第93話 空君はハワイへ
空君はハワイに行った。
その日は、真っ青な綺麗な空。私は空を見上げ、
「この空はつながっているんだよな」
と呟いた。
まりんぶるーの窓から空を見上げてそう言うと、
「もう、空君が恋しいの?凪ちゃん」
とくるみママに言われてしまった。
「ううん」
慌てて仕事に戻り、窓ガラスを拭いたり、テーブルセッティングをした。
春香さんも今週はいないから、私は早めにまりんぶるーに来ている。
「お昼の混んでいる時、桃子ちゃんも出てくれるんだって?大丈夫かな」
くるみママがそう聞いてきたから、
「うん。ママも安定期だし、ちょっとは動かないと太るって言ってたから」
と私は答えた。
バイトをしていたら、気もまぎれると思ったんだけど、まりんぶるーにいるとかえって空君のことを思い出しちゃう。空君が私を思い出すからまりんぶるーに来れなくなったっていうのも頷けちゃう。
「はあ」
キッチンで何度も溜息をしてしまった。
「そんなに空君が恋しいの?電話しちゃえば?」
「声聞くと、もっと会いたくなりそうで」
くるみママにそう言うと、横から、
「なるほどね。そういうのもわかるな」
と爽太パパが頷いた。
1日がやけに長い。そして一番寂しさを感じたのは、お店から家までの帰り道。
「空君、恋しいよ~~」
景色は何も変わらないのに、すごく色あせて見えちゃう。空君がいるかいないかだけで、こんなに違うんだなあ。
家に帰ると、ママが明るく出迎えてくれた。
「聖君も早く帰ってくるようにするって」
そうママは言って、キッチンに夕飯を作りに行った。
「なんだよ、凪。もう空が恋しくなってんの?だっせ~~」
「うるさい」
碧の背中をバチンと叩くと、
「いってえなあ」
と、碧は言いつつも、私にマンガを貸してくれた。
「男もののマンガだけど、けっこうはまるよ。暇つぶしにはなると思うけど」
「…ありがと」
なんだかんだ言いつつも、碧も私のこと気にかけてくれてるんだな。
「で、凪。黒谷先輩、いつ来るの?」
「それが目的で優しくした?」
ちょっとがっかり。
「ち、ちげ~~よ。ってか、優しくした覚えもないけど」
もう、生意気だなあ。
「明日にでもうちに来ない?って、メールするよ」
「俺が勉強教えて欲しいって、そう送ってね」
「わかった」
さっそく黒谷さんに、碧が勉強教わりたいって言ってるから、明日にでも来ない?とメールした。
黒谷さんからはなかなか返事がなかった。
空君からもメールないなあ。時差ってどれだけあるんだっけ。
「は~あ」
寂しさ倍増。
宿題も考えられないや。私と空君の子供の名前。
ベランダに出て、ぼけっと空を見た。ああ、今すぐ飛んでいけたらいいのに。こうなったら、幽体離脱でもして、魂だけ空君のもとに飛んでいけないかなあ。そんな技を身につけたい。
いや、やっぱり、ドラえもんを呼んで、どこでもドアを出してもらうか。いや、一瞬にしてどこにでも行ける魔法が使えたらいいのか。
ああ。あほだなあ、そんなこと本気で考えているなんて。
その日遅くに、黒谷さんからメールが来た。多分、どうしようか相当迷ったんだろうな。
>明日、行きます。
それだけの返事だった。
空君からのメールはない。
>空君、無事着いた?
思い切ってそう送ってみた。でもやっぱり、メールは来なかった。
翌朝、携帯の着信音で目が覚めた。
「空君?」
携帯を慌てて見てみると、メールが来ていて、
>凪、起きた?スカイプで話そう。
と空君からメールが来ていた。
きゃあ!嬉しい。
>ちょっと待ってて。顏洗って髪とかしてくる。
そう送ってから、慌てて着替えたり顔を洗ったりした。
10分後、パソコンを開き、空君を呼んだ。パソコンの画面に空君が現れた。
「俺の顔、見えてる?」
「うん!空君だ~~~!!!」
嬉しいよ~~~!!
「凪の顔も見えてるよ」
「今、何時?」
「昼。これから昼飯食うんだ。そっちは朝の7時半くらい?」
「うん」
「まりんぶるーに早くから行って手伝ってるんでしょ?」
「うん。9時半くらいに行ってる。もうサーフィンしたの?」
「ううん。それは明日、マウイ島に行ってから。今日は海で泳いだり、午後はホテルのプールでのんびりしたり、買い物にでも行くよ」
「明日はマウイ島に行くの?」
「うん。今年はマウイ島でサーフィンしてくる」
「そうか…。空君、元気そう」
「ええ?昨日も会ったじゃん、あ、一昨日か。なんか時差ボケで、昨日が何日だったかもよくわかんないや」
「……空君」
「なあに?凪」
「ううん。早く会いたいなあって思って」
「え~~?だから、一昨日も会ったじゃん」
「うん」
「くす。毎日スカイプしようよ。そのためにパソコンまで持ってきちゃったんだからさ」
「うん」
空君の声が聞こえて、空君の顔も見れて嬉しい。でも、空君のぬくもりを感じられないのは寂しいなあ。
「凪」
「え?」
「寂しくなったり、落ち混んだら、碧か聖さんにひっつくんだよ。でないと気が下がっちゃうから」
「あ、わかった。うん、そうする」
そうだった。私、落ち込むと霊が寄って来やすくなっちゃうんだっけ。
「じゃ、そろそろ昼飯食って来るね。凪もバイト頑張って」
「え?うん」
空君はスカイプを切った。もう、おしまいなのか。もっともっと、1時間くらい話したかったなあ。
空君は寂しくないの?ないのかも。だって、ハワイだよ?そりゃ浮かれるよね。それも大好きなサーフィンができるんだから。
ああ、私はこんなに寂しくなっているのになあ。
早く会いたいよ~~~~!!!
まりんぶるーに行っても、やっぱり空君のことばかりを思い出した。
そして、早めに家に帰り、黒谷さんを出迎えた。4時に黒谷さんは我が家にやってきた。
「碧~~~。黒谷さん、来たよ~~」
碧は3時には塾から帰って来たらしい。
「へ~~い」
碧、本当はドキドキしているくせに、そんなそぶりも一切見せず、2階からのんびりと下りてきた。
「黒谷先輩、すみません。また、わかんないところがあって」
「じゃあ、さっそくダイニングで勉強する?文江ちゃん、冷たいお茶でいい?あと、クッキーあるから食べてね」
ママがそう言うと、黒谷さんは、
「ありがとうございます」
と丁寧に頭を下げた。
私とママは邪魔しちゃ悪いと思い、リビングに移動して、静かに本を見ていた。
碧は、あれこれ質問をして、黒谷さんは必死に答えていた。
「黒谷先輩、頭いいよね。今の高校よりいいところ行けたんじゃない?」
「ううん。家から近いところが良かったから…」
「もったいないな。高校卒業したら大学進学でしょ?」
「ううん。そんなにお金ないし。うち、親が離婚しているから」
「そっか…。でも、もったいないような気がするな。頭いいのに」
「私、霊とか見えちゃうし、将来どんな仕事に就いたらいいのか悩んでいたんだけど」
「こうなったら、霊媒師とか、占い師なんてどう?」
碧。なんて無責任なことを言ってるのよ。
「そんなのできないです。だって、霊が見えるってだけだし」
「そうか」
「だけど、最近気が付いて。花を触っていると癒されるし、霊も見えなくなるって言うか、近寄ってこないみたいで」
「へえ。なんかいい気でも発しているのかな」
「だから、お花屋さんで働くのもいいかなってそう思って。フラワーアレンジとかも興味あるし」
「いいんじゃない?そういうスクールあるかもよ」
そう言ったのはママだった。
「母さん、話に割り込んでくるなよ」
「ごめん」
ママはまた、赤ちゃんの本を読みだした。
「……。で、できると思いますか?私」
「え?できるんじゃない?できると思うけど」
黒谷さんの質問に、碧は真面目な顔をして答えた。黒谷さんは、とても嬉しそうに笑うと、お茶をコクンと飲んだ。
それからも、黒谷さんに碧は勉強を教えてもらい、あっという間に6時を過ぎてしまった。
「あ、もうこんな時間。夕飯の準備しなくちゃ。ねえ、文江ちゃんも食べて行かない?」
「でも」
「門限があるの?文江ちゃん」
「はい、一応」
「電話でお母様に聞いてみたら?家までは聖君が送ってくれると思うし」
「そんなの悪いです」
「大丈夫。ね?夕飯も食べて行って」
ママにそう言われ、黒谷さんは家に電話をした。お母さんが出て、
「え?友達の家でご飯?いいの?ご迷惑じゃないの?」
と相当驚いているようだった。大きな声だから全部が聞こえてしまった。
電話を切ってから、
「母が、私に天文学部に入って良かったね、とか、この高校に入って良かったねって言ってくれるんです」
と、小声で話しだした。
「そうなの?」
私が聞くと、
「はい。今まで、本当に一人だったから」
と、黒谷さんは消えそうな声でそう言った。
「じゃあ、これからはもっと友達も増やしていったら?」
碧がそう言うと、黒谷さんはくるくると首を横に振り、
「それは、なかなか…」
と言って俯いた。
「大丈夫だよ。そのうちに仲いい子もできるって」
もう、また無責任なことを碧は言ってる。
「それに、俺も黒谷先輩と同じ高校行くし。ずっと、守ってやれると思うよ。俺がいたら、幽霊も寄ってこなくなるんでしょ?」
「え?うん」
黒谷さんはそう言ってから、碧の顔を見てかあっと顔を赤くした。
「ま、守ってくれるんですか?」
「うん。あ、でも、その敬語はそろそろやめてね。俺の方が年下なんだからさ」
碧、ちょっと照れくさそう。でも、なんだかいい雰囲気。
2人のいい雰囲気を壊しちゃいけないと思い、私とママはひたすら、本に集中しているふりをし続けた。
パパが帰ってくると、
「あ、文江ちゃんがいた~~」
と黒谷さんを見つけて喜んだ。ほんと、このパパも、明るいって言うか楽天的って言うか。単純と言うかお気楽と言うか。
そして、5人で揃って夕飯を食べ、食べ終わると、
「もうちょっと休んだら、家まで送ってあげるからね?碧も付き合え。勉強教えてもらったんだから、送って行くのもお前の義務だ」
とパパは言い出した。
「なんだよ、それ。まあ、いいけど」
ほんと、パパ、なんだよ、それって感じ。でも、そうやって、2人の仲を進展させようって魂胆なのかもしれないなあ。
10分してから、パパは碧を引きつれ、黒谷さんを家まで送って行った。
「なんか、いい雰囲気かもしれないよね?碧と黒谷さん」
「…でも、碧って、聖君みたいにもてそうだから、あんまり仲良くすると、かえって敵を作るばかりだったりして」
「あ、そうか~~。私は1年間は黒谷さんを守ってあげられるけど、そのあとはどうしたらいいかな」
「空君がいるか」
「あ、そうだね。空君と碧がいれば、大丈夫だね、きっと」
ママとそんなことを、片づけものをしながら話していた。
「そうだ。空君とスカイプしたんでしょ?明日もするの?」
「うん!空君、明日はマウイ島に行くんだって」
「へえ。いいね~~」
「いいよね~~」
「でも、スカイプで話せてよかったね、凪」
「うん。顔も見れるし、声も聞けるし」
「じゃあ、夜更かしできないね。朝、早くに起きないとね?」
「うん」
そうママからも言われ、私はその日、早々とベッドに潜り込んだ。
そうして翌朝早起きをして、パソコンの前で昨日と同じ時間に待っていた。すると、空君から呼びかけて来てくれて、またスカイプで空君と話した。
空君、日焼けしたかも。それに、すっきりとした顔をしている。
「サーフィンしたの?」
「うん。今年の波って、いいんだってさ。ラッキーだったよ」
「そうなんだ。楽しそうだね、空君」
「うん。父さんもめちゃくちゃ喜んでた」
「春香さんは?」
「プールで優雅に過ごしたり、テニスしたり。あ、毎年来ているうちにね、毎年この時期ハワイに来る日本人の人と仲良くなっちゃって。今年も来ているから、その人たちと遊んでいるよ」
「へ~~。じゃあ、みんなで羽伸ばしているんだね」
「うん」
ああ、うんっていう時の顔が最高の笑顔だ。本当に嬉しそうだなあ。
「マウイ、いいよ。オアフより俺は好き」
「行ってみたい」
「うん。今度一緒に来ようよ、凪。あ、それと昨日さ、すんげえ夕焼けが綺麗だったんだ。それ見ながら、宿題考えていたんだ」
「宿題って?」
「凪、忘れたの?子供の名前」
「あ、そうだった。ごめん、私も考える」
「うん。夕焼けの写真もいっぱい撮ったから、送るね」
「うん。ありがとう」
「じゃあ、そろそろ昼飯だから。今日もバイトだよね?頑張って」
「うん。じゃあ、また明日ね」
「うん。明日」
まりんぶるーから帰ってくると、空君から写真がパソコンに送られてきていた。本当にすっごく綺麗な夕日だった。
「いいな。これを隣で見たかった」
そんなことを呟きながら私はその写真を見ていた。
その日一日もやけに長かった。
あと何日したら帰ってくるんだっけ?
早くに会いたいよ…。そんな思いを抱えながら、眠りについた。
夢の中にも空君は現れてこなかった。出てきたのはなぜか、憎らしい碧と、それから鉄。
なんで空君はいないの?って、夢の中でも私は寂しくなっていた。ああ、せめて夢で会いたいよ、空君。




