容貌。
王立フォトス学園に通う16歳。はっきりと自覚していたわけではないが、家柄と顔のいい殿方と結婚したいという普通の願望を持っていて、優良物件には目をつけ水面下で他の女子と熾烈な争いに身を投じたり(といってもほぼこちらから一方的に、だが)もしていた。
君は勉強などしなくていいのだよ、と甘い言葉を囁く父親のお陰で、成績は中の下。それでも底辺でないあたりは貴族の教養というやつだろうか。勉強よりもドレスや宝飾品を見ていたいお年頃。
……さて、ここまでくれば分かるかもしれないが、私はそれはもう砂糖でくるまれたように甘やかされて育ってきた。ある意味女子力は前世の私よりも高そうだ、だなんて現実逃避をしたいが、認めねばなるまい。
問題。
甘やかされた貴族の令嬢がたどり着く先はいったい何か?
答え。
わがままで傲慢、上に媚を売り下を見下し、自分が中心に世界を回っているかのように思っている――――所謂、典型的な悪い貴族の令嬢です。
新しい価値観は突っ込む。「気づこうよ、私……」と。
私が当たり前だと思っていた行動、権力と財力を振り回さないと出来ないことだから。文句が出なかったのは、一重に皆権力と財力に屈服してただけだから! その証拠に、記憶に残る思い出の片隅に、明らかに嫌そうな顔している人たちがいっぱいいるし。その時に気づかなかったのが不思議なぐらいだ。
あと、私が友達と思っている人たちって、明らかに権力と財力によって引き寄せられた取り巻きって奴だから。全く友情が育まれていないわけではないだろうが、前世での友達とは明らかに種類が違うから。
ついでに狙ってた優良物件たちには、絶対に嫌がられているだろう。冷たい笑顔で「すいません、僕、少し用事があるので」って言われ続けてそれでも希望があるって思ってた私、ある意味怖い。腕を絡ませて「ご一緒しますわ」とか言われて顔をしかめられても「照れ隠しですのね」とか思ってたとか可笑しいだろう。
多分、小さい頃からお父様に「僕の可愛いヴィヴィー」とか言われ続けていたから「私を好きにならないなんてありえない!」という前提を無意識に作っていたんだと思うけれど。
何故気づかない、私!
前世の価値観による痛烈なツッコミが、心に致命傷を負わせた。
ああ、いっそ頭を打って記憶を思い出すのではなく、全部忘れてしまえればよかったのに……!
穴があったら全力で埋まりたい気持ちにかられて、私はベッドの上でひっそり悶絶した。穴は何処ですか。ないなら自分で掘ってでも埋まりたい……!
今の私は、多分泣きたいぐらいに顔が真っ赤になっているだろう。痛い、痛すぎる。中学生の時に作り上げる黒歴史以上の破壊力だ。
そして、明確な事が一つあった。
――このままじゃ私、絶対に不幸な人生を歩む事になるわ……!!
※二重人格ではありません。
※ゲーム要素はまだ先です。