第95話 空君の意識
「凪、宿題ね」
ハワイで子供の名前考えてくるんだよね?空君。
空君と私はずうっと、一緒にいるんだよね?いつか、家族になるの。だから、赤ちゃんの名前も考えるんだよね?空君。
空君がいなくなるわけがない。だって、ずっと一緒にいるんだもん。私のそばからいなくなるわけがない。
きっと、帰ってくる。ちゃんと帰ってくる。あの、はにかんだ笑顔で「凪、ただいま」って言って、絶対に帰ってくる。
ふうっと、意識が遠のきそうになった。
その時、ピンポーンと、チャイムが鳴った。
「空君!やっぱり帰ってきた!」
私がそう叫ぶと、
「凪、きっと黒谷さんだ。父さん、凪をお願い」
と碧はそう言って、玄関に走って行った。
「凪…。ベッドで横になるか?」
パパが私の肩を抱きしめながらそう聞いてきた。
「……パパ。空君が、重体なんて嘘だよ。だって、さっきね、元気な空君の声が聞こえたもの。凪って呼んだよ」
「……そうだよな。きっと、嘘だ。うん。俺も信じていない」
「それに、日本に明日帰ってくるって、今朝言ってたの。夜には着くって。また連絡してくれるって」
「ああ、そうだ。そうだよな…」
パパはそこまで言うと、黙り込んで私を抱きしめた。
「え?空君が意識不明の重体?」
黒谷さんの大きな声が廊下から聞こえた。
「そ、そんな…。嘘ですよね?」
「セスナ機の事故だったんだ。みんな助かったけど、空だけが重傷で…」
「榎本先輩は大丈夫なんですか?」
「それが…。混乱してて。黒谷先輩、なんとかしてあげて」
碧と黒谷さんの会話は、リビングに筒抜けだった。
「榎本先輩、大丈夫ですか?」
そう言いながら、リビングに青い顔をした黒谷さんが入ってきた。
「………あ、みんなが、空君が意識不明の重体だなんて嘘を言ってるの」
私の意識も混乱している。全部が間違いだ。嘘だ。夢だと思いつつ、次の瞬間には、空君のそばにいかないとって、思い切り焦りだす。
「ハワイにパパ、すぐに行こう。ねえ、今すぐに!」
パパにそう言って、私は泣きついた。
「ねえ!空君のそばにいたい。空君のそばにいさせて。ねえ、パパ!パパ!」
「わかった。凪。でも、今すぐには無理だ。飛行機のチケットや、パスポート、今、爽太パパやじいちゃんが動いてくれているから。な?」
「嫌!今すぐに会いに行きたいの!」
「先輩!」
黒谷さんが、私のすぐ横に立って、私のことを自分のほうに向かせた。
「ここにしっかりと座ってください。話があります」
黒谷さん、いつもと違ってる。なんで?空君のことを聞いて、黒岩さんは何も感じないの?
そう思いながらも、私は言われた通り、ソファに腰かけた。
「今から言うこと、ちゃんと信じてくださいね。それと、一つ確認です。空君は、生きているんですよね?」
「当たり前だ。意識不明だって言っていたけど、ちゃんと生きてる!」
パパが憤慨しながらそう言った。
「じゃあ、ここにいるのは多分、生き霊です」
「………。生き霊って?」
碧がすぐそばまで来て黒谷さんに聞いた。
「深呼吸して…。それから目を閉じてください、先輩」
黒谷さんにそう言われ、私は深呼吸をしてから目を閉じた。
……あれ?ふわ~~っと何か、あったかいものを感じる。
これ、空君からいつも来るオーラ。いつもこの優しいあったかいオーラで包んでくれてた。
「空君?」
私は目を開けて、右隣りを見た。どうも、右側がやけにあったかい。
「そうです。感じましたか?そこにさっきからずうっと、空君がいるんです」
「え、え~~~!?」
びっくりして大声をあげたのは碧だ。パパは、
「まじで?」
と、びっくりして目を丸くしている。
「はい。まじです」
「ほんと?生き霊ってことは、えっと、今、どういう状態なの?空君は」
私は黒谷さんを見たり、右隣を見たりして聞いた。
「わかりません。体がハワイにあって、意識と言うか魂だけこっちに来ちゃったとか…。あ、そうみたい。今、思い切り空君、頷いたから」
「え?それって、じゃあ、黒谷先輩と空、会話が成立するってこと?」
「はい。なんか、空君、私に言いたいことがあるみたいだし」
「まじで?!ちょ、ちょっと、なんか書くもの用意しろ、碧」
パパに言われ、碧はノートとボールペンを持ってきた。
「でも、これでどうすんの?」
「なんかうまく、会話できないか?文江ちゃん」
パパがそう聞くと、黒谷さんはノートにいきなり、平仮名をあ行から書きだした。
「あ、そうか。それで空に指差してもらったらいいんだ」
碧がそう言った。
私は見えるはずもない空君のほうを見て、
「空君、どこか痛い?」
とか、
「空君、いつからここにいるの?」
とか、必死に聞いていた。
「ちょっと待っててください。はい。書けました。これで会話ができます」
「黒谷さん、空君、怪我してるの?」
「いいえ。いつもの空君です。服も…、よく見るTシャツとジーンズだし」
「そうなんだ」
「意識ですから…。怪我している空君は、映し出されませんよ。じゃあ、空君、言いたいことがあったら指差して」
どうやら、空君はノートの平仮名を指で差しているらしい。黒谷さんはノートを見ながら、
「お、れ、の、のっ、た」
と、一つずつ平仮名を読みだした。
「せ、す、な、き、が、ふ、じ、ちゃ、く、し、た」
…空君。本当に空君なの?空君の意識がここに来ているの?!
「か、あ、さ、んと…。あ、空君の指差すスピードが上がったから、私も文章にして読みますね。えっと、ごめん、空君、もう一回」
ノートの平仮名を黒谷さんは目で追っている。
「母さんと父さんは、怪我をしたけど無事だ。俺だけ、不時着した時に、頭を打って意識不明になっている」
「…頭を打ったのか、空…」
ぼそっとパパが呟いた。
「意識が、自分では戻ったと思った。でも、気がついた時、自分の体の真上に浮かんでいて、俺の体を見ていた」
「死んだ…の?空」
碧がおそるおそるそう聞いた。
「死んでない。幽体離脱だと思う。それで、凪のことが気になって、凪のことを考えたら、ここに意識が飛んでた」
「…じゃあ、ずっとここにいたってことなわけ?空」
また碧が聞いた。
「うん。いた。凪も、聖さんも、ハワイに来なくてもいいよ」
「なんで?空君のところに行きたいよ」
「でも、俺、今、ここにいるし」
「……そう言われたらそうだけど。でもさ、空、お前の意識がここにあるから、意識不明で重体なんじゃないのか?今夜が峠だって言われているらしいぞ。すぐに体に戻れよ」
パパが、誰もいない私の横をじっと見ながらそう言った。
「戻ります。でも、その前に、俺なら大丈夫って凪に伝えたかったんです。黒谷さんが来てくれて、助かった。ありがとう」
そう黒谷さんは言うと、じっと私の右隣りを見て、
「ううん。私でも役に立てて良かったよ、空君」
と、そう呟くように言った。
「凪…」
そしてまた、ノートを見ながら黒谷さんは話し出した。
「明日には帰れそうもない。ごめん。でも、絶対に日本に帰るから。約束の宿題、忘れないで」
「宿題?学校のか?」
パパが聞いた。
「俺と凪だけの秘密」
そう黒谷さんは言った。
本当に空君だ!宿題のことを知っているのは、空君だけだもん。
「忘れてない。でも、考えていない。なかなか思いつかないから。やっぱり、空君と一緒に考えたい。だから、早く帰ってきてね」
「わかった。すぐに体に戻って、超特急で回復して日本に帰ってくる。待ってて。目が覚めたら、またスカイプしよう」
「…ほんとだ。空だ。空が本当にここにいるんだな。すげえ」
碧がそう言って、黒谷さんを見た。
「はい。空君、ずうっと榎本先輩を優しく見ています」
ふわ。あ、空君のオーラにまた包まれた。あったかいし、優しい。
「あ、今、榎本先輩にハグしてました」
「そ、そうか。うん。それは許すぞ、空」
パパが私を見ながら、そう言って頷いた。
そこに、ママが階段を下りてきて、
「聖君、凪、落ち着いた?」
と心配そうに聞いてきた。
「大丈夫。桃子ちゃん。凪のところに空が来ているから」
「空君が?え?…文江ちゃんが見えてるの?空君の…まさか、幽霊?」
「いいえ。意識だけ幽体離脱して、日本まで榎本先輩に会いに来ちゃったみたいです」
「幽体離脱?!」
「あ。また、空君が何か言ってる。えっと…。ええ?」
「何?なんて言ってるの?空君」
「お腹の赤ちゃんが見えるって。すごいオーラを出して、桃子さんを守っているって言ってます」
「赤ちゃんが?」
「俺のことで、ショックを受けたみたいですけど、赤ちゃんが守ってくれてますよって」
「……すごい。まじかよ」
碧が驚いている。パパは手を伸ばしてママを自分のところに呼んだ。ママはパパの隣に行き、パパにべったりとくっついた。
「あと、もう凪も大丈夫だから、俺は体に戻りますって」
「空君、ありがとう。来てくれて」
私がそう言うと、
「こっちこそ。凪からパワーもらえた…って、空君は言ってます」
と、黒谷さんはそう言った。
「……あ、消えた」
少しして黒谷さんは、私の右隣りを見ながらそう呟いた。
「ちょ、ちょっとびっくり。アンビリーバボーだよな」
碧が、しばらく黙り込んでいたみんなの沈黙を破った。
「でも、本当に空君だった。だって、宿題のこととか、空君しか知らないし」
私がそう言うと、パパが、
「何?気になる宿題だな」
と、そう聞いてきた。
「な、内緒。だって、空君も内緒だって言っていたし」
「それにしても、びっくり。ずっと空君、凪のそばにいたの?それに、ハワイからでも意識って飛んでこれるのね」
ママはまだパパにべったりくっついたまま、そう言った。
「ああ。俺もびっくりだ。あ、文江ちゃん、ほんと~~~~にありがとう。君がいれくれたおかげだよ」
「本当にそうだよな。すげえよ、黒谷先輩」
「ありがとうね。黒谷さん」
「いえ。そんな…。私もお役にたててうれしいです。それに、私もさっき、びっくりしました。空君が普通に榎本先輩の隣に立っていたから。でも、すっごく心配そうに見ていましたよ」
「そうだったの?」
「はい。抱きしめてみたり、髪を撫でてみたり、話しかけようとしてみたり」
「そうだったんだ。私も黒谷さんみたいに、見えたら良かったのに」
「でも、オーラ、感じてましたよね?」
「うん。いつもの空君のあったかい優しいオーラだった」
ブルルル。その時、電話が鳴った。
「俺が出るよ」
パパが、慌てて手にしていた受話器で電話に出た。
「あ、父さん?え?櫂さんから電話があったの?え?ほんと?」
パパがにっこりと笑いながら、私たちを見た。
「空、今、目が覚めたってさ!!」
「わあ!やった~~~~」
碧が黒谷さんの手を持って、一緒に万歳をした。
私はママと抱きついて喜んだ。
「うん。わかった。もう大丈夫だね。うん。サンキュ。父さんと母さんも、ゆっくり休んで」
そう言って、パパは電話を切った。
「体に戻ったんだな、空」
「良かったね、凪。本当に良かった」
パパとママがそう言いながら、私を抱きしめた。
「うん。良かった」
私はそう言いながら、思い切り泣いてしまった。
空君。空君はすごすぎるよ。びっくりした。
私が心配で来てくれたの?それとも、私に会いたくて来てくれたの?
空君!私も意識を飛ばして空君に云いたい。
大好きだよ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!
だから、早く元気になって、日本に帰って来てね!!!!
翌日、空君から電話があった。
「凪?!」
「空君!!!」
空君の声だ!元気そうな声だ!
涙が出てきた。あふれて止まらない。
「ごめん、スカイプは無理そう。今、まだ病院だし」
「声が聞けただけでも嬉しいよ、空君」
「ごめん。心配かけて」
「ううん!ちゃんと空君、来てくれたし…」
「…やっぱり、俺、凪のところに行ってたんだよね?」
「うん。黒谷さんが家に来て、空君が見えて…。幽体離脱したって言ってたけど」
「良かった。夢じゃなかった。目が覚めて、父さんと母さんに、凪のところに行ってたって言ったら、夢を見ていたのねって言われてさ…。俺も、夢だったのかもなあって…」
「ううん。本当に来てくれたよ。パパやママ、碧もそこにいたから」
「…うん。覚えてる。桃子さん、妊娠しているのに心配かけて悪かったよね」
「でも、赤ちゃんが守っているって」
「うん。すごいね。今度産まれてくる赤ちゃんは、やっぱり凪みたいに人を癒せる力持ってるかもね」
「…空君」
「ん?」
「空く~~~ん」
私はまた、感激して泣いてしまった。
「早く元気になって帰るね。まだ、検査もあるし、父さんと母さんは怪我もしているから、まだみんなして病院にやっかいになっているんだ」
「空君は怪我していないの?」
「俺は頭以外は、打撲ぐらいですんでる」
「いつ帰ってくる?」
「それがまだ、わかんないんだよね…。ごめんね?凪。本当だったら昨日帰れたのに。意識だけは飛んで帰ったんだけど」
「……うん。空君のあったかいオーラはちゃんと感じたよ」
「俺も、凪の光に包まれたから、回復力アップしたよ」
「私の光、意識でも感じたの?」
「うん。あったかかった」
そうなんだ…。
空君…。
「声、聞けてうれしかった。じゃあ、またね」
「うん。またね」
「空君、大好きだからね!」
「…あ。うん。俺も…」
空君の顔、きっと今、照れてるのかな。赤くなっているのかな。
空君との電話が終わっても、まだ私は電話機を握りしめていた。
ギュウ…。良かった。ほっとして、また涙が出た。
空君、早く元気になって帰って来てね。




