第77話 ゆったり空間
翌日、まりんぶるーは定休日だ。空君とは会う約束もなく、私は家でぼ~~っとしていた。
すると、9時ごろ、ものすごく怒りながら千鶴が電話をしてきた。
「どうしたの?何があったの?」
「信じられない。あの、海の家でバイトしてた可里奈って子、昨日の夜、私のバイト先に来て、小河さんと一緒に帰っちゃったんだよ」
「え?」
「約束をしていたわけじゃないけど、遊びに来たとか突然言ってきて、小河さんに送ってくださいってそう言って、小河さんも車で来てるからいいよって、送って行っちゃったの!!!!」
わあ。そうなんだ。
「どういうつもり?あの子、空君に気が合ったんじゃないの?ねえ。空君のところには行った?」
「来たよ、昨日。でも、空君、ちょうどバイトから帰るところで、可里奈さんのことはほっておいて、とっとと家に帰っちゃったけど」
「さすが空君だ。まあ、小河さんと私、付き合ってるわけじゃないし、車で送って行ったからって、怒れないけどさあ」
でも、千鶴の声は怒った声だ。
「この前、花火のあと、どうだったの?」
「車で送ってくれて、ちょっといい雰囲気だったの。でも、付き合うとか、そういうふうにはならなかったんだ。こんなおじさんより、高校生くらいの子がいいんじゃないの?って言われたし。あ、あれって、ふられたってことかな」
「さあ?」
「男と付き合ったことあるのって、聞かれたし、もしかしたら、小河さん、私のこと気にしてくれてるんじゃないかって思ったのに。花火だって誘ったら、車まで出してくれたし。ねえ、どう思う?」
「ごめん。私、そういうのって、まったくわからなくって」
「凪はいいなあ。うまくいっててさ~」
「え?」
「空君、完全に他の女の子に目もくれないんでしょ?羨ましいね」
「……うん」
でも、今、ちょっと落ち込んでた。デートも誘ってもらえないし。
「どうしたの?なんか、沈んでる?喧嘩でもした?」
千鶴が気が付いたらしい。
「ううん。喧嘩はしてないよ」
「そう?あ、今日もバイトだよね?」
「今日は定休日」
「そうなの?私もシフト入ってないよ。遊ばない?うちに来る?それか、凪の家に行ってもいい?なんだったら、空君誘ってもいいよん」
「……」
空君、2人きりにならないなら、来てくれるかな。
「あ、そうだ。あの子も呼ばない?きっと、ずうっと家で引きこもってるよ」
「黒谷さん?」
「そう」
「何気に千鶴、気にかけてあげてるんだね」
「そういう凪も、今、すぐにわかっちゃったじゃない」
「いいよ。黒谷さんも呼ぼう。うちなら、碧も、今日は塾から早く帰ってくるし、碧がいたら、霊なんか寄ってこないから」
「よし。メールで誘ってみる。何時ころ行ったらいい?」
「お昼食べ終わったら。あ、うちにもおやつあるけど、3人分もないからおやつ持って来てくれると嬉しい」
「3人?碧君と空君がいるから、5人でしょ?行きがけにお菓子、たくさん買っていくね。じゃあ、またあとで!」
空君、来てくれるかな。でも、碧がいるなら、来るかも…。
空君にメールしようと、何度も書き直して、20分後、ようやく送信した。
空君からは、しばらく返事がなかった。やっぱり、来ないのかなと、諦めかけていると、
>碧が帰ってきたら、教えて。そうしたら行くよ。
というメールが入った。
わあ!来てくれるんだ。嬉しい。
そっか。碧が来ないと男一人になっちゃうもんね。それは、空君嫌がりそう。
そして、お昼前に碧が塾から帰ってきて、私は碧をどこにも行かせないようにして、空君にメールした。
>碧、帰ってきたよ。
>凪、昼飯食べた?俺、まだなんだ。母さん、ケーキの試作品作っちゃって、お昼作ってくれそうもなくて。
>うちで食べる?我が家のお昼、今日はそうめんなんだけど。
>そうめん、食いたいから行く!
そうなんだ。空君、そうめん好きなんだ。そういうことも知れて嬉しいな。
それから、10分後、自転車を飛ばして空君が来た。
「おお!空。そうめんに何入れる?」
碧は、空君がダイニングに来ると、いきなりそう尋ねた。
「え?そうめん?俺はネギと、のりと、それだけでいい」
「一緒だ。凪はさあ、みょうがも入れるんだって。年よりくさくない?」
「い、いいじゃないよ。ね?ママ。美味しいよね」
「うん。美味しいよ。空君も入れてみる?」
「え。みょうがはちょっと…」
空君はそう言うと、ダイニングテーブルの横で、手持無沙汰って感じで突っ立ったままでいた。碧と私は、ママの手伝いをしていた。
「空君、手を洗ってきて。それから、テーブル拭いてもらってもいい?」
「はい」
空君はママにそう言われ、急いで手を洗いに行くと、すぐに戻ってきて、テーブル拭きで、丁寧にテーブルを拭いた。それから、碧と私で、そうめんやら薬味の入ったお皿を、テーブルに運んだ。
「わあ。すげ」
空君が喜んでいる。
「空君って、そんなにそうめん好き?」
ママが聞いた。すると、
「いえ。でも、あんまりうちでしないから、ちょっと嬉しくて」
と、わくわくした感じで答えた。
「流しそうめんにしたらよかったね。前に、やったよね」
碧がそうママに言った。
「やったね。まだ江の島にいた頃に。杏樹ちゃん、やすくん、お父さん、お母さんも一緒に。聖君とお父さんがやたらと張り切って大変だったよね」
「そうそう。覚えてるよ。碧、まったくそうめんをお箸で掴めないで、途中で泣いたよね」
「へえ。そんなことあったんだ」
空君が碧を見て、ちょっと笑うと、
「空だって、きっと掴めないで泣くよ」
と、顔を赤くして怒っていた。
そうめんをみんなで食べだした。そして、お皿がからになると、麦茶をゴクゴクと飲み干して、
「碧、塾どう?勉強はかどってんの?」
と、空君が聞いた。
「は~~~。一応ね。どうにか空と凪の行ってる高校はギリギリ入れそう」
碧は、溜息を吐いてからそう言った。
「良かったね。彼女も一緒でしょ?」
そう言ってから、しまったとママの顔を見た。ママはちょっと、気にしているのか、鼻がぴくぴくしている。
「彼女か~~。俺さあ、クラスも違うし、知らなかったんだよね。塾行くまで」
「何を?」
「彼女、すげえ優秀なんだ。もっと上の高校か、私立目指すかもしれない」
「え?じゃあ、別々の高校になるの?」
空君がそうびっくりしたように聞いた。
「俺に合わせようとしてるみたいだけど、親には反対されてるんだって。ちゃんと自分のレベルに合った高校行って、大学もしっかりとしたところに行けってさ」
「大学も?」
「東京の大学とか。彼女が優秀だから、彼女のご両親、すげえ期待してるみたい」
「彼女のほうが優秀って、きついな」
空君がぽつりとそう言うと、
「空はいいよな。凪、優秀じゃなくてさ」
と、憎らしいことを言った。
「空、何が言いたいの?」
ムッとしながらそう言うと、碧は、
「だって、そうじゃん」
と、憎らしげに言った。
「そんなことないよ。俺、凪と同じ高校入るためにかなり勉強したし。高校卒業後も、市内の大学行くと思うけど、凪のほうが先に行くんだよね。そこでも、俺、きっと追いかけることになるんだろうな」
空君、フォローしてくれたの?
「凪、大学行くの?」
碧が聞いてきた。なんで驚いてるのかな。私が大学行くのってびっくりすること?
「大学行くんだとしたら、家から出るの?凪。寂しいな」
いきなり、悲しそうな顔をしたのはママだ。
「まだまだ、先の話だよ、ママ。それにその頃は、赤ちゃんがいて、にぎやかになっているってば」
「うん。そうだけど。大学っていったら、4年でしょ?」
「でも、市内なら近いから、ちょくちょく帰って来れるよ」
「うん。そうだね。でも、4年も…」
ああ。ママが沈んじゃった。話を変えないと。
「あ。そろそろ、来るかな。黒谷さんと千鶴」
「誰?その黒谷さんって」
碧が聞いてきた。
「霊感少女」
空君がそう答えてしまった。
「へえ!来るんだ。でも、うちで幽霊見えたらどうすんの?」
「うちに幽霊なんているの?」
ああ。ママが真っ青になっちゃったよ。
「大丈夫です。碧がいると、霊寄ってこないですから。碧と聖さん、パワー強いから、幽霊も逃げちゃいますよ」
空君がそう言って、ママを安心させてあげた。
「碧がいるから、黒谷さんも大丈夫だね」
私がそう言うと、
「だから、どこにも行くなってさっき、引き留めたの?まあ、どこにも行かないけどね。勉強あるしさ」
と碧は、ちょっとつまらなそうに答えた。
「勉強熱心なんだな、碧。まさか、彼女と同じレベルの高い高校受けんの?」
空君がそう聞くと、碧は首を横に振り、
「無理。多分、俺ら、別れちゃうかも」
と、けっこう平然とした顔でそう言った。
「え?別れる?」
ママがびっくりしている。
「付き合ったばかりじゃない」
私もびっくりしてそう言った。
「だってさ、彼女、俺といたらレベル下げようとするし。なんか、俺、いろいろと焦っちゃって、デートとかもできそうもないし。一回、離れてみる方がいいのかなって、そう思ってさ」
「そうなんだ。碧、そんなふうに考えてるんだね。でも、彼女の気持ちもちゃんと聞いてあげないとね?」
ママが、落ち着いた口調でそう言った。
「うん。わかってる」
碧はそう言うと、ぼりって頭を掻き、
「先輩たちに、勉強でも教わろうかな。テキスト持って来る」
と、2階に上がって行った。
「私、勉強教えるほどできない」
「俺も」
私も空君もそう言って、困っていると、
「あ。黒谷さんは優秀みたいだから、碧に勉強教えられるかも」
と、空君がぽんと手を叩いた。
「優秀なの?」
「うん。前の高校、かなりレベル高かったみたいだよ。こっちでは、とりあえず、家から一番近い高校にしたかったみたいで、で、うちの高校に転入したって言ってたから」
へえ。聞いてみないとわからないもんだな。
そして、お昼を食べ終え、ママはソファで編み物を。碧はごろんと横になってマンガを読み、その隣で空君もマンガを読み、私はママの隣に座って、雑誌を読んでいた。
そんなまったりした昼下がり。
「何時に来るの?凪~~」
碧が聞いてきた。
「もうすぐ来ると思うけど」
「おやつ持って来るんだよね?俺、腹減った」
「え?もう?まだ1時間もたってないよ」
「だって、そうめんだよ?すぐに腹減るじゃん。なあ、空」
「うん」
「空君もお腹空いちゃったの?何か作ろうか」
ママがそう言うと、
「いいです。もう少し持ちます」
と空君は、申し訳なさそうに言った。
「いいのに。空もわがまま言っても」
碧がそう言うと、
「碧はまさか、空君の家で、春香さんにわがまま言いたい放題してるんじゃないよね」
と、ママが碧に向かって、珍しく強い口調で聞いた。
「え?俺?」
「あ、大丈夫です。まるで兄弟ができたみたいだって、母さん喜んでて。碧が遠慮したりしないほうが、嬉しいみたいです」
「え?遠慮していないってこと?碧ったら~~。あ、じゃあ、空君もだよ?自分の家だと思っていいからね」
「はい。もう、そんな感じで、のんびりさせてもらってます」
「ここ、落ち着くだろ?空。空んちものんびりできるけど、うちのリビングは凪がいるから、さらにまったりできるんだよ」
碧が偉そうな感じで、空君に言っている。
「あ…。凪がいるからなんだ。このゆったり空間」
空君がそう言うと、碧はママのほうを見て、
「あと、母さんもゆったりしているからな~~」
と、嬉しそうに言った。
「そうだね。なんか、いいよね、ここ。俺ものんびりできる。…って、いいんすか?俺、こんなに人の家でだらだらしてて」
空君は碧の隣で、転がっていたのに、起き上がって座り込んだ。
「いいの。いいの。家族みたいなもんじゃん。親戚なんだしさ。ね?母さん」
「うん。いいよ。全然うちは構わないから、いつでも来てのんびりしてって」
「はあ…」
空君はぼりっと頭を掻き、寝っころがるのは遠慮したのか、あぐらをかいてまたマンガを読みだした。
ピンポン。
チャイムが鳴った。
「あ、来た」
私は玄関まで出迎えに行った。ママもあとから玄関に来て、
「いらっしゃい」
と私と一緒に2人を出迎えた。
「あ、突然、お邪魔してすみません。これ、皆さんで召し上がってください」
「あら。ありがとう。でも、スイカを持って来るの重たかったでしょう?」
「いいえ。そんなでもないです。バスで来たし」
黒谷さんは大きなスイカを丸ごと持ってきた。
「ママ、スイカは重いから私が持つ」
そう言って、私はスイカを持ってキッチンに行った。
「どうぞ、中に入って」
「お邪魔しま~~す」
ママにそう言われて、元気に千鶴が入ってきた。
「あ、碧君、久しぶり」
「凪を泣かせた小浜先輩、久しぶり」
「何よ。生意気。碧君ってシスコンじゃないの?」
「嘘。冗談っす。凪とまだ友達しててくれて、ありがとうございます」
碧がそんなことを言うから、ママも私もびっくりしてしまった。
「うわあ。シスコンもそこまでいくと立派だわ」
千鶴がそう言って笑った。
「それより、小浜先輩。おやつ」
「え?それが目的?」
また千鶴は笑った。
「スイカ、黒谷さんが持って来てくれたよ、碧。好物でしょ?今から切って、冷蔵庫で冷やすから、あとで食べよう」
「スイカ?まじ?やった~!」
碧が喜んだ。
「ありがとうございます。黒谷先輩?どうも、初めまして」
あ、スイカですっかりご機嫌になったな。碧は。
「は、はいっ」
あれ?黒谷さん、声裏返ったよ?
びっくりして、黒谷さんを見ると、黒谷さんはリビングの入り口で真っ赤になっていた。
え?なんで?碧見て赤くなったの?まさか、空君を見てじゃないよね。
「どうぞ、座って。千鶴ちゃんと黒谷さんは、ソファに座る?今、冷たいお茶入れてくるね」
ママがそう言って、キッチンに来た。
私はスイカを半分に切って、ラップに包み冷蔵庫に入れた。そして、ママが入れたお茶を持って、リビングに行くと、ソファに座った黒谷さんは、真っ赤になってもじもじしていた。
「どうぞ」
ソファの前の小さなテーブルに置くと、
「ありがと。喉乾いていたんだ」
と、千鶴は元気にそう言ってお茶を飲み、黒谷さんは、ちらっと碧のほうを見て、また俯いた。
れれ?やっぱり、碧?
「そういえば、黒谷先輩って、霊感あるの?」
唐突に碧が黒谷さんにそう聞いた。すると、黒谷さんは、一回碧の顔を見てから、また赤くなって目を伏せた。
「はい」
返事も消えそうな小さな声だ。
「空も見えるんだよね。ねえ、この部屋になんかいる?」
「いいえ。いないです」
黒谷さんは小声でそう答えた。
「いないのか」
「だから、碧、俺、言ったじゃん。碧のエネルギー強いから、霊も逃げるって」
空君がそう言うと、え?と驚きの顔で、黒谷さんが顔をあげた。
「そ、そうなんですか?」
「うん。俺と俺の父さん、強いんだって」
碧がそう言うと、
「きっと、超楽観的で、霊も寄って来れないんじゃない?」
とママが、そう言った。
「なんだよ。超楽観的って。俺はこれでも、悩める青年なんだぞ」
碧がそう言うと、ママが声を出して笑った。
「ひで~~。まじで、悩んでいるのにさあ」
彼女のことを悩んでいるのかなあ。
でも私は、そんな碧のことを、目をハートにして見ている黒谷さんのほうがとっても気になっていた。




