魔神たちの酒宴
世界には五つの大陸がある。
北のイヴリス、東のクライシュ、南のラカークン、西のファムファート、そして中央大陸。
中央大陸は東西南北の大陸とアウラ海を挟んでおり、それぞれの大陸は隣の大陸と陸続きになっている。
大陸の外側に広がる広大な海を外海と呼ぶ。
外界の先には小さな島などがあるが、そのさらなる先に何があるのかを知る者はいない。
太古の昔沈んだ機械文明の遺跡や、まだ見ぬ大陸がある、ともいわれているが、それを確かめたものはいない。
多くのものがその先を見ようとしたが、失敗に終わった。
外界は危険な魔物の住処であり、また天候も悪い。
竜巻や大津波。人を拒む大いなる災厄に、多くのものが死んだ。
以来、外界の先を目指す者はいなくなった。
そんな外海を漂う何かがあった。
遠くから見れば、外海に現れる水龍と見まごうが、水龍にしてはあまりにも巨大である、ということを見たものは感じるであろう。
そもそも水龍は透き通った水色の鱗を持っている。それに対して外海を泳ぐそれは、灰色であった。
それはゆっくりと、水面より顔を出す。
顔こそ竜のようではあるが、世界中を見ても、このような種類の竜は存在しない。そして、これほど巨大な生物は存在しない。
外海から顔を出したそれの身体はとても長く、水面からもその身体の全容は見えない。
無限とも思える身体の長さのそれは、じつは生物ではない。
魔力によって作られているため、魔物、と言っても差し支えはないのかもしれない。しかし、この竜のような巨大なものは、ある魔神のスキルによって作られたものにすぎない。
ゾドークの66魔神のうち、序列六位までは、それぞれ大陸の支配権を持つ、とされている。
第一位ハーイアは中央大陸を支配している。そう言った具合に第二位から五位までそれぞれ東西南北の大陸を支配する。
支配と言っても飽くまで名目的なものでしかない。
序列六位の魔神はならば、どこを支配下とするのか。
アウラ海は支配するにはあまりにも狭すぎた。それに境界線が曖昧すぎる。
それよりだったら、ということで魔神トラキアは外海を自身の支配域とした。
広大過ぎる外海は、魔神トラキアの庭となった。
とはいえ、そんなトラキアもいまだに海の果てを見たことはない。
果ての近くまで入ったことがある。
そこには途方もない壁がそびえたち、行く手を阻んでいた。
その先にあるものをトラキアは気にはなったが、自分の力では超えられぬことを知った。
しかし、それで諦める魔神トラキアではない。
それより彼は己のスキルでこの「水龍もどき」を作り始めた。
いずれ、この水龍もどきで壁を乗り越え、まだ見ぬオケアノスを征服する。それが魔神トラキアの野望であった。
水龍もどきの腹の中に存在する空間はトラキアの城である。
水龍の内部に広がるのは、異様な光景で、決して生物の体内とは思えぬ、街や建物、森や川が広がっている。
トラキアのスキル『帝王の庭』。自身の城を作り出す、という能力。
スキルによる限界は存在せず、彼のイメージと魔力を使用して城を作り上げる。
彼の城の名は『スキャヴォルト=オルガムズ=ノイシュクレルト』と言う。もっとも長すぎる名前故に、トラキア以外の魔神はたいてい『世界蛇』と呼ぶ。
善大陸を一周するだけの長さを持つ世界蛇と、その内部に存在するトラキアによって作られた魔力兵士部隊。
魔神には魔族の配下や魔物の配下を持つ者もいるが、トラキアほどの規模の軍隊を持つ者はいない。世界中を探しても、トラキアに並ぶ兵隊を持つ者はいないであろう。
故にトラキアは『帝王』と呼ばれる。
ゾドーク序列六位のため、彼は単身でも強大な力を持つ。
しかしながら、『慟哭』キュレイアより上のモノとはまた一段階ほどの差が存在するという。もっとも、彼のスキルと兵隊を合わせれば、その差もほとんどないのだが。
世界蛇の中の、広大な無の空間。そここそが、トラキアの最も心穏やかになる空間である。
トラキアは現在一万年ほどの時を生きている。
これは魔神の中でも最長である。
魔神ハウシュマリア降臨までは彼こそが魔神の王であった。
戦いに明け暮れ、トラキア帝国とまで呼ばれる世界帝国を築き上げるまでになったが、ハウシュマリアに敗れ、その座を追われた。
とはいえ、そのようなことはトラキアにとっては細事であった。
トラキアは世界帝国を築いたことに満足すると、今度は外海に目を向けた。
そして、壁に行き当たった。
以降、外海で世界蛇を作り、次なる野望へと胸躍らせている。
そんなトラキアの居城には今一人の来客があった。
トラキアは無の空間にぽつんとある円卓の前に座り、来客を見る。
「珍しいな、おぬしがここに来るとは」
「捕まえるのに苦労したぞ、トラキア」
人のいい老人、と言った様子の白髪のトラキアを見て魔神は言った。
トラキアは眼前の魔神を見る。
顔こそ普通の人間であり、人の青年の顔であるが、その背中からは異様なものが生えている。
剣のように鋭利な八対の翼。
かつて空を目指し、空にたどり着きながら堕ちた魔神。
序列一位『堕天』ハーイア。
どうあがいても飛ぶことだけはできない世界蛇。おそらく飛べさえすればトラキアも空を目指したろう。
同じ境界を目指すものとして、トラキアはハーイアを尊敬している。
六大魔神の中で最も強い魔神は、穏やかに座り、トラキアの出した酒を飲む。
トラキアもグラスの酒を煽る。
「ふむ、なかなかいい」
その酒は世界蛇の内部にあるトラキアの酒造庫で作られたものだ。
一千年寝かせただけあり、いい具合に出来上がっている。
「さて、それで何の用かねハーイア」
「別に用などない」
ハーイアはそう言うと、瞑想するように目を閉じる。
「神への復讐の計画は進んでおるのかね?」
「まあまあだな。そちらこそ、海の果てオケアノスに行く算段はついたのか?」
「おぬしと同じくらい、とだけ言っておこう」
トラキアはカラカラ笑って言う。
「なるほど」
その時、ふとトラキアとハーイアの眉が動く。
「珍しいな、これほどの来客があるのは数百年ぶりかな」
そう言うと、トラキアは皺皺の指をぱちりと鳴らす。
円卓に椅子が四つ現れる。
「ほう、全員集まるとは、本当に珍しい。一体何があったことやら」
「何かなくては来てはならんか?」
ハーイアの言葉に、力強い声が問いかける。
ハーイアはほほ笑むと、声のした方向を見る。トラキアも人好きのする笑顔を浮かべてり客へ歓迎の意を表す。
「ようこそ、ハウシュマリア。そしてご婦人方」
そう言い、世界蛇の主は大業にお辞儀してみせる。
彼の眼前には四つの影があった。
獅子の頭を持つ巨人。黄金の鬣を持ち、深紅の瞳を光らせ、獰猛な笑みを浮かべる魔神。
名を『凶星』ハウシュマリア。かつてトラキアを瀕死にまで追い込んだ魔神だ。
その隣に立つ豊満な肉体を持つ絶世の美女。局所こそ隠れているが、それ以外は全く隠れていない。恥じるどころか、これ見よがしに肢体を見せつける。深紅の髪は床に引きずるほどの長さである。
名を『絶界』ジャヒーリア。トラキアの次に長生きの魔神である。
更に隣、騎士の礼服に身を包んだ若い女。金の髪を束ね、邪魔にならないようにしている。生真面目そうな顔をしており、その外見を裏切らない堅物である。
名を『刻躁』レヴィア=ツィリア。魔神の中ではもっとも最近の魔神である。
ハウシュマリアの隣、彼に比類する巨大な肉塊。それの天辺に座る一人の小娘。
精巧な人形のようで、愛らしい笑みを浮かべている亜麻色の髪の少女。
名を『慟哭』キュレイア。ちなみに彼女を支える肉塊は彼女の配下である。
彼らはトラキアを見て意味深に笑うと、出された椅子に座る。
ハウシュマリアの身体に合わせて椅子は大きくなり、椅子に座ったキュレイアの側に突き立っていた肉塊にも椅子が差し伸べられる。
「あら、ありがとう」
キュレイアはそう言うと、肉塊に座りなさいと言う。
「いえいえ、大切な客人でありますからなあ。相変わらず皆様変わらず。キュレイア殿もジャヒーリア殿もレヴィア殿も相変わらずお美しい」
「ありがとう、トラキア」
「うふふ」
「・・・・・・・・・・」
キュレイア、ジャヒーリア、レヴィアは三者三様の返事を返す。キュレイアはほほ笑み、ジャヒーリアは妖艶に笑い、レヴィアは目を閉じ無言を貫く。
「それで、何用ですかなみなさん」
「いやなぁに、珍しくハーイアが山を下りたと聞いたからな。どうせお前のとこだろうと思ってな」
ハウシュマリアが大きな口でそう言う。
「最近暇をしていたんだ」
「わたくしも同じよ。ハウシュマリアも行くならば、私も行こうと思ってね」
キュレイアが言うと、ジャヒーリアもそうだ、と言った様子で頷く。
「それで、レヴィア殿は?」
「私は貴様らが暴れぬように、と思ってな」
魔神の中でも最も魔神らしくないレヴィアはそう答える。
「まあいいだろう。こうして我々が集まることもそうはない。久方ぶりに楽しむとしよう」
ハーイアはそう重い声で言う。
ハーイアがそれでいいならば文句はない、とトラキアは思うと、人数分のグラスを出して酒を注ぐ。
「ふん、相変わらずいい物を作っているな、爺」
酒の匂いを嗅ぎ、獅子頭の魔神は言う。
「口が悪いのは相変わらずですな、ハウシュマリア」
ははは、赦せ、とハウシュマリアは笑う。
それぞれグラスに酒が注がれると、トラキアがハーイアを見る。
ハーイアはその視線を受けると、ゆっくりと口を開く。
「久方ぶりの再会を祝し、乾杯」
そう言うと、魔神たちは酒を飲み干すと、床にグラスを叩きつける。
レヴィアだけは、迷った後にグラスを思い切りたたきつける。
「相変わらずだな、レヴィア」
「うるさい」
ハウシュマリアの言葉に、レヴィアはばつの悪い顔をする。
「仕方がないわよ、その子は元は人間の平民。節制とかが身についているのよ」
ジャヒーリアの言葉に、レヴィアはますますばつの悪い顔をする。
「そういじめてやるな、ジャヒーリア」
ハーイアが助け舟を出す。
キュレイアはトラキアに向かって口を開く。
「この子に何かもらえるかしら?」
「ええ、もちろん」
後ろの肉塊を指すキュレイアを見てトラキアは頷く。そして何もない空間から、大きな樽が現れる。
「水龍の血です」
「あら、この子の好物がよくわかっているじゃない」
「長い付き合いですからねえ」
トラキアはからからと笑う。
「ところで、ハーイアよ。いい加減戦争ってのはいつ起きるんだ?神との戦争ってやつは」
ハウシュマリアがぎらぎら光る眼でハーイアを見る。そこらの魔神ならば威圧される目だが、ハーイアをはじめこの場にいる魔神はそれしきでは揺るがない。
「まだだ、ハウシュマリア。まだ機は熟していない」
「詰まらんなあ、あと何百年待たせる気だ?」
「抑えなさいな、ハウシュマリア」
そんなハウシュマリアを諌めるのはジャヒーリアだ。
「ハーイアにはハーイアの計画があるのだから。それにその時になれば、あなたは好きなだけ戦えるわ。楽しみはとっておくものよ?」
「ふん」
ハーイアは鼻息を鳴らし、腕を組む。
「そう言うならばジャヒーリア。お前俺と戦わんか?」
「あなたと私が戦ったら、大陸が吹き飛ぶわ。わかるでしょう?」
妖艶に笑うジャヒーリアを見て、獅子は獰猛に笑う。
「ならばここで戦うか?被害はないぞ」
「私にはあるんだがね、ハウシュマリア」
トラキアが苦笑する。
「それに、レヴィアがさっきからあなた方を睨んでますよ」
言われて獅子と美女は金髪の騎士を見る。
騎士は険しい目で二人の魔神を見ている。
「文句があるなら、『止め』ればよかろうレヴィア」
「私の力はあなた方には効果がないのは承知している。無駄なことはしたくない」
レヴィアはそう言い、物憂げに魔神を見る。
「ふん、まあいい。ハーイアとの約束は守るさ。俺とて、死にたくはないからな」
穏やかに笑うハーイアを見てハウシュマリアは言う。
「そう言えば、ジャヒーリア。最近面白いこととかないのかしら」
キュレイアはほぼ全裸の美女を見て言う。
外の世界に興味なく、ほぼ引きこもりのキュレイア。なんとなく、情報通のジャヒーリアに問うた。
「そうねえ、序列61位がだいぶ前に死んだわねえ」
「61位?誰だ」
61位など、一一憶えてなどいないという風にキュレイアが言うと、レヴィアがむっつりした顔で答えた。
「『腐食』ズオウレイル」
「ああ、清潔好きのあんたの嫌いな」
キュレイアはそう言い、肉塊を撫でる。レヴィアが最も嫌悪を抱くのは、キュレイアの可愛がるその肉塊であるとは、思いもしまい。
「それ以外は何かないの?」
「さあてねえ。私も最近は寝てばかりだったから」
ジャヒーリアはそう言い、おどける。
「ああそう言えば、魔族と人間の戦争がありましたね」
レヴィアが思い出したように言う。
「戦争?」
「ええ。最終的には国家間の戦争にまで発展してましたね」
「・・・・・・・・・・ふぅん」
興味を失った様子のキュレイア。
もともと、それほど興味を持ってきたわけではないから、その反応も当たり前か、と魔神たちは思った。
「ああ、早く戦争にならないものか」
ハウシュマリアが呟く。
ハーイアは黙って酒を啜る。
トラキアは力ある魔神がこうして一堂に会し、酒を啜る、と言う光景をおかしくも思いながらも、楽しく感じていた。
トラキアは面白いことは歓迎する。
永すぎる生。それはあまりにも退屈。
故に、このようなくだらないことも、楽しく感じてしまうのだった。
「ふん、ああだこう出しているうちにだいぶ時間が経ったな」
ハウシュマリアが呟く。
「そうねえ、この子も飽きたようだし、そろそろお暇と行きましょうかね」
キュレイアが肉塊を撫でながら言う。
「そうね」
ジャヒーリアが立ち上がり、レヴィアも服を整えて立ち上がる。
獅子頭の魔神とハーイアも立ち上がる。
「それでは次に会うのは何百年後かな?」
トラキアの言葉に、ハウシュマリアは獰猛な笑みを浮かべる。
ハーイアの言う「終末の戦争」。それが来た時、魔神たちはいやおうもなく再開するだろう。
おそらく、その週末の戦争は近いうちに起こる。ハウシュマリアはそう考えていた。
「案外数年後かもしれんぞ」
「かもしれないなあ」
トラキアは笑うと、立ち上がり客人たちを見る。
「まあ、次に会う時まで皆様ご達者で」
「爺もな」
トラキアが恭しく礼をし、顔を上げた瞬間には、魔神たちの姿は消えていた。
「ふん、まったく」
笑顔でそう言うと、トラキアは円卓と椅子をしまい、再び無の空間に佇む。
とりあえず、彼の目下の目的はオケアノス。終末の戦争などではない。
その時が来るまでは、せいぜいオケアノスに集中させてもらおう。
『帝王』トラキアはそう思うと、魔力と自身のイメージを世界蛇に注ぎ、より巨大にしていくのであった。




