第88話 碧の悩み
2階のリビングに行くと、
「俺の部屋に来て」
と言われてしまった。
え?空君の部屋?!
なんで?そういうの、なるべく避けてなかった?2人きり、それも、空君の部屋だなんて。
空君は先に部屋に入った。そして、
「あ、ドアは開けといて」
と私にそう言ってきた。
「え?うん」
ドアを開けたままにして、中に入ると、
「昨日の散歩で撮った写真、パソコンに入れたんだ。すごく夕日が綺麗でさ、プリントアウトしようと思うんだけど、凪も欲しい?」
と空君はにこにこしながら聞いてきた。
あ、そういうことか。
「うん。欲しい」
「ほら、これ、見て、凪」
そう言うので、空君の隣に行ってパソコンの画面を見た。
「綺麗!」
散歩に行ったとき、空君がデジカメで撮ったものだ。夕日が綺麗で写真を撮って、それから二人でその夕日を浜辺でぼけっと見ていた。日が沈むまで見て、それから空君は家まで送ってくれた。
「これ、ばあちゃんにもあげようかな」
「うん。喜ぶよ、きっと」
「海の写真っていいよね。俺、今度ハワイ行くけど、その時もいっぱい撮ってくるよ」
「え?」
ハワイ?
「い、いつ行くの?」
「さ来週だけど?だいたい毎年その時期に行ってるよ。母さんもまりんぶるー休んで、父さんも店閉めてさ」
そうだった。夏休み、最後の週になると、空君は家族でハワイにサーフィンしに行くんだった。
「いいな、ハワイ」
「来年あたり、一緒に行く?」
「来年は私、受験だから」
「ああ、じゃあ再来年」
「再来年は空君が受験だよ」
「いいよ。それでも俺、行くと思うし」
「……その頃は、私は市内にいるのかな」
「夏休みはさすがに家に帰るよね?凪」
「あ、そうか。そうだよね」
空君は写真をプリントアウトして、私にくれた。
「じゃ、もう1枚は明日、ばあちゃんに持って行く」
そう言って、もう1枚プリントアウトしたものを、机の上に置くと、空君はさっさとリビングのほうに行ってしまった。
私もあとからついて行った。
「凪、なんか飲む?」
「ううん。いい」
空君はグラスにコーラを入れて持ってきた。
そして、ダイニングテーブルの椅子に腰かけた。
やっぱり。ソファじゃないんだ。おばあちゃん、おじいちゃんのいるリビングなら、ソファに座ってすぐ隣にいられるのに、空君の家だと駄目なんだな。
なんだ。2人きりになるからって、変に意識してバカだったな、私。
それも、空君、なんだかだんまりになっちゃったし。
「空君、碧のことどう思う?」
「え?」
「黒谷さんと」
「なんのこと?」
「あ、だから、あの2人ってどうかなって」
「碧、彼女いるじゃん」
「でも、うまくいってないみたいだしなあ」
「そんなの、今だけかもしれないし。凪も彼女いるのにって気にしていたじゃん。それに、黒谷さんが碧を好きかどうかも俺には、はっきりとはわかんないし、なんとも言えないかな」
「だけど、空君、黒谷さんに碧と一緒にいたほうがいいみたいなこと言ってなかった?」
「うん。幽霊近づかないから、いいんじゃないかなって思っただけで…。あ、深い意味なんかないよ。ただ、黒谷さんの性格明るくなるかもって、そう思ったんだ」
「そうだったんだ」
「…なんで?凪、気になる?」
「ううん」
私は、今の私と空君の微妙に離れているこの空間が気になる。
「じゃ、じゃあ。千鶴と小河さんはどう思う?」
「どうって?」
「なんか、付き合い始めなのにべったりしているけど、大丈夫だと思う?千鶴、遊ばれてなんかいないよね?」
「それも俺にはわかんないな。小河さんって人のこともよくわかんないから」
「そうだよね」
「気になる?」
「…と、友達だから」
「そうだね。遊ばれていたりしないといいけどね。小浜先輩って、ちょっと見、派手だから勘違いされてたら困るよね」
「うん。そうなの。遊んでいる女って見られていないかちょっと心配」
「……そうだね」
空君はそう言うと、またコーラをゴクンと飲んだ。
「ねえ、あの可里奈さんっていう子は、もう空君には近寄ってこないよね?」
「多分。俺、しっかり無視したから」
「そっか」
「心配?」
「ううん。空君、ちゃんと無視してくれたから、そんなに心配じゃないよ」
「そう…」
ああ。私、さっきから必死に話しているかも。だって、黙ると変な空気が流れるんだもん。
隣にいたら、ほっと安心して黙っていられるのに、変に空間が開いていると、不安って言うか、心がざわつくって言うか。
「空君、ソファに移ってもいい?」
「え?いいよ」
「空君もソファに来ない?」
「俺はいい」
「………」
はっきりと断られ、私は立ち上がれなくなった。
「凪?」
「あ、じゃあ、私もここでいい」
「あのさ。2人きりはやばいって、俺、前にも言ったよね?」
「だったら、なんで部屋に呼んだの?」
「それは」
「写真渡すため?でも、それ、明日渡してくれても良かったよね」
「…怒ってるの?凪」
「違うけど…」
「部屋に呼んだのは、それは、別に2人きりになるためじゃなく…」
え?
「空~~~!お待たせ~~」
と、その時、一階から碧のでかい声が聞こえてきて、ドスドスという足音までが聞こえてきた。
「あれ?凪もいた」
碧?
「遅かったね、碧」
「塾でちょっと講師と話してて遅くなった。あ~~、腹減った。なんか食うもんある?」
「昼、食べてないの?碧」
「塾で食ったよ。でもおにぎり2個だけだし、もう腹減っちゃって」
「待ってて。なんかあるか見てくる」
そう言って、空君はキッチンに行った。碧はソファにどかっと座り、
「凪もいたんだ。暇だねえ」
と言われてしまった。
「碧は今日空君の家に来る予定だったの?」
「うん。昨日の夜メールで、ゲームしに行くって約束したんだ」
「受験生なのに?」
「いいじゃん。たまの息抜きくらい。それに、相談にも乗ってほしかったし」
そうなんだ。私じゃなくて、碧は空君に相談するんだ。それに、空君、碧が来るから私も呼んだんだ。本当に2人きりになろうとしていたわけじゃないんだな。
「私いたら、邪魔?」
「邪魔。帰ったら?」
ムカ。言わなきゃよかった。いてもいいよって言うかと思って聞いたのに。
「凪は俺が呼んだんだ。いいだろ?凪にも悩み事聞いてもらったら?」
空君がお盆にチーズケーキと冷たいお茶を乗せ、リビングに来た。そしてテーブルの上にそれを置いた。
「あ、春香さんが作ったチーズケーキ?これ、うまいんだよね」
「昨日、試作品で作ったらしい。レモンチーズケーキって言ってた」
「お仕事熱心だよね。今日もまりんぶるーで試作品作っていたけど」
「ああ。今日はレモンレアチーズケーキを作るんだってさ。で、評判いい方を店に置くって言ってた。凪もあとで、このケーキ食べて。そんで今日作ったレアチーズの方も食べて、どっちがいいか母さんに教えてあげて」
「うん。じゃあ、今はお腹いっぱいだから、あとで食べるね」
「うまい。これ、うまいよ。空!」
一口食べると、碧はそう叫んだ。
「そう?碧、チーズケーキ好きだもんな」
碧は喜んでチーズケーキをほおばっている。その隣に空君は座った。
あ。碧の隣には座るんだ。なんだか、碧に負けた気分。
「さて。なんのゲームすんの?碧」
「う~~~~ん」
「それとも、先に悩み相談、受けつけようか?」
「……。は~~あ」
あれ?やけに暗い?碧。
私もダイニングからリビングに移動して、碧の斜め前に座った。
「凪、そこ絨毯ないし、お尻冷たくない?」
すぐに、空君はそう言って立ち上がり、場所を交代してくれた。
ああ。優しい。冷たいわけじゃないんだよね。空君はいつもの優しくてあったかい空君なんだよね…。
「で?碧、相談っていうのは受験のことか?」
空君が静かに聞いた。碧は、しばらく黙っていたが、空君のほうを向いて、
「うん」
と頷いた。
「俺、なんか必死に上のクラスに行こうと頑張ったりしていたんだけどさ、なんか、よくわかんなくなっちゃってさ」
「よくわかんないって?」
私がそう聞くと、今度は私のほうを碧は見た。
「俺、彼女がいるからって、彼女と合わせるために勉強頑張ってたけど、でも、彼女のことが好きかどうかもわかんなくなっちゃったんだよね」
「え?そうなの?」
「なんか、彼女ができたって浮かれてたけど、本当にあの子のことが好きで付き合おうって思ったのかも、今じゃわかんなくなってて」
「え?好きじゃなかったの!?」
ちょっと、ショック。
「好きってどういうことかなあ。俺、あの子が俺のこと好きなんだろうなって、自惚れててさ、そんでラブレターもらって、やっぱりって思って。それからは、部活引退したら、どんなデートしようとか、あれこれ考えたりしてたけど…。なんか、あの子が好きだから付き合ったのか、ただ、彼女が欲しいから付き合ったのか、それすらわかんなくなって」
「好きだからでしょう?他の子だったら、断っていたんでしょ?」
「まあ、範囲内だったって言えば、そうなんだけど」
「範囲って何?」
「だから、付き合ってもいいって思える範囲」
「ひどい。なんかそれ、ひどくない?」
「凪…」
空君は冷静な声で私の言葉を止めた。
「わかってるよ、凪の言いたいこと。ちゃんと好きになったわけでもないのに付き合えるのかって、そう言いたいんだろ?でも、彼女の方だって、俺のこと、さほど好きでもなかったんじゃないかって、最近はそう思えるんだよね」
「でも、ラブレターくれたんでしょ?」
「だけど、やっと部活引退して、デートもできるって思ったのに、あの子はずっと塾通いだよ?」
「しょうがないよ、碧。そんだけ、上の学校を目指しているんだし」
空君はまた冷静にそう言った。
「だけど、メールくらいできると思わない?ほとんどメールも来なくなったし」
「不器用なのかも。一つのことに集中すると、他が見えなくなるみたいな」
「俺より受験のほうが大事ってことだろ?」
「でも、それはしょうがないんじゃないのか?」
「わかってるよ。それに俺も、彼女と一緒の高校に行きたいから頑張ろうって言う気も、なんとなく起きてこない。今までは男の意地みたいなので、頑張って来たけど、彼女のためじゃないんだよ。こんなんで付き合ってていいと思う?」
「さあな。それは碧がどう思うかだろ?付き合っていきたいなら付き合えばいいし、そういう思いがなくなったんだったら、別れるしかないし」
「空って、クールだよなあ」
「だって、他に言いようがないだろ?思いがなくなっているのに付き合っているのも、彼女に悪いんじゃないの?」
「じゃあ、空は?もし、凪のことを好きじゃなくなったって感じたら」
ズキ!嫌だ。そんなこと聞かないでよ、碧。そんなこと考えたくもないのに。
「凪のことを好きじゃなくなるわけないじゃん。今までだって、ずっと好きだったのに」
え?!
「あ、そう。聞いた俺がバカだった。いや、そう言われるのはわかってた。空と凪はほんと、すげえって思うよ」
碧は呆れながらそう言って、溜息をついた。
私は、喜びを隠しきれず、顔がにやけてしまうので、逆を向いて顔を見られないようにした。
「俺、凪と空と同じ高校行くよ。家からも一番近いしさ」
「彼女と同じ高校は諦めたのか?」
「ああ。行く意味もわかんないし。俺、別にいい大学に行きたいわけでもないしさ」
「大学行かないのか?碧は」
「わかんない。でも、俺も父さん同様、海が好きだから、そっち方面の仕事をしているかな」
「あはは。なんか、聖さんの影響ってすごいよね」
「空もだろ?」
「うん。俺は海洋学、勉強したい」
「ふうん。俺はどっちかっていったら、水族館にいる動物のほうが興味あるかな。イルカの調教も面白そうだし。そういえば、凪と空、この前、イルカと泳いだんだよね。調教も教えてもらったんだろ?いいよなあ」
「今度行って来たら?」
「うん。気晴らしに水族館も行ってくるか~~」
碧はそう言って、どこか宙を見た。それから突然思い立ったように、
「そういえば、あの黒谷先輩って、変じゃない?」
と言いだした。
「変って?」
私と空君が同時に聞き返した。
「俺見て赤くなるから、もしや気があるのかと思ったら、近づくと、逃げるって言うか、がちがちに固まって、嫌がるって言うか…。何あれ?好かれているんじゃなくて、嫌われてるのかな、俺」
え…。それって、多分、好きだからじゃないのかなあ。緊張しちゃうとか、ドキドキしちゃうとか。
「どう思う?空」
「さあ?わかんない。俺、そういうの疎いし…。凪のほうがわかるんじゃないの?」
「え?私?!」
空君と碧が私をじっと見つめてきた。
「さあ?私にもわかんない。ほら、人によって感じかたが違うし」
私はすっとぼけた。だって、私から、黒谷さんは碧に気があると思うなんて、そんなこと言ったら悪い気がして。
「昨日の帰りも、父さんの話には答えたり、相槌うってたけど、俺がなんか話すと、黙り込んじゃって…。だから、あんまり話しかけないでいたんだけどさ。この前、勉強教えてもらった時は、もうちょっと話しやすかったんだけどなあ」
「そうなんだ」
空君がそう言って、ふ~んとあんまり乗り気じゃないような相槌をうった。
「でも、黒谷さんもウィステリア好きなんだから、それを話題にしたら盛り上がるんじゃないの?盛り上がっていたんでしょ?お店で話したときには」
空君は興味がないみたいだから、私がそう聞いてみた。
「別に。俺が聞くと、小声でうんとか頷くだけで、特に会話が成立していたわけでもないし」
あ。そうだったんだ。黒谷さんの声がしなかったのは、本当にしゃべっていなかったからなのね。
「だけどさ、碧。学校ではもっと話さないんだよ、黒谷さんは。友達も霊感が強いってだけで黒谷さんのこと避けてて、ずっと一人もいなかったみたいだし。教室でも話すの何て俺くらいだし」
「だけど、空とは話していたんだろ?俺よりももっと」
「うん。こういう幽霊がいたとか、ああいう幽霊がいたとか、幽霊の話ばかりだけどね」
「……ふ、ふうん。でも、気が合ってたってこと?それとも、空には話しやすかったとか?それとも、空に気あったとか」
ギク。それもあんまり、話題にしてほしくないな。
「それはない。幽霊が見えるってだけで、親近感が湧いたんだろ。凪が霊を消しちまえるってわかってからは、俺より凪にべったりになっていたし。ね?凪」
「うん」
「ふ~~ん。じゃ、俺も霊が寄ってこないから、一緒にいたら好都合じゃないの?」
「だろうね」
「……でも、逃げられてたって言うか、引いてたって言うか…。やっぱり、よくわかんないや」
………。女心ってもしかして、男にはわからないものなのかな。
ちゃんと黒谷さんに確認して、もし碧のことが好きになったんだったら、思い切り応援しないと。こんな、鈍い奴には、なかなか思いが伝わらないかもしれないもん。
他人事ながら、もやもやとそんなことを考え、自分のことはどっかに消えていた。
まだまだ、私だって、「恋人」と言えるかどうかの瀬戸際にいるかもしれないのに。
やたらとべったりする彼氏ができちゃった千鶴。まったく鈍くて女心もわかっていない人を好きかもしれない黒谷さん。そして、付き合っているのに、2人きりになるのはずっと避けられている私。
天文学部女3人の恋は、これからどうなっていくのかなあ。




