第63話 素のままの私?
空君はその日の夜、我が家に来た。そして、案の定、パパがずっと空君を独り占めにした。
「空、こっち来いよ」
夕飯後、リビングに空君を連れて行き、何やら、海洋学について話をしている。
私は果物を切ったりしていて、ママは後片付けをしていた。碧は一人で、テレビを観ている。
果物をリビングのテーブルに置くと、
「いっただき~~」
と誰よりも早くに碧が手に取り、食べだした。
「空は、海洋学の勉強をまじでしたいと思っているのか?」
「はい」
「じゃ、市内の大学に進学するか?あそこの研究所、かなり面白いぞ」
「え?そうなんですか?」
「ああ。あそこの教授、たまにうちの研究所にも来るし、俺も、向こうの研究所に行くこともあるし」
「そうなんだ」
あ、空君、目、輝いてる。
「そんで、卒業したらうちの研究所来る?今、人出不足なんだよ。なかなか海洋学の研究をしたいっていう学生がいなくってさ」
「はい。あの研究所で雇ってもらえたら、最高っす」
「水族館は?」
「う~~ん。俺、人前で話すの苦手だし…」
「まあ、あそこの水族館の館長の息子も、研究所で研究しているだけだし、それでもいいけどな」
「まじで、雇ってもらえるんすか?」
「うん。館長にも所長にも言っておいてやるよ」
「…はい」
うわ~~。嬉しそう、空君。
「でも、どっちかって言うとさ、お前、そんな簡単にさっさと将来のこと決めちゃっていいのかって、そっちが気になるけど」
「……天文学にも興味が出て来てるんです」
「ああ。天文学部にいて、興味出た?」
「はい」
「で?」
パパが空君の顔をじっと見て、真剣な表情でそう聞いた。
「でも、やっぱり、海のほうが好きなんですよね、俺」
「ふうん」
「ずっと海で仕事ができたら、最高だよなって思ってて」
「俺と同じだ」
「そうなんですか?」
「ああ。俺も絶対に海に関する仕事をしているだろうなって、それだけは確信してたよ、高校の頃」
「へ~~」
「でさ、じいちゃんにこの水族館に連れてこられたのが、大学生の時。研究所にも、イルカセラピーにも、全部に惹かれたし、子供たちに海のこと教えてるじゃん。あれも、その頃からこの水族館でしててさ、話を聞いている子供たちの目が輝いているのが、めちゃくちゃ可愛くて、こんな仕事したいって、まじで思っちゃったんだよね」
「ぴったりですよね、聖さんに」
「だろ?先生になったらどうだって、そう言われたりもしていたんだ。だけど、子供、それも小学生くらいの子供対象のほうが、俺には向いてるって、そう自分でも思ってさ。自分の好きな海のことを、好きな子供たちに教えるなんて、最高だよなって、そん時にピンと来た」
「じゃあ、それまではいろいろと悩んでいたんですか?」
「悩んでいたよ。海の方面の仕事はしたいけど、具体的には決まらない。それでも、大学行って海洋学は勉強してた。俺の場合、もう結婚もして子供もいてって、そんなだったから、将来のことを早くにしっかりと見極めないとって、そんな焦りもあったし」
「あ、そうか。それってすごいプレッシャーだったんですか?」
「いや。まあ、ちょっとは感じてたけど。ほら、榎本家って、全員が楽天家じゃん?あのじいちゃんと、父さんだよ?焦んなくてもいいさ~~~って感じでさ」
「あ、そっか。そうですよね」
「桃子ちゃんも、特になんにも言わなかった。ただ、俺が何になろうが、どこに行こうが、着いてくるって言ってたし、いっつも俺のことを見守っているって、そう言っててくれてたから、安心できたしな~」
「すごいですね、桃子さんって」
「あはは。なんか、お前と凪はちょっと違うよな?」
「え?」
「最近そう思うよ。いや、最近じゃないか。子供の頃はそう思ってた。それがまた、最近になって、子供の頃の凪に戻ったっていうかさ、お前らの関係がその頃に戻ったっていうかさ」
そう言うとパパは、またふっと笑った。
「え?どんな関係なんですか?」
「え~~~?教えない」
あ、またパパが意地悪してる。でも、私も知りたい。
私はパパのすぐ横にくっついて座り、
「私も知りたいよ」
と、聞いてみた。
「あ、何それ。何その目。凪の上目使い、初めて見た」
「え?」
「パパに甘えた?それとも、色仕掛け?」
「そ、そんなことするわけないじゃん!ただ、本当に教えてもらいたかっただけで」
「え?じゃあ、無意識?」
「うん」
「やばいぞ、それは。絶対にそんな目で、空を見るなよ、凪」
「え?なんで?」
「空、勘違いするからな。他の男でも駄目だ」
「勘違いって?何を勘違いするの、空君」
「え?!そ、そんなのわかんないよ、俺にだって」
空君は思い切り焦っている。
「上目使いで、可愛い声出したりしたら、男はキュンって来ちゃうの!だから、やっちゃ駄目。わかった?」
パパが私の顔を見て、そう言って来た。
「はあ?そ、そんな可愛い声も出していないってば。今の、普通でしょ?」
「くすくす。聖君、変なこと言ってないでよ」
ママが笑いながら、キッチンからリビングに来た。
「桃子ちゃんだってしていたよ。俺、それに何度もやられて、可愛い!ムギュって抱きしめちゃってたじゃん」
「今もでしょ、パパ」
私がそう言うと、パパはにんまり笑って、
「あ、ばれてた?」
とにやついた。
「え、それ、凪じゃん…」
ぼそっと空君が呟いてから、あ、しまったって顔をして、下を向いた。
「それだよ。それ」
パパはその言葉を聞き逃さなかったし、空君の肩をぽんぽんと叩きながら、
「それなんだよ」
ともう一度念を押すように言った。
「それって、なんすか?」
空君がちょっと顔をあげてそう聞いた。
「だから、俺と桃子ちゃんの逆バーションなんだよな?俺たちの場合、俺が、桃子ちゃん可愛くてハグするけど、お前たちの場合、凪が空のことハグするじゃん。それって、空が可愛いからだろ?」
うきゃ!ばれてる。
「え?」
空君は顔を真っ赤にしてかたまった。
「ほら。こういうところが、可愛いんだろ?凪」
「うん」
あ!うんって、頷いちゃった。空君、もっと赤くなった。
「凪って、おとなしいけど、桃子ちゃんとはちょっと違うんだよなあ」
「どう違うの?パパ」
「意外と大胆で、物怖じしなくって、思ったことを素直に言って素直に行動してる」
「…そうね。子供の頃の凪って、そうだった。最近、その頃の凪に戻って来てるよね」
ママもそう言った。
「でも、外でもそうなの?案外、内弁慶なんじゃないの?凪ってさ」
そう言ったのは碧だ。
「内弁慶で、外では凪本来じゃないとしてもさ、空の前では素の凪なんだよ。な?」
「……」
そうなのかな。うん。そうかもしれない。
ちょっと前までは違っていたの。すごく気を使っていたし、自分を見せられなかった。だって、怖かったから、遠慮もしてた。
でも、空君がいろいろと、心の内を見せてくれて、なんだか私も安心して素のままでいられるようになった。
「違うの?凪」
あ、空君が心配そうな顔つきをした。
「ううん。空君の前では、素でいる…」
そう言うと空君は、嬉しそうにはにかんで笑った。
キュン!今の、超可愛い!
「空君、可愛い!」
ムギュ!
「だから!凪、抱きつくな~~!」
すぐにパパにひっぺがされた。
あ~~あ。
「あはは、それだったらさあ、もう幽霊にとりつかれることもないんじゃねえの?凪」
「え?」
「だって、すぐに空に抱きついて、パワーアップしちゃうじゃん?」
「う、うん」
「一時、グジグジして、幽霊にとりつかれたりしていたのが、嘘みたいだよな?」
「う、うん」
「え?凪、とりつかれてたの?」
パパがびっくりしている。
「空、そういうの見えるんだって。だから、凪に幽霊がとりついてるのを見ると、助けてたみたいだよ」
「あ、そうなんだ。だから凪、いっとき頭痛がしたりとか、していたの?」
「うん」
「空に遠慮もしていたのに、最近はしてないみたいだしな~~~、凪?」
あ、また碧が憎らしそうにそう言って来た。生意気な奴だ。
「遠慮、俺にしてた?」
空君がまた、心配そうな顔をして聞いてきた。
「ま、前の話だよ。今は違うもん」
「前は遠慮してた?」
「え、えっと」
「してた、してた。霊感女にも遠慮して、空に近づけないでいたり、霊感女を羨ましがったりしてた」
「碧!何をばらしてるのよ~~!」
「そう言えば、そうだったよねえ」
「ママまで!!」
私が真っ赤になって慌てていると、空君は私の顔をじいっと見て、
「そうだったんだ」
と、驚いている。
「なんだ、空、気づかないでいた?やっぱ、空、鈍感だよなあ」
碧、また生意気なこと言ってる。
「え?俺、鈍感?」
「凪がやきもち妬いていたこととか、一人でぐじぐじ暗くなっていたこととか、知らねえだろ?」
「………」
ああ、空君の顔がもっと暗くなっていく。
「今は違うから。前の話。もう済んだことだから!」
慌ててそう言ったけど、まだ、空君は暗い顔のままだ。
「そっか。俺って、鈍感なんだね…」
あちゃ~~~。落ち込んだ?空君。
「ま、もう大丈夫だろ?凪も遠慮しなくなったし、空の前でも素のままでいるって言ってるんだしさ」
パパはそう言うと、いきなりソファから立ち上がり、隣に座っていたママの手を引き、
「風呂、入ってくるね?」
と可愛い声で言って、2階に着替えを取りに行ってしまった。
「ああ、突然、2人の世界かよ」
碧がぼそっとそう言って、またテレビのほうに向いた。
「碧は彼女とデートしないの?」
私が聞くと、碧はテレビを観ながら、
「明日する~~」
と答えた。
「明日?あ、そう言えば、明日ってまりんぶるーの定休日だよね?凪」
空君が私にそう言って来た。
「うん。そうだね」
なんだあ。明日は空君とまりんぶるーでバイトできないのか。じゃあ、空君とも会えない?
「俺らもデートする?」
「…え?!」
「どっか、行きたいところある?」
うそ。デート?!!!
「凪、そんなに、半端なく嬉しそうな顔するなよ」
碧がテレビを観ていたくせに、振り返って私の顔を見て呆れた声を出した。
「う、うるさいな。いいでしょ、嬉しいんだから」
顔が熱くなりながらそう言うと、空君がブッとふきだした。
「え?なに?」
「いや。本当に嬉しそうだったなあって思って…」
くすくすと空君はまだ笑っている。なんだか、恥ずかしくなってきたなあ。
「で、どこに行きたい?」
「あ、俺らと同じ所には来るなよな!」
「行かないよ。碧はどこに行くの?」
「映画館アンド、ショッピング~~~」
碧はそう嬉しそうにはしゃぎながら答えた。十分碧も、嬉しいんじゃないよ。顏、にやけているし。
「海、2人きりで行けなかったから、今度はプールはどうかなあ、空君」
「え?プール?う、うん。いいけど」
「じゃ、プールにする!」
私がまた、喜んでいると、空君は隣で赤くなりながら、
「また、ビキニだよね?」
と小声で聞いてきた。
「え?えっと。ワンピースのほうがいいかな」
「ううん。ビキニでいい」
そう言うと空君はさらに赤くなり、突然碧の隣に行って、テレビを観だした。
あ、あれ?
できたら、いろいろと、相談とか。
できたら、パパがいない間にもうちょっと、2人で話とか…。
そう思ったけど、碧の隣でお笑い番組を見て、2人で笑い出した。
あ~~~あ。
仕方なく私も、2人からちょっと離れてテレビを観た。遠慮しているわけじゃない。空君の隣に、私の座るスペースがまったくないからだ。
避けられてはいないけど、でも、ちょっと距離を置かれている気がする。悲しいなあ。
ちぇ。
なんて思いながら、私は空君の後姿を眺め、抱きつきたい気持ちを抑えていた。
きっと、抱きついたら、やめてって言うんだろうなあ。
ああ、私はまだ遠慮をしている。のかもしれない。




